第36話「二人と落とし穴と、それを見ている仲間たち」
「まさか、本当だったとはな」
「あの堅物委員長が、こんなところで特訓を?」
「特訓というよりも、仕返し来たって感じだけどな。まぁ、それも上手くいってなさそうだが」
朔太郎の言葉に、優斗が頷く。
天才・錬金術師の東野が淹れたハーブティ。ちょっと心を落ち着かせて、警戒を解くくらいの効果しかないはずだったのに。それが予想以上の効果を発揮して、ぼーっと放心状態になった楯守は、こちらの問いに警戒することなく答えてしまっていた。その話を要約すると、クラスメイトである『罠師』の影谷に酷い目を合わされて、その仕返しに行くけど、いつもコテンパンにされてしまう、というものだった。そのことを語る楯守は、無表情のまま悔しそうに涙を流していた。
その場にいた攻略組のメンバーは、とても居たたまれない気持ちになった。そして、心配するあまり、彼女の後をこっそりとつけてきたのだ。
「あれ? その問題の天才様はどこにいった?」
「薬師寺に連絡して回収してもらった。今頃、庭園再建という強制労働をしているだろうさ」
茂みに隠れているのは、優斗と朔太郎。そして、舞穂と猫、攻略組初期メンバーである白麻いのりの五人だった。
「あうあう~。ど、どうしましょう!?」
心配性の白麻は、さっきから落ち着きのないようにウロウロしている。
「おい、白麻。少しは落ち着け。見つかっちまうだろうが」
「で、でも! 楯守さんが落とし穴に落ちてしまって! た、助けなくていいのですか!?」
おろおろと不安そうに問う白麻に、朔太郎は真面目な顔をして答える。
「何を言っている。今、助けたら面白くないだろうが。もうちょっと、このまま眺めていようぜ」
本音なのが、タチが悪い。
この男ときたら、仲間のピンチより自分が楽しむことしか考えていないとは。もはや、呆れてものも言えない。
「はぁ。おい、朔太郎」
「なんだ、優斗よ」
「……ちょっと横に寄ってくれ。俺もよく見たい」
優斗も真面目な顔をして、仲間を助けない選択肢を選ぶ。落とし穴の奥から、楯守の泣いていそうな声が聞こえているというのに。この二人は助けることもせず、じっと覗いている。
外道。
まさに、外道。
他人の不幸を蜜のように吸っている。そんな奴らが、ここにいた。女子たちの呆れはてた視線が、二人に注がれている。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
楯守理子とは、優等生で通っていた。
学校では授業を真面目に受けて、放課後は塾に通い、自分の好きなことを我慢して勉強をしていた。その生活環境は、小学生の頃から始まり、教育熱心な両親の期待もあって、中学校でも優秀な成績を納めていた。そして、有名私立高校を受験して、……不合格という結果に終わった。
何かの間違いだと思った。
自己採点では、合格ラインを超えていたはずだ。何度も、何度も、自己採点を繰り返して、私立高校へ直談判までいった。だが、結果は覆されなかった。なぜなら、楯守理子は本当に不合格であったからだ。
ケアレスミス。
完璧主義であるはずの彼女の唯一の欠点。それが、極度の緊張になると視野が狭くなって、単純なミスを犯しやすいというものだった。
翌年度、楯守は地元の高校へと進学した。
落ちた彼女のことを揶揄する者はいなかった。残念だったね。普通の高校生活を楽しもうぜ、と彼女を励ます声すらあった。
だが、両親の期待を裏切ってしまった自分を許せなかった。中学生のときより勉学に時間を割き、せめてこの高校では一番の成績を取ろうと思った。しかし、そこでも彼女は壁にぶち当たる。同じクラスに、彼女より優秀な人間が二人もいたのだ。
高校生ながら大学の論文発表をしている、天才・東野学。
穏やかな性格に秀才な頭脳を持ち合わせている、才女・薬師寺良子。
楯守理子は優等生である。
だが、凡人だった。手の届かないほど先を歩く二人に、彼女は早くも人生において二度目の挫折を味わっていた。
そして、三度目の挫折を。
今、仲間が作った落とし穴の下で味わっている。
「えっぐ、ひっく」
もう、涙も止まらない。
こんなに頑張っているのに、どうして上手くいかないのだろうか。落とし穴の下から手を伸ばすも、出口には届きそうにない。これからも、これまでも、すっどこの届かないという挫折感と生きていかなくてはいけないのか。そう思うと、悲しくて。さらに涙がこみ上げてくる。
「ひっぐ、えーん、えーんっ!」
恥も外聞もなく、手を伸ばしながら泣き続ける。
どうせ、届かないとわかっていながらも。自分にはこれしかないのだから、と言い聞かせるように。
涙に視界が歪み。
もう何も見えなくなった。
「――、――」
その時だった。
彼女の指先に、何か暖かいものが触れた。見上げれば、彼女の名前を呼びながら手を差し出す、少年の姿があった。
「い、委員長。大丈夫? 手を掴める?」
影谷暗雄だった。
背が低く、暗い印象で、いつも猫背な男の子。この世界では『罠師』という職業で、ほとんど会話もしたことがなかった。どちらかというと嫌いな種類の人間だった。自分の意見をはっきり言わず、周囲に流されて、努力もせず生きている。そんなタイプの人間に。
楯守は一度も勝てず、逆恨みすらしていたのに。
「……か、影谷君?」
今は、その彼の手を温かみが。
何よりも嬉しかった。
「委員長。しっかり掴んで。今、助けるから」
「う、うん」
楯守は涙を拭いて、彼の手をしっかりとつかむ。
男子にしては小さな手だった。頼りない細い腕に、ぼさぼさの長い前髪は、男らしさなんてどこにもないのに。この手に縋りたい。ここから助けて。この自分を絡めとってくる哀しみから、自分を助けてほしい。
「……影谷君。あのね」
ぐっ、と楯守が握る手の力を込める。
その時だった。
あ、という少年の声がした。そして、次の瞬間には。自分を助けてくれるはずの少年が、自分と同じように落とし穴へ落ちてきていた。
ば、ばかぁぁ~~っ!
落とし穴の底から、楯守の悲しい声が響いた。




