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第30話「錬金術とは数式だよ。東野は温度のない目で言った」

 ドンッ!と空気を激しく振動した。


 爆発にともなう爆風。突然の攻撃に、魔物も態勢を崩して地面に墜落する。ガラガラガラッと庭園に張られた防虫ネットをなぎ倒して、無惨にも複数の脚でもがいている。


「ふむ。やはり、これくらいではダメージも少ないか」


 冷静に呟く白衣の『錬金術師アルケミスト』。

 その視線の先には、体勢を立て直して、今にも飛び立とうとするデビルモースの姿が。全長五メートルはある巨大な蛾の魔物を前にして、東野は静かな視線を向ける。それは科学者が観察するような温度のない目だった。


「ハーブから採取した油脂を加水分解して、発酵させた液状物質グリセリンを作る。そこに硝酸を加えて、加熱させるとどうなるか。実に簡単な実験だ。被検体であるキミも、その名称くらいは聞いたことがあるんじゃないのか」


 飛び立とうとする蛾の魔物。

 その頭上にむけて、東野が腰のベルトの試験管を投げつける。今度は計六本。先ほどの三倍だ。


「それはニトログリセリン。人類が発明した愚かな爆発物質のひとつだよ」


 ドドドンッ、と空気が連鎖して振動する。

 爆風と共に地面に叩きつけられて、蛾の魔物デビルモースは苦しそうにもがく。触角は折れて、いくつもある複眼は潰されて。その両羽も無惨に焦げていた。


 ……錬金術は数式だ。魔法と同じような結果になっても、そこに辿り着くプロセスが異なる。そんなことを言っていたことを優斗は思い出す。実際、東野本人の説明がなければ、何か爆発系の魔法を使ったと勘違いしていただろう。


 元の世界のクラスメイト。

 天才・東野学。その職業ジョブは『錬金術師アルケミスト』。素材を調合して、新しいアイテムを作成するサポート職にして。自身の調合したものを使って大火力を生み出す、アイテム消費型の攻撃特化職である。


「さて、検証の続きだ。もう少し生き残っていてくれよ。死んでしまっては実験にならないからな」


 東野学が、意味もなく白衣の裾を広げる。

 その内に見えるベルトやベストのポケットには、様々な薬品が入った試験管で武装されていた。


 ギシャアアアッ!

 魔物が奇声を上げる。これまでにない殺気の満ちた奇声だ。何があっても、この人間を殺す。そんな意思さえ伝わってくるほどだ。

 そんな魔物を前にして、なお。

 東野学は、温度のない視線で見つめていた。


「先に言っておこう。貴様に罪はない。生きるために他の生物を食すことは生物として当然の行為だ。もう一度、言う。貴様に罪はない。……だが、罰は下そう。貴様は薬師寺良子の庭園を汚した。それは万死に値するものだ」


 東野は白衣を揺らしながら、魔物に近寄る。

 魔物も危険だと察知したのか、あらん限りの力を振り絞って羽を広げた。どこか焦りも見える行動に、東野も静かに観察を続ける。


 やがて、デビルモースは飛び立った。

 低空飛行で旋回しながら、どのタイミングで襲い掛かるか決めかねている。


「五秒か。思っていたより悠長だったな。やはり、爆風による翼へとダメージは鳥類・昆虫類への対抗手段として有効ということだな。覚えておくとしよう」


 などと、考察めいた独り言を呟く。

 それから悠然と、腰のベルトに差してあった試験管を取り出すと、いつでも投げられるような姿勢をとる。その様子を見ただけで、びくりと魔物が恐怖するのがわかった。


「どうした。来ないのか。悪いが、僕は見逃すつもりはない。その傷を負った羽では遠くまでは飛べまい。どこまでも追いつける。そして自然に還そう。微生物に分解されるのが、お前の末路だ」


 温度を感じない言葉に、魔物にも動揺が走る。

 この瞬間。すでに戦場を支配していたのは彼だった。観察して結果を求める側と、観察されて終わりを迎える側。デビルモースに、もう生き残る選択肢など残されていない。


 ギシャアアッ!

 それでも、蛾の魔物は牙を剥き出しにして。『錬金術師アルケミスト』へと急降下していく。ちっぽけな人間を襲うにしては、余りにも過剰すぎる突撃攻撃。自分が地面に激突しても構わないといわんばかりの勢いに。


 東野は、温度ない瞳を逸らした。


「予測した結果が得られることは科学者冥利尽きるが、あまりにもイレギュラーがないのも面白味に欠けるな」


 温度のない瞳が、わずかに輝く。

 左手に持った試験管。何か銀色の金属粉が入っている。右手に持った試験管には、先ほどと同じやや濁った液体が詰められている。東野学は科学者のような表情をしたまま、蛾の魔物にむけて左手の試験管を投げつけた。


 また、爆発か?

 そう察知した魔物は、投げられた試験管を躱すように方向を転換。急旋回して、上空へと逃げ出す。その時、東野が投げた試験管が割れて、きらきらと何かが輝いた。魔物の鱗粉ではない。東野が投げた試験管の金属粉だった。


「テルミット反応というものを知っているかな? 粉末状のアルミニウムと酸化金属物を着火させることで、酸化還元反応をして高温を発生させる。つまり、簡単にいうとね―」


 魔物を上空から襲ってくる。

 きらきらと金属片を全身に浴びたまま、そこに投げられる小さな試験管。着火させるために必要なだけの着火剤。奇声をあげながら迫ってくる魔物は、その着火剤を浴びて。


「その金属片は発熱しながら炸裂する」


 魔物の奇声が悲鳴に変わっていた。


 炸裂する火花。

 バチバチバチと直視することもできないほどの炸裂光。魔物の全身についた金属片が、激しく輝いて火花を散らす。テルミット反応による発熱は2000度を簡単に超えるという。生物が耐えられる熱量ではない。そんなことを彼は温度のない顔で説明していく。


錬金術師アルケミスト』である東野学が辿り着いた、広範囲殲滅攻撃。それこそが金属片の化学反応を利用した、このテルミット炸裂薬であった。


 ギギギアアアァ、ァァ―

 全身を焼き尽くされて、巨大な蛾の魔物は地面へと堕ちていく。もはや、この魔物に為す術はなかった。複眼のほとんどが焼かれて、毒々しい羽はボロボロとなって、最後の武器である牙も折れてしまっている。


 それでも、東野は検証を辞めない。

 温度のない目で、息も絶え絶えになっている魔物を見下ろす。


「よし、まだ息があるな。これが最後の検証だ。頑張ってくれたまえ」


 そして、東野は。

 もはや意識すらあるのか怪しい魔物に、茶色の謎物質を口に放り込む。「まだ実験段階なのだがね。検証場所が限られていて、どうにも研究が進まなかったんだが。まさか、こんなところで最高の実験検証ができるとはね。僕はとても運がいい」、そんなことを一方的に言うと、彼は後ろへと下がっていく。


 ……あの東野が後ろに下がる。


 その現実に、何か嫌な予感がした。

 隣にいる薬師寺も同じことを思ったようで、その表情がわずかに陰る。だが、こちらは魔物の鱗粉によって体が痺れている状態だ。ここから逃げることも。もっといえば、あの男を止めることもできない。


「ん、んん~~っ!」


 薬師寺が麻痺した口で何かを叫ぶ。

 それを見て、東野学は何を思ったのか親指を立てる。任せてくれ。この魔物は、天才錬金術師である僕が倒してみせるから、などと的外れなことを言ってみせた。


「それは、トリメチレントリニトロアミンの類似物質だ。とある物質を大量の硝酸で析出させてろ過分離させたものだよ。まぁ、俗にいう―」


 にやり、と温度のない目で東野学が笑った。


C4ぐんようばくやくだよ」


 カチッ、と茶色の謎物質から伸びていた紐に火をつける。

 導火線だ。パチパチと小さな火が音を立てて魔物の口へと近づいていく。いやだ、いやだ、と首を振る蛾の魔物。だが、そんな抵抗は虚しく。導火線の火が魔物の口へと辿っていって、その火種が見えなくなった瞬間。


 ボカンッ、と。

 魔物の首を吹き飛ばしていた。

 元の世界でも実用化されている軍用爆薬だ。その威力といえば、魔法使いの爆発魔法にも比肩する。頭部を中から爆破されて、なぜか泣いているように見えた魔物の頭が消し飛び、残されてた巨大な体だけが勢いよく後ろへと吹き飛んでいた。


 魔物は倒された。

 自称、天才錬金術師である東野学の〈錬金術〉スキルによって。その圧倒的ば瞬間火力は、クラスメイトの仲間内でもトップクラスだろう。だが、一緒に戦いたくはない。


「くくくっ、検証終了だな。まだまだ威力不足ではあるから、もっと純度を上げる必要があるな。とはいえ薬師寺ドクターの庭園は、この天才錬金術師によって守られたのだ! 今後は、僕のことは天才錬金術師。東野様と呼ぶことを許してやろう!」


 ハーッハッハ、と高笑いをする白衣の『錬金術師アルケミスト』。

 しかし、そんな彼への反応は薄かった。

 薬師寺は感情が抜け落ちたかのような顔になっている。その理由に気がついた優斗も、見なかったフリをするように視線をそらす。


「くくっ、どうしたのいうんだい? キミの庭園を守った僕に、賛美の声があってもよかろうもの。見よ、こんなにも美しい薬草庭園を、この僕が。……この僕が?」


 東野が振り返って見えたのは。

 吹き飛ばされたデビルモースの下半身によって、ぐちゃぐちゃに壊された庭園の哀れな姿だった。毎日、毎日、大切に育ててきた薬草たちは、爆炎と炸裂火薬と軍用爆薬によって。


 ……灰になっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 命は助かったけど庭園は助からなかった
[一言] 庭園が。
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