第43話「攻略前夜。『治癒術師(ヒーラー)』の白麻いのりと、『薬師(メディク)』の薬師寺良子と『錬金術師(アルケミスト)』の東野学」
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「誰も死にませんように誰も死にませんように誰も―」
街の診療所。その奥にある個室を使わせてもらっている、白麻いのりは祈っていた。恐怖に体が震えて、食欲もない。誰かが傷ついたら、それを治すのが『治癒術師』の責任だ。自分が失敗したら、誰かが死ぬかもしれない。そんな責任の追及など耐えられるはずもない。うっ、と気持ち悪くなって、またトイレで吐いた。彼女の不安を受け止めてくれる人間は、まだいない。
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「ふふん。さて、どうなるものかね」
「明日のことですか?」
夕暮れから夜になる間。
街のハーブ専門店には明かりがついていた。〈本日は閉店しました〉という立て看板を立てた店内には、穏やかな空気が流れていた。そして、そこにはハーブティを楽しむ二人の姿があった。『薬師』の薬師寺良子と『錬金術師』の東野学だ。
「……やっぱり、薬師寺の淹れてくれる紅茶は美味しいな」
「ふふっ。どうも」
東野の賞賛を、薬師寺は素直に受け取る。
彼女もティーカップを傾けて、自分で淹れたハーブティの味を確認する。二人っきりのときは、割と穏やかな才女であった。ただ、その光景を他人に見られるのが恥ずかしくて、人前では嫌がっているそぶりをしてしまう。それは彼女の微細な乙女心だった。
ティーカップとソーサーが重なる音だけがする。
誰も、二人の時間を責め立てるものはいない。
とても穏やかな時間だった。
「……明日のこと、どう思いますか?」
「おや。我がクラスの才女たる薬師寺までも、不安だと?」
「そ、そんなことはありません! 私は然るべき危険性を指摘したいだけで―」
少し揶揄われたような気がして、薬師寺は慌てて反論する。そこまで捲し立てるような口調で話していたが、東野の穏やかな表情を見て。諦めたように肩を落とす。
「……はい。そうですね。不安です」
「うむ。薬師寺の危惧は当然のことだ。我々は、すでに仲間を一人失っている。彼のことを忘れて、この異世界に順応している我々は、裏切り者と呼ばれても仕方ないからね」
「忘れたわけではありません」
「もちろんだとも。我々は見て見ぬフリをしているわけではない。ただ、今までは現実として受け入れる覚悟がなかっただけのこと」
「詭弁と。そう言われるでしょうね」
「どっちでもいいさ。人の心など、誰にも見ないのだから」
言わせたい人間には言わせておけばいい。
自分の口から出た汚い言葉は、そのまま自身の人間性の構築という形で返ってくるものだからね。
「……東野君でも、人の心はわからないのですね」
「なんだい? キミまで、僕のことを何でもできる天才だと勘違いしているのかい?」
「ふふっ、そうかも」
薬師寺良子が穏やかに微笑む。
それを直視すると、自分の中の平静が保てなくなると悟り。東野学は惜しみながらも視線を外に向ける。
「……僕にとって。一番の懸案事項なのは、雨宮女史だな」
「雨宮さん?」
どうしてですか、と問う薬師寺に、東野は冷静な口調で返す。
「気づかなかったかい? あの攻略組のアパートの一室で、ただ一人。彼女だけが別の方角を見ていた。同じ場所にいて、同じ視点を持っていない。つまり、それは―」
雨宮舞穂だけが、元の世界に帰りたくない。
そう思っている証拠なのだと。
彼は言った。
「そうですね。雨宮さんには、元の世界に帰りたいという気持ちはないかもしれません」
「……薬師寺、教えてほしい。彼女の過去に何があった。僕のような県外受験組には知らないことがあるんじゃないか?」
その過去を軽率に扱うと。
取り返しのつかないことになるぞ。
東野の静かなる追求に、薬師寺は穏やかに返す。
「えぇ。東野君も知っていたほうがいいかもしれませんね。中学生の頃、雨宮さんに何があったのかを」
とは言っても。違うクラスでしたから噂程度のことしか知りませんが。
薬師寺は語る。過去の雨宮舞穂に何があったのかを。
その話を聞いて、東野は。
顔を歪ませながら、汚い言葉を吐き捨てる。
「……そこまで醜くなれるものなのか。人間というものは」
東野学は静かに黙り込み、額に手を当てて、何かを口にしようして、やっぱり止める。
彼は天才ではない。
だが、優秀な人間であることに変わりなかった。
すぐに、その事実に気がつくだろうと、薬師寺良子は冷めかけたハーブティを飲みながら待つ。
「……ちょっ、ちょっと待ってくれ! 僕らのクラスには、雨宮女史と同じ中学校の卒業生がいるはずだ。まさか、その中に!」
「慧眼ですね。その通りです。私たちのクラスには、雨宮さんのことをイジメていた側の人間がいるんです」
いや、あれはイジメというより。法的にも明確な犯罪行為でした。彼らは主犯格に扱われていないだけの共犯者、と呼ぶのが妥当でしょうか。
薬師寺良子は穏やかな口調のままだった。
過去のことだ。法的にも決着はついている。感情的になることではない。ただ、今も傷を負ったままの彼女のことを思うと、……何かしてあげられることはないかと考えてしまう。
「最低な人間は、他にもいますよ。雨宮さんの置かれた状況に、見て見ぬフリをして無関係を装った人間が」
「くそっ。いったい、誰なんだい!? その最低な人間は!」
珍しく口調を荒らげている東野に向けて。
薬師寺良子は、穏やかにその人物の名前を告げる。
その瞬間。
彼の指からティーカップが零れ落ちて、残っていたハーブティーをテーブルに零した。東野学は言葉を失ったまま、苦悶のまま、その疑問を呟く。
……どうして。
……どうして、彼が。




