第19話 「な、なんで、こんなところにトロールが!?」
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この異世界には、様々な魔物が存在する。
ゴブリンのような小柄の魔物だったり、ウルフハウンドのような獣の魔物であったり。それらの中には人知を超えた、人間が触れてはならない神秘の存在もいる。
そんな魔物たちの中で、最も人間に恐れられているのが、人里に巣食う魔物だ。北にある神々の山を飛ぶドラゴンであっても、深海に潜む邪神の名を持つ魔物であっても、人の生活圏から離れているのならば、それほど脅威ではない。伝説、または神話の存在として畏れられるだけだ。
だが、人里の近くに巣食う魔物は違う。
それらは明確な害悪だった。それも相当にタチの悪いやつだ。酒場の依頼版を見ても、ドラゴンの討伐などは誰も依頼しないが、奴らの駆除に関する依頼は後を絶えない。
放っておけば、人が死ぬ。
熟練の冒険者ほど、それらの危険な依頼を好む。そして、その何割かは帰ってこない。それほどまでに危険度が高く、討伐するのに熟練の技量と覚悟を必要とするのが。
……目の前にいる巨大な人型の魔物。
……トロールだった。
「ひぃ!?」
「な、なんで、こんなところにトロールが!?」
盗賊の下っ端たちが恐怖に声を震わせている。この洞窟は、彼らの拠点だった。数ヶ月前から住処にして、旅の行商人などを襲っていた。だから、その洞窟の奥深くにトロールが住み着いていたなど、彼らは予想もしていなかったのだ。
トロールは、大型の魔物である。
身長は人間の倍以上はあり。横幅は先ほどの盗賊の頭領と比べるまでもない。手に持っているのは、ただの丸太。力ずくで引きちぎったのか、先端は鋭利な刃のようにささくれ立っている。トロールはやる気のない表情を浮かべては、盗賊の下っ端たちを見下ろしている。
トロールは、人を食う。
それは食事のためではなく、彼らの知能が低いためだ。池を泳いでいるフナが、何でも一度は口に入れてから、食べられるものか判断するのと同じ。何となく食べられそうだから、という理由だけで。人を襲い、食らう。そして、食べられないとわかると吐き出す。学習をしない。何度も、何度も同じ失敗を繰り返しては、スナック感覚で人間を襲う。
それは恐怖の存在だった。
そして、優斗たちにっとっても、過去の光景を連想させるものであった。
「……っ!?」
優斗の脳裏に蘇る、あの光景。
『塔』の攻略に失敗して、命からがら逃げだした。第一階層の主である巨人と重なるものがあった。そのトラウマに、心が震えそうになる。
「……あ、ああ」
かすかに震える声がして、優斗は焦ったように振り返る。
そこには恐怖に震えて。身動きのできなくなった『魔法使い』の舞穂の姿があった。
「っ!」
優斗の行動は速かった。
骨の髄まで染みついていた恐怖を跳ね返して、最大速度で舞穂の元へと駆け寄る。その顔に迷いなどなかった。わずかな恐怖もない。湿った洞窟の土を撒き散らしながら、彼女の傍で急停止すると、彼女に向けて冒険者のローブを舞い上げる。そのままローブの上から守るように抱き寄せた。
……雨宮。大丈夫か?
優斗が無言のまま問うと、舞穂は緊張した顔のまま静かに頷く。思えば、彼女も成長したものだ。これまで薬草の採取のような、絶対に安全な依頼を受けていたのも、舞穂のことがあったからだ。目の前に恐怖と感じる存在がいると、彼女はパニックを起こしてしまう。そのせいで危険な状況になることが何度もあった。
そんな雨宮舞穂が。
目の前にいる巨大なトロールを前にしても、逃げ出そうとせずに向き合っている。優斗のローブから、わずかに体を出して。ぎゅっと優斗の服の裾を握りしめてはいるが。その目は、確かに魔物へと向けられていた。
「ひぃーっ!?」
「た、たすけてくれーっ!」
恐怖が伝染してパニックになっている盗賊の下っ端たち。
そんな彼らを前にして、巨大なトロールは不気味に笑った。手に持った巨木を振り上げて、逃げ惑うと盗賊たちへと襲いかかる。そのまま力任せに薙ぎ払おうとして―
「おらっ! この朔太郎様から目を離しているんじゃねぇぞ!」
その一撃を、朔太郎が全力で受け止めていた。
得意武器であるショートソードを盾のようして、肘と肩で正面から受け止めている。ずんっ、と重い地響きが、洞窟内に響き渡った。
朔太郎は挑戦的な笑みを浮かべる。
鈍重なトロールは、自分の攻撃が跳ね返されたことに気がつかず、そのまま後ろに倒れた。それだけで洞窟が激しく揺れた。
「な、なんだ! なにが起こったんだ!?」
「あいつ、トロールの攻撃を弾き返しやがった!?」
「ありえねぇ! あの怪物に真正面から立ち向かうなんて、正気の沙汰じゃねぇぞ!」
盗賊の下っ端たちが戦々恐々としながら、朔太郎の背中を見ている。泡を吹いて気絶している頭領を抱えながらも、彼らは目の前の現実を受け入れられない。
そんな中、ただひとり。
相棒の少女だけが上機嫌に声を出して笑っていた。
「あはは! いいぞー、サクちゃん。そのままぶっ飛ばしてしまえーっ」
「おい、猫。見ていないで、お前も手伝えよ」
「え? やっていいの? わーい」
朔太郎の声に。
きゃぴっ、と嬉しそうに小柄な少女が笑みを見せる。
まるでヒマワリのような笑顔だった。
わずかに見える八重歯が実年齢よりもさらに幼く見せる。クラスで一番背の低い女の子。李・猫々は楽しそうな様子で上機嫌のまま準備運動を始める。いっちにー、さっんしー、とチャイナドレスの裾を揺らしながら柔軟をする。
そうこうしている内に、トロールが再び動き出した。
3メートルは越える巨体を持ち上げて、鈍重に辺りを見渡す。そして、眼下にいる朔太郎と猫のことを見る。正面から向き合っている朔太郎とは違い、離れた場所にいる猫のことは、ほんの豆粒くらいにしか見えていなかっただろう。
トロールが笑う。
小さい人間のほうが食べやすそうだ。ブヨブヨの灰色の皮膚を震わせて、にたりと不気味な笑顔を浮かべては。猫がいるほうへと手を伸ばす。そんな魔物のことを彼女が眼で捉える。そして―
「……師父直伝〈頂心肘〉ッ!」
小柄な『拳法使い』は、瞬時にトロールとの間合いを詰めて。その巨体へと鋭い一撃を放っていた。
トロールの骨が砕ける音が、洞窟内の空気を震わせたー




