第27話「薬師寺の庭園を死守せよ」
優斗たちの街は、場所によって様々な呼び方がある。
最も栄えている中心部は繁華街。貴族たちが住んでいる貴族街。貧困層ばかり住んでいるスラム街。そして、職人や技術者が集まっている区域は職人街と呼ばれている。
薬師寺の薬草園も、その職人街にあった。
街の外れにあるということもあって、魔物に襲われるリスクがあったが。
「……まさか。これほど大きな魔物が、街外れまで接近してくるとは」
デビルモース。
巨大な蛾の魔物だ。羽を広げたときの大きさは、体長五メートルを越える。薄い体毛に覆われた巨体に、毒々しい模様の羽。昆虫の魔物特有の無機質な複眼が、さらに不気味さを増大させている。
普段は湿地帯や毒の沼に生息しているはずだ。優斗は疑念を抱いまま、隣にいる薬師寺良子のことを見る。
「季節が夏から秋に変わり始めたので、薬草やハーブの生育状況が変わってきています。この招かざる客人も、私が育てていた薬草を求めてのことでしょう」
薬師寺が静かに答える。
優斗と一緒に外へと出た彼女は、すでに戦闘態勢の装備をしていた。白衣を思わる白色のローブに、手にしているのは大振りの杖。赤いアンダーリムの眼鏡の奥には、冷静に状況を観察している瞳があった。
薬師寺良子は『薬師』である。
その職業スキルは〈薬草学〉。薬草やハーブを育てて、傷薬を調合することを主としている。典型的な後衛サポート職だ。傷ついた仲間を手当てするという点は『治癒術師』と似ているが、回復魔法とは異なり、傷薬での治療は即効性がない。戦闘中の治癒は不向きだと、過去に薬師寺本人が告げていた。
それでも彼女の手には、魔法使いが使うような大振りの杖が握られている。腰のベルトに調合時に使用すると思われるナイフ。そんな装備のなかでも最も目を引いたのが、ぱんぱんに膨らんだ革製の大きなバックだ。何を詰め込んでいるのかはわからないが、その様子からも「自分の庭園は自分で守る」という強い意志を感じた。
「薬師寺。あまり無理するなよ。お前は限りなく非戦闘員に近いんだから」
「馬鹿にしないでください。これまでだって、魔物と戦ったことは何度もあります。洞窟や森に採取に行くこともあるんですから」
薬師寺が手に持った大振りの杖を強く握り、目の前の巨大な蛾の魔物を睨みつける。
蛾の魔物が、こちらに気がついている様子はない。
薬師寺が庭園に張り巡らせていた防虫ネット。それを剝ぎ取ろうと躍起になっていた。その口から見える牙は、そこらの獣型の魔物と遜色ない。相手はただの害虫除けのネットだ。あっという間に食いちぎられてしまうだろう。
「……俺が前に出る。薬師寺は後ろからサポートを」
「何を言っているの。ここは私の庭園よ。あなたに危険なことはさせられません」
「仲間のピンチに、黙って指をくわえていられるかよ」
彼女の返答を待つことなく、優斗は飛び出していた。
腰に差したロングロードを構えて。巨大な蛾の魔物へと距離を詰める。そして、魔物が防虫ネットを破壊して、庭園で育てられている薬草たちを喰らおうとした、……その瞬間。
「お前が食うのは、こっちだぜ」
優斗がロングソードを鞘から引き抜いた。
そのまま魔物の口に目掛けて、剣先を突き立てる。突然の襲撃に蛾の魔物は戸惑っていた。だが、容赦はない。その勢いに体重をのせて、ロングソードを両手で握りしめたまま、魔物の口を中から切り裂いた。
キシャァァァッ!
魔物が悲鳴を上げる。
青緑の体液を巻き散らしながら、無機質な複眼がこちらを捉える。元より、昆虫には痛覚がない。こいつにも痛みで悲鳴を上げたわけではなく、不意に攻撃されたことに驚いているだけだ。もしかしたら、感情すら持ち合わせていないのかもしれない。
ギャギャッ!
そんなことはなかった。
巨大な蛾の魔物は、明らかな殺意を向けると。青緑色の体液に染まった牙で襲い掛かってくる。
だが、その攻撃は通用しない。
魔物が襲おうとしているのは『見習い騎士』の岸野優斗だ。前衛防御職であり、カウンター特化の戦闘をする優斗に。そんな単調な攻撃など通るはずがない。
「ふんっ」
ガギッ、と鈍い音がする。
デビルモースの牙を、優斗が剣で弾いていた。勢いを逸らされ、無防備になった横顔を、優斗は躊躇なく斬りつける。複眼のひとつを潰して、魔物がさらに悲鳴をあげた。返す刃で、再び斬りかかる。
だが、その寸前。
デビルモースは、その不気味な羽を羽ばたかせて、上空へと逃げてしまった。
「くそ。上に逃げられたら手が出せねぇな」
優斗はロングソードを構えながら舌打ちをする。
巨大な蛾の魔物は、庭園の屋根くらいの高さを悠然と飛んでいる。時折、こちらを見ては、襲い掛かるタイミングを見計らっているようであった。
「うおっ!?」
不意に、デビルモースが急降下してくる。
蛾とは思えない俊敏な動きで、優斗の真上から攻撃を仕掛けてきた。毒々しい鱗粉を巻き散らして、優斗の頭を嚙み砕こうと牙を剥く。
だが、優斗とて戦闘の素人ではない。
不意打ちとはいえ、動きは単調。すぐさまデビルモースの動きに反応して、相手の攻撃を捌き、反撃の一刃を加える。
ギギャギャギャ、と魔物は威嚇するように牙を鳴らす。
このまま立ち去ってくれたらいいのだけど。どうやら魔物にはその意思がないようだ。何があっても、この庭園にある薬草食い散らかしたいらしい。魔物は毒々しい鱗粉を放ちながら、低空飛行で頭上を旋回している。
「ちっ。これじゃあ、キリがないな」
優斗は警戒するように、その場から数歩ほど後ろに引いた。
鬱陶しい、というように蛾の鱗粉を振り払う。
あの鱗粉。デビルモースがこの広域に振りまいている羽には、幻覚や有毒症状を引き起こす鱗粉で覆われている。このまま戦闘が長引けば、不利になるのは優斗たちなのは確実だ。
それを知っているのか、デビルモースから攻撃を仕掛けてくる様子はない。優斗の実力に恐れをなしたのか。直接攻撃で仕留めるよりも、毒の鱗粉でじわじわ追いつめる気なのだろう。
「こんなときに、遠距離攻撃できる職業の仲間がいたらな」
優斗はそんなことを考えずにはいられない。優斗のクラスメイトの中には、中・遠距離攻撃を得意とする職業の仲間が何人かいる。『狩人』や『召喚術師』。……『魔法使い』の雨宮舞穂だって、その一人だ。
だが、この場には優斗と薬師寺しかいない。
薬師寺良子にとって、この場所はとても大切であることはわかりきっている。だったら撤退の文字はない。何としても、あのデカい蛾を地面に叩き落としてやる。
そんなことを考えながら、剣を握っていると。
隣に立っていた『薬師』の薬師寺良子が、そっと前に出る。
「岸野君。ここは私に任せてください」
その表情からは、確固たる覚悟がにじんでいた―




