田園調布が戸越銀座の軍門に下る日
「そうだね、どんな猛者でも、さすがに警察に捕まって牢屋に入れられると、しおらしくなるっていうからねえ。よっぽど、中の生活は厳しいんだろうよ」
今日の佐藤真奈の服装はと言えば、ファッション雑誌の表紙にしてもいい恰好をしていた。まさにガーリーファッションそのもの。上はふわもこ素材のベージュのアウター、真っ白のミニスカートに、靴は茶色いブーツ。中年独身弁護士がなんにももよおさないといったらうそになる。
「なんだか、体が痛いんだよね、最近。歳かな」
「やだ、先生。全然、歳なんかじゃないですよ。若く見えますから、先生は」
「そうかなあ」
そう言われて、まんざら悪い気はしない。せっかくだから、と、
「佐藤さん、あなたは、私のようなおじさんに、お茶を飲みませんか、なんて言われたら、どんな気がしますか?」
なんだか急に変な質問を繰り出しはじめる久保田に、
「えっ、なんですか、また、藪から棒に」
えっ、なになになに。藪から他〇棒? 言ってない言ってない。そんなこと一言も言ってない。そう、ひとりボケ突っ込みをしつつも、
「いや、最近、なにか、とパワハラだ、セクハラだ、○○ハラだ、と定義づけられて、おちおち食事や飲みにも誘えないって、職場のおじさんたちの声を聞くからね、テレビのワイドショーなんかでさ」
「そりゃあ、ケースバイケースだと思いますよ。それと、人と」
「人と言うと?」
「えっ、だから、親しい関係の人か、そうでない、いきなりとかでは、当然違いますから」
「なるほどねえ」
玄関先で話していると、先ほどからきょろきょろ、とくに同年代のおっさんどもや、若いのや、さらに自分より年上のおやじたちの視線が厳しい。自宅前にはビルの裏口があって、人の出入りが結構あるのだ。普段は互いに気を使い、目も顔も合わせないようにしているくせに、このビルの後ろに住む男がどうやら独身中年のくせして、若い娘と立ち話をしているらしいけしきを目にすると、オスの習性として、どうにもこうにも穏やかな気持ちでいられなくなるのだろう、前のビルのサラリーマンの男どもは。単なる羨ましさ、焼きもち、嫉妬、ねたみ、やっかみのたぐいである。まったく男ってやつは、ほんと、くだらないし、なさけないし、どうしようもない奴らだらけである。たとえ妻子持ちであったとしても、である。いや、むしろ、妻子持ちに限って役者の三国連太郎同様「隙あらば」などと浅ましくもおぞましい気持ちをお腹の中にしっかり温存させているのだから、まったく始末におけない。
「せっかく来てくださったんだから、お茶でも飲んでいきますか?」
「えっ、いいんですか? おいそがしいでしょうに」
佐藤真奈は、上目づかいで遠慮がちに久保田を見上げる。
「ここで、あなたと話をしていると、周りの会社員たちがじろじろ、それこそ、ねっとりとした目線をくれるんですよ。さっきから。あなたはご存じないかもしれないけれど」
そう説明している間も、三人組の若いサラリーマンがちらっと通り過ぎざま、久保田たちをいやらしくも振り返っていった。その振り返り方がいやらしい。目線はそっぽを向いている。が、しっかり、ピンボケにせよ、しっかり視界には入れている。見てませんよ、と言い訳しつつ、しっかり、ちゃっかり、『この不釣り合いカップルめがっ!』と非難を繰り出しているというわけだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
えっ、男場に甘えて? いちいち、勘違いがはなはだしい。
「どうぞどうぞ、甘えて甘えて」とは、言葉にこそ出さなかったが、いそいそと玄関の中へと招じ入れた。
せっかく客人の来てくれたのだから、とっておきの緑茶をふるまったのはいうまでもない。最近また、お茶探しの放浪の旅に出始めた。静岡の清水である。かの清水の次郎長の生家を訪れて、抹茶をいただいた。そのふるまってくれたスタッフに教わり、茶農家をいくつか教わった。帰りに静岡駅新幹線乗り場脇のお茶屋で100G1600円ほどの静岡産を買って帰った。正直、初めの2,3日は味がわからなかった。深蒸しの知覧茶(鹿児島)と比べて、味もパンチがなく、色も薄く、こりゃあ、完全にいちげんさんで騙されたな、カモにされたな、と憤慨した。事実、数日後に軽く文句も電話もした。が、そのうち、だんだんと、静岡の煎茶の味も悪くないかも、と気持ちが舌が変化しはじめた。たしかに、個人の好みの問題はおおありだけど、これはこれでおいしいかもしれないなと思えるようになった。
だ・か・ら、築地のお茶と静岡のお茶、さらに、農家から直送されてきた新種のお茶(5年前にできたばかり)と三杯を飲み比べ体験をさせてあげたのだ、佐藤真奈に。
「先生、おなじ、お茶でも、ぜんぜん、味が違うんですね」
いたく感動したようすだった。
「そうでしょう、わかりますか」
「わかります、わかります」
佐藤真奈の瞳がきらっと光った。うそ偽りのない、純粋な輝きだった。撮影で入れる「キラッ」ではなかった。と、久保田は信じた。
「先生って、素敵な趣味をお持ちなんですね」
「そう、ホントにそう思う? それはうれしいですねえ」
まんざらでないのは当然だ。自分の好み、嗜好に同意してくれて悪い気のする人間などいない。せっかくだから、歩いて10分の距離にある丘の上の区立図書館から借りてきて昨日読んだばかり仕入れたばかりのほやほやのお茶についてのうんちくをまるで何十年も見知っていたかのような態で彼女に話して聞かせる久保田祐貴であった。
「せんせぇ~、この深蒸しのほうをもう一杯、いただけますか?」
「もちろん」
リクエストに応えつつ、給湯器からコップに移した80度のお湯をもう一つのコップへと交互に入れ替えて冷ましつつも、さも首が凝ったように、首を左右に振った時だった。
「先生、よかったら、後で、肩のマッサージをして差し上げましょうか? せっかく、麻布十番のお店で講習を受けましたので」
この時ほど、幼馴染に感謝したことはなかった。あいつも、たまには、いいことすんだな、と。
(了)




