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田園調布は戸越銀座より偉いのか?

 夕方だったからだろう、会社帰りの年配サラリーマンばかり、ほとんど『おじさんの詰め合わせ』状態だった。カウンターにはでっぷりとお腹の出ている中年白人カップルが目の前の職人たちの働く姿を興奮気味に眺めては、二人して感心しあっている。どこから情報を得たのだろう。ほんとなら、日本人だけの秘密の場であってほしいのだが、こんなところにも観光客が来るのか。それとも、店側で英語のホームページでもアップしているのだろうか。いやいや、そうじゃないかもしれない。表通り、つまりは、おもちゃ屋の真ん前で商売していた時だって、東欧からの団体旅行客らしき白人どもががやがやと自国の食堂のようににぎやかに食事をしていたし、そうかと思えば、中国人らしき不釣り合いカップル、男が中年で、女は自分の娘のような歳の子を連れていたり。きっと今のことだから、銀座の目抜き通りの終点というわかりやすい場所も手伝って、SNSで世界中に天ぷら通のネットワークに乗っかっているのかもしれない。

 昼の時間はとっくにすぎていたから、サービス価格ではない正規のA丼を頼んだ。どんぶりに、エビ、きす、イカ、やさいの天ぷらが入って、赤みその味噌汁と漬物が2種類ついて、2530円。結構、値段が上がった。それでも、味は変わらず、おいしかったからよしとする。世の中、なんでも値段が上がって、外人観光客プライスで商売したほうが儲けが出る、ということももちろんあるんだろう。たまに来るんだから、これくらいいか、と久保田は己に言い聞かせた。

 ああ、おいしかった、満足満足、と表に出ると、急に蒸し暑さが戻ってきた。どうする。そのまま、地下鉄浅草線で帰るか、戸越へ。与太郎そのもののお気楽男は、もう一か所くらい寄っていくかと西へ歩みを進め、最近ナンパのメッカと雑誌で評される南北に走るコリドー街を真っ二つに突っ切る形で、JR高架下を抜け、日比谷公園方面へ。この辺になれば、もう、夜は人通りが少なくなる。公園内の図書館が次の目的地であった。

 20年ほど前に利用した頃には、浮浪者が住み着いていた。臭くて汚くてしかも本を読むわけではなく眠りにきているのだから始末に悪い。仕事がないならないで、しかるべき施設に大人しく世話になって、生活保護で十分に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利どころか資金だって国からいただけるはずだ。それを自由が好きだとでも宣うつもりなのか、悪臭を放って、まじめな利用者たちを不快にするのだから始末におけない。始末におけないどころか、油断すると盗みを働く。この日は以前のホームレスはいなかったみたいだが、それでも、夏場はとくに、臭いにおいをまき散らしては無料の漫画喫茶のつもりで居座っているのだから、たまらない。

 久保田は二階の個別席を予約して、夜の7時前から約3時間、経済紙に目を通した。新NISAが始まってからというもの、もっぱらの関心事は投資とうなぎとエロ動画だった。うなぎとエロ動画はものごころついてから変わらない。新たに加わったのは、ここ数か月の投資である。

 仕事がないというのは切実で、ホームレスのことを批判などしていられない。下手をすれば明日は我がが身である。よって、昨年末から、まるで取りつかれたように地元の区立図書館に通い詰めては、株、債券、投資信託、ETFなどの本を借りまくって読みまくって、それだけでは足りず、池上彰のそうだったのか、羽鳥モーニングショー、大下スクランブル、BSプライム、BS報道1930,テレ東、BS11,BS日テレ、もちろん、NHK,さらには、ネットの森永卓郎、康平親子解説など、吸収できるものはできるかぎり、『エクスポージャー』を意識してきた。おお、『エクスポージャー』という単語が出るとは。やあ、少しは進歩しているんだな、と自画自賛する久保田であった。

 閉館時間10時の15分前になると、館内にはボレロが流れてくる。モーリス・ラベルの、同じ旋律を繰り返す、それでも、結構飽きないで聞き入ってしまう、不思議な曲だ。ほんとは、最後まで聴いていたいのだが、どうしたわけか、そうは問屋がおろさない。途中、女性のアナウンスが入って、「どちらさまもお忘れ物のなきよう」と注意を呼び掛けるのを忘れない。すると、また、最初のピ~ヒャラララララ、とフルート?ピッコロ?からスタートするのだ。しかし、それでも、と久保田は思う。日本はつくづく平和でありがたいと。ガザ地区やウクライナ・ロシアのように、砲弾やドローンが体当たりしてくるわけじゃない。この平穏が当たり前に79年もの間、保たれてきたのだから、感謝以外の何物でもない。時として、最近は、戦前の始まりだぁ、みたいに言われ始めたが、冗談じゃない。平和を守らなきゃ。そうでなきゃ、うなぎもおいしく食えないし、お茶も和菓子も味わえない。もちろん、エロ動画だってのんきに鑑賞しているわけにもいかなくなる。ここまで行きついたところで、久保田は、どうせ帰るなら、とすぐ近くの都営三田線内幸町駅から地下鉄に乗るのではなく、新橋の夜明かしまで気晴らしがてら、歩くことにした。

 新橋の夜明かしは相変わらずだった。

「おにいさん、どうですか、ガールズバー」

 胸のところにお手製の紙看板を持った二十歳そこそこらしき娘が営業してくる。こっちも3時間ほど文字と格闘して気晴らしのため立ち寄ったのだから気楽に冷やかしてみたくもなるのだが、いかんせん、わずか2メートル離れるか離れないかの距離に、二人も見張りの男たちが陣取るふうでもなく、それでも、しっかり陣取っているのだ。まったく、こいつらと来たら、人の気も知らないで。

 こっちは文無しなんだよ、金がねえんだよ。遊ぶ金が。だから、仕方ないというか、自己陶冶のつもりで、図書館通って、おつむのなかで想像で女買ってんだ、わかるか。このわびしさを。だったら、ちょっとくらい、立ち話させてくれたって、よさそうなもんじゃないか、まったく。

 久保田は用心棒たちにこう、本音をぶつけてやりたかった。

 すぐ近くの、虎ノ門のアパホテルじゃ、20回もモーションかけた、新婚で中年のアイドル男が女子大生と部屋に入って数時間過ごして、写真週刊誌にスクープされたっていうじゃないか。だったら、こっちは、そういうやましいことは一切するつもりなんてないんだ、お金だって使うつもりなんてないんだ、話くらいいいじゃないか。

 まことに我田引水な言い訳を心の中でほざく久保田だった。道行く歩道はガルバやおっぱぶ、中国人熟女マッサージなど無法状態。

「オニサン、マッサーチ、ドウ? キモチイイヨ」

 いいわけないんだよ。

「お国はどこですか? 中国?」

「チガウヨ」

「ドコ?」

「タイワン」

 一時期、中国と尖閣でもめた時などは、みな、こんな感じだった。「中国?」とたずねても、「ホンコン」だとか「マカオ」だとか、中国が日本で評判の悪いことを熟知しているがために、少しでも火の粉がかからないようにかからないように、適当な嘘を吐く。香港もマカオも中国じゃないのか、この嘘つきが。

 JR新橋駅へとまっすぐにつながる外堀通りを右折した新橋の飲み屋街の西側の通りはこんな違法客引きばかりである。通りを中ほどまで進むと、交差点の手前に、あかひげ堂という精力剤を売っている店が現れる。その前の歩道にはまた、同じように、日本人の娘たちが飲み屋の客引きをしていた。そうかと思えば、交差点を左折すると、おっぱい部分だけ長方形にカットしたカーテンのような着ぐるみのようなぺらっぺらの安物生地のワンピースを被り、足をあらわにしている女の子二人組が。彼女たちの横では別の店の男性店員が、

「ちくび、どうですか」

 すると、呼びかけられた若いサラリーマン集団は待ってましたとばかりに敏感に反応する。

「おいおいおい、いま聞いたか? ちくびだってよ」

「きゃはは」

 彼らもすでに一軒回って酒も入っているのか足元がおぼつかなく、ヨロヨロやっている。が、それでも、そんな危ない店のカモにならない程度の理性は持ち合わせているようだった。よかった、よかった。







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