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田園調布が戸越銀座の軍門に下る日

この日はどうにも、いい棒が見つからなかった。翌日も、趣味と実益を兼ねて、外に繰り出すことにした。幸いに東京は最高気温が18度、晴れだったから、歩くだけでも気持ちよかった。

 古書店主の荒井結弦は、父と母から2つの植物を遺贈してもらった。まあ、実際には遺贈というたいそうなものではなく、ただ二人が大切に育てていた植物が二種類のランだったというだけのことだ。ただ、息子のあるじは、まったく植物に興味を持たず、一つは枯らしてしまった。デンドロビュームだ。もう一つはセロジネ。こちらは10年近く前まで白い花が咲いていたのだ。しかし、管理があるじになって以降、一度だけしか水苔を入れ替えていない。それも、いまから、ゆうに5,6年前のことだ。もちろん、肥料もやらず、日光の具合も、水やりの頻度もまったく把握していない。関心がないからもっともなのだが、それにしても、ずさんすぎた。とうとう、本当に、腐りかけてきたのだ。本来なら青々とした緑の房が、腐ったバナナのようなしわしわのソレになってしまっていた。戸越銀座商店街の百均ワッツで買い求めた茶色のプラスチックの植木鉢に水苔を替えることなく5,6年突っ込んでおかれたわけだから、そもそもインドあたりでとれた植物ではあるにせよ、環境的に苦しかっただろう。

 あるじもどういうわけか、普段は水を霧吹きで与える程度だったのに、いよいよご臨終かと思われる状況になると、急に寂しさを覚え始めたのだ。父と母が他界し、デンドロビュームも枯らしてしまい、もっといえば、結構な値段だったはずの盆栽も枯らしてしまった。残るはセロジネだけなのだ。父と母と共通して眺めていた植物は。それゆえ、急にあたふたしはじめてしまった。 

 地図などが放り込まれている書棚とも言えない棚を探すと、いくつか資料が出てきた。まずは、「NHK趣味の園芸」フェスティバル。平成8年(1996年)3月27(水)ー4月1日(月)の期間、竹屋銀座デパート8階大催場(入場無料・最終日5時閉場)で行われたイベントの無料ガイドだ。現在が2024年だから、もう28年も前のことになる。主催はNHK出版・NHKエデュケーショナル、後援は農林水産省・東京都・NHK、協賛は松下電器産業株式会社、協力:NHK文化センター、と表紙にはある。

 昔は、毎年のように銀座の竹屋でラン展が行われていたようだ。ランといえば江尻先生が有名で、あるじの母親などは先生のことをよく話題にしていた。先生とその息子さんが共著の本も出てきた。『洋ラン 育て方 咲かせ方』(江尻光一著 江尻宗一執筆協力)。さらには、観葉植物全般に対するガイドブックも。これらをめくると、なんと、江尻先生のラン園の住所と電話番号があったではないか。そういやあ、よく、母親などは父親と二人で車で出かけていたから、きっとランを買いに行ったのはここだったのかもしれないな、と推測。いや、銀座竹屋のラン展か。いずれにせよ、ラン延命のカギはそのあたりにありそうだ、と予測して、さっそくあるじは行動に移した。

 まずは、日本橋老舗デパート抱島屋だ。1Fに田村町花壇が入っている。田村町花壇は他にも、大日本帝都ホテルや銀座竹屋デパートにも支店を出していた。それなら、と抱島屋のお店に電話してみることに。

「お宅で買ったものではないかもしれませんが」と正直に打ちあけたうえで、「ちょっと見るだけ見ていただけませんか」と。

 よけいなことを言わなければと後悔したところでもう遅い。案の上、というのか、いくら老舗で接客マナーの優れている抱島屋だとしても当然だよね、というのか、「ええ、見るだけなら」と一応は電話口で女性店員さんが了承する口ぶり。しかし、「ずっと(数か月にわたって長期観察する)というわけには(いきませんよ)」もちろん、それは、その通りです。そこまでこちらもずうずうしくはありません。どうぞ、ご心配なく。 

 次に掛けたのは、銀座竹屋デパート。ここも田村町花壇が入っている。ここに対しては、余計な一言を言わなかったせいもあるのか、女性店員さんは「いらしたときに、お声がけしてください。周知しておきますので」と有難い言葉を掛けられた。せっかくだから、地元に一番近い武蔵小山駅前のタワマンに入る支店にも連絡してみた。しかし、ここは、ランに詳しい店員さんはいないと言われてしまった。なるほど。おなじ田村町花壇でも、扱っているものが違うから、支店だからってすべて同じってわけにはいかないのだ。というわけで、一番近い銀座竹屋デパート1Fに行ってみることに。

 植木鉢から取り出して、水苔をすべて取り除いたセロジネを新聞紙にくるんで、持参してみた。すると、田村町花壇の女性店員さんは、「ちょっと、引っ張ってもいいですか」と断ったうえで、色の茶色く変色したしなしなした房をひっこぬいた。「これは、もうちょっと(だめですね)」と念押し。そりゃそうだよなあ、と諦める気持ちと、父と母の形見のようなおセンチな気分になって、延命させなくちゃ、という気持ちが一方で強くなってくる。それじゃあ、と再び浅草線に乗って、京成線の市川真間駅へ。ここからバスで8分の距離に、かの江尻先生親子の須和田農園があるのだ。直接、若先生にお聞きすることができればとの思いで、行ってみた。

 すると、ビニールハウスのなかで、女性のスタッフさんがお仕事中だったから、理由を伝えると、死亡したも同然のセロジネを見てくださることに。有難い。すると・・、

「まだ、大丈夫かもしれませんね」

 おお~っ。うれしい。来てよかったぁ~。


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