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田園調布が戸越銀座の軍門に下る日

「おい、この、バカ野郎っ!」

「あ~あ、なんてことを」

「せっかく、みんなで作ったのに、汚いじゃないのよ」

 自分の背丈の倍ちかくある大人のおじさん、おばさんたちに寄ってたかって怒られたものだから、さすがのいたずら坊主も、

「すいません、すいません」とぺこぺこ頭を下げているうちに、その声も涙声になって「うぇ~ん」と泣きじゃくる始末。

 肝心のボールはカレーの鍋のなかで一回バウンドすると、それで満足したのか、そのまま原っぱへ飛び出てしまい、ころころと転がったのか、どこへ行ったかわからない。

「なにも、キャンプに来て、そんなに泣かなくたっていいから」

「のっぱらで野球がしたかったのかねえ」

「まあ、都会っ子で、いつも、肩身の狭い思いをしてたのかもしれないね」

 大人たちも、さすがに、ひでのひた謝りに、

「おい、ひで。おまえさんは、ほんと、ひでぇ~ことしてくれるなあ」冗談の声で一同爆笑。

 泣きべそをかいていた野球少年もしばし泣き止む。

「とりあえず、ボールの落ちたところだけ、おたまで掬って。だいじょぶよ、死にはしないから。もし、死んだら、ひで君に、おばさん、化けて出てやるから」

 そういうと、少し収まったひでが、またもや、大声で「ウェ~ん」

「はっはっはっはっ」

  町内会のキャンプで、思い出深い食事となったのだ。


 と、こんなことがあったから、久保田はビビった。ひでちゃんが調子ブッこくといいことないぞ、と。絶対、また、形を変えて、カレー鍋にゴムまりをホームランすることになるぞ、と。

「でね、ゆうちゃん、おれさあ、麻布十番の商店街から近いマンションの一室、もう契約したのよ。手付金払っちゃった」

 なんて、こった。どうせ、メンズなんとかなんて、男のすけべ心が動機に決まってる。そもそも、地元の区立戸越台中学校に入った当初から、すぐに彼女作ったって、わざわざ自慢したんだから。久保田は隣の区の中高一貫男子校に入学したから本当なら知らないはずなのだが、中学一年の時、第二京浜国道の交差点の前でばったり会って、その時、彼女ができたと自慢されたのである。

 進路は違っても、近所だから情報は母親たちの口コミで入ってくる。ひでちゃんは早熟で、高校を出ると、2年もしないうちに所帯を持った。今の奥さんがそうで、子宝にもめぐまれ、4人のお父さんである。そんな父親が40も半ばになって、へんなエステに手を出そうなんて、やはり、幼稚園の年中さんからの幼馴染としては、黙って見過ごすわけにはいかない。

「やめなよ、そんな未経験な分野。危ないよ。誰でも参入可能ということは、いかがわしい奴も大勢出入り自由ってことだからさ」

「わかってるよ、ゆうちゃん。おれも子供じゃないだから。大丈夫だよ、固くやればカタく」

 その目が怪しい光を帯びていた。やっぱり。

「まさか、ひでちゃん、不埒なことを考えて始めようってんじゃないよな」

「もちろん、そういうエッチなことは、金輪際、まったく、考えませんよ」

 なんか、おかしな返答だ。金輪際っていうのは、いままであったことを反省した上で、浮気はもうしません、的な意味じゃないのか。なんか、へんだね・・

「奥さんとは相談したの?」

 一応、弁護士の端くれとして、外堀から埋めることに。

「するわけないでしょ」一段と声をひそめる中年男ひでちゃん。

「はっきり言うよ。エロ動画の見過ぎなんじゃないの、エッチなビデオの」

「それもある」

 はっきり認めた。

「あのね、ひでちゃん、いま、こういう世の中だから、なにかとうるさいんだよ。セクハラとかすれば、すぐに弁護士立てて訴えられるし」

「いいよ、別に。オレには強い見方がついてるし」

 いたづらっぽい目で見返してくる男。

「オレはやだよ。そういうことには巻き込まれたくない。第一、友達として。友達の奥さんを裏切ることになるからね」

 久保田もこの点、きっぱり線引きをした。あとになって、「なんで先生、ウチの旦那を止めてくれなかったんですか」と、こっちにお尻を持って来られてもたまらない。

「とにかく」ここで、ひでちゃんはおもむろに立ち上がり、「その節は、先生、どうか一つご指導のほど、よろしくお願いいたします」ときたもんだ。

 まったく、こりゃあ、言ってもきかないってなると・・ほんとに、コトだぞ。久保田はすっかり冷めた茄味噌とごはんとを口にもぐつかせながら、中華スープをさらに口へと運んだ。


 一週間後、久保田はひでちゃんの借りた麻布十番のマンションの一室にいた。

「どう、ゆうちゃん。結構、いい物件でしょ。都営大江戸線の駅からも近くて」

 顔がほくほくしていた。いっぽう、久保田はといえば、悪のお先棒を担がされた気分で、気持ちが重かった。

「もう一度、考え直さない? 悪いこと言わないからさ」

「あのねぇ~。ゆうちゃんも、ほんと、昔っから、度胸ないよねえ。虫とかお化けとか弱いし」

「虫の知らせがするのよ、虫の知らせが。それも、嫌なふうの」

「それが、度胸がないって言ってるの。昔からさあ、言うじゃない。『男は度胸、女は愛嬌』って。だから、おれは今のかあちゃんと一緒になったんだよ」

「生憎、おれは、度胸なしで、いまだに独身ですよ~だぁ」

「すねるなよ、ゆうちゃん。東京の23区に土地持ちで、曲がりなりにも弁護士先生なんだから、絶対、かわいいお嫁さん見つかるって」

 べつに、彼女がいないことを慰めてもらうために、久保田はここに来たわけではない。言ってもきくもんじゃない幼馴染をせめて深みに嵌らないようにとの友情から、状況把握に来ただけのことだ。

「で、業者はどこと契約したの?」

「ミネルヴァ不動産」

「ミネルヴァ?って、あの、役者のディーン・フジオカというイケメンに似てる人が勤めている不動産屋?」

「あっ、よく知ってるじゃない。後、ほかには、倉科カナっていう朝ドラ主演女優に似た社員もいるってうわさだけどね」

「たしか、あくどい商売をしているって噂だったよ」

「そう? 結構、噂どおりの美人だったけど」

 だめだこりゃ。もう、なにを言ってもきかないよ。




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