第50話「死戦へと挑むものたち」
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……雨宮っ!?
朔太郎が声を上げる。
目の前で、岸野優斗が殺された。巨人の一撃によって命を絶たれた。しかし、それだけではない。今度は雨宮舞穂までも危険に晒されている。もう数秒の猶予もない。朔太郎は自分の判断に絶望する。どうして俺は、仲間全体のことではなく、たった一人の女の子を優先してしまったのか。自分の腕に抱いている李・猫々。『拳法使い』である彼女は、巨人の硬度に耐え切れず腕の骨が折れていた。今は、『治癒術師』である白麻いのりの〈治癒魔法〉によって回復しつつあるが、その代償は大きすぎた。
岸野優斗が命を落として。
雨宮舞穂も、あとわずかの命だ。
「――ッ!」
朔太郎が声にならない叫びを上げる。
だが、その悲痛な思いもむなしく、巨人は魔法使いの少女に向けて棍棒を振り下ろした。
……が、その時だった。
ピキンッ、と糸が張るような音がして。
巨人の動きが止まった。
「――、――?」
巨人が怪訝そうな顔になる。
体を思うように動かせないのか、ぎこちなく辺りを見渡している。
その視線の先に。
前髪の長い猫背の少年が立っていた。
「……『罠師』スキル。〈ワイヤートラップ〉ッ!!」
『罠師』の影谷暗雄だった。
彼は網を引くような姿勢のまま、歯を食いしばっている。よく見れば、彼の両手からは極細のワイヤーが何本も握られていた。巨大蜘蛛の魔物、ネル・スパイダー。その鋼鉄をも凌ぐ超硬度の糸をワイヤーのようにして、密かに罠を仕掛けていた。優斗が決死に稼いだ時間のおかげであった。巨人の全身に絡みついた特殊素材のワイヤーが、奴の動きを完全に封じ込める。
「ぐっ!? くそぉ!?」
だが、それも長くはもたない。
超高度のワイヤーが切れることはない。しかし、巨人の腕力に影谷暗雄が抑えられない。何とか奴の動きを封じようと、腰を落として、両足に力を込めて。その両手にありったけの力を込めるが、手袋をした指先から、ぽたぽたと血が垂れていく。ワイヤーが指に食い込んでいた。
「痛い! けど、ここで引き下がれるかぁ!!」
影谷が叫び声をあげる。
岸野優斗が稼いでくれた時間を無駄にはできない。その想いひとつで、非力な少年は立ち向かう。楯守理子が何かを叫んでいる。それすら聞き取れないほど、彼は冷や汗を滲ませながら巨人を押さえ込む。
ぷつんっ、と音がした。
巨人がわずかに自由と取り戻して、再び動き始める。ぷつん、ぷつん、と軽い音がするたびに、巨人はワイヤーの罠から解放されていく。ワイヤーは切れていなかった。切れたのは、影谷の指だった。
「……ぐ、くそっ」
やがて、両手の指が合わせて七本になったタイミングで、巨人を抑えることができなくなり。怪物は自由を取り戻した。もう少し時間があれば、別の罠を設置できたのに。と彼は悔しそうに顔に歪ませる。
「――、――!」
巨人が咆哮を上げる。
苛立ちが頂点になったのか、残っていたワイヤーも煩わしそうに振りほどく。『罠師』の影谷暗雄。彼が稼いだ時間も無意味に終わった。
そんな結果を許すほど、この『錬金術師』は甘くはない!
「悪いけど、出し惜しみは無しだね!」
いつになく真剣な目になった白衣の男。『錬金術師』の東野学は、わずかに無防備になった巨人に向かって、腰のベルトにぶら下げていた大量のフラスコを投げつける。粉末状になったアルミニウムと酸化物。そして着火剤。巨人の顔面で割れたそれらは、テルミット反応という高熱の化学反応を起こして激しく燃え上がる。
攻略組のリーダーである朔太郎からは『戦う必要はない』と言われていたが。その言葉に甘えるほど、この男は楽観的ではなかった。いざという時のための戦闘準備を整えてきていた。持ちうる最大火力であるテルミット炸裂剤を、惜しみなく巨人の顔面へと投げつけていく。およそ2000度を超える超高熱に、さすがの巨人も悲鳴を巻き散らす。
はーっははは! どうだい、これが科学の暴力だ!
東野学が悪役のような高笑いを上げる。それを見計らって『薬師』の薬師寺良子が舞穂に駆け寄った。鞄の中から乾燥ハーブの束を取り出して、マッチで着火。真っ黒な煙が彼女たちを包み込む。
「ただの煙幕です。あまり煙を吸わないでください」
穏やかなる才女。薬師寺良子は舞穂の肩を抱いて、その場から離脱。東野学との打ち合わせのない連携行動。思えば、この惨状を前に冷静だったのは、この天才と才女の二人だけだった。
「雨宮さん、大丈夫?」
薬師寺良子が穏やかな口調で問う。
目の前で死んだ男の片腕を、愛おしそうに頬ずり少女を前にして。その穏やかな平静さは、彼女にしかできない芸当であった。
なにが?
と舞穂が顔を上げる。
表情がない。
目が死んでいる。
もはや生きる気力さえ―
『薬師』の薬師寺良子は表情に出すことなく静かに息を飲む。この場を乗り切ったとしても、もう彼女は。
薬師寺良子の視線が、巨人のほうに向く。
そこには、ありったけの試験官やフラスコを投げつけている『錬金術師』の東野学。大盾を破壊された『大盾剣士』の楯守理子が、戦闘不能になった『罠師』の影谷暗雄の肩を抱いて戦線を離脱する。
残っている仲間は。
腕を治療している途中の『拳法使い』の猫と、回復魔法で治療をしている『治癒術師』の白麻いのり。
そして、リーダーである冒険者。
雁朔太郎だけである。
「……どうしますか?」
薬師寺良子が朔太郎に問う。
どうするか。それを意味することは簡単だ。今、この瞬間ならば『塔』から撤退することが可能なのだ。巨人は東野学が引き受けている。その間に正面の扉へと走り抜ける。そうすれば―
……逃げ出せる。
……俺たち、だけでも。
朔太郎が呟く。
だが、その目は。今までにない感情を秘めていた。決意、と言ってもいい。もう間違わない。もう逃げ出したりしない。二人目だ。二人目なんだぞ。目の前で優斗を、……ダチを殺された。ここで退いたら、それはもう男じゃねぇ!
「俺も自分を偽ることはヤメだ。この瞬間に全てをかけてやる!」
朔太郎がショートソードを抜き取る。
瞳孔を見開いて。
神経を極限にまで研ぎ澄ませる。
自分の本当の『職業』スキルは強力だ。だが、使ってしまえば、もう二度と戦うことはできない。それでも、隠し事はなしだ。もう仲間が死ぬところを見せられてたまるか!
「……猫、いけるか?」
「うん、いけるよー」
猫が治った腕を振り上げる。
さぁ。とくと見るがいい。これが仲間を騙してまで隠し続けてきた、雁朔太郎の『職業』スキルだ―




