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田園調布が戸越銀座の軍門に下る日

 果物屋から憤懣やるかたない気持ちで飛び出し、商店街を西へと、二国(第二京浜国道)方向へと進んだ。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。こっちは、少しでも地元に元気になってもらいたいというささやかな優しさを持って買い物をしたのに。あだで返しやがって。

 商店街もかなり代替わりした。かつてお店をやっていた人たちはみなビルにして、自分たちは最上階に住み、下の部分を人に貸して上がりで生活しているようだ。そのせいだろう。このところ、よく店がかわる。ついこないだまで、戸越の団子だ、なんてテレビでも取り上げていたかと思ったら、中古品の買取り屋に変貌していたり。店子だって大変だろう。安くない家賃を払ったうえで、利益を出して、従業員たちの給料を払ったうえで、自分たちのこどものミルク代やおしめ代に当てなければならないのだから。テレビで垂れ流すほど商売なんて簡単じゃないはずだ。

 そんなことをつらつら頭のなかで巡らせながら、本屋をすぎ、韓国コスメ屋をすぎたリサイクル屋の店先で、どこかで見たことのある顔に出くわした。

「あっ、太鼓腹部長だ」

一気に二十年という月日がよみがえった。正式な名前は牛田太郎。前に勤めていた食料品メーカーの上司だった。栄養がいきとどきすぎているのか、それにあぐらをかいているのか、奥さんがたんとおいしい料理を毎晩毎晩ごちそうしてくれるのか、たんに、摂取しただけのエネルギーを放出するほどの運動を怠けているだけなのか、太鼓腹を突き出して、オフィスをよく苦しそうに歩いていた。それゆえ、課員たち、いや、会社全体で、陰では「出腹本部長」とあだ名で呼んでいた。髭こそ生やしてはいなかったが、晩年のブラームスの影絵のように後ろ手にして反り気味に、それでいて結構速足で行くけしきからしても、別に悪気を含んでいたわけではなかった。

 この日は、同じく運動不足気味で、背丈も百六十五センチくらいで横並びの、奥さんらしき女性と二人で、戸越という街をためしに見に来たのだろう。というのも、この本部長、なにを隠そう、生粋の田園調布生まれ、田園調布育ち。久保田が戸越銀座住みとわかるとすかさず、「戸越銀座? 行ったことないね」そう、宣ったのだ。

 とはいえ、先生は、同じ田園調布でも、かの放射状のほうではなかった。漫才師セントルイスが一躍スターダムに上り詰める「田園調布に家が建つ」の並木道のあるほうではなかった。

いまはずいぶんと駅が整備されて、レンガづくりのしゃれおつ(高田純次氏に敬意を捧ぐ)な雰囲気だが、メインじゃないほうは、たしかに、メインからすると一段も二段も、いや、実際、五,六段階段を下って初めて、標準位置へと辿り着くことになっている。

 道路を隔てて、神戸屋のパン屋があったり、地元の有名人が通う焼き鳥屋や、さらには、田園調布病院が顔を見せる。通称、太鼓腹部長は、そういった標準位置からさらに坂で下界へと下ったところにお住まいの方だった。したがって、彼の精神構造は結構、複雑なものとなるであろうこと、必然であろう。

 会社や取引先では、「へぇ~、すごいですねえぇぇ、牛田部長は田園調布にお住まいなんですかぁ~。それじゃあ、さぞかし、お金持ちなんでしょうねえ。すごいですねえ」

 周りは、下へも置かない賞賛ぶり。それはそうだろう。田舎から裸一貫出てきて、歌一本で身を起こした演歌歌手が豪邸を買ったのが田園調布だとマスコミで一躍話題になったり。その前から、プロ野球の長嶋選手や太陽族の小説家石原慎太郎、日本を代表する大企業の社長たちが居を構えている一角なのだから。

 が、牛田部長の実際のところは違った。放射状とは反対で、目の前のパン屋・焼き鳥屋・田園調布病院を頂点とするならば、それらの排気口から出る油やバイ菌を日々かぶり続けつつも、いっぽうで、田園調布ブランドという高い意識を保持し続けなければならない生活を強いられるのであるから。というよりは、そういう世間の評判とは真逆の、金持ち村のなかでの、おそらくは独特のヒエラルキーの最下層に生まれる前からどっぷり浸かって(牛田部長、田園調布のみなさま、まことに申し訳ございません。平身低頭)時を重ねてきたがため、余計に、積もり積もったおこりのようなものがお腹の中で、時限発火装置とともにくすぶり続けている、といったほうが適切かもしれない。

 牛田部長のいる販売促進部に移動してきてから二週間ほどすぎたある日の午後のこと。すでに部内の飲み会を開いてもらい、一通り、課員全員と飲みニケーションもすんで、気も緩んでいたのだろう。牛田部長から、なにげなく、こう、話しかけられた。

「久保田くん。君は、品川区の戸越に住んでるんだったよね」

 久保田も、牛田部長の体形からくるほがらかさや体全体から発する余裕のようなものからして、うれしい気持ちもあったに違いない。

「ええ、そうですよ、あの戸越銀座商店街の近所です。ラジオやテレビで最近よく取り上げられるようになった」

 実際、戸越銀座商店街が、今ほどまでに取り上げられるようになったのは、バブル崩壊以後と言っていい。バブルの絶頂の頃までは、まったく、と言っていいほど、テレビで見たことがなかった。いや、主婦たちは、昼間、ラジオなどで、それこそ、毒蝮三太夫あたりがラジオカーで押し寄せては、「じじい、ばばあ、このくたばり損ないめがっ!」とやってるのを家事仕事がてら、けらけら笑っていたのかもしれない。が、少なくとも、地上波においては、久保田の記憶だと、銀座だ、麻布だ、青山だ、赤坂だ、と都心の中央区、港区ばかりで、貧乏人の戸越銀座は仮に取り上げられても、否定的、嘲笑的だった。

 具体例を挙げればテレ東の『アド街っく天国』。久保田はいまでも覚えている。恨み骨髄といってもいい。いや、それほどまで、地元に愛着を持っていたわけではない。むしろ、こんな貧乏人の住む街なんか早く脱出して、池田山だ、高輪台だ、白金だ、広尾だ、成城だ、と住環境のいいほうの住民になりたいとどれほど夢想したことか。

 しかし人の心理というのは複雑なもので、自分でくさす分にはいくらでもくさしていいのだが、よその人間が自分とおなじようにくさすとなると、冗談じゃすませられなくなる。そういう生き物らしい。人間のこころというものは。

 当時司会だった愛川欣也の番組で、アシスタントのテレ東のアナウンサーが、「銀座が世界の銀座なら、戸越銀座は、日本中に数ある~~銀座商店街の中の銀座、つまり、『キング・オブ・ギンザ』です」とぶちかましたのだ。まあ、多大なる、彼女なりのリップサービス、番組演出だったに違いない。しかし、他の出演者たちの反応は違って、まったく正直なものだった。女子アナの決め台詞を聴いた瞬間、タレント全員が、いや、もしかすると、カメラに写っていない制作スタッフたちも自動参加していたかもしれない。

「えぇぇぇぇ~?!」

 その「え~っ?」というどよめきはどう贔屓目にみても、侮蔑そのものでしかなかったと断定していい。これっぽっちも、尊敬とか親しみなどというものは含んでいなかった。それまで、元アイドルのタレントなどが、「とっても親しみやすくて、いい街ですよね」「ほんと、ほのぼのしていい街よ」など、絶賛していたのだ。それがあっての、「えぇぇぇぇ?」だったのだ。

 だから、久保田は放映から二十年以上経っていたとしたって、いまだに忘れない。絶対に忘れない。みんなで寄ってたかって戸越銀座のことを貶めやがって。

 といった、世間の評価があるという前提でとらまえていただきたいのが、これからのことだ。

 久保田は、牛田部長に自分の身近なことを聞かれたのを奇貨として、こう突っ込んだ。

「ところで、牛田部長は田園調布にお住まいなんですよねえ」 

 もちろん、部下としてのリップサービスもしっかり乗せていた。いや、六割方そっちだったと言ってもいい。ただ、もちろん、どういう豪邸にお住まいなのか、とか、どういう暮らしをなさっているのか、というのは、下世話かもしれないが、興味がないわけではもちろんなかった。

 牛田部長は部長席に腰を下ろし、机越しに、立っている二十代後半の若造と対峙していたわけではあるが、その若造の突っ込みに対して牛田部長は、いかにも遠慮がちに、上目遣いで、心から引け目を感じているふうに、こう返したのだ。

「田園調布とはいっても、ウチは、反対側だよ」

 きっと、牛田部長にとって、このやり取りは、それこそ何度も繰り返した、テレビで言うところの『鉄板ネタ』に違いなかった。日本人の謙譲の美徳をしっかり兼ね備えていた人格者なんだということもできる。田園調布にお住まいなんですか、と聞かれ、そうなんだよ、と心底喜んだ顔をするほどの世間知らずもいないだろう。五十をすぎた大企業の管理職にある人間が、田園調布という固有名詞が与える世評に無知であるはずがない。だから、「ウチは、反対側だよ」と、この世間知らずのぽやぽやに返したまでのこと。本心から謙遜しているはずもない。

 しかし、どうしたもんか、目の前のお気楽野郎は、そのまま額面通りに受け取った。

 ははあ、部長も結構苦労してんだな。あの、金持ち階層のなかで。そりゃ、そうだよな。わかるよ。わかるわかる、わかりますよ。へえ、そうだったのか。気苦労が絶えないんだな。お気の毒に。このような心の内で、久保田は次のような言葉を、当然のごとくねぎらいの意味を十二分に含めて、目上の上司に送った。

「実は、ぼくも、同じ、東急池上線の、戸越銀座なんですよ」 

 この一言がすべてだった。

 なんだ、このやろう。年下のぺいぺいのくせに、生意気なこと言いやがって。なにが、ぼくも同じ東急線の戸越銀座だあ。一緒じゃねえだろうが。池上線じゃねえか、ミドリガメ色の、おんぼろ路線の。こっちは、東横線だよ、池上線じゃねえんだよ。ふざけんな。

 たしかに、正確に言えば、路線名は違った。乗り換えだって、二回しなければ、互いの駅にはたどり着けなかった。旗の台と自由が丘だ。ただし、切符売り場の上を見上げたら、路線図にはちゃんと一本の線で繋がることになっている。だから、久保田の言っていることも間違いではなかったのだ。

「このやろう」牛田部長は声こそ洩れなかったが、顔をくしゃくしゃにしかめて、

「戸越銀座、行ったことないね」  

 こうやって、久保田のことをやり込めた。田園調布駅の隣は、多摩川園駅。この間の多摩川園駅寄りに、むかし、電車から見える遊園地があったのだ。だから、

「隣の駅は、多摩川遊園地駅でしたっけ」と話を続けた。地元とは言えないけれど、戸越銀座住みだから、ちゃんと田園調布界隈も行ったことありますよ、知ってますよ、とアピールしたのだ。

 すると、さらに、牛田部長は、

「多摩川遊園地って駅は、ないよ」

 ひょっとこのような、おちゃらけた顔を作っては、赤子をもてあそぶように、二十代後半の部下をもてあそんだ。久保田は、なにが部長の機嫌を損ねてしまったのかわからず、ただひたすら、

「すいません、すいません」

 コメつきバッタのように頭を下げるよりほか、なかった。


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