タイトル未定2024/06/12 17:28
春も終わり、四国も梅雨入りした。東京ももうじきだろう。また暑い季節がやってきてしまった。
久保田祐貴は相変わらず、だった。相変わらず、仕事が来なかった。ほんとに、まったく仕事が来ないのだ。世の中、弁護士でござい、と謳ってみても、頭数ばっかり増えてしまったから、下の下の久保田まで依頼が落ちてこないのだろう。まあ、もっとも、家の前に看板も出してなければ、ネット上でも一切宣伝していないのだから、来なくて当然なのだ。それなのに、当人は、なんで来ないのだろう、と本気で首をひねっている。ひねりたくなるのは周りのほうだろうに。
朝起きると最近はラジオをつけることにしていた。民放の番組で経済アナリストがいろいろ解説してくれる。これを元にその日、ネット証券をチェックするのだ。森永卓郎氏、通称”モリタク” の親切なことばとユーモアあふれる語り口にすっかりファンになった久保田だった。近年、がんと闘っていると公表し、心配していたが、どうやら元気になられたようだ。リスナーとしては一安心である。
居間に下りて、エアコンをつけると同時にテレビのスイッチもいれる。すると、どの局も、「東京は暑くなりますよ」と美人、イケメン、穏やか系、と様々な気象予報士たちが呼びかけていた。よっぽど今日は暑くなるんだな、いやだなあ、また暑い夏がやってきやがったのか。そう思うとうんざりする。
「祐貴は夏まっさかりに生まれたから大変だったのよ」
母親から、よく聞かされたものだった。暑がりの母親は、シャツの首元からタオルを突っ込んでは、よく脇の下の汗を拭いていた。そのせいか、久保田も夏になるとおんなじことをやっている。タオルを首から、もしくは、Tシャツの袖から直接脇に当てて汗をぬぐう。四十歳を少し過ぎたころからだったろうか。首の後ろがほてる。十代二十代はぜんぜんそんなことはなかったのだが、人生折り返しを過ぎていろいろあるんだろう。体も、エネルギッシュな頃とおなじというわけではなくなってきたようだ。
ただ、と久保田は立ち止まって、思考する。
そんなこと言ったって、こっちだって、その季節に世に出たくて出たわけじゃない。そんな生まれた季節に文句垂れられるんだったら、もっといい季節、それこそ、暑くなる前の春先か、涼しくなってきた頃の秋にでも「おぎゃーっ」とお腹から出てくればよかった。出てくればじゃない、出るように計算してくれればよかったのだ。そんなことを思い出し始めると、久保田は、なんだか急に悪態をつきたくなってきた。
勝手に父親が仕込んだだけじゃないか。当時はきっと元気いっぱいだった父親が、同じく元気で女ざかりだった母親とチンカモしたに違いない。あんたは暑いころに生まれたから大変だったのよだァ。まるで他人事みたいなこと言って。製造物責任を考えろ、製造物責任を。
今頃、お墓のなかでなにしてるんだろう。会社の上役の部長をたきつけて、部長行きつけの銀座のクラブでもご相伴に預かって、どうせ、隙あらばで、ホステスのお尻でも触ってんじゃないのか。母は母で、父の毎晩の帰りが午前様だから、ある意味、大変だったろう。昭和のサラリーマン家庭だったんだから。昭和50年台はまだ半ドンだったし。半ドンというのは、土曜日も午前中いっぱいは出勤するということ。それでも、ゴルフにマージャンにお酒にといろいろ楽しんだんだから、父親は勤め人に向いていたんだろう。事実、サラリーマンが天職だとよく述懐していたし。
昨日炊いてパック詰めしたご飯を冷蔵庫から取り出して大き目の茶碗に移して電子レンジで温める。インスタント味噌汁のゆうげの封を切ってお椀に作る。納豆をパックに入ったままかき混ぜて、その上から、長ネギを縦に切り口をつけ横に刻んでいると、レンジの時間終了となる。おかずがないから、仕方なく、ツナ缶を開ける。そうだ、昨日、おなじく冷蔵庫にキャベツの千切りがあったっけ。二分でチンしてタルタルマヨネーズをかけておかずの出来上がり。なにもないときは、この程度の食事で済ますのが日課だ。中年になると急激にお腹の大きなサラリーマンたちを地下鉄で見かける。幸い、久保田は、お酒を飲まない飲めない体質も手伝ってか、そこまでひどいデブではなかった。が、やっぱりちょっとお腹周りがきつくなっていたことは否めない。よって、つとめて、夜には散歩に出るようにしていた。
この日も日中は家にいて、夕方から近所の図書館に新聞を読みに行った。英字新聞を辞書片手に読むのだ。最近は文章も書き写すことを始めた。そのほうが、血となり肉となり頭に定着しそうな気がしたからだ。一種の写経に近いかもしれない。精神を落ち着かせるのに役立っていると実感していた。
NHKやテレ朝で毎日海外のニュースが流れてくる。ネットでももちろん、いくらでも情報収集は可能だ。しかし、やっぱり、ひとっとこに腰を落ち着けて、ペンとノートを脇に置きながら集中して文字を読むことは違うように感じる。自分から能動的に向かっていくからだろう。だから、この時間が貴重だったし、とても幸福なひとときだった。
図書館から帰り、近所の公園を散歩する。まずは、文庫の森だ。森とは言っても、正方形のような四角い敷地の、庭園といったほうがいい広場だ。もともとは、国文学資料館があったところで、移転するにあたって、敷地を作り直して、一般市民に開放した。夏には、能舞台が行われたりもする。池には鴨も飛んできたりして、おもわず、うまそうだな、と鴨南蛮を想像し、近所のスーパーまでカップめんを買いに走ったこともあった。
文庫の森のほぼ隣に位置するのが戸越公園。なんでも、もともとは細川家の下屋敷だったらしく、そういえば、それっぽい作りになっていた。入口は立派な門があり、奥に行くと池に鯉が泳いでいたり、その前にはちゃんと東屋まで。久保田は小学校のころ、近所のガキ大将たちとこの池に半ズボンのまま入っては、ずいぶんと泳いでいる魚たちを傷めつけたものだ。こどもというのはどうして無謀と言ってもいいほど余計ないたずらをするのだろうか。わざわざ汚い池に素足で入って、どろんこにまみれた足をよく洗いもせず、靴下を履いて帰って。きっとどの家でも母親たちは大変だったろう。シャツもズボンもパンツも靴も靴下も、なにもかも泥だらけにされるのだから。