#12.0
休日ではなく、家族のいない僕一人だけの時間を狙ったかのようにやって来たのは、この為だったか。
何が連絡ミスだ。
「……おや、何故私を睨むのですか?」
東里さんは、心底不思議だと言うようにわざとらしく目を丸くする。
僕はもはや、彼女へ向ける猜疑の眼差しを隠そうとは思えなくなっていた。
「断っておきますが、彼らにこの件について命令を下したのは私ではありませんよ? 私を恨むのはお門違いというものではないですか?」
「でも、あなたには言いましたよね、東里さん。僕は最近、勘がよく働くんです」
彼女は、その柳眉を軽く上げて僕を見た。
いや、彼女が初めて僕に焦点を合わせた、というべきか。
「……そうでしたね。いえしかし、現実として私に彼らの指揮権はないのです」
そう言った東里さんから目を向けられた杵島さん、久米さんは、ピクリとも表情を動かさなかった。
ついさっきまでそこには強い眼差しがあったはずなのに、僕に視線を向けていながらもここではない、今はどこかを遠く見据えている。
僕もそんな彼らを視界に入れながら、反論の言葉を紡いだ。
「だけど国の組織って、上に辿っていけば大抵繋がっているものですよね? なら―――」
「―――ああ、仁城さん。発言には、気を付けることです」
底冷えのする声。
今までの、平坦で慇懃無礼なそれとは明らかに違っていた。
「あまりに軽率な発言は、あなた自身を危険に陥れますよ?」
ぞっとするほど冷徹な瞳で僕を見た東里さんと、視線が擦れる。
「……?」
―――驚いたことに、彼女の脅すような言葉と表情に反して、僕が感じ取ったのは彼女の確かな危惧であった。
まるで、僕が身を危うくすることを避けたい、とでも彼女が考えているようでつい、僕は続ける言葉を失う。
だって、それはおかしい。
彼女が僕を気に掛けているということもそうだけど、何より僕は既に命を懸けた危地に立たされていて、それでも尚彼女は危惧する先があるということなのだから。
地獄の先に、さらなる地獄でもあるというのか。
口を噤んだ僕を見て、東里さんは表情と声音を戻した。
「……とにかく、あなたは彼らの仕事を手伝うべきです」
こうなった彼女からはもはや何も感じ取れない。
普段のように、尋常ではなく分厚い彼女の建前が全てを覆ってしまった。
僕がそれを “建前” だと思ってしまうのは、僕が未だにそう信じたいだけなのかも、分からないけど。
だから、僕は聞いてみることにした。
「では、東里さん。……あなたは本当にそう思いますか? 僕が、彼らの仕事を手伝うべきだと」
「――、無論です」
……そう答えた東里さんの顔に走った微かな驚きは、僕の見間違いではないはずだ。
「………少し、時間を下さい」
僕は三十分ほどの暇を貰って、その仕事を受けることを決めた。
◇◇◇◇◇◇
あんなことがあった割に特に変わりのない検査は、今日も粛々と進められた。
「次はこちら、お願いします」
一人であればそこそこ広い自室も、仰々しい機材と複数の研究員が詰め込まれているせいで、かなり手狭な空間になっていた。
渡された奇妙な布の帯を、僕は持て余す。
「あの、これはどういう?」
「ああすみません、昨日まではなかったですかね、それ。使い方は簡単ですよ。まずは、太ももにそれを巻いていただけますか?」
言われた通り、僕はマジックテープを剥がしてそれを太ももに巻き直した。
「で、徐々に圧迫したり緩めたりするので、ベッドに横になっていて下さい。……では始めます」
寝るためのベッドがそのまま検査台に利用されるというこの状況も、今では諦めている。
別室――下のリビング――では、良い機会だと自衛隊員も検査されていた。
彼らも既に複数回、迷宮に潜行しているそうで、これでやっと比較ができる、喜んだ研究員がいる。
……ということは、だ。
やはりこれは、迷宮が人体に与える影響を確かめるため、などという名目は虚偽であり、単なる実験に過ぎなかったのだ。
迷宮が現れた近隣の人には例外なく行っている検査であれば、これまで比較できなかった、というのはおかしいのだから。
僕にも聞こえるような声量で迂闊な発言をした中年の研究員は先程、にこにこした東里さんにさり気なく連れ出されて消えていった。
しばらく耳を澄ませていたけど、悲鳴は聞こえなかった。
「……はい、ありがとうございました。まだ項目は残っていますが……そうですね、少し休憩を挟みましょうか」
「……ありがたいです」
「いえいえ。では、我々は二十分ほど外しますので。……あちらのお二人はまだまだ体力も残っているでしょうし」
そう呟いてリビングの方に下りていったのは機嫌良さげな研究員たち。
体力的な話ではそうだろうけど、検査はそれで済むものではないんだという主張は……彼らのためにしようとは思えない。
精々耐えてください。
順調に進んだ検査は昼過ぎには終わり、機材、そして研究員の引き上げた自室で僕は昼食を済ませる。
食器を下げついでに、リビングでぐったりしている杵島さんと久米さんに声を掛けた。
「それで、迷宮にはいつ頃から? お二人はもう昼食は摂られたんですか?」
僕の声に、二人はハッとして姿勢を正す。
いいのに、と思うけど、これも彼らの心構えだろうか。
「はい、自分たちは食事が早いことも取り柄でして。迷宮には仁城さんの準備が整い次第、同行したいと考えております」
「そうですか……? では、今から行きますか」
二人は軽く目を見開いた。
「今から、ですか? いえ、承知しました」
「ええ。……まあ、玄関から出るだけなんですけどね」
念の為外に出たあとで玄関の鍵を掛け、石門の前に連れ立って歩く。
雨は降っているけど霧雨で、三人とも傘はさしていない。
ブルーシートに覆われた迷宮への入口は、変わらない存在感で庭にあった。
「よい、しょ」
僕がブルーシートを一気に引き剥がすと、両扉に不思議な紋様の彫り込まれた石門が現れる。
「あ、そういえばお二人が迷宮に潜った時って、どんな感じでした?」
「自分は……体の内から妙に力が湧き上がってくるのを感じました。それで、装備もなしに何とかヤツらを斃すことができた、というか」
「自分もです」
順に久米さん、杵島さんが答えた。
僕が戦ったのと同じ種ではないかもしれないけど、それにしても魔物を生身で倒した、というのは凄い。
僕は内心で感嘆しつつも釘を刺す。
「そうその、力が湧き上がってくる、という感覚がこの迷宮ではないかもしれません」
ステータスは最低値に固定される、という仕様がそのままなら。
「それから、迷宮に入った時点で抜け出せなくなるかもしれません。あと、ヤツら――魔物が、比較的強い種になっているかもしれません。それに、迷宮に設置されている罠も見つけ難くなっているかも―――」
僕が経験した迷宮、“原初” なる凶悪な特性がそのままなのであれば、そういうことになってしまうのだ。
「それでも、お二人は僕と一緒にここへ潜りますか?」
けどたぶん、僕の書いた報告書は二人とも読んでいるだろう。
つまりこれは、ただの確認作業だ。
「「――はい」」
そんな作業に、杵島さんと久米さんは声を揃えて付き合ってくれた。
なら、確認はこれで終わりだ。
代わりに、二人に言っておくことがある。
「二階の自室ですが、机の上に父と妹に宛てた手紙を載せておきました。――幸いなことに、今回は危険な目に遭うことが事前に分かっているので」
ちょっとした嫌味を言いつつ、驚いた様子の二人に僕は続けた。
要は、手紙とは名ばかりの遺書である。
「僕に何かあれば、お二人にはそれを父と妹それぞれに渡してもらいたいのです」
少し強まった雨の中、僕は二人と順に目を合わせた。
もちろん、死ぬつもりなんてこれっぽっちもないけど。
「その時は、お願いします」
つまらない権力闘争に囚われて隠蔽したりとか、しないでくださいね、と言ったつもりだった。
◇◇◇◇◇◇
あれだけ脅しておいて何だけど、正直なところ、僕は “原初” 特性は失われていると考えている。
それもあって、僕はこの話を承諾したのだ。
あの迷宮が、鍵から門に変わっているからには、あれは原初特性も失っているのではないか、と。
「僕は『鍵』に触れただけで迷宮に入ってしまったのですが、『門』は何か違いがあるんですか?」
「そうですね、触れて転移する、という点では変わりありません。しかしあの報告書を拝読した限り、手を触れる時間とその経過に、大きく差があるのではないかと」
時間と経過か。
瞬間的には転移させられない、ということかな。
「『門』のタイプはこのように、手を触れてしばらくすると……これです。他の者には聞こえないようですが、自分の中に声が響くのです」
ああ、確かに僕には何も聞こえてこない。
もう二週間以上前のことで細かいところの記憶は薄れているけど、『鍵』のときもそんなことがあった。
「その音声の最後に『挑戦しますか?』と聞かれるので、手を触れさせたままそれに答えることで迷宮に入ることができます。……どうやらこの迷宮の名前は[汎常の石牢]というようですね。汎常、というのがこれまで潜ってきた迷宮の全てに一致する部分です」
「あ、それなら先程言ったような危険は恐らくない……ですかね」
“原初の石牢” でなくなっているのであれば。
「……だと良いのですが」
杵島さんの促す視線に従って、僕と久米さんも横に並んで手を触れる。
《[石牢の門]よりアクセスしました。迷宮名:汎常の石牢に挑戦しますか? はい/いいえ》
三秒ほどで、杵島さんの言った通り頭の中に声が響いた。
そして同時に、僕の前にだけパッと現れたのは、見慣れた青いパネル。
脳内に響く音声と全く同じ文面が表示されている。
「これは……」
「たぶん、ステータスと同じ仕様なんでしょう。恐らく、『魔力』もしくは『素質』に起因して現れるものです」
「なるほど」
すぐに思い浮かんだ可能性を二人に話しつつ、目を合わせた。
「……それで、どうしますか? 三人一緒に行きますか?」
杵島さんと久米さんがそれぞれ首を振る。
「自分たちが先行しましょう」
「転移先の安全を確認したら戻るので、その後にお願いします」
頷けば、二人が門を見つめて口に出した。
「「――挑戦する」」
その言葉を言い終えるやいなや、二人はフッ、と青い光に包まれてその場から消える。
「……」
自分は散々魔法で試しておきながらアレだけど、人が突然消える光景は割とショッキングだったのだと今更思い知った。
父さんと美紀はよくこれを見てはしゃげたな、と家族二人の様子を思い返す。
それから一分ほど経って、二人が戻ってきた。
「スタート地点の部屋には脅威はありませんでした。行きましょう」
「……分かりました」
僕が頷いたのを確認して二人はまた、『挑戦する』とキーワードを口にして転移していく。
さて僕も、と思ったところで、僕の青いパネルの文面が変わっていることに気が付いた。
《先駆者 特性により、他の探索者が挑戦中の迷宮には挑戦できません》
……それは。
僕が伝える術もなく迷宮の外で待っていると、また一分ほどで二人は戻ってくる。
そのタイミングで、ブン、とパネルの文面も元に戻った。
《[石牢の門]よりアクセスしました。迷宮名:汎常の石牢に挑戦しますか? はい/いいえ》
という澄まし具合だ。
「仁城さん? 何かあったのですか? 来なかったようですが、やはり……」
「いえ、行けなかったのは僕の心情とは関係ありませんよ。どうも、システム上僕は誰かと一緒に迷宮に挑戦することができないようです」
戸惑いを浮かべる二人に、僕は意図的に説明を省く。
『先駆者特性』については、父さんと美紀以外には話していないし、その二人にも口止めを頼んでいる。
理由は、それを明かすことが僕にとって危険過ぎる気がしたから。
―――他人に『魔力』というステータスを与えることができる。
もし、『先駆者特性』があの迷宮に潜った僕にだけ与えられたものだったとすると、他人に『魔力』を付与できるのも僕だけ、ということになる。
それで僕がどう利用されるか、なんて、絶対にいいものではないことくらい想像に容易い。
「とりあえず今から僕が先行するので、その後に続けるかどうかお二人も試してみてください」
だから端的にまとめて、二人に実演してみせることにした。
僕は左手で迷宮に触れたまま、右手で選択肢の『はい』に触れる。
「……ッ」
視界が光に包まれて、足元が揺らぐような感覚。
一瞬のうちに転移が発動し、僕は迷宮の中に立っていた。
辺りを見渡しても、『原初の石牢』から特に変わった様子はないけど……雰囲気というか、迷宮の放つ重圧みたいなものが軽くなっている気がする。
「……ん、これか」
訂正。
一つ、変わっているところがあった。
僕の真後ろに、入るときに触れていたものと同じ石の門が、石の壁に紛れるように存在している。
「………よし、こんなものかな」
二人が確認する時間のため、僕はしばらく迷宮内で待機した。
二人は転移してこない。恐らく、僕と同じ状況に陥っているのだろう。
頃合いを見て僕は門に触れた。
三秒が経ち、そして。
《先駆者 特性により、迷宮から引き返すことはできません》
「……え?」