第53話「最後の『魔法(こくはく)』」
……俺も遅れるわけにはいかない。
この最後の攻勢が成功するかは、雨宮舞穂に全てを掛かっている。いや、賭けてきた。自分の命と、大切な相棒と、こんな自分に付いてきてくれた仲間たちの命運を、卓上に賭博して。
「……でも、どうしてかな。俺には」
にやり、と朔太郎は仮面の奥で笑いながら。
手にした金色の三又槍を握りしめて、力の限り投げ放つ。
瞬間。三又槍は金色の流星となって、巨人の頭部を砕いた。何かが砕ける音とともに、首を無くした巨人がわずかによろめく。
それでも、奴は死なない。
首を失ったまま、手当たり次第に棍棒を振り回す。落とされた首からは血は出ておらず、黒い霧みたいなものが沸いている。
「――、――ッ!!!」
首のないはずの巨人から、叫び声が聞こえた気がする。
どこか憎悪を孕んだ声と同時に、振り回される誰かの血がついた棍棒。しかし、その動きは封じ込められる。残されていたワイヤートラップに絡みつかれて、動きが鈍った瞬間を『拳法使い』の一撃が脇腹に突き刺さる。重い音がした。ここまでで一番、重い音だった。動きが止まる巨人に、細いレイピアが右足に突き刺さり、激しい爆風が左足を襲う。膝をつく。巨人が膝をつく。あと、一息だ。もう、仲間たちは限界だ。ここで失敗したら、二度と立ち上がれられない。
「……」
朔太郎は振り返らなかった。
仮面が割れて、『竜騎兵』の職業スキルは永遠に失われる。だが、どうだろう。この清々しさは。今なら目を閉じて、深呼吸する余裕すらある。
「……廻る、廻る。人の命は潰えて―」
鼻孔の奥に、冷たい空気が流れ込む。
雪が降っていた。
塔の内部に、美しく舞う粉雪。
まもなく詠唱が終わる。
彼女の魔法が放たれる。それで―
「……冷たい世界。終焉の時。廻る。廻る。人の命は潰えて、全ての生命は棺に眠る。嘆け、叫べ、恨め、憎しめ。こんなはずではなかったと、最後の瞬間まで後悔しろ。己の生に、何の意味もなかったと悟れ。廻る、廻る。全ては氷の棺に、静寂の楽園で。……そして、全てを殺そう」
雨宮舞穂の声が、冷たい空気の中で響く。
誰もが黙っていた。
巨人から離れる猫。巨人に刺さったレイピアを放置して、手を繋いで逃げ出す楯守と影谷。自分の特攻爆発の勢いで、既に壁際にまで飛ばされていた東野と、そんな彼を介抱する薬師寺。白麻は震えながら両手を握りしめる。
やがて、雨宮舞穂の大きな魔法の杖が振り下ろされて。
彼女の魔法陣は最大にまで輝きを増す。
放たれるのは、『魔法使い』として最大の威力を誇る極大魔法。以前、ゴブリン・ロードに放たれたときには、奴らを氷漬けにするだけでなく、遺跡の内部全てを凍らせるほどだった。
「っ!」
全てを凍りつかせる極寒の猛吹雪が、膝をついた巨人へと襲い掛かる。
頭部は落とされて、ワイヤーで動きを封じられて、両足や全身を負傷している。それでも、それでも。巨人は留まることを知らなかった。叫び声をあげる。首がないのに叫んでいる。
それは、おぞましい光景だった。
だが、朔太郎には見覚えがあった。
元の世界で、人間が人間へと向ける負の感情とは、こういうものではないだろうか。誰かを憎む気持ちが姿かたちを得たのなら、きっとこんな巨人の姿をしているのではないのか。
ここまで戦ってようやく、朔太郎は自分たちが戦った相手の正体に見当がついた。
嗚呼、こいつは。
人が人を憎しむ感情、そのものなんだな。
「……だけど、それじゃ。俺たちには勝てないぜ」
にやり、と朔太郎は笑う。
全てを凍り付かせる極寒の猛吹雪が、首のない巨人を襲う。それでも巨人を倒せない。憎しみを巻き散らしながら、雨宮舞穂へと憎悪を向ける。
彼女は何も言わない。
だから、代わりに朔太郎が言う。「……本当は、お前が言うセリフなんだぜ」と優斗のことを考えながら。
「知っているか、憎しみの巨人よ。誰かを恨む感情じゃあ、……『愛』には勝てないんだぜ?」
怪物を殺すのは、いつだって人間だ。
そんな言葉を思い出す。
振り返れば、雨宮舞穂の魔法陣がさらに輝きを増していた。
いや、増えていた。二重、三重、と複数の幾何学模様が、彼女の周辺にいくつも出現していた。『魔法使い』の上位スキルである『二重詠唱』。同時に二つの魔法を唱える高等技術。だが『二重詠唱』には、その先があった。同じ魔法を同時に唱え続ける『多重詠唱』。そして、異なる魔法を並列して唱え続ける『並列詠唱』。それはこの異世界において、すでに失われたた詠唱技術。伝承と神話の隙間に語られる人間には扱えない神々の御業。もし扱える存在がいるならば、間違いなくこの異世界で最強の魔術師だ。
それが、小さな黒髪の魔法使いが行使している職業スキル。……『無限詠唱』であった。
「……凍てつく心は、己の弱さ。震えて、身動きもできない。心を貫く言葉は、いつだって無自覚な悪意。誰も私を助けてくれない。……穿ち貫け、『アイシクル・ランサー』」
氷のつららが降り注ぐ。
首のない巨人の肩を、腹を、穿つ。
「……冷たい気持ち。私の心は凍りつき、誰も寄せ付けない。だって、他人は怖いもの。人が怖い。他人の感情が怖い。もう誰も近づかないで。……弾け飛ばせ、『アイシクル・ダスター』」
巨大な氷岩が暴風雨と共に飛んでいく。首のない巨人の肉をえぐり、その体を破壊していく。
雨宮舞穂は、思い込みの激しい女の子だった。
自分の感情を自分の心に押し込めて、誰にも言わない内向的な性格。
それ故に。
彼女に内包されている世界は。
どこまでも、凍りついていた。
ただ、一人。彼女の憎しみを、怒りを、嘆きを受け止めてくれた人は、もういない。こんな異世界に来てから、ずっと、ずっと、自分を支えてくれたのに。まだお礼を言えていないのに。いなくなってから、ようやく自分の気持ちに気づけたというのに。
「――、――」
極寒の猛吹雪に襲われて、幾重にもつららに穿たれて、巨大な氷岩に体を破壊されて。首のない巨人は、壁際にまで追い込まれる。
そして、彼女は。
最後の魔法を、告白した。
「……岸野優斗君。あなたのことが好きです。心の底から、大好きでした」
吹雪が止んで
氷の嵐が収まった。
そして、完全に氷像となった首のない巨人は。
……もう動くことはなかった。氷の塵となって、少しずつ砕けていった。空気中の水分が凍り付くダイアモンドダストのように。美しかった。綺麗だった。やがて、巨人だったものはカタチを失い、どこからともなく二階へと続く螺旋階段が出現したころになって。
ようやく、朔太郎たちは。
自分たちが勝利したことを理解したー




