第5話「……凍てつく心は、己の弱さ。震えて、身動きもできない」
「はぁ。はぁ」
深く息を吸う。
大丈夫。これまでだって練習してきた。何とか隙を作って、ここから逃げ出す。そして、助けを呼ぶんだ。
身の危険に際して、ようやく覚悟が決まる。後悔ばっかりしていた。今までもそうだ。あの時に、こうしていればよかったって。何度も思うことがある。今だって、ゴブリンたちを見つかった時に、すぐに逃げればよかったのに。それができないのは、自分の心の弱さだ。
雨宮舞穂は、この異世界に来て。自分の心の弱さと向き合うことを学んでいた。
慌てさせるように鼓動が早くなっていく。
気を許したらパニックになってしまいそうだ。舞穂は自分に冷静になるように言い聞かせて、震える手で魔法使いの杖を握りしめる。そして、じりじりと寄ってくるゴブリンたちを見据える。
「ギャギャ。イッセイニ、イクゾ」
「キヒヒ。カワイイ、ユビダ。ズット、アソンデヤルヨ」
舞穂の魔法を見ても、ゴブリンたちが恐れる様子はない。
それはそうだろう。
先ほどの魔法は、氷属性の中では最小の威力のものだ。致命傷どころか、ゴブリンを相手にしても驚かすことしかできない。その程度の魔法であれば、彼らが怯える理由にはならない。
……その程度の魔法であれば、の話だが。
「キキィ、ヤレ!」
「ギャギャギャッ!」
ゴブリンたちが一斉に飛び掛かってくる。
舞穂は正面の敵に向かって杖をかかげる。足元に魔法陣を展開させて、詠唱を整える。
「……凍てつく心は、己の弱さ。震えて、身動きもできない。……突き刺せ〈アイルニードル〉」
空中に氷の刃を生み出す。
今度は、ナイフほどの大きさだった。魔法で作られた氷の刃は、正面のゴブリンたちに向かって放たれる。先ほどよりも威力のある魔法に、ゴブリンたちは驚いて態勢を崩す。だが。
「キヒヒィ。ウシロガ、ガラアキダ!」
舞穂の背後から襲い掛かってくる数体のゴブリン。
その手は、彼女に触れるほどに迫っていた、が―
「……冷たい気持ち。私の心は凍りつき、誰も寄せ付けない。……吹き飛ばせ〈アイスシュート〉」
「ヘ?」
下卑た顔のゴブリンたちに向けられたのは、無表情にかざされた舞穂の左手だった。
魔法陣が冷たく輝き、彼女の左手に大きな氷塊が生み出される。そして、その直後。舞穂の手から放たれた氷塊によって、ゴブリンたちが吹き飛ばされていた。
「ギャギャ!? ナンダト!?」
「マホウヲ、ドウジニ!?」
動揺しているゴブリンたちを前にして、舞穂は静かに呼吸を整える。
魔法使いである、彼女の両手には。それぞれ別の魔法が出現していた。右手に持った魔法使いの杖からは、氷の刃を生み出して。左手からは大きな氷塊を飛ばす。足元に輝く、二重の魔法陣がそれを可能にしていた。
同時に二つの魔法を使う『魔法使い』のスキル。
その名称は〈二重詠唱〉。
雨宮舞穂は、他の属性の魔法を使えない。
だが、氷属性に限っていえば、その素質は底が知れなかった。この異世界において、熟練の魔法使いや魔女が何年も修行をして、ようやく可能となる同時詠唱を。舞穂は、たった一週間で完全習得していた。これこそ優斗が、舞穂には才能があるかもしれないと言う根拠であった。
氷の魔法使い。
異世界で目を覚ましたクラスメイトの中で、たった一人の『魔法使い』。それが雨宮舞穂という女の子だった。
「ド、ドウスル?」
「ヤ、ヤバイ?」
ゴブリンたちに動揺が広がっていく。
元々、臆病な種族だ。自分たちが優位でなければ、すぐに逃げ出してしまうような連中。思いもしなかった少女の反撃に、ゴブリンたちは不安を隠せない。
既に、逃げ出そうとしているものもいる。
そんなゴブリンたちを見て、舞穂も意識を切り替えた。今なら、逃げ出せるかもしれない。遺跡の入り口まで走れば、優斗に助けを呼べる。そう思って、わずかに注意を逃げる方向へと向ける。
が、その時だった。
「え―」
突然、強い衝撃に襲われて。
彼女は地面に殴り倒されていたー