第54話「戦いが終わって…」
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「むっ。アレを倒したか」
静かな空間に女の声がした。
妖艶な女性であった。外見からでは年齢を測れず、艶のある色気は男女問わず人を魅了させる。時代が時代であれば、きっと魔女と呼ばれていただろう。
その女は、その部屋の窓辺に立つと。
どこか嬉しそうに嘆いた。
「まったく。アレを倒すのに三ヵ月も掛けるとは。だが、とりあえずは褒めてやろう。おめでとう、諸君。君たちは確かに第一階層を攻略したのだよ」
外は、まだ夜だった。
朝日が昇るまで、あと数時間といったところ。朝鳥ですら、まだ眠っている時間だ。女は窓を開ける。夏の湿った風が入ってくる。
「さぁ、少年少女よ。次に進むが良い。……生きるということは、格好悪いことの連続だ。映画のヒーローのように上手くはいかない。どんなに情けなくても、どんなに惨めでも。前を向いて走り続けなくてはいけないのだから」
少年少女よ。
お前たちが戦った『巨人』が何だったのかわかったか? あれの正体は人間だ。人が人に向ける悪意。それが形になったものだ。昔から人間は、他人を憎み続けている。
子供の時はいい。だが、社会に出れば誰も助けてくれない。奴らは他人を憎むことで、自分を肯定しようとしているのだから。異世界の魔物なんてかわいいものじゃない。現実の人間は、アレと同じ化物ばかりだ。
人間とは。
本当に、度し難いほど愚かな生き物だ。
女は、どこかサディスティックな声で言うと。
月明かりに照らされた、誰もいない学校の教室を見る。
まぁ、いい。
せいぜい、この私を楽しませてくれ。魔女のような笑みで、その担任の女教師は口端を歪ませる。
教壇から、誰もいない夜の教室を見下ろしてー
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少女の泣く声が、塔に響く。
さっきから、ずっと泣いている。人目を憚らず、感情をむき出しにさせて、ボロボロと大粒の涙を流す。彼女は、こんなにも感情が豊かだったのか。そんなことすら仲間たちは知らなかった。きっと、彼の前だけは素の自分でいられたのだろう。心を許せる大切な人。それを、目の前で失ったのだ。その悲しみは想像をすることすらできない。
「……っ」
朔太郎は苦い顔をしながら、舌打ちをしたくなる。
勝てた。勝つことはできた。だが、その代償は大きすぎた。最初の攻略で一人を失って、今度は優斗まで失った。こんなことを、あと五回も続けろというのか。そんな陰鬱とした考えが頭から離れない。
すると、小柄な少女が身を寄せてくる。猫だ。朔太郎は不安に押しつぶされそうになりながら、彼女の存在を確かめるように抱き寄せる。他の仲間たちも似たようなものだった。戦闘で指を失った影谷に、彼の傍で泣いている楯守。顔を伏せたまま震えている白麻。少し離れたところで、東野と薬師寺が何かを話している。
戦闘が終わってから、雨宮舞穂はずっと泣き続けている。
こんなことで、攻略を再開なんてできるものか。
朔太郎が、そう思った。
そんな時だった。
「……え」
舞穂が抱いてたものが輝きだした。
岸野優斗の右腕だ。もう二度と動くことがないはずの彼の腕が、優しい光に包まれていったのだ。そのまま光の粒子へと消えていく。
待って! という舞穂の悲しい声が響く。
だが、そんな想いさえ杞憂だと思い知らされる。
光の粒が、部屋の真ん中に集まっていた。
ほの明るい優しい輝き。
それは少しずつ形を作っていき、やがて人の形へとなっていく。そして―
……ん? あれ?
……なんで、俺は生きているんだ?
むくり、と体を起こして。
その男。岸野優斗が辺りをきょろきょろと見渡している。よく状況がわからないのか、ぽかんとした顔のままだ。
先ほど、第一階層の主である巨人によって殺されたはずの『見習い騎士』。決して助かるはずのない一撃を受けて、確実に死んでしまったはずの男が。
……岸野優斗が、生き返っていた。
「どうなっているんだ? 巨人もいねぇし。ここが天国ってわけでもないよな。おい、朔太郎。何かしって、……のわっ!?」
優斗が友人に問いただそうとした言葉は、唐突に遮られる。
黒い小さな塊が、彼へと飛びついていた。
その少女は自分の感情を隠すことなく、ぎゅっと優斗へと抱き着く。
「ちょっ!? おい、まほ、……雨宮。どうした!?」
「……ぐすん、えっぐ」
「お前。泣いているのか?」
「……ぐずっ。……女の子に、そんなことを言わない!」
「なんで。泣いているんだよ。お前にとって、俺は。……絶対に許せない人間だっただろう。お前が辛い時、ずっと見て見ないフリをして。俺は、卑怯な男だ」
「……うん。……ぜっだいに、ゆるさない」
でもね、と舞穂は続ける。
「……岸野くん、だけだった。ちゃんと、あやまったの。他のひとたちは、なかったことにしているのに。岸野くんだけだったの。ちゃんと、わたしの目を見て、話をきいてくれたのは」
舞穂の泣きながら話す言葉に。
優斗は神妙な顔で頷く。
「もう死にたいと、そう思ってた。こんな世界にきて、ひとりぼっちで。だれも来ない場所で、死ねるのを待っていたら。……あなたが現れた」
舞穂が顔を上げる。
その表情は、涙をたたえたまま微笑んでいる。
「……うれしかった。たすけてくれて。話をきいてくれて。どんなに酷いことを言っても、黙って聞いてくれて。私は、ずっと、誰かに『こんなにも辛かったんだよ』って話したかったから」
ぎゅっと、優斗の服を掴む。
そのまま彼の胸元へと顔を埋める。甘えるように。
「……ありがとうね。ずっと、一緒にいてくれて。こんな私と一緒にいて、すっごく大変だったと思うの。でもね、でもねっ! ……私は嬉しかった。あなたの日々が、毎日が、本当に楽しかった」
そこまで一気に言うと、それっきり。
舞穂は再び泣き出していた。
優斗はずっと謝っていた。彼も、自分が許されるはずがないと知っていた。イジメられているのに、それを見て見ぬフリをしてきたのだ。そんな卑劣なこと、許されるはずもない。
でも、今は。
こうやって舞穂の体温を感じていることが、罪深いと感じながらも幸せと思っていた。そう思えることができた。
「……っ!」
不意に、舞穂が顔を上げる。
頬を赤く染めて、瞳に涙で潤ませて。
小さな黒髪の少女が、抱き着いていた。
泣きながら抱きつく雨宮舞穂と、不慣れな手つきで彼女の頭を撫でる岸野優斗。そんな二人のことを、朔太郎は唖然として見ていた。
優斗が生きていた?
いや、生き返ったのか!?
目の前の状況に理解が追い付かず、思考は緩やかに停止する。
そして、変化はそれだけではなかった。
巨人との戦闘。そこで負った傷も治っていく。猫の腕も完治していて、『罠師』の影谷が失った指も元通りになっている。
これが『塔』のルールなのか?
これが俺たちへの成功報酬なのか?
朔太郎は困惑したまま、その思慮深い思考を積み上げていく。
更に、それだけでは終わらなかった。
少し離れたところに、もう一つの光の粒子が集まっていた。やがて、それは人の形になっていっていく。片手を天井に向けたまま叫んでいた。
その男は、攻略組の仲間たちがよく知る男だった。
「みんなーっ、逃げてくれ! ここは俺が食い止める!」
そこにいたのは、三ヵ月前の攻略で命を散らした男。
クラスメイト全員が逃げ出すために、最後まで戦って、仲間たちの命を救った勇者。男子のクラス委員長の必死な姿だった。
三ヵ月前に死んだと思われた男。
その彼も生き返ったことに、仲間たちは声も出せずに歓喜する。
……が、その男の口から出てきたのは。
彼らが思っていたのとは違う、虚しい現実だった。
「くそっ! 全てのHシーンを回収していないエロゲがあるのに死んでたまるか! それにこのままだと、母親にベットの下に隠した大量のエロ本が見つかっちまう! それだけは絶対に嫌だ!」
その男子のクラス委員長であった男は、目を閉じたまま必死の形相で片手を上げている。彼の口から放たれる言葉は、嘘偽りのない心からの叫びだった。
「あーっ、もう一度! サキュたんの巨乳を拝みたかった! ランたんの爆乳もリキちゃんの超爆乳も、もう二度と見ることができないなんて! くそっ! やはりバスト90以下のキャラクターに人権なんてなかったんだ!」
それからも、彼の心の叫びは続く。
恐らく、18禁のゲームに登場する美少女キャラクターたちへの感謝、……主に胸と胸部とバストについてだが、その想いを止めどなく言葉にしていく。しまいには、貧乳キャラが登場するゲームを買ってしまった後悔まで口にしてしまい、その場の女性陣たちが白い眼を向けだす。その内の何人かは、気にするように自分の胸に手を当てている。舞穂もその一人だった。
……優斗君も、大きいほうがいい?
……そういうことを面と向かってきかないでくれ。
「やっぱり、おっぱいは最高だぜ! 巨乳こそ世界を救う! そんなエロゲを二度とできなくなるなんて。この葛山宗正、一生の不覚っ!」
せめて、死ぬときは巨乳に埋もれて死にたかった!
そう締めくくって、男はようやく。周囲の異変に気がつく。仲間たちから白い眼を向けられながらも、不思議そうに首を傾げている。それでも、高々と上げられた拳に揺らぎはなかった。
「ん? 雁に岸野まで。お前ら先に逃げたんじゃなかったのか? 俺が最後尾で戦っていたと思ったんだけどな」
その男。
男子のクラス委員長であり、三ヵ月前の最初の攻略で、仲間たちを逃がすために最後まで戦って、死んだはずの男は。一瞬にして、その株を大暴落させたのだった。
余談ではあるが。
仲間のために命を懸けて戦った悲運の勇者。
それが、この日を境に。
男子のクラス委員長である葛山宗正は。クズ山。胸正。巨乳好き。女の敵。という呼び名で呼ばれることとなったというー




