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田園調布が戸越銀座の軍門に下る日

「センセェ~」

 こないだうちは、彼氏とラブラブだなんてノロけたメール送ってきやがって。なにかあるってえと、すぐこれだ。新橋の飲み屋の娘が、またぞろ、なんのアポもなしに、家の呼び鈴を押しやがったのだ。幸いにも、というか、毎日が日曜日ののんきの父さん、その実、独身40代半ばのオケラ弁護士久保田祐貴は、お昼のニュースを見ながら、昨晩零時の閉店の「蛍の光」が流れている最中に行った近所のスーパーの1割引きマーボー豆腐をおかずに、同じく昨日作ってそのまま圧力なべに入れっぱなしにしておいた味噌で味付けをしたおじやと、顆粒のお味噌汁『ゆうげ』とともに、遅い朝食を食べ始めていたところだった。

 呼び鈴が鳴ったから、仕方なしに、食事を中断して、立ち上がって、居間の壁に設置されているモニターを確認してみることに。どうせ、地上げ屋かなんかの残党に決まってる。人の家に、わざわざ門扉をがらがらと引いて、土足で「すみません」などという奴らは、ロクな輩ではないのはわかりきった話だった。

 久保田の家は35年ほど前のバブル期に、ひどいいやがらせにあっていた。親類が周りの土地の地主だったのだ。その時からさらにさかのぼること20年以上前の高度成長期、当時の時価で、父親が金を出して親類から買ったのだ。しかし、その親類も悪でバカだったから、バブル期になると、M菱銀行、K島建設、N本生命のトライアングルにそそのかされた。

「地主さん、ビルのオーナーさんになりませんか? ここなら、国道沿いですし、相当高いビルが建てられますよ」

 親類のなかでも、欲の皮のつっぱらかった中年女が、この話に乗ったのだ。久保田の父親の姉さんにあたる。つまりは、久保田の伯母だ。

「あら、そうなの。いくらぐらいに、なるの?」

 銀行、ゼネコン、生命保険は、金になりさえすりゃあ、なんだっていいのだ。だから、強欲なばあさんが身を乗り出してきた時点で、この勝負あった、も同然なのだ。

「たとえば、10F建ては、楽勝でしょうなあ。そのうち、オーナーさんに、各企業さんから上がりが毎月たんと入ってきますから」

 だいたい、ビルをどこに建てるっていうんだ。そんな土地なんてどこにもねえじゃねえか。結局は、国道沿いの借家人たちをみ~んな追い出して、そこを更地にしてビルを建てるっきゃ、ねえじゃねえか。

 久保田の家以外、まわりはみんな借家。だから、強欲女は、久保田の家を地上げさえすれば大きなビルが建てられるとおだてられていたから、周りの借家人たちに、

「あななたちも、久保田の家を追い出すように手伝ってよ。そうすれば、立ち退き料、はずむから。ねっ」

 地主さんが言うんだから、と久保田の情報については逐一、借家人たちが目を光らせては、収集し、強欲婆さんに伝達するご注進ぶり。そんなことをしたって、立ち退き料など弾むはずもない。その立退料はいったいだれが負担するって言うんだ。貧乏大家が立て替えるってわけにはいかねえだろうが。結局、その金は銀行、ゼネコン、生命保険が肩代わりってことになる。そうなれば、ビルのオーナーなんて悠長なことを言ってられるはずがない。

 借家人の情報収集だけでは、もちろん、とどまらない。やくざのいやがらせが始まった。区道に面したガラス窓に石を投げ込む。車庫のシャッターをへし折っては小便を引っかける。ポストの鉄の棒をひん曲げる。家の隅に、くしゃくしゃに丸めた新聞紙とマッチを置いて、人の気持ちを不安に陥れる。火をつけるぞとのおどしだ。久保田の父親と母親のなかを裂くために、甲府市からの見知らぬ男の差出人名のはがきが届く。大型犬の小便が門扉にひっかけられる。無言電話など当たり前。すべて、M菱銀行、K島建設、N本生命が使った末端のヤクザだ。銀行などはいっさい手を下さない。やらせるだけである。だから、ヤクザだって黙ってはいない。一回、金を払えば終わり、なんてことはもちろんない。一生、しゃぶれるだけしゃぶり続けるのだ。

しかし、そんなこと、気に病んだってしかたない。ケセラセラだ。どこ吹く風だ。まあ、実際は、大変だったが、とにもかくにも、久保田一家は耐えしのいだ。当たり前だ。ここを除いたらどこにも行くところがない。たとえ、金持ちの住むインテリの住むような国立だ杉並だ等々力だなどへ引っ越すことができたにしたって、また、そういうところはそういうところなりの、いやらしいいじめ、鼻持ちならない連中特有のランク付けがあるのだ。だったら、戸越の、なにも遠慮する必要のない貧乏人の聖地に居続けたほうがはるかに楽ちんではないか。

 当時は、警察もあてにはならなかった。管轄の荏原警察署に出向いてお願いをしても、対応したガタイのいい刑事は逆に、

「あの辺の土地は、一坪いくらだ? 結構、いい値だろう」とどっちの味方なのかわからない。時の総理大臣中曽根も、ビルの高さ制限を撤廃し、うはうは言っていた口だから、その末端の警察だって、土地は持たなくたって、浮かれ気分であっただろうことは十分に想像できる。

結局、ビルは建ったはいいけれど、土地の所有権はN本生命保険にまんまと騙し取られてしまった。バカめ。久保田たち親子は、まったく、欲をかくとろくなことにならない、と呆れた。おなじ親類のなかでも、一番欲張りな女だったから、友達近所など周りの人間たちにも鼻つまみだった。

 と、こんな事情が過去にあったものだから、久保田は用心には用心を重ねて、モニターを覗いた。が、そこに映し出されていたのは、先日、AV制作現場でヤラれそうになったと相談に来た佐藤真奈だったから、少々めんくらった。なんで? こっちはお昼ではあったが、いまだパジャマ姿のまま。着替えるべきか、それとも、出直してもらうべきか、頭のなかで行ったり来たりといそがしい。ワープロを記憶させる際の、フロッピーへの書き込み音のように、ガタガタ、ガチャガチャ、という機械音が脳内でうるさく響いていた。

「はい、久保田ですが、どうされました?」

「センセ~、相談したいことがあるんです。なかに入れてください。お願いします」

 一瞬、耳を疑った。いま、なんてった・・へんなこと言わなかったか。若い娘にそうお願いされたら、なかなか、断る勇気のある男はいないだろう。おじさんのなかのおじさん、『キング・オブ・オジサン』らしいこだわりだ。そっちばっかり引っ張ってしまった。

 はいよ、はいよ、いま、開けますからねえ、と心のなかでだけ、ウキウキしながら、しかし、顔面だけはこれ以上ないというくらい厳粛な面持ちを作って、開錠して、彼女を迎え入れた。

「突然、押しかけてきてすみません。じつはわたし・・」

 一言でいって、『女子アナふう』いでたちだった。髪はゆるふわ巻き髪ヤドカリ風、メイクもナチュラル風、服装はといえば、白を基調とした胸元にフリルの付いた良家の子女風。まあ、はたして良家の子女が現代社会で現存するかどうかは別問題。良家の子女がしっかりカメラの前で肢体をさらし、ネット動画で無限ループされる時代ゆえ。

 居間は衣服や書類が山積みにされていて、とてもお客さんに見せられる環境ではなかったから、玄関で対応することにした。相談内容というのが、バイト先でのセクハラだった。

「その、バイト先というのは、どこで、どんな仕事だったんですか」

「あの~、その~・・」

 なんだか、要領をえない。

「わたしを信用してください。守秘義務というものがありますから。お話になられたことは、他言しません」

「多言ですか? 他言はするんですか」

「なんで、話し言葉なのに、同音異義語を使い分けるんですか・・」

 案外、ややこしい。ああ、そうか、九段女子大学の3年生とか言ってたから、言葉には一家言持っているのかもしれない。そう、前向きに捉えた久保田は、

「大丈夫です。一応、プロですから。なにか、人にいいづらい仕事をしたんですか」

 逆に、こっちから助け舟を出してやった。

「ソープランドとかピンクサロンですか、それともデリバリーヘルスですか」

 初めから、一番すごいのを出しておけば、やりやすいだろうという久保田なりの配慮だった。

「マッサージです」恥ずかしそうに下を向きながら佐藤真奈はそっと打ち明けた。

「マッサージ、というと」

 ここからは、趣味と実益をかねた「プロおじさん」登場である。極めて厳格に問いただしたのは言うまでもない。

「えっっと、それは・・」

「メンエスですね」

「はい・・」 

 蚊の鳴くような声で深く頷いた。

「そこで、どんなセクハラをされたんですか?」

 おまえは、スケベな裁判官か? 

 性行為非公然性の原則、というものをご存じだろうか。憲法をかじると、必ずそんな言葉が出てくる。性行為は人前でやってはいけません、という憲法上の根拠に基づいた考え方である。さすがは、日本国の裁判官である。難関中の難関試験、わずか2パーセントしか受からない時代の司法試験を突破した、そのなかでも優秀な法律家である判事様が、夜中、家族が全員寝静まった後に、ひとり書斎で、きっと判決文を練り上げたに違いない。すばらしい。さすがはMである。その文言を考え付いた時、その裁判官はひとり嗚咽にむせいだのだろうか。オレはなんて、すばらしい言葉を想像したのだろう、と。大阪人なら、きっと、そう突っ込むだろう。

「そんなもん、言われなくとも、わかっとるわい!」

 彼女は事の仔細を包み隠さず語った。はじめは赤ら顔でうつむき加減だったのだが、心の内を久保田に打ち明けるにつれて気持ちが楽になってきたのだろう、とってもほがらかな優しい二十一歳女性の生気に満ちた笑顔が戻った。

「なるほど、そのメンエスの店長は、うつぶせになって、自分のお尻の上に座らせた、と。まあ、そこまでは、なんとか許容できるとして、今度は、こともあろうに、仰向けになって、同じようにマッサージをしなさい、と、こう命令してきたというわけですね」

 だまって頷く佐藤真奈に対し、腹立たしさを覚えたのは、もちろん、弁護士久保田祐貴40半ば過ぎ独身男であった。

「まったく、けしからんやつだな。自分でまずは、面接に来た女性を味見してやろうと・・」

「えっ、そういう魂胆があったんですか? なにも言わなかったですけど」

「言うわけないですよ、そういうタイプの男は。というか、そういう商売をしようと画策するような男たちはみんなそれが目的でしょう、半分は」

「そ、そう、なんですか・・」

 女子大3年生は、そこまでは、想像できなかったようである。おじさんの、おじさんによる、おじさんがため、の深い考察を。

「わかりました。せっかく戸越まで新橋から電車賃使って、都営浅草線でお越しいただいたんですから。やりましょう。とっちめてやりましょうよ、ね。で、その経営者はなんという名前ですか?」

「〇〇〇〇です」

「えっ・・・」

 固まってしまった。なんだそれ。そういやあ、場所が十番とか何とか言ってたような。そのあたりで察しなければならなかったのかもしれないが・・どうしよう。幼馴染を警察に突き出すわけにもいかないし。

「あなたは、それを言われただけでしたか? 実際に、体に触れた、とか」

「いえ、それは絶対させません。たとえ、そうしようとしても」

「結構です」

「ただ、途中で、本性をあらわにしたというか、『おじさんの上に座ってごらん』って」

 ったく。わかるよ、あの男の性格からして。できればただでいいことしたいって、ただそれしか頭にないんだから。奥さんがいるというのに。

「わかった、わかりました。これだけでは、どうしようもないので、再起不能なほどに、打撃を与えてやりましょう。もう、商売ができないくらいにね。それでいいでしょ。あなたは実害はなかったわけだから。」

「ええ、それで結構です。有難うございます」

 

 やっと涼しくなりつつあった10月末の夕方、五反田書店のおやじは、店の前に立って、たばこをふかしていた。ちょうどハロウィーンだからだろう、普通の週末よりも陽気な若い会社員たちが酒を一杯引っかけようとぞろぞろ有楽街にやってきた。もちろん、風俗嬢たちも、まるで親の仇でも打ちにいくのかと勘違いするほどのスピードで大通りを通り抜けていった。それは彼女たちなりの理由があって、ウジ虫のように出張っては網を張っている客引きどもに余計な時間を取られまいとする職業的防御本能からであった。

 そんななか、パナマ帽をかぶり、下は白のチノパンに素足のローファー、上は普通、デパートでは扱っていないような派手な気持ちの悪い柄のシャツに、水色のジャケットを羽織っていた。



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