第29話「僕は喜んで道化になろう」
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特別と思える女性がいた。
他人は、自分のことを天才と呼ぶ。下らない、と唾棄したくなる。どうして人間は何かの枠組みにカテゴリーしなければ物事を認識できないのか。
試験の点数が良くて。
有名大学の教授と知己で。
米国の科学雑誌に論文が共同掲載されたくらいで。
どうして、天才だといえる?
どう考えれば、天才だと思うことができる?
天才など、この世に存在しない。
視座は個人で異なるだけだ。僕は科学が好きだ。実験が好きだ。仮説を立てて、それを実験して、答え合わせをするような瞬間が好きだ。だが、それ以外はからっきしだ。本質的に数学が嫌いだ。実験に数式が必要なだけで、数字そのものを愛しているわけではない。ゲームはもっと苦手だ。パズルゲーム以外は、うまく遊ぶことができない。クラスメイト達が仲良くスマホゲームに興じているのを、羨ましそうに指をくわえて眺めている
ほら、誰もが考えている天才なんて、どこにもいないだろう。
僕は、好きなことをしたいだけだ。
本質的には、ただの高校生と何も変わらない。結果と過程が違うだけ。他人からの言葉を鵜呑みにして、天才という枠組みを押し付けられることは、僕が最も毛嫌いしていたことだった。そして、気がつけば。僕はクラスでも友人関係を持たない、孤独な人間になっていた。
学校の日々は、本当につまらないものだった。誰もが僕を謙遜する。僕もそんな彼らを軽蔑した。そんな、どんよりとした閉塞感を破ってくれたのが、……彼女だった。
彼女は最高だ。
あの女性より善き人間なんて存在しないだろう。穏やかな才女。様々な視座から物事を見て、考えて、自分なりの答えを導く。僕がムキになって反論しても、そのコロコロと変わる表情を見ていたら、いつの間にかどうでもよくなっていた。
彼女は、僕にとって特別だった。
唯一、『天才』などというトンチンカンな言葉を使わないクラスメイトだった。ずっと彼女と語り合いたい。このまま穏やかな時間を過ごしたい。放課後の夕日を、二人で眺めながら、僕は心の底から安寧と恋慕を感じていた。
そして、この異世界で目を覚まして。
その彼女が不安そうな顔をしているのであれば。
……僕は喜んで道化になろう。
彼女やクラスメイトの仲間たちが必要としている、頼れる天才として。大胆に、不遜に、滑稽に、驚愕に、自分が天才錬金術師であると豪語してみせよう。夜の店で怪しい薬を作って、高笑いをしながら魔物を討ち倒す。そんな錬金術師を演じていれば。
きっと、彼女も。
元の世界のように、笑ってくれるはずだから。
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「くくくっ、ハーッハッハッハ! 今度はこの僕が相手になってやろう! この天才・錬金術師である東野学が、貴様を花壇の肥やしにしてみせよう」
滑稽なほどに高笑いをしながら。
白衣を着た『錬金術師』が、蛾の魔物に向かってトイレットペーパーを突き出す。その芝居がかった行動に、優斗も薬師寺もぽかんと口を開いていた。
「おやおや。驚きのあまり声も出せないようだな。くくくっ、それも仕方ないことだ。この天才が加勢してやったのだがら、これはもう勝ったも同然、……ぎゃあっ!?」
突然、デビルモースが襲い掛かってきた。
先ほど、東野が投げた試験管が割れて、大きな爆発が蛾の魔物を包み込んだ。
それがいけなかった。
魔物は完全に白衣の『錬金術師』を敵と認識して、逃げ惑う東野のことを執拗に襲う
「ちょっ、まて、のわっ!? ……く、くくく。魔物め。さては、この僕の脅威を理解したのか。なかなか見どころがあるではないか。しかぁ〜し、僕は天才錬金術師。貴様のような害虫ごときに後れを取るなどありえな―、あぎゃっ!?」
がぶり、と東野がお尻を噛まれていた。
幸いにも傷は浅かったようで、ズボンがわずかに破れただけだ。慌てふためく東野は、なぜか白衣の襟を正しながらも笑う。その顔は、余裕なんて微塵もなかった。
「はっはっはっ、岸野君! 頼むから手を貸してくれないかな!? 正直、僕一人では荷が重いのだよ!」
恰好つけているくせに、ぺっぴり腰だ。
最初の決めポーズは何だったのか、と言わんばかりの情けない姿だ。そろそろ麻痺が浸食してきて、剣を握ることもできなくなった。優斗は呆れた顔で彼のことを見る。
……東野って、あんな奴だったか?
優斗は首を傾げたくなる。元の世界では、天才のクラスメイトとして孤高の存在だった。誰も近寄れず、誰も近寄らせない。見えない壁みたいなものがあったはずなのに。今のあいつは、どう見ても。四苦八苦しながら逃げ惑う、普通の高校生にしか見えなかった。
「……ふふっ」
隣から笑い声がする。
優斗が驚きながらそちらを見ると、なんと薬師寺良子が笑っているではないか。蛾の鱗粉のせいで、全身が麻痺になっているというのに。その表情には、安心と安堵の色が垣間見える。
薬師寺と目が合う。
そして、彼女は静かに頷く。
……大丈夫。東野君に任せておけば問題ありません。不思議なことに、そんなことを言われている気がした。
「くそっ! お気に入りのズボンを破きやがって。高かったんだぞ。……くくくっ、まぁいい。貴様には、僕の被検体になってもらおうか」
それまで逃げ続けていた『錬金術師』の東野が、くるりと方向を変える。そして、目の前にまで迫っている巨大な蛾の魔物を見据えて。
腰のベルトに差した、二本の試験管を投げつけた。
「さて。この程度の体格の魔物には、どれくらいの爆発耐性があるんだろうね」
ガラス製の試験管は、魔物の頭部に当たって、小さな音を立てて割れる。そして、中に入っていた薬剤が、触れ合った、その瞬間。
魔物の頭部が、爆発したー




