田園調布が戸越銀座の軍門に下る日
須和田バス停を下りて、1分もしないで英語の看板が見えてくる。バス通りからちょっと坂を上るとビニールハウスとお店とに行きつく。お店の天井からは太陽がちょうどいい塩梅でランに降り注ぐようにできていた。いろいろのランが販売されていたが、今回は診断していただくだけにとどめた。
「春から秋にかけて、たっぷりお水を与えてください。それと、葉っぱが日焼けして変色していますので、直射は避けてください」
ええ、そうなんだ。南方の植物だから、がんがん陽に当てれば当てるだけ元気になるんだとばかり思っていた。無知もいいとこ、睾丸無恥だ。持参したセロジネのうち、ほんの3つの茎だけ見込みがあるらしい。
「これくらいですので、大きな鉢ではなく、むしろ小さな入れ物のほうが効果的です」
説明を受けていたのは事務所兼ラン売り場の大きなテーブルの前。女性スタッフの手で指示した通り振り返ると、後ろのテーブルには直径10センチあるかないかのミニ鉢植えが。
ミニ鉢植えを購入し、そのなかに、茎3つを内側の側面に寄せる形で水苔のなかに漬けるようにとアドバイス。そうすると、前面の空いた空間に根がどんどん出てくるのだという。おお、そうあってほしい。そうやって、指導を受けていると、事務所の奥から60歳前後の口ひげを生やした男性が登場した。もしや・・
若先生だった。江尻光一先生はすでにお亡くなりになってしまった。が、持参した本の共同執筆者である実子の江尻宗一先生が姿を表わしたのだ。
「さきほど、お電話した荒井というものです」
かしこまって自己紹介した古書店主に対して、農園主の先生は御父上同様の優しい笑顔を絶やさず、
「ああ、その本ですか、もうずいぶん前に書いた本ですね」
テーブルに並べて置いた本『洋ラン 育て方 咲かせ方』に対して懐かしさを示し、さらに、
「もう、だいぶ前に、やめたんですよね」
と竹屋銀座デパートで毎年のように行われたらしい「『NHK趣味の園芸』フェスティバル」については、なんとなく寂しそうだったが、
「それなら、まだ生きる可能性があるかもしれませんので、水をよくやってください」
2代目先生も太鼓判を押してくれた。古書店主は、在りし日の父と母のすがたと、毎年しっかりと咲いていたセロジネのきれいな白い花とを思い浮かべ、たまらない気持ちと先生方への感謝の気持ちとでこころのなかがないまぜになった。母がよく江尻先生の話をしていたこと、等々力ばら園に子供の頃よく連れて行ってもらったこと、園芸はまったく無関心な人間だが第一園芸という店の名前は親たちの日々の会話から耳にしていまだに記憶に残っている、など、プロにとっては当たり前かつどうでもいい話を急に湧き出てきた記憶と己の感情に任せるだけ任せて、迷惑にも伝えてしまった。それで、わずか植木鉢66円の代金しか払わなかったのだから、経営側としては割にあわない話だ。それじゃ失礼だ、と防虫剤を購入しようとも思ったが、すでに家に一つ予備があり、なおかつ、住友化学の商品は商品期限が来年3月までということだったから、結局、何も買わず、お礼だけ申し上げるだけで店を後にすることになった。
荒井結弦にとって、市川市は2度目の訪問だった。前回は、数年前の午後遅い時間だった。国府台の高台にある神社に階段で上り、お参りに来てみたはいいけれど、暗がりから姿を表わしたのは、どうみても仏教とは関係なさそうな、中東・東南アジアらしき目つきするどく、彫の深い外国人。いったい、真っ暗な神社でなにをしていたのだろうかといぶかった。自分がもし、女子高生や若い女性だったらと思うとぞっとする。こういうとき、おっさんでよかったと思うのである。って、思わねえよ。若いイケメンのほうがいいに決まってんだろうがっ。
再びバスで、今度はJR市川駅まで戻った。駅前南口図書館は高層マンションの一角にあった。
ただ、残念ながら、市川市の図書館はどこであっても、市民でないと利用券が作れないしくみとなっていた。となると、利用券がないと、奥の机と椅子を使わせてもらえない。貸出カウンター前の、申し訳程度の、奥行き20センチ程度の椅子、というか、ホントの意味での腰掛椅子、悪く解釈すると、長居させない椅子、早く帰れ椅子。都営地下鉄のホームにありがちな、中腰で腰を持たせかけるだけの、とあそこまで固い材質ではなく、合成皮革のクッションがついてはいたが、市民でないとそれを利用はできなかった。不平を言っているのではない。それでいいと思う。そうしないと、全国から、自称・ノマドなどが漫喫がわりにわんさか押し寄せては、税金を払っている本来使うべき市川市民の利用に支障をきたすであろうから。
駅前は核反対の女性団体が署名活動をしていた。やはり、住んでいる場所が場所だけに、ものを考える人たちが大勢存在するんだなと知的レベルの高さをうかがわせた。そうかと思えば、年末が近づいてきたからか、キリスト教の勧誘を行っていた。もしかしたら、「キリストの教会」などという、本来のものとは似て非なる日本憎しの韓国系団体だったのかもしれない。わからない。
JRで戻ろうとも思ったが、なんだかんだいって、京成なら一本だし、と思い直し、来た駅へと戻る時だった。駅北口のなんとかロードという商店街入り口で、モデルのような女性とすれ違った。目鼻立ちがはっきりとしていて、おもわずハッとした。品のある女優さんのようだった。そうでない女優さんもあまたいる。『20世紀最後の正統派アイドル』のような、妻帯者と不貞行為を行っていたくせに、それについての芸能レポーターの直撃に対し、すかさずの返しで「もっといろいろ、やってっからあぁぁ~っ!」とのたまうのとちがうのは言うまでもない。
その品のある女優さんが、地下にある百均へと階段を下って行った。まあ、女優さんだって、たまには百均くらい覗くだろう。構わない。自分だって、携帯ラジオ用のアルカリ電池だったり、台所や風呂場仕事用の重曹だったり、ごみ袋だったり、3冊100円の大学ノートだったり、いや、今は2冊100円に値上げされてしまったか。美人が百均を利用していけないなんて法律などない。そのうちに、店から出てきたと思ったら、JR駅へと消えた。青いジーンズに、上は白っぽいコートだったかジャンパーだったか。髪はロングで、真っ黒に近かった。年の頃、40手前か。となれば、ひょっとして、整形か。そうだ、整形だ、きっとそうだ。黒髪も染めてるぞ、きっと。など、あのリンゴはすっぱい、とイソップ物語の合理化をすることで、己のままならない欲の棒を静めた古書店主であった。




