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そういえば昔、田園調布夫人におなり遊ばしたキャスターがいたっけ?

 帰宅したのは夜の11時すぎ。まっ、たまには、気払らしもいっか。そう、己に弁解がましくつぶやいた久保田はシャワーを浴び、パンツ一丁で居間のテーブルにつき、冷やしておいた水をコップに入れてゴクゴク、喉を鳴らして飲んだ。浄水器から空になったお茶のペットボトルに水を入れて、それを夏場になると何本も冷やしておくのだ。酒もたばこもたしなむ趣味を持たないから、金がかからなくていい。

 しかし、それにしても、このゆるパン、どうにかしないとなあ。もう、だいぶ経つよな、パンツのゴムひもがゆるゆるになってからというもの。そろそろ修理しないと。

 家にいる生活ゆえ、洗濯はまめにしていた久保田だった。普段ばきのブリーフのパンツは3枚で、それを使いまわしているのだが、そのうちの2枚のゴムひもがあやしくなってきたのだ。しかし、あやしいのはパンツのゴムひもだけではなかった。

 最近のサラリーマンはどうか知らないが、いや、20年30年前の若いサラリーマンでも、中敷き、つまり、腿敷きを穿かない派というのを見かけたことがあった。大正の終わり生まれで、戦後のサラリーマン黄金期に会社勤めをしていた久保田の父親は当然、腿敷きを穿いていた。したがって、久保田も当たり前のように、腿敷きを穿いて、その上からスラックスを穿いて、会社に通勤しはじめた。もっといえば、社会人に上がる前の学生の頃から、ジーンズの下に腿敷きを穿いていたこともあった。それが当たり前だと思っていた。

 が、サラリーマンになって、新入社員研修の時、工場実習を終え、作業着からスーツに着替えようとズボンを脱いだ時だった。基盤事業部に配属された同期20数名のうち、やたらとガタイがよくておつむが赤肉メロンほどの大きさしかない男が、

「あっ、先生、ももしき穿いてる」

 こういうやつ、いるんだよなあ。いくつになってもさあ。お前、小学生かよ。曲がりなりにも社会人だぞ。社会人。今月から月給取りだぞ、月給取り。それなのに、ひとがもも敷き穿いていたぐらいで、「あっ、ももしき穿いてる」って、いったい、なんだよ。この会社の民度が知れるってもんだぞ、まったく。久保田は、ほとほといやになった。こんなやつが同期にいることを。

 パンツの話に戻すと、普段使いのパンツは3枚で、うち2枚のゴムがゆるくなってきたというのが現状だ。が、それだけじゃない。その上から穿くももしきのゴムも1枚あやしくなってきたのだ。ももしきの着回しも3枚だから、3分の1ゆるゆる。パンツは3分の2,ももしきが3分の1でゆるいから、下手をすると、3日連続で、気持ち悪さを我慢しなければならないということも確率的にはありうるわけだ。

 みなさん、経験があおりかどうかは定かではないが、例えばパンツがゆるくて、ももしきがピシっとしている、とどうなるかおわかりか? 家を出るときはまだいい。パンツをしっかり上まで持ち上げたうえでズボンを穿いて、時にはベルトを締めて、西部戦線異常なしの態で街を歩く。が、地下鉄に乗ったり降りたり階段を下ったり上がったりしていると、だんだんだんだんと、下に~下に~と引っ張られてくる。大名行列じゃないんだから気持ち悪いことこの上ない。だいたい、男の場合はご婦人たちと違って持ち物が持ち物だけに、普段だって収まりが悪いところを持ってきて、どうにもこうにも始末に置けなくなるのだ。

 そういうときはしかたない。駅のトイレに駆け込んで、小用を足すふりをして、または、小用をすませつつ、器用に、内側のパンツだけを社会の窓のなかに手を突っ込んで、いや、それはないな、とりあえず大切なむすこさんはしまってから、スラックスの上から指先でなぞるようにしてパンツを持ち上げる。が、当然、その手前のもも敷きだって関係してくるからやりづらいことこの上ない。もも敷きはあくまで正常なのだ。問題なのはパンツだ。そうなると、他の人たちは一通り用を足したと見計らうやいなや、おもむろにスラックスを下ろして、パンツだけを引き上げ、もも敷き、スラックスに合わせて、ベルトで3枚を締め上げる。これが対症療法ということになる。しかしこの対症療法は下手をすると3分と持たない。たまにおしりにうんちでも溜まってるんじゃないかという不格好で歩いている男性を見かけたりするが、ひょっとすると、こういう事情が隠されているのかもしれない。

 パンツ一丁で、エアコンの風を真横から受けるように設定し、テーブルにつく。この時間帯(金曜夜11時半すぎ)になると、ほぼどこも報道番組が出そろった後だから、テレビをつけるだけ無駄なのだ。このところ、懇意にしている(先方はどう思っているかは知らないが)テレビ六本木も、完全にアイドルだお笑いだとバカ番組にシフトして見る気にもならない。NHKも最近は視聴率を気にしすぎるのか、バカ者迎合主義なのか、見るに堪えない番組を流していたりする。BSにしても、スポーツだったり、民放なんかとくに通販番組のよいしょタレントばかりだったり。結局、ばかばかしくなってスイッチを消すのだ。それで、どうするか、といえば、図書館でコピーした英字紙のコピーを読もうかとも思ったりするのだが、さすがに、銀座日比谷新橋と結構汗だくで歩いてくると40半ば過ぎの男には、その気力も残っていなかったりする。では、どうするか。

 手が自然とのびては、テーブルの上にあるノートパソコンのふたを開ける。最近パソコンを買い替えたせいか、ブラウザーがBingを要求してくる。そうするとYobai Japanのサイトを見るには検索というひと手間必要だったりして、疲れた体にはまた、その程度でも億劫だったりするのだ。それでも、両サイトに表示されるどうでもいい配信記事、ワイドショーで元議員の美人コメンテーターが一度は腐した政治家を立派な人だと褒め上げた、とか、不倫で別れたタレントが新しい恋人と熱愛、とか、テレビ番組で視聴者の浄財をくすねていた、とかいろいろ出てくるのを、なんだかんだいっても、気になって、ひとつひとつチェックしてみたり、飛ばしてみたり。そんなことを一通りすますと、それにも飽きてくる。そうなると、お定まりなのは、古刹動画だった。

 以前、テレビ六本木が、人気小説家・五木田博之の寺院を探訪する番組を放映していた。それ、ではない。古刹動画、というのは、あくまで、古いお寺を旅して、わびさびを味わう、日本人には、日本人男性には、日本人男性の血気盛んな若者と独身で相手のいない中年たちにはなくてはならない動画であった。

 

 週が明けて、月曜の夜、いつものごとく、近所の区立図書館に久保田は出かけた。この図書館はプラネタリウムや音楽ホールなども併設され、よく、コンサートやコンクールなどが行われている。開演時間ぎりぎりに、間違って図書館に駆け込んできて、スタッフに、「会場は1階から階段で入場できます」と説明を受けたりしている。

 子供の頃はぼろっちい建物だったのだが、いつの頃か建て替えられて、いまでは立派な、内装など清潔そのもの、快適そのものの図書館となっている。読書コーナー、パソコンコーナー、新聞コーナー、子供向けコーナーなど分けられており、主に、読書コーナーには中高生や会社帰りの勤め人、引退した高齢者が勉強に読書にと思い思いの時をすごしていた。久保田も例のごとく、小説などをパラパラめくっていたのだが、なんだか、床のカーペットを擦る音が聞こえてきた。

 まったく、迷惑なやつだ。人たちが静かな環境を努めて作り出しては物を読んでいるというのに。

 思わず本から目を離し、首だけ横に向けて、音のするほうを確認すると、異様な雰囲気の男がのっしのっしと左右に体をわざとらしく揺らしながら近づいてくるではないか。全身真っ黒。黒サングラスが図書館内で場違いなのはもってのほか、世紀末を模したような柄の黒Tシャツ、軍隊で使用される迷彩柄のズボン、普通の常識ある大人は絶対に穿かないゴールドのスニーカー、さらには、薄汚れたキャップを被っている。背はかなり小さく150センチ程度か、体形はずんぐりむっくり。そんな男が久保田の真後ろまで近づいてきて、後ろのパソコン関係の棚の前で立ち止まった。どうひいき目に見積もっても、パソコンのプログラミング言語を一から学ぼうという殊勝な気持ちの持ち主には見えない。1分くらい棚を漁るふりをしつつ、最後は「ちぇっ」と舌打ちをして、別の棚へと移っていった。


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