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第26話「美味いだろう? 薬師寺(ドクター)の淹れてくれるハーブティは絶品だからね」と、自称・天才錬金術師は自分のことのように饒舌になる。

「はーははっ! 僕の〈錬金術〉スキルの研究のためにも、是非とも薬師寺ドクターには薬草をわけてもらいたいのだが!」


「お、お断りです! あなたは自分が何をしたのか、わかっているのですか!?」


「もちろんだとも。キミの薬草園に無断で侵入して、素材を少しばかり分けてもらったね」


「えぇ、そうですね。ただし訂正してください。……根こそぎ・・・・です。私が大事に育てていた薬草やハーブを全て盗んでいったんですよ。……考えてみてください。朝、薬草園に行ったら無惨にも掘り返されている花壇を見た時の気持ちを!」


 しかも、その犯人ときたら。「ハハハ、キミの上質な薬草のおかげで『乗り物酔いにならないが吐き気も止まらない酔い止め薬』ができたぞ! いいや、お礼などいらないよ! これからも僕の研究のために素材を提供してくれたまえ」なんてことを悪びれる様子もなく言ってきて!

 その時の怒りは、あの青虫共に庭園を全滅させられたときに匹敵しますよ。と、薬師寺はわなわなと怒りに肩を揺らす。


 どうやら穏やかなる才女の薬師寺であっても、だいぶ苦労させられているようだ。しかも、その犯人が元の世界のクラスメイトとなると、彼女の心労は計り知れない。優斗が心の中で同情していると、自称・天才錬金術師が上機嫌に口を開く。


「ハーッハハ、過ぎたことを言っていても仕方ないね! とりあえず、僕にもハーブティーを出してくれないかい? いささか喉が乾いたからね」


 この男。遠慮というものを知らないのか。


 元の世界では寡黙だった男も、頭のネジが全て吹き飛んでしまえばこうもなるのか。案の定、薬師寺もふるふると苛立ちに全身を震わせている。トレードマークである赤いフレームの眼鏡にも、いつヒビが入るかわからない。


「……いま、用意します」


 瞬間。薬師寺の目から、感情が抜け落ちたように見えた。

 いや、気のせいだろう。

 優斗は見なかったことにして、自分に出されたハーブティに手をつける。独特な香りがしたが、口にすると味は悪くない。むしろ、リラックスするような効果がある気さえした。


「美味いだろう? 薬師寺ドクターの淹れてくれるハーブティは絶品だからね。貴族の貴婦人たちが、お忍びで飲みに来るほどにね」


 なぜか、東野が得意げに語る。

 しばらくすると、部屋の奥からティーポットを手にした薬師寺が姿を見せた。ポットの口から湯気がのぼり、ハーブティ独特の香りが心を和ませる。


 だが、そのポットを手にしている薬師寺の顔は。

 呪われた日本人形のような、何とも言えない表情になっていた。


「ハーハハ、すまないねぇ! では、さっそく―」


 疑うことをしない東野は、そのままティーポットを手に取ってカップへと注ぐ。そして、香りを楽しむ様子もなく、一気に飲み干した。


「ぷはーっ、実に美味だ! やはり、薬師寺ドクター! キミは最高だ!」


「えぇ、ありがとうございます!」


 薬師寺は無表情だ。


「それでは、話の続きだ! キミが栽培している最高級の薬草を、いくらで販売してもらえる、……むっ?」


「どうしました、東野君?」


「いや、何でもない。……いや、何でもないはずだ」


「どうしました、東野君?」


 薬師寺は無表情だ。

 それに対して、東野は。その顔色をどんどん悪いものに変わっていく。ぽつぽつと吹き出る冷や汗。震える指先。顔色は、そう下痢だ。激しい下痢を堪えているように真っ青だ。そんな東野を見ても、薬師寺は無表情だった。


「どうしました、東野君?」


「ど、薬師寺ドクター。先ほどのハーブティに、何を入れ、……おぐっ!?」


 東野が腹を抱えて唸りだす。

 ぎゅるるるっ、という聞いているだけで腹が痛くなるような音が、薬師寺のハーブ専門店に響いた。その時になって、ようやく気がついた。先ほどまで薬師寺が持っていた超強力殺虫剤が、どこにもないことを。


「ど、薬師寺ドクター。まさか、キミともあろう人が。ハーブティーに殺虫剤を混入させるなど、そんな意趣返しを―」


 東野の問い、薬師寺は瞳の光彩を失ったまま見下ろしている。

 突然の下痢に。腹を抱えて、床に倒れ込む東野の姿。それは百年の恋さえ冷めてしまうような光景だった。おぐっ、はぐっ、とうめき声をあげながら、それでも彼は不敵に笑ってみせる。


「……ふ、ふはははっ! この天才・錬金術師。東野学を舐めていただいては困る。この程度の下痢など、僕の錬金術にかかれば一瞬で治療することが―」


「トイレは、その扉の奥です」


「武士の情け感謝するっ!」


 東野は泣きそうになりながら、薬師寺が指さした扉へと駆け込んでいった。そして、おぐわっ、はぐわっ、と情けない声が絶えず聞こえてくる。


 しばらくの間。

 優斗と薬師寺は耳を塞いでいた。


 やがて、それも落ち着いたのか。もしくは魂まで出てしまったのか。トイレがある部屋が静かになって、試しにノックしてみても何の反応も返ってこなかった。


「……まったく。どうして、あの人は。ああやって、ふざけることしかできないのでしょうか。真面目に相談してくれたら、いくらでも素材を提供するというのに」


「さぁな。この異世界に来て、頭のネジが吹き飛んだんだろうな」


 あの様子では、元の世界に帰れたとしても大変だろう。ただの変人か犯罪者にしかなれまい。そんなことを考えていた優斗だったが、薬師寺は意外なことを言った。


「あら? 東野君は、昔からあんな感じですよ?」


「え。嘘だろう」


「嘘ではありません。『天才』であることを押し付けられて、誰とも価値観を共有できなかっただけで。東野学という男性は、元から遊び心に溢れていましたよ」


 皆が、それに気がつかなかっただけ。

 そう語る薬師寺の横顔は、どこか寂しそうだった。


「東野のことが好きなのか?」


「そうですね。……は、はえっ、いやっ! 突然、何を言っているのですか!? そんなわけあるはずがないでしょう! あんな迷惑者で大事に育てていた薬草を盗むような人間に、そんな特別な感情など!」


 顔を真っ赤にさせて、あたふたと慌てふためいている。

 何ともわかりやすい反応だった。薬師寺と東野は、元の世界でも一緒にいることが多いクラスメイトだ。天才と秀才の組み合わせ。実際、付き合っているかも、という噂があったほどだ。


「まぁ、俺にしてみれば、どうでもいいけどな」


「……そういう岸野君は変わりましたね。この世界に来てから、一番変わってしまったのは、あなたですよ。クラスメイトの皆さんにもいろんな変化が見られましたけど、岸野君ほどではありません」


「……いろいろ、あったからなぁ」


 優斗は窓から見える空に目を細める。

 今頃、舞穂は何をしているだろう。ぐーたらで、放っておいたら昼まで寝ている『魔法使い』様は。そろそろ目を覚まして、作っておいた昼飯を食べているかもしれない。ちゃんとミニトマトは食べたかな。帰りに何かお土産でも買って帰るか。そんな感情が次から次へと頭の中を流れていく。


 その優斗を見て、薬師寺も表情を変える。

 少しだけ真面目な顔だった。


「……岸野君、お願いがあります」


「なんだ?」


「私なんかが口にしていいものではありません。ですが、あなたしか頼れる人がいないのです。お願いします。どうか―」


 薬師寺が悔しそうに唇を噛む。


「どうか、……雨宮舞穂さんを守ってあげてください」


「……」


 その言葉に、優斗はすぐには答えられないかった。

 彼の中に渦巻く様々な感情が、湧いては消えて、熱を持つことはなく。ただ、一言。彼が呟いた言葉は。


「……あぁ」


 優斗は空を見上げる。

 青空に、雲がゆっくりと流れていく。

 変化はいつだって訪れる。こうして穏やかな時間が流れていくときだって、重大な決断を迫られることもある。


 そう。例えば。

 窓から見上げる空に、巨大な魔物の影がよぎって。彼女の薬草園へと飛んでいく姿、とか。


「なっ!?」

「魔物っ! まさか!?」


 二人は慌てて窓に近寄る。

 薬師寺が大切にしている庭園が、巨大な昆虫の魔物に襲われていた―

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― 新着の感想 ―
[一言] まさか根こそぎ盗ってたとはw
[一言] 薬師寺さん怖いが優しさもある。魔物、襲来。
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