第31話「天才たる東野学は、必死に訴える」
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「本日は、本当にありがとうございました。これはお礼のハーブティーです」
薬師寺が穏やかな様子でティーポットを傾ける。
満面の笑みだ。
それが怖い。
穏やかなる才女。その異名は改める必要があるかもしれない。他人の感情の機微に疎い優斗であっても、今すぐに逃げ出したい気分だった。指が震えて、うまくティーカップが持てない。
……はぁはぁ。
……ど、薬師寺。少し休憩させてもらってもいいかい?
窓の外から、かすれた声が聞こえた。
息も絶え絶えになりながら、両手に土を耕すための鍬を持っている。げっそりとやせ細った白衣の男が、たった一人で作業をしていた。
崩壊した薬草園を元通りにする。
それが、東野学に課せられた罰であった。
この自称、天才錬金術師は魔物を倒すために、必要以上の大火力をブッ放してしまい。結果として、守るべき庭園ごと粉砕したのだ。これくらいのペナルティは然るべきでしょう、と穏やかなる才女。薬師寺良子は笑顔で語っていた。
「……なぁ、薬師寺。少しくらい休ませてやってもいいんじゃないか?」
もう五時間もぶっ続けで作業させているんだ。
そろそろ、あの天才も倒れるぞ。そんなことを提案すると、薬師寺はにこっと表情を変える。感情が抜け落ちた瞳だった。
「え? どうして? 私が大切にしていた薬草園を、あの馬鹿が、……失礼。あの天才錬金術師様がブチ壊してしまったのですよ。ソーセージミキサーにかけて肥料にされないだけ、私の優しさに感謝するべきです」
薬師寺の瞳から、完全に虹彩が抜け落ちている。
どうして、この『薬師』が上質な薬草を育てることができるのか。それが理解できた気がする。桜が赤い花をつけるのは、根元に死体が埋まっているからだ。きっと、薬師寺は侵入してきた害虫や人間を肥料にして、良質な薬草を育ててきたに違いな―
「あちっ!? 薬師寺、ハーブティーが手にかかっている!」
「あら、すみません。どうしてか、この手に熱湯をかけないといけない気がして」
言葉で謝っているのに、表情はまるで変っていない。
穏やかなる才女。
クラスメイトの中でも良識人で、誰にでも優しかった淑女。もう奴は死んだ。今、目の前にいるのは、自分の育てたハーブのためなら何でもする。『薬師』、薬師寺良子だ。
「そういえば、岸野君。雨宮さんの様子はどうですか?」
「雨宮? 急にどうした?」
「いえ、特別には。……ただ、あなたとは意中の仲だと思いまして」
意中? 恋人ってことか?
薬師寺の問いに、優斗は苦笑しながら肩をすくめる。舞穂が俺のことが好きだと? まさか。そんなことあるわけがない。俺と彼女は特別な関係などない。それに舞穂が俺のことを好きになることなんて、絶対にないのだから。
優斗は返事をするかわりに、無言でハーブティーに口をつける。
「はぁ、はぁ! もう限界だ! 少し休憩させてくれ~」
突然。ばたんっと裏口の扉が開いて、東野がよたよたと歩いてくる。まるでB級映画に出てくるゾンビのようだ。彼はテーブルに置かれているハーブティーを誰の許可もなく飲み干していく。
「あら、東野君? 誰が休んでいいと言いましたか?」」
「お言葉だがね、薬師寺! 過剰な労働は効率を下げるだけだぞ! 適度な休憩と栄養補給こそが作業効率を上げると思うのだがね!」
「いいえ、必要ありません。私はあなたが苦しむ顔が見られれば満足なのですから。明日も来てくださいね。そのまた明日も。薬草園が元通りになるまで、ず〜っと通ってもらいますから」
「て、庭園が元通りになれば、解放してくれるのかい?」
「ん? 何を言っているのですか? それが終わったら、お店の手伝いもしてもらいます。掃除から調合の手伝い。今回の被害を取り戻すまで、一生働いてもらいますからね」
そう話す薬師寺は、なぜか上機嫌だった。
庭園が壊されたことよりも、東野と一緒にいられる状況に喜んでいるようにも見える。それとは対照的に、東野の顔は真っ青だ。
「……なぁ、岸野君。よく見ておいてくれ。これこそが、女の本性というものなのだよ」
「……いや。今回はお前が悪い」
そして、こっちに話題を振らないでくれ。
気がつかないのか。彼女のお前を見る目と、こちらを見る目が違うことに。さっさと帰って、二人っきりにしてくれないか。てめぇがいたらイチャイチャできないだろう。と薬師寺の目がそう訴えている。
「それじゃあ、俺は帰るからな。依頼の報酬は酒場経由で受け取るから。雨宮も待っている。さっさと帰らせてもらおう」
優斗が席を立って、壁に立てかけてあるロングソードを手に取る。その時だった。『錬金術師』の東野が、少し待ってくれというように手を出した。
「ちょっと岸野君。引き留めてすまない。キミに確認したいんだが『攻略組』が活動を再開したというのは本当かい?」
その言葉に驚いた表情をしたのは、薬師寺良子だ。
彼ら二人とも、最初の『塔』攻略の時に心が折れて、攻略組から脱落した過去がある。それは、この二人に限ったことではないが、真面目な性格なので、今でも後ろめたく思っているに違いない。
「さぁな。朔太郎に言わせれば、ずっと活動はしていたらしいけど。今は仲間集めに専念しているんだとさ」
「雁朔太郎か。僕は彼が少し苦手だ。優秀な人物であることには違いないんだがな」
そして、信頼もできる。
と念を押すように東野が言った。
「しかし、彼がこうやって表立って行動するということは、準備ができたということか」
「準備? 何のだ?」
「反撃の狼煙さ。どうやら、我らがリーダーは本気であの『塔』を攻略するつもりだぞ」
その言い方に、優斗は首を傾げる。
そんな疑問符を感じ取ったのか、東野は明瞭に答えた。快活な笑みを浮かべて。
「僕たちも攻略組に参加させてくれないか? 『錬金術師』と『薬師』。戦闘面では貢献できないかもしれないが、何かと手伝えることがあるはずだ」
「なっ!?」
唐突な提案に絶句したのは、もちろん薬師寺良子だ。
彼女は驚いたまま固まってしまい、ややあってようやく動き出す。
「な、何を勝手なことを言っているんですか!? また、あの『塔』に挑むつもりですか。それこそ自殺行為ですよ」
「まさに、そのとおりだ。僕たちだけでは為す術もなくやられてしまうだろう」
だがな、と東野は続ける。
「攻略組のリーダーが雁朔太郎で、その仲間に岸野優斗君がいる。そこに僕たちの手が加われば、何かが変わるかもしれない」
まだ、何か言い足りない薬師寺良子。
彼女の前に手を差し出して、東野は続ける。
「ようやく、停滞していた運命が動きだすぞ。……くくくっ、この最高の展開を特等席で見なくてどうする。我が親愛なる相方、薬師寺よ」
「しんあい、あいかた……」
その言葉に、ぽうっと薬師寺の顔が赤くなる。
突然のことに、優斗のほうが置いていかれてしまっている。だが、目の前の天才錬金術師は、どこか遠くを見るような目で薄く笑った。
「……くくくっ、そうか。ようやく動き出すか。しかし、まだ頭数は足りていないぞ。岸野優斗を仲間に引き入れても、あの雨宮舞穂が言うことを聞くかな? 氷の女王の心は、お前では溶かすことはできない。どうするつもりだ、雁朔太郎よ」
白衣を揺らして、東野学は不気味に笑う。
この日。
攻略組『放課後の騎士団』に。
『錬金術師』の東野学と。
『薬師』の薬師寺良子が。
……正式に加入した。
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「……ふぁ」
昼下がりも過ぎた夕方。
ずっと昼寝をして過ごした雨宮舞穂は、自室であるロフトから顔を出す。
一緒に住んでいる彼は、まだ帰ってない。その代わりに、古びたテーブルには昼食と思われるサンドウィッチが置いてあった。嫌いなミニトマトを添えてある。舞穂はロフトから梯子で降りて、テーブルの食事に手をつける。
味気ない食事。一人だと、もっと味がしない。
舞穂は無表情のまま食道に流し込んで、じっと家の玄関を見つめる。まだ帰ってこないのかな。今日は遅いなぁ。夕方になるまで帰ってこないのは珍しい。いつも数時間くらいで帰ってくるし、遠出をするときはいつも一緒だった。
舞穂はたった一人で残されて、やることもなく茫然とする。ちらちらと玄関のほうを見ては、やることも見つからずにテーブルの傷を撫でる。彼が誤ってつけた傷だった。
そんな時だ。
彼女の視線に、古ボケたソファーが目に入る。いつも彼が寝ている手作りソファーだ。舞穂は、とてとてもソファーに近寄って。
ぼふんと全身を投げ出す。
彼の匂いがした。
いつも彼が使っている枕。そこに顔を埋めて、全身をソファーに沈めていく。彼の感触を求めるように、自分の存在を擦り込むように。舞穂は、優斗の使っている枕を抱きしめて、愛おしそうに頬を寄せる。
「……岸野君。……岸野、優斗君」
彼の名前を呼ぶと。
とくん、と胸が高鳴る。もどかしさと切なさが、お腹の奥から込み上げてくる。
「……優斗君、優斗君」
こすこす、と舞穂は紅潮した表情で。
彼の使っているものに、自分の匂いを刻んでいく。その時の彼女は、本当に幸せそうであった。
……元の世界に戻る。
なんてことは、どうでもいいというように。




