田園戸越銀座が夏になる
月日は流れ、夏になった。夏も終わりになった。しかし、いつまでも、毎日毎日暑い。今日も33度が最高気温と新聞一面右肩の予報欄に載っている。台風も近づきつつある。テレビでは各局台風情報を中継している。奄美諸島を暴風域に巻き込み、このままだとどうやら列島横断の可能性大だ。
また、幾人かの人々や、広範囲にわたって設備などの、相当な被害が避けられないのだなあと思うと気持ちが沈む。そんな時、パソコンに一通のメールが入っていた。
「私をたすけて。その後はきつく抱きしめて」
件名には、こう書かれていた。
タイミングだけに、ちょっと心が揺れる。だけどすぐに正常に戻る。どうせまた、インチキメールだろう。最近ぐっと、インチキメールの量が増えたのだ。こういう非常時を悪用するバカがいるのはわかりきっている。よって、ばかばかしさで中身を見る気にもならなかった。
朝起きたばかりで、おなかのなかに何も入っていない。そのせいだ。おつむがはっきりしないのは。夢うつつの状態から脱していないに決まってる。
いかんいかん。まずは飯だ。居間のテーブルから離れ、冷蔵庫へと立った久保田はサランラップをかけてある皿をレンジであっためた。昨日作ったおかゆである。
おかゆはいい。とくに、夏場は。夏はとくにお腹を壊しやすい。生まれつきなのか、歳のせいなのか、このところ夏になると必ず一回以上は頭が痛くなって嘔吐する。その嘔吐の原因はどうやら胃からくるものらしい、とあらかた目星はついていた。胃が弱いのだ。
母親も胃が弱く、よくよく思い出せば父親も、それほど胃が強かったわけではない。父親は戦後のサラリーマンで、酒だ、たばこだ、マージャンだ、パチンコだ、銀座の脂粉だ、ともっぱら遊んだくちだった。それで、よく家にいるときは、「げ~っ」と北月府していたっけ。
そこで活躍するのは太田胃散だった。オブラートに包んで水で飲む。いま、父も母もいないなか、久保田はおんなじことを繰り返していた。ああ、遺伝ってあるんだな、と述懐しながら。
それにしても、最近、おかしなメールばかりだ。
東京電力ウナジーパートナー、Amazon、三井住友カード、えきねっと、MyJCB、イオン銀行、アメリカン・エキスプレス、セゾンカード、pia[チケットぴあ]、等々・・
ほとんどが身に覚えがない。それか、もしかしたら、前に登録したかも、というくらいなところばっかり。いや、やっぱり、まったく関係ない。じゃ、なぜ?
これには心当たりがひとつだけあった。テレビ局への苦情メールだ。きっと、そうだ。テレビ局を信頼して、名前・住所・電話番号の他、メールアドレスや年齢や職業など、名簿業者ならぺろっぺろっと舌なめずりをしたくなる個人情報を書き込んで送信したが為、だろう。あの、〈花柳界テレビ〉め。
花柳界テレビ、とは文字通り、かつての、いや、いまも若干、料亭などが残ってはいるが、国の中枢機関に近く、さんざめく谷の街に位置するテレビ屋のことだ。
そこの、平日月曜から金曜にやっている番組、通称〈帯番組〉というらしいが、その時間帯の放送があまりにもばかばかしく、低俗ゆえ、苦情を入れたのだ。正確に言えば、その司会者が非常識、無教養、知識不足、品性に欠ける、ゆえに、画面を通してですら直視するのに嫌悪感を視聴者側が覚えてしまうためであった。
「じゃ、観なけりゃいいじゃないか」
そういう突っ込みが入るだろう。そうだ、その通りだ。観なけりゃいいんだ。しかし、公共の電波だぞ。いくら、民間放送だからって、電波法があるんだろ、法律で守られているんだろ。規制だってされているはずだ。それなのに・・
奴さんときたら、旧統一教会から与党政治家たち、だけでなく、野党政治家たちも献金を受けていたことについて、軽口を叩いたのだ。
「お金をもらってまーす、って言えばいいじゃないですか。そうやって認めちゃって、一気に膿を出せば、問題解決に向かいますよ」
東北の寒村で、代々伝統工芸を営む家系に生まれたが、勉強が嫌いで田舎も嫌いでテレビで見るもの聞くものが珍しくて羨ましくてならなかったこのタレントは、高校を卒業したら逃げるようにして東京へ出た。話も面白くもなく、ウィットに富んでいるわけでもないのに、なぜか〈帯なる番組〉に10年以上出ずっぱり。きっと、大人の事情が働いているんだろうことくらい、周りもわかる。
そもそも、大学に入るための予備校で勉強する目的だった上京が、いつのまにやら遊びを覚え、当然ながら初志貫徹することもなくだらだらと時が過ぎた。親も、「おい、せがれよ、いい加減、戻ってこい。戻って、家業を継げ」そう口酸っぱく何度も電話口で説得したが、せがれは聞くもんじゃない。出るが勝ちとばかりに、「オレ、東京で、芸能界に入る」と宣った。
「バカか。お前のような鈍くさい奴になにができる。悪いこと言わないからやめておけ。田舎に帰ってこい」
「いやだ、絶対、帰らない。錦を飾るまでは帰らない」
「お前は、とおちゃんやかあちゃんに似て、芸事なんてなんにもないんだよ。おつむだって、どんぐりの背比べだ。芸能界なんてところは、それこそ美男美女で、頭もよくて、顔もよくて、声もよくて、芝居っけもあって、家柄も優れていて。何もかも満ち足りたような人が、庶民に夢を売る場所なんだ。うちみたいに、細々と、伝統工芸を一年三六五日作り続けているような家系とは正反対なんだ」
「やだ、絶対、俺は東京でビックになる。郷土出身の明治の元勲たちと肩を並べるようになるんだ、海に面した公園に俺の銅像を建てて、それが将来観光名所になる。それが俺の未来なんだ」
20歳前後の若者はだれでもそうだが、ちょっとのことで、すぐに、頭に血が上る。とくに、それが身近な、己を押さえつける存在、つまり、親がこうしろと命令した場合は、とくにそうだ。若者、つまり、ありていに言えば、自己陶酔して気がふれたのと紙一重の馬鹿者は、聞く耳を持たなかった。父親はわかっていた。俺のせがれじゃ、だいたいの見当はつく、と。だから、父親は金を使い、地元出身の代議士や有力者に取り入って、なんとかして、己の血を分けた息子の将来の安定と、できることなら繁栄を願い、行動に移した。それが功を奏して、現在、〈帯なる番組〉に出続けているというわけ。
ネット上でもさんざんバカだアホだと叩かれているのに一向に降板する様子もない。花柳界テレビも司会する能力のないバカタレをいつまでも使っているというのはどう考えたっておかしい。きっと、テレビ業界を牛耳る在日を中心とした既得権益で固く守られているのだろう。それと、表裏一体の裏社会の連中とによって。
そんなことはおおよそ大人なら察しがつくというものだが、根っから曲がったことが嫌いな久保田は、自分の息子さんだけは五反田有楽街の入り口同様、右へカーブがかかっている、いや違った、久保田は世間のジェントルマンの皆さんとは違って、左にカーブがかかっているのだが、自己所有物の紆余曲折は棚に上げ、苦情のメールを花柳界テレビに打ったのだ。数回にわたって。
すると、どうだ。なんと翌日から、変なメールが急激にパソコンのアウトルック受信トレイに届き始めたではないか。それが先ほどの東京電力ウナジーパートナーやAmazonなどである。が、メールだけならまだいい。昼過ぎに玄関の呼び鈴が鳴った。出てみると、同じ区内の戸越銀座と接する地域からの宅配が届いたのだ。送り主と住所に全くの見覚えがなかった。よって、「すいませんが、知らない人なので受け取れません」と引き取ってもらった。
しかし、それだけではない。別の日には、裏日本の公立病院から電話がかかってきた。無言電話だった。電話番号も見覚えのないものだった。そうかと思えば、家の前にたばこのポイ捨てをちょいちょいされるようになった。また別の時は、一日のうちに三度、玄関の呼び鈴が鳴った。小説原作の映画で『郵便配達は二度ベルを鳴らす』というのは聞いたことがあったが、まさか三度とは驚きだった。パン屋にリサイクル屋に牛乳屋だった。よって、東京一長い商店街の牛乳屋に実際に足を運んでどういうつもりか問いただした。すると、当の主人は店におらず、従業員が電話で答えを求めていた。が、その回答も要領をえないものだった。
まだまだ続く。商店街と第二京浜国道、通称二国とがぶつかる角にあるコンビニに寄った時のこと。店から外に出た時、すれ違いざま、見ず知らずの、上下作業着のラッパズボンつまりはガテン系日焼けプラス酒の入ったらしき赤ら顔男に、「おい~すっ」と声を掛けられた。久保田は区立五反田図書館をよく利用するのだが、いつも通り夕方出かけては新聞や雑誌や本を読んでいると、なんだかこれみよがしに床のカーペットに足をわざとらしく引きずって歩いてくる音が。読書コーナーは高校生や中学生、さらには仕事帰りの会社員、それと、とっくに世の中を引退した一人暮らしらしき年配者が静かに各々の時間を楽しんでいる貴重な空間。その環境をのっしのっしと左右に体を揺らし、背は150センチ台のチビではあったが、黒のホラー映画に出てくるようなデーモン系Tシャツ、迷彩色のズボン、黒のサングラスにスニーカーと一見してやくざとわかるいでたちの男が場違いに現れたのだ。翌日には図書館に入る手前で、これみよがしにすれ違いざま、地面を足で踏み鳴らしてきたり。事務所兼自宅前の東電所有の電信柱に、違法不動産ビラを貼ってみたり、最近では、もっぱら昼夜を問わず、赤いヘルメットを被り、赤いバイクに乗った薄汚いグレーのTシャツ60すぎくらいの男が待ち伏せしていたり。
いまから30年以上前のバブル華やかなりし頃、国道から一歩入った地の利の良さゆえ、久保田の家は格好の地上げの標的にされたのだ。それはそれはひどい嫌がらせのオンパレードだった。区道の前に面した窓ガラスは2度3度と石を投げ込まれ、その都度警察を呼んだ。ガレージのシャッターは足で蹴りつけられて、その上から小便を引っかけられた。結局、シャッターは故障し修理するはめに。敷地の北東角にはクシャクシャに丸めた新聞紙とともにマッチ箱が置かれてあった。「燃やすぞ」の連中一流の脅迫である。そうかと思えば、長野県から久保田の母親にはがきが届いた。心当たりのない住所と男性の名前が裏に書かれていた。父親と母親との仲を裂くためである。今回同様、無言電話は当たり前に掛かってきた。ごみも、よく投げ捨てられてあった。やくざはありとあらゆる嫌がらせをする。その通りだった。
バブルの教訓があったから、久保田もピンときていた。ピンピンきていた。オットピン状態だった。これは普通じゃないな、と。国の中枢機関のほど近くに位置するテレビ屋は、裏社会に喰われているな、と。
そこで、「わたしを助けて、その後はきつく抱きしめて」のメールである。急に鼻白んだのも無理はない。なんだ、いったいこの安っぽい文句は。どっかのドラマか映画のCMか。決め台詞でも拝借したのか。まったく、安っぽいなあ。もう少し考えろよ、同じ人を誘うなら。「きつく抱きしめて」じゃなくて、「そのあとはウフッ」とか「ひ・み・つ・・テヘッ」とか、どうせなら、笑いを誘えよ、笑いを。つまんないだろうが。読み手のことを考えろよ、面白くねえ文章つくりやがって。
ひとしきり、パソコンのモニターの前で吠えた。
ただし、最後に、「銀座・歌舞伎座裏内科クリニック 青島克人」と結んでいたのが引っかかった。
「青島? なんであいつの名前が」
久保田の中高時代の同級生で同じ軟式テニス部の部員だった男なのだ、青島克人は。
「・・ってことは、まんざら嘘じゃないのか・・」
ちょっと思案に暮れてしまった。どうすべきか。あいつとはもう10年近く連絡を取っていない。あいつは立派に銀座でお店広げてクリニックをやってるらしい。親父の地盤をそのまま引き継いで。しかし、俺はいっこうにうだつの上がらない弁護士。どうしたって、同窓会にも足が遠のくってことになる。それならまずは・・
「はい、品川区消費者センターです」
「すいません、ちょっとお伺いしたいんですが、知り合いの名を使って『助けて』って詐欺メール、横行してるんでしょうか。『私をきつく抱きしめて』とかなんだとか、三文芝居がかったメールが」
すると、電話口で、こらえ切れないらしき年配女性相談員のくすっという笑い声が洩れた。
「いえ、そういうご相談は初めてですが。いずれにせよ、ご注意なさったほうがいいと思いますよ。人の心の隙に入り込んで、最終的には金銭を要求するというのが、連中の行きつく最終目的ですから」
「はあ、そうですか・・」
「相談者さん、すいませんが、統計を取っておりまして、お名前は?」
「あっ、久保田と申します」
「お住まいは」
「えっ、と区内の戸越銀座・・ではなくて、大井町です」
「ご年齢」
「そこまで・・」
「ええ、できれば」
「ご職業は」
「え~と、弁・・チャーです」
「はい、以上です。それではお気をつけて」
久保田は我ながら情けなかった。法的知識は一応学んだつもりではあったが、なにせ、民事の経験はほとんどなし。あるのがせいぜい刑事の国選弁護だけ。いや、そんなんじゃない。久保田は前からかなり依存症気味なのだ。自分の考えに何となく自信が持てなかった。だからよく親にも注意された。「自分の頭で考えなさい」
いや、考えているのだ。しかし、考えても最終的な結論を下せない。かろうじて弁護士にはなれたが、こんな状態じゃ、仮に「先生、お願いします」と哀願されても、股にしっぽ挟んで逃げ出すくちだ。どっち転んでも商売には向いてなさそうだった。