田園調布が戸越銀座の軍門に下る日
そんな因縁のあるかつての上司が、おのれと同じトドのような奥さんと二人街ブラしていたところ、たまたま、果物屋でインチキマスカットを返金してもらったばかりの久保田が出くわしたのだ。しかし、相手は気づいていないらしかった。
なんだ、やっこさん、20年前には、「戸越銀座、行ったことないね」なんてうそぶいていたくせに、しっかり奥さんと散策に来てんじゃないか。いい加減なもんだぜ、上司の言うことなんて。
リサイクル屋なんて、人が使ったお古しか置いてない店なのに、しかも、こともあろうに、田園調布の住人からすれば下界も下界の戸越のリサイクルの店先をわざわざ覗くとはどういう了見だろうか。久保田の妄想悪口はとどまるところを知らなかった。
だいたい、人間なんて、高級なところに住んでいたって、人間が高級でいられるかどうかなんて、わかったもんじゃないんだ。元はと言えば、東急あたりが開発した新興住宅地のはしりじゃないか。それがバブルの前あたりからはたまプラーザだとか市が尾だとかに移っただけのこと。外側へ外側へとどんどん山岳地帯を強盗慶太イズムを受け継いだ弟子どもが開墾していっただけの話じゃないか。どんなイズムだ。へんなイメージ戦略しやがって。東急路線は他の路線に比べてハイソで知的で優雅だみたいなイメージを勝手に造成しやがって。うそつけ。その証拠が目の前の二匹のトドの詰まりだ。二頭じゃない、二匹だ。どうせ、ヒキガエルみたいなおつながりしてんだろ、夜な夜な。みっともないよねえ。トドのくせにさ。よく見ると、ヒール履いてるわけじゃなくて、単なるズックを二人とも履いてるのに、奥さんのほうが本部長より背が高いぞ。しかも、横幅も優雅にできている。これじゃ、本部長も苦労したんだろうね。昼だって、言うなれば、官職に追いやられた形だったからなあ。オレも若くして閑職だったから。それで、閑職が閑職に憂さを晴らしたって構図が。まったく。
せっかくだから、久保田はもう少し様子をうかがってやることにした。が、夫婦は少し店の中に入ったと思ったら、すぐに出てきてしまった。そのまま、久保田とは反対方向へと歩いていく。きっと、お目当てのものが見つからなかったわけではないだろう。ふらっと様子をうかがいに来ただけで、べつに買うつもりなどないのだ。そんなことは久保田も感づいていた。いつかも、こういうことがあった。
会社帰りで地下鉄戸越駅から地上に出たばかりの時、ちょうど散歩を終えて地下鉄に乗り込もうとする有閑マダム5,6人とすれ違った時だった。そのなかの、おさのような中年女性が、まるで久保田に全責任があるかのように、
「なんにもないじゃないっ!」と吐き捨てたのだ。びっくりしたのは久保田だった。思わず振り返った。が、主婦軍団はなにごともなかったかのように、いや、むしろ晴れやかな面持ちで、階段を下りて行ったのだ。災難だったのは久保田のほうだ。なんにもわけがわからず、仕事から帰ってきたところをいきなり、冷や水をぶっかけられたようなものだったのだから。つまりは、それほどまでに、なにもない街だということなのだ。おそらくは、成城だか国立だかは知らないが、山の手・高級住宅街の奥様連中なのだろう。身なりで一見してわかる。余裕のあるところの、夫たちも固い職場にお勤めで、たんまりとお給料を持って帰ってきてくれる家庭であろうことを。結局、おひまだから、どっかいかない、っていう話になったのだろう。午後のお茶かなんかをケーキ食べながら。すると、ひとりの主婦が、こないだ戸越銀座商店街のことやってたわよ、テレビで。あそこ、結構、いい雰囲気の、ざっくばらんな感じの商店街らしいわよ。今度、みんなで行ってみない。
すると、別の主婦も、それね、私も見たわよ。面白いの。お団子なんか、若い子がほおばったりなんかして、歩いて。楽しそうだったわよね。
二人が同期したものだから、残りの三人も、それじゃあ、ということで約束が成立し、この日になったのだ。しかし、実際に、観ると聞くとでは大違い。テレビのでたらめにしてやられた、というわけ。どうにもこうにも腹の虫がおさらまない主婦たちは、ちょうどいいターゲットを見つけ、こいつなら絶対に反撃してこないだろうと汲んで、バズーカを放ったというわけだ。なんにもないじゃないっ!って。主婦たちも、甲羅を経ているから、図太いのなんのって。まだ20代そこそこの久保田は何事か、と驚きおびえ、ほうほうの態で家路へ急いだ。




