赤ずきんの世界の狼になりました。
「はぁっ……はぁっ……」
走り回っていると息があがる。
身体は疲労のせいで鉛のように重く、もう動きたくないと悲鳴を上げ続けていた。
近くの壁に身体を隠すようにして寄りかかり、呼吸を整える。
自分の近くでは不規則的に発砲音が鳴り響き、嗅ぎ慣れた硝煙の臭いが辺りに充満する。
(……まだ、バレてないみたい)
酸素不足でぼーっとする頭をなんとか回転させて、今の状況を把握しようとする。
現在、仲間は殆どいない。
相手の規模は最低でも40人程。
孤立無援。多勢に無勢。
それが今の私の状況だった。
(なんでこんなことに)
始まりは突然のことで、突如隣国から攻め入られたことがきっかけだった。
私の住んでいた国は国土防衛のために急ピッチで壁を作り、国民達に壁の防衛を命じた。
そうして、この戦争が始まったのだ。
『……がせ……くに………ず』
「……」
銃声の中、大きな声がかすかに聞こえ、息を潜める。
(……まだ気づかれてない)
ひょこっと壁の裏から様子を伺うが、遠目で数人確認できるだけで、全体の状況はわからないままだった。
戦闘開始から2週間は経っただろうか。
最近は碌に寝ることもできてないし、服もボロボロで凄い酷い臭いだった。
(家に帰りたい。可愛い妹に癒やされたい。……死にたくない)
私が一人でも戦う理由は、それだけだった。
『居たぞ!』
「……っ!」
いつの間にか背後を取られていたらしく、後ろから声が聞こえてきた。
咄嗟の判断でその場から走り出す。
「あぐっ……」
しかし、それは悪手だったのかもしれない。
相手の撃った弾が左足に当たり、燃えるような痛みが襲ってくる。
左足から力が抜け、走っていた足がもつれ込み、その場で倒れる。
なんとか起き上がろうとするも、上手く力が入らない。
(……やだ、早くっ)
だが、焦れば焦るほど上手く動くことはできなくなり、立ち上がることはできないままであった。
その間にも沢山の足音は近づいてきていて、絶体絶命のピンチであることは明白だった。
(やだ、やだやだっ!)
どれだけ心の中で拒否しようとも、沢山の足音は迫ってくる。
その時、視界に誰かの足が見えた。
縋るように顔を上げると、頭に銃を突きつけられる。
そこで、全てを理解した。
(……あぁ、私は死ぬんだ)
憎悪の籠もった瞳でこちらを睨みつける敵の兵士がそこに立っていた。
(……こんな人生なら、おとぎ話のシンデレラみたいな可愛い女の子に生まれたかったな……)
死ぬ瞬間に思い出したのは妹が好きで、良く読み聞かせていたおとぎ話のことだった。
『死ね』
銃を向ける兵士のその言葉と一発の銃声が聞こえ、私の意識は暗闇へ落ちていった。
「っ……!」
そこで、私は飛び起きる。
心臓はバクバクと早鐘を打っていて、呼吸は荒い。
けれども足に痛みはなく、周りも廃墟ではなく静かな木の家の中。
服は相変わらずボロボロではあるが、あの時着ていたような可愛くない服じゃなくて、黒いワンピース。
髪は、邪魔といって無理やり切らされた時よりも少し長いセミロング。
そして何よりも、ピンと立ったふわふわの耳と尻尾が私にはある。
その事実が、今の光景は現実ではないと示していた。
しかし、頭の中で渦巻く膨大な記憶に見覚えのある光景。そして、感じたあの痛み。
それは全て、一度経験したものであって――
(……全部……思い出した)
そこで、私は前世のことを思い出したのだった。
前世のことを思い出すきっかけとなったのは、恐らく昨日のこと。
森の中で樹の実を集めている時に偶然、出会った猟師らしき人に銃を向けられたことだろう。
(……アレは、怖かった)
思い出すだけでゾッとしてくる。
猟師の目。光を受けて光る銃口。
前世の辛い記憶と殆ど一致していて、こちらを殺そうとしている瞳だった。
「あつ……」
トラウマ級の悪夢を見たせいかかなり汗をかいていたようで、身体中がべとべとする気がした。
「水浴びしよ……」
寝床にしている崖近くの洞穴から出て、近くの湖へと向かう。
幸いなことにこの森には危険な動物はいない。
……しいて言うならオオカミ人間の私くらいだろう。
「つめたっ」
ボロボロになった服を近くの木にかけ、湖の中へと入る。
まだ日が登り始めたくらいの時間なので水は結構冷たかった。
(誰も居ないよね……)
記憶が戻ったことで、裸になることに少し恥ずかしい気持ちがあったが、森の中、しかもこの朝早くにやって来る人間は今のところ一度もあったことがないので大丈夫だろうと自分に言い聞かせておく。
適度に汗を洗い流し、持ってきていたタオルで身体を拭く。
記憶が戻る前は普通だと思っていたが、記憶が戻った今では、頭の耳やしっぽが少し違和感に感じなくもない。
意識すると耳やしっぽが動くし、摘むと痛覚もある。
けれど、意識しないとあるとは思えない。
何かがあるはずなのに違和感を感じないことが違和感になっていた。
(不思議なことになったなぁ……)
考えれば考えるほど良くわからない身体だった。
(今日はどうしようかな)
水浴びを終え、着替え終わった私は、近くの岩に座ってのんびり考える。
前世の記憶が戻ったとはいえ、今の私はオオカミ人間であり、オオカミ人間として育ってきた記憶も存在している。
つまり、オオカミ人間としての生活を送る必要があるのだ。
(でも、暇なんだよなぁ……)
そして、オオカミ人間としての生活は暇である。
ご飯を集めること。
これだけは必ずやらなければいけない。
けれども後は正直暇なのだ。
ご飯を食べて、水浴びしたり昼寝したりすることがメインの生活。
前世とは比べ物にならないくらいのんびりとした生活なのだ。
水浴びついでに魚を捕まえているので、このあとは自由である。
……そう、暇なのである。
(とはいえ、昨日のこともあるし……あまりウロウロするのもなぁ……)
普段人間がいる所に行くことはないし、あったとしてもお父さんから教わった姿隠しの魔法(耳としっぽを隠す魔法らしい)をしているのでオオカミ人間とバレることは早々無い。
だけど、それは予め準備していた時の話。
猟師の時みたいに咄嗟のことだと、隠すのが間に合わないことが多い。
そして、一度でも認識されてしまえば、姿隠しの魔法をしても隠すことはできなくなってしまう。
魔法は便利だけれど万能ではないのだ。
「あの〜、すみませ〜ん?」
「ふわぁぁっ!?」
ぼーっと考えていると、声をかけられ、奇声が出てしまった、恥ずかしい。
突然のことで驚きながら振り向くと、紅いフードを被った女の子がそこに居た。
(……人間!?)
咄嗟に姿隠しの魔法を使ってオオカミ耳を隠す。
「だ、誰ですかっ!?」
「えーっと、迷子です!」
「自信満々に答えないでくださいよっ」
「えへへ~」
「褒めてないですよ!?」
間に合ったのかどうなのかは分からなかったが、耳のことについて触れられることはなかった。
というか、迷子なのにマイペースだな、この子。
見た感じ昔の私よりも歳上っぽいけど。
「おばあちゃんの所に行くつもりだったのに、迷子になっちゃったみたいなんだ〜」
「それでこんな森の奥まで来たんですか……」
「えへへ~」
「だから、褒めてないですよっ!?」
(……なんか調子狂うなぁ)
ふわふわした喋り方とマイペースな性格のせいか、それとも普段は喋らないからか、はたまたその両方か。
良くわからないけれども、目の前の彼女と話していると疲労を感じずにはいられなかった。
「えっと、そんな感じだから、できれば村まで送ってもらえると嬉しいなぁって」
「……わかりました。良いですよ」
女の子の懇願するような表情に対して、私はそう答えてしまっていた。
関わらない方がいいと頭の中で結論が出ていたのにも関わらずだ。
そんなこんなで、村まで女の子を送ることになりました。
近くの村に向かう途中、女の子が私に対して色々な話をしてくれた。
無言で歩くのは辛かったのだろう。
マシンガンのように話は進んでいった。
「そういえば、あなたは無事なのね〜?」
「どういうことですか?」
「村の皆がこの森には悪い狼さんが居るって言ってたから〜」
「……」
そんな話の途中、小さな疑問を問いかけられた。
女の子の着ている紅いフード付の服。森に悪い狼。おばあちゃんの所に行く。迷子。
どこか聞き覚えがあるような、ないような。
村に行った時に聞いたっけ……?
「森に入るのは危険だからだめって言われてるのに森の中に可愛い子がいたからびっくりしたんだ〜」
「かわっ……それってあなたが言えることですか?」
「……たしかに!」
相槌を打ちつつ考えていると、一つの仮説が出てくる。
(……もしかしてこの子、赤ずきんなんじゃ)
でも、答え合わせをする方法なんてなかった。
「つきました」
「わ〜、ホントだ!ありがとう!」
「わわっ!?」
暫く歩き続けると、近くの村にたどり着く。
村の前の門まで連れて行き、到着したことを伝えると、思い切りぎゅーっと抱きつかれる。
離れて……って、力つよっ!?
私、オオカミと人間のハーフですよっ!?
全然離れないし、苦しいし、色々と柔らかいし……あーもー!?
「は、離して……ください……」
「あ、ごめんねっ」
なんとか絞り出すようにして、声を出す。
気づいてくれたようで、ようやく離してくれた。
「はぁ、はぁ……」
「ごめんね、嬉しくってつい」
「いえ、大丈夫です。それでは」
「あ、待って!」
立ち去ろうとすると、きゅっと手を掴まれる。
わぁ……すべすべで柔らか……っじゃなくて。
ボディタッチ多くないですか……?
最近の若い子はパーソナルスペース広いなぁ。
「私はラスティって言うの。あなたのお名前は?」
「私は……グレイ」
「そっか、ならグレちゃんだね!よろしく!」
そう言って、彼女――ラスティさんは村の方へと走り去っていった。
(不思議な女の子だったな)
そう思いながら、来た道を戻っていく。
……あれ、もしかして仮説が正しかったら、私は彼女を食べないといけないのでは?
歩いている途中で私はそんな可能性に気づいたのだった。
ラスティさんを村に送ってから数日が経った。
その間にわかったことがある。
「どーお?美味しいかな?」
「……っ!美味しいです」
「やった!」
ラスティさんは行動力の化物だったのだ。
あの日から毎日、私の所に来ている。
理由は私と同じで暇らしく、同じ年代の友人も居ないので私と会えたことが嬉しいらしいのだ。
……面と向かって言われた時は嬉しかった。
今は一緒におにぎりを食べている。
どうやらおやつらしい。
しかし、仮説が正しいなら、私は彼女を食べないといけない運命なのだろう。
それは避けたい。
だって、そのまま物語が進めば私は猟師に殺されるのだ。
せっかく生きていられるのだ。
死にたくないし、せっかく仲良くなった彼女とさよならしたくないし、何よりもあんな美味しくないものを二度と食べたいとは思えない。
だからこそ、仮説が外れていてほしいのだが。
「今日も紅いフードですね」
「そー!お気に入りなんだ~」
「……そうなんですね」
一緒に過ごすにつれて仮説は確信に近づいていた。
着ている服は装飾物が異なるものの、基本的には紅いフード付き。
何度も話題に上がるお祖母さんと悪い狼の話。
もう、赤ずきんの話にしか思えなかった。
「そろそろ帰らなくて大丈夫ですか?」
「ふぇ〜?……あっ!」
一緒におにぎりを食べ、のんびりとしながら話をしているうちにだんだん日が落ち始めていた。
それに気づいたラスティさんを村までに送り届け、家へと帰る。
ラスティさんが来るようになってから、いや記憶が戻ってから、1日過ぎるのが早くなったと感じていた。
ラスティさんとの出会いは偶然なのか、必然なのか。
今はまだ、私には分からなかった。
「……ふぅ」
「おかえり〜」
「ただい……ま……」
「やっぱり森のオオカミさんはグレちゃんだったんだね〜」
「へっ!?」
家に帰る途中、滅多に見つからない美味しい木の実を見つけたの。
嬉しくて数個摘み取り、他にもないか周辺を探索して、無かったことにしょんぼりしながら家に帰る。
誰も居ないはずの家に、何故か寛いだラスティさんがいた。
「な、なんで」
「ね、グレちゃんグレちゃん」
「な、なんです……ひゃっ」
「わぁ〜ふわふわ〜。本物だぁ〜」
「あ、あのあの。さわさわしないでぇ」
予想外のことに私が立ち尽くしていると、ラスティさんが近寄ってきて、私の耳をさわさわする。
とてもくすぐったい。
……何かだいっ……じなことっ……を忘れていっ……ひゃっ。
そしてしばらくの間、私は耳を触られ続けた。
「ねぇねぇグレちゃん。お願いがあるんだ〜」
「はぁはぁ……なん、ですか」
「私をたべて〜」
「……へ?」
ようやくさわさわ地獄から解放された。
私は、くすぐったさを我慢し続けたためか、息が上がっていた。
肩で息をしつつ、何故か居るラスティさんの話に耳を傾ける。
聞きたいことはたくさんあったがまずは落ち着こ……う?
そこで耳を疑った。
今、私を食べてって……。
「も、もう一回、聞いても良いですか」
「だから、私をたべて欲しいなぁって」
「え」
「えへ?」
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
聞き間違いではなく、本当のことであった。
その言葉を理解した私の大きな声が森の中に響き渡ったのだった。
「ねぇねぇねぇ、グレちゃん。私をたべて〜」
「いやですっ!」
「今日こそたべてくれる〜?」
「だから、食べませんっ!」
「ね、ちょっとでも良いからたべてよ〜」
「ちょっとだけってどういうことですかっ!?」
それからというもの、ラスティさんは毎日私の所に食べられに来るようになった。
……字面だと良くわかんないね。
えっと、ラスティさんはどうやら赤ずきんで、私は赤ずきんに登場する悪い狼。
私は赤ずきんであるラスティさんを食べないといけない運命だそうです。
読んでた物語と違って、何故か赤ずきんが狼である私に食べられたがっているけど。
「ねぇねぇ聞いてる〜?」
「聞いてますよ」
「じゃあ、たべてくれるの!?」
「それとこれとは違いますっ!」
そんな攻防が始まって1ヶ月が経った。
未だにラスティさんが諦める様子はなく、毎日毎日食べられたいと伝えてくる。
その理由は未だにわかっていない。
自殺願望なのかと考えたけども、毎日幸せそうな表情の彼女を見てきたので違うと思いたい。
あれこれラスティさんのことを考えながら、今日もなんとか彼女からの要求を受け流し続けたのだった。
「どうしてグレちゃんは私をたべてくれないの?」
「……ふぇ?」
近くから聞こえてきた声と、落ちてきた水滴の当たる感覚で目を覚ます。
目の前には、悲しそうに涙を浮かべながら私に馬乗りになるラスティの姿があった。
「なんでっ」
「……ラスティさん」
馬乗りになられているせいで、起き上がることができない。
なんとか伸ばした手でラスティさんの涙を拭い、抱き寄せる。
お母さんが悲しくて泣いている時にやってくれたことを真似してみる。
「……グレちゃん」
「はい」
「グレちゃんグレちゃんっ」
「……はい」
ラスティさんが落ち着くまでの間背中をぽんぽんと擦り続けた。
しばらくすると落ち着いたようで、ラスティさんが離れていった。
「あはは、恥ずかしいところ見せちゃったね〜」
にこっと笑うラスティさん。
でも無理に笑顔を浮かべているように見えた。
「どうして」
「ふぇ?」
「どうして私に食べられたいんですか」
「……それは」
「食べたらそれでおしまいじゃないですか。……せっかく仲良くなったのに、食べたらもうサヨナラなんですよっ!?そんなの悲しいじゃないですかっ!だから私は絶対に食べないですっ」
「……っ」
「……はぁ……はぁ」
疑問をぶつけるだけのつもりだった。
でも、気持ちが高まってしまい、気づけば全ての気持ちを吐露していた。
全て言い切った私は、少しの恥ずかしさと清々しさがあった。
「……でも、私をたべないとおばあちゃんが」
「お祖母さん?」
「……うん。村の占い師さんのお告げでね、悪い狼さんがおばあちゃんをたべちゃうって聞いたの。それを防ぐには、私がたべられればって」
「……そうだったんですか」
話を聞いて理解する。
占い師さんのお告げとやらは本当の赤ずきんの世界線の話であると。
そして、そうならないためにラスティさんが犠牲になろうとしていたことも。
……ただ、納得はいってないけど。
「なら、約束しませんか」
「……やくそく?」
「はい、ラスティさんが私の側に居てくれるなら、私はお祖母さん――いえ、村の人を絶対に食べません。それでどうですか」
「……ほんとう?」
「はい、約束ですから。だから、約束を守ってほしいなら、私とずっと一緒に居てください」
「……うんっ!」
こうして、私はラスティさんと一緒に暮らすことになりました。
これで、赤ずきんの世界線から外れたに違いない。
つまり、私は誰も食べなくていいということ。
ラスティさんを食べることも、私が猟師に殺されることもなくなったに違いない。
幸せな生活が待っている。
そんな予感がしていた。
「でも、嬉しいなぁ」
「何がですか?」
「ずっと一緒に居てくださいって、もう告白だよね〜」
「……っ///」
「グレちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ〜」
「うるさいですっ!ラスティさんのバカっ」
「あ〜、待ってよ〜」
「意地悪なラスティさんの言うことは聞きませんっ!」
だから、今日も私達は二人でのんびりと過ごす。
私達の望んだ幸せな生活を得るために。