第34話「それが、悲劇の始まりだった―」
「……え!?」
「……はぁ!?」
その部屋にいる全員が凍り付いていた。あの朔太郎までもが唖然としている。そんな仲間たちを見渡しながら『錬金術師』の東野は悠然と歩いていく。
「おやおや、どうしたと言うんだい? この天才が力を貸してやると言っているのだ。感謝こそすれ、そんな鳩に豆鉄砲のような顔をされてもねぇ」
「……いや、東野。お前、なんでここにいるんだよ?」
辛うじて、朔太郎が常識的な問いかけをする。
だが、残念なことに。相手は常識の枠に収まらない天才なわけで。
「おや、白麻君。僕のために紅茶をありがとう。……ん~っ、悪くない味だ。薬師寺のハーブティには劣るが、それでも歴史を感じる芳醇な味わいだ」
他の仲間が持っていたティーカップを勝手に取ると、さぞ上手そうに味わっていく。それから行儀悪くテーブルに腰かけると、ふふんっと鼻で笑いながら攻略組のメンバーたちを見ていく。
「なぜ、僕がここにいるかって? そりゃ決まっているじゃないか。この僕も攻略組に参加しているからさ! 代表である雁朔太郎には、既に話を通しているはずだがね?」
「いや、そこじゃねぇよ。東野学。クラスで天才と言われたお前が、なんでウチのクローゼットから出てくるんだよ」
「そりゃ、ずっと隠れていたからさ。僕が登場する最高のタイミングを見計らってね。おかげで昨晩はここで寝泊まりをしたよ」
ということは、こいつ。
昨日からずっとクローゼットに閉じこもっていたのか?
もはや天才を通り越してただの馬鹿だ。
呆れてものも言えない。
それでも、優斗は彼に問う。
「なぁ、東野。薬師寺の手伝いはもういいのか? お前が吹き飛ばした庭園は、もう元通りになったのか?」
「……岸野君。今は、彼女の話をしないでくれたまえ」
お願いします、と天才・東野学が哀しそうに視線を落とした。
こいつ逃げてきたな。
優斗は瞬時に察した。
「そ、そんなことより、今は楯守女史のことだ。何でも悩み事があるみたいじゃないか。僕たちで、その悩みを解決してやるってのはどうだい?」
話題を逸らすように、東野がメンバーたちに声をかける。
「東野。お前、クローゼットの中で盗み聞きしていたんじゃないのか? 楯守みたいな堅物女子が、俺たちに悩み事を話すわけがないだろうが」
「くくくっ、岸野君よ。甘い、甘いなぁ。キミが目の前にしている人間は誰だい。……そう、全ての真理を解き明かす、天才錬金術師。東野学なのだよ! この天才にかかれば、女子の悩みを聞くくらい容易いことで―」
「無理に決まっている。ちなみに、どうやって聞くつもりだ?」
「それは、この『何でも質問に正直に答えてしまう強制自白薬』を楯守女史に飲ませて―」
「おい、朔太郎。今すぐ薬師寺良子を呼んで来い。この犯罪者予備軍を牢屋にブチ込んでやれ」
優斗が真顔で朔太郎に言う。
朔太郎も。承知と言わんばかりにアパートから出ていこうとする。それを見て、東野は慌てて彼を制す。
「ちょっ、待て待て待て! 今のは言葉のアヤだ! 彼女に飲ませるのは、こっちだ。我が優秀な助手でありパートナーである薬師寺のハーブティだよ!」
「ハーブティ? そんなもの効果があるのか?」
「問題ない。人間はリラックスしているときは、意外に素直になるものさ。連れションしているときに嘘がつけなかったり、修学旅行で寝る前に好きな子のことを話してしまったり。アレと同じようなものさ」
東野が自信満々で講釈を垂れる。
その様子に、呆れて何も言えないが。手を繋いでいたが舞穂が、なぜか興味深そうに目を輝かせていた。優斗は溜息まじりに、東野に問う。
「ふーん、なるほど。……ちなみに東野が好きな女子って誰だ?」
「僕かい? 僕が敬愛する女子は薬師寺良子、ただ一人だよ」
キミも知っているだろう、というように東野が真顔で答える。
この場に薬師寺がいなくてよかった。あの穏やかなる才女がいたら、きっと顔を真っ赤にしているに違いない。攻略組の初期メンバーである白麻いのりも、顔を真っ赤にして手を口に当てている。コイツも恋愛に免疫がなさそうだ。
「モノは試しさ。どうせ、ちょっとリラックスする効果しかないんだから。ものすごく単純で、ものすごく純粋で、すぐに他人のことを信じてしまうように人でないと、効果は期待できないよ」
はははっ、と東野学は声を上げて笑う。
それから勝手にキッチンを借りて湯を沸かす。ちょうどその頃、楯守理子が攻略組のアパートにやってきた。「遅刻してすみません。どうしても外せない私用がありまして」と馬鹿正直な態度で謝罪する。
長い黒髪をポニーテールが揺れて、前髪からキツそうな釣り目がこちらを射抜く。
そんな楯守に、東野がハーブティを差し出す。彼女は不思議そうな顔をしながらも何も言わず受け取る。そして、言われるがまま味わって飲んでいく。ごくり、ごくりと。
それが、悲劇の始まりだった―




