第47話「見習い騎士は生と死の狭間で、剣を手に笑ってみせる」
巨人族とは、山岳地帯に住む巨大な人型の魔物である。
知能は人間ほど高くはないが、とてつもない凶暴性を備えている。昔話の中には、激怒に駆られた巨人族に、ひとつの国が滅ぼされたという逸話があるほどだ。だが、その反面。非常に愛情深い魔物でもあった。親子や仲間意識が強く、コミュニケーションを重ねれば人間とも対話して共存することができる。
彼らは愛情深い生物だった。
……故に。
今、『塔』の第一階層で、憤激を放ちながら棍棒を振るう巨人とは。まったくの別物の存在であった。
「――、――ッ!」
巨人が咆哮を上げる。
そもそも、巨人が彼らを襲う理由などあるはずがないのだ。理由があるとすれば、それが存在意義の全てとなる。そう。彼らに悪意を持って襲うことだけが、その巨人の存在理由であった。食事も、休眠も、生きている実感すら必要としない。生物の枠から外れた存在。それが優斗たちの戦っている『敵』であった。
「……ッ!」
振り下ろされる棍棒に合わせて、両手に構えた剣で受け流す。
地面が砕けるほどの、……いや、『大盾剣士』の〈大盾〉スキルすら打ち砕く一撃だ。これまで戦ってきたゴブリン・ロードやトロールなどとはわけが違う。直接、対峙してようやくわかる。
これは、生物ではない。
人の悪意が形になった、ナニカだ。
「……ッ、……ッゥ!!」
わずかな迷いもなく、巨人の攻撃を捌き続ける。
岸野優斗の反応速度は、既に人間を超えていた。
巨人が棍棒を振り上げる前から、両手で剣を構えており、まるでそこに攻撃することがわかっていたかのように、必要最小限の動きと腕力で受け流す。否、そうせざるを得ないのだ。あの棍棒をまともに受け止めてしまったら、その剣ごと叩き潰されてしまう。巨人と拮抗するだけの膂力は優斗にはない。一撃、一撃。確実に攻撃を受け流して、捌いていく。
……すげぇ。
仲間の誰かが呟く。
誰もが思った。自分にあれだけのことができるだろうか。あれだけの覚悟があるだろうか。同じことをしろと言われて、怯えない人間などいるのだろうか。
巨人の猛攻を。
たった一人の男が、立ち向かっている。
その光景に誰もが羨望して、そして嫉妬した。大切なものを守るために、あそこまでの覚悟をもって立ち向かえる人間に。心の底から嫉妬した。
「……、……ッ」
異常だったのは、その速度である。
最初の一撃こそ、こちらの様子を伺うような攻撃だったのが。目の前にいる小さな存在である岸野優斗が、確実に攻撃を受け流していくのを見て、その悪意は増大する。徐々に早くなっていく巨人の攻撃。やがて、それは一秒間に数発の棍棒を叩き込むほどの速度になる。
地面にはいくつもの陥没ができて。
大地震のような振動が絶えず襲ってくる。
それでも、その男。
岸野優斗は立っていた。
額から血を流して。
体中には無数の傷で覆われて。
呼吸すら苦しそうな表情をしながら。
……岸野優斗は、剣を両手で握りしめて。その場に立っていた。背後には、他人事のように巨人を見上げている、雨宮舞穂の姿があった
『見習い騎士』の岸野優斗。
彼のスキルは誰かを守るためのもの。大切なものを守り、そして襲ってきたものを討ち倒す〈騎士〉スキル。彼の背後には仲間たちがいる。だが、それだけではない。黒いローブを着た、小柄な『魔法使い』の少女。彼女のためならば、この怪物を討ち倒す剣となろう。
そんな決意を胸に抱くとしても、この巨人は危険だった。
一振り、一振り。その棍棒が振り下ろされるたびに、体の節々が悲鳴を上げた。振り下ろされる動きを完全に見切り、完璧なタイミングで受け流しても。腕が、肘が、肩が、体を支えている両足が、この心に誓った魂でさえも。確実にすり減らしていく。
一瞬でも力が抜ければ、次の攻撃は防げない。
一瞬でも気が抜ければ、最悪の結末が待っている。
これまでの戦闘とは明らかに違う。
生と死の狭間の戦いに。
……優斗は、薄く笑っていた。
「はぁはぁ、はぁはぁ、……どうした、もう終わりかよ?」
わずかに攻撃が止んだ巨人に向かって、彼は挑発するような表情を浮かべる。
指先が痙攣して、まともに剣を持つことができない。優斗は身に着けていたローブを破ると、それで剣を握る手を無理やりに縛った。
『見習い騎士』である岸野優斗の適正武器は、剣と盾だ。本来なら使い勝手の良い細身の剣と、取り回しの良い小盾で戦うことが正解だ。盾を捨てた剣だけの戦い方。それも、全長が1メートルを越えるロングソードの両手持ちなど、『見習い騎士』の戦いとしては間違っている。それでも、優斗がこの戦い方にこだわった理由とは―
「……守ってばかりじゃあ、こいつをぶっ殺せねぇだろうが」
フゥー、と息を吐いて。
目の前に迫っていた棍棒を剣で左側に受け流す。
骨が軋む音がした。
わずかに軌道が逸れて、肩の肉がえぐれる。
痛覚が悲鳴を上げた。
本能が最大音量でアラームを鳴らしている。今すぐ逃げろ。このままだと死ぬぞ。痛いのは嫌だろう。苦しいだろう。怖いだろう。だったら、何もかも捨てて逃げてしまえ。頭の中で恐怖が叫び続けている、がー
「……うるせぇな。今、いいところなんだから」
薄く笑いながら、自分自身に言い聞かせる。
巨人の攻撃を、正確に受け流せなくなっていた。受ける剣の精度が落ちている。一撃、一撃、巨人が棍棒を振り下ろす度に、優斗は苦痛に顔を歪めて、憎たらしそうに血を拭った。
痛い。
痛い、痛い。
痛い、痛い、痛い、痛いッ!
それが心地よい。
自分に死が迫ってくる感じに、優斗は安心感を得ていた。
それは贖罪だった。
彼女が受けた苦しみは、こんなものじゃなかったはずだ。苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、泣きそうになっても。誰も彼女を救おうとはしなかった。中学校。同じクラスの女の子。吐き気を催すほどのイジメ。誰もが他人のフリをして、自分とは関係ないことだと思い込もうとした。
そんな最低な自分は―




