105 結婚
「ちと陛下を説得するのに手間取ったが、息子も孫娘も案外乗り気で助かったわい。孫娘は儂が言うのもなんだがよくできた娘でな。きっと満足するだろう。さあ、バウムガルテン卿よ。行くぞ」
オレはここにきてようやくアルトマイヤー将軍に嵌められたのだと気が付いた。
報酬ってアルトマイヤー将軍の孫娘のことかよ!?
国宝は? 聖剣は無いの!?
「おめでとうございます、バウムガルテン卿!」
「おめでとう!」
「実にめでたい!」
「おめでとうございます!」
今すぐにでもお家帰りたいが、許されそうな雰囲気じゃない。
「どうした、バウムガルテン卿? アルトマイヤー侯爵家の至宝が待っておるぞ? まさかとは思うが……儂の孫娘が気に入らないとでも?」
そこにはこのおめでたい席にはふさわしくない修羅が居た。もちろんアルトマイヤー将軍だ。こわい……。思わず体が震えてしまうほどだ。
「しょ、将軍と縁続きになれる喜びに打ち震えていました……」
「そうかそうか! では、行くぞ!」
ご機嫌なアルトマイヤー将軍に背中を二度叩かれて、オレは赤い絨毯を踏み出した。オレにもう逃げ道はないんだぁ……。
オレは前世でも結婚したことはない。というか、異性とお付き合いしたこともない。まさか、初めての結婚がこんな強引に決まるとは……。
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
皆に祝福されながら、オレはまるでこれから刑を執行される死刑囚のような気持ちで教皇の元に歩いていく。教皇の元には、既に白いドレスを着た儚げな少女の後ろ姿が見えた。
そういえば、花嫁って誰なんだろう? せめてまともな人だといいなぁ……。
期待せずに見た花嫁の白いヴェール向こうには、意外にも知り合いの顔が朧げに見えた。
「カサンドラ嬢?」
「祖父が無理を言ったのでしょう? 申し訳ございません」
カサンドラは眉を下げて申し訳なさそうに言った。だが堂々としている。結婚自体には乗り気と言っていたアルトマイヤー将軍の言葉通り、もう覚悟完了している感じ?
その覚悟、オレにも分けてほしいよ……。
「新郎新婦揃いましたな。では……」
教皇がオレとカサンドラの姿を確認すると、朗々とした声で女神への祝詞らしきものを唱え始めた。
「カサンドラ嬢、貴女は結婚に乗り気と聞いていますが、本当ですか?」
オレは隣のカサンドラに小声で問いかける。オレはカサンドラと何度か会ったことはあるが、直接話したことは数少ない。本当に、そんな薄い関係しかないオレと結婚したいと思っているのだろうか?
カサンドラが望まない結婚を強要されているとしたらオレは……。
そもそも、オレは恋愛事にはとことん自信がない。前世を含めて、女性と付き合ったことすらないのだ。生まれる前から一緒に居るコルネリアのおかげで女の子の扱いには多少慣れたが、それがいきなり結婚なんてな……。
まったく上手くいくビジョンが見えない……。
そんな不安いっぱいのオレを笑い飛ばすように、カサンドラが薄く笑みをみせる。
「貴族の令嬢として生まれたのですもの。いつかは誰かに嫁ぐことは絶対です。ご心配なく、わたくしもわたくしの目的があって貴方を結婚相手に選びました」
「はぁ……?」
予想外のカサンドラの答えに間抜けな声が漏れてしまう。
そして、オレはレンガで頭を殴られたような衝撃を受けた。
カサンドラはカサンドラの目的があってオレとの結婚を望んでいるのだ。オレを愛しているわけじゃない。
知識ではわかっているつもりだった。貴族の結婚は政略結婚。そこに愛がある方が珍しい。カサンドラのように割り切った考えの令嬢が多数派だということも。
だが、オレはどこかでそこに愛を求めていたのだ。
オレ、カサンドラと上手くやっていけるか不安だ……。
だが、オレはその時気が付いた。カサンドラの笑顔が精彩を欠いていることに。クラウディアの近くに居たカサンドラはもっと自然な笑顔を浮かべていたはずだ。
そしてよく見ると、カサンドラの体が微かに震えていることに気が付く。
そうだよな。カサンドラは家を出てバウムガルテン家に入るのだ。オレの感じている不安よりも、もっと大きな不安を感じていることだろう。
オレがしっかりしないと。
「カサンドラ嬢、すぐには無理かもしれない。だが、オレは必ず貴女を愛してみせる。だから、カサンドラ嬢もオレを愛する努力をしてほしい。一緒に幸せになろう。誰もが羨むくらいにね」
「ッ!」
カサンドラの体がビクリッと震えた。
「さすがは姫様の……。不覚にも殿方にときめいてしまいました。こんなことは初めてです。わたくしは貴方にきらわれるかと思っていました。ですけど、わたくしも貴方を愛することを努力してみますわ。円満な家庭が一番ですもの」
カサンドラの表情が少しだけ和らいだような気がした。
カサンドラもオレを愛する努力をしてくれるというのは朗報だな。恋愛結婚よりもお見合い結婚の方が離婚率は低いと聞くし、案外いい家庭を築けるかもしれない。
築けるといいなぁ……。いや、築くんだ!
「では、誓いのキスを」
「ぇ?」
誓いのキス? あの有名な誓いのキスがこの世界にもあったのか!?
どうすればいいんだ!? というか、本当にキスしてもいいのか!?
「まずはわたくしのヴェールを上げてください」
戸惑っていると、小さな声でカサンドラが囁いたのが聞こえた。
オレはただただカサンドラの指示に従って彼女のヴェールを捲り上げる。
「ッ!」
さすがにこんな公衆の面前でキスするのは恥ずかしいのか、カサンドラの耽美な顔は少し赤く染まっていた。
その美しさたるや、思わず息を呑んでしまったほどだ。
本当にこんな綺麗な人がオレのお嫁さんになってくれるの?
身長が同じくらいのカサンドラが、スッと目を閉じてた。いわゆるキス待ち顔だ。
そうだよな。これは結婚式。そして誓いのキスなんだ。逃げられるわけがない。
覚悟を決めろ、ディートフリート・バウムガルテン!
コツンッ!
「ッ!?」
「ッ!?」
緊張から目測を誤ったのか、カサンドラの口に勢いよくぶつかってしまった。唇越しに歯と歯がぶつかり小さな音を立てる。
初めてのキスは、ちょっとだけ血の味がした。
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