9.受諾
ベッドへ仰向けに倒れこみ、天井の一点をボッと見つめる。重い疲れから、背中がマットへ沈むように思える。
あの観覧車から解放され、自宅に帰り着くまでの二時間余りが、薄く引き伸ばされた記憶で蘇る。しかし、記憶はたちまちバラバラに……。破片を拾い上げ、パッチワークみたく形に仕立てていくしかない。
観覧車のトラブルへのお詫びとして、あの上司から土産を一包み貰った。あのアジア系係員じゃなく、分身のせいで扉が開いたわけだけど、それを伝える気力など無かった。
町田は観覧車から離れるなり、濡れ手で粟の土産物に笑顔を示した。エントランスへ歩きながら、彼女は包みの袋内を覗きこむ。
「大きいのと小さいのが入ってる。ねえどっちにする?」
「……小さいので」
俺がそう答えると、彼女は袋から小さな箱を取り出した。そして、俺のリュックを躊躇なく開け、箱を詰めこむ。
「おいっ!」
「ご、ごめん」
睡眠薬を見つけられそうになり、声を荒げてしまった。顔も荒く怒って見えたんだろう。
深呼吸し気を落ち着かせたが、もはや彼女と向き合えなかった。あの分身が顔をニヤニヤと固め、自らの存在を誇る。奴は一人、暖色の外灯に照らされ、目だけは俺を見据えていた。勝負はついたと誇り、「今後ともよろしく!」と挑発するように……。
地面に頭を打ちつけたくなるほどの、屈辱と敗北感を味わった。曽祖父母の世代が敗戦を知り、外人が来たときも、そんな心持ちだったに違いない。
それから帰路についたものの、会話は特になかった。さすがの彼女も疲れていたはず。
「それじゃまた」
「うん、今日はありがとね」
町田宅の前でも、そんな程度。サヨナラを言い合い、俺は町田宅を後にした。風は止み、静かな冬の夜空の下、俺はモヤモヤ感と小さな土産と共に家路につく。
「おかえり! 近くにいるなら上がってもらったら?」
町田母の声が静けさを貫き、後ろから聞こえてきたが、俺の歩みは止まらない。走るように早く歩いたっけ。
分身が表情を変えるだけでなく、日本語を喋り、知恵をつけ始めるかもしれない。数を増やす点だけでも悪影響なのに、社会で巧みに立ち回る分身ども。
町田とは別々の高校だが、途方もない数に増えてしまえば、イヤでも目に入るだろう。下手すれば報復だって……。
大群になり口も利けるとなれば、彼女本人との区別がつかなくなりそう。分身にそう欺かれる恐れすらある。
あらためて俺は、分身のニヤニヤ笑顔を思い返した。いや、あのニヤけっぷりは、「ニタニタ」のほうが似合うな。
手に負えない数と甚大な悪影響を前に、俺は平静を保てるだろうか。狂い狼狽え、彼女ものとも皆殺しの展開をまず考えた……。けど社会が求めるのは、俺が一人死ぬか、彼女と共に死ぬ展開に決まってる。
……ホントにもしものときは、彼女もろとも分身を殺し、結果を見届けてから後を追おう。逮捕され刑罰を受ける気はない。大人の手を借りたり受けたりせず、このまま自分でケリをつけてやる!
自分の中でそう落としこむと、拍子に長いあくびが出た。今日一日の苦労を思えば、こうして自室のベッドにたどり着けたのは幸運だ。町田が悟れたかはさておき、心身ともに倒れてもおかしくなかった。苦労が積み重ねたのは、小さな結果と大きな心労だ。
なにしろ、七十七匹から一匹にまで減らせたんだ。しかし、立派な数字は最終的に、相応の達成感は与えてくれなかった。小さな結果だ。
そして、大きな心労は俺を疲弊させ、新たな考えから寝る前の歯磨きまで妨げる。行動そのものを諦めさせる重しが、両手両足や脳味噌に乗ってるようだ。ギリギリ手が届く物は、充電切れ間近のスマホや、電灯のリモコンぐらいか。
まあいい。夕食や風呂はスルーし、服装ほぼそのままで寝てしまおう。明日は土曜日で、再び平日を迎えるまで時間はある。
俺は目をつむる。しかし心が突如瞬き、再び天井を見つめた。あの一匹が再出現しなければ、めでたく全滅を遂げられてた! ……いやいや、そんな無念など忘れよう。やれるだけのことはやったと自分を労い、週明けに備え気分転換だ。
右太もも辺りに目をやると、小さな箱があった。それは例のお土産で、リュックの適当に放った際、ベッドへ転がり落ちたらしい。
「中身は」
色紙の包装を解く前に考えてみよう。
リニューアル記念のグラスだろうか? 携帯式のエコバッグもありえる。待てよ、売れ残ったマスキングテープを詰めてあるのかもな。
それ以上考える余裕はなかった。少し頭を巡らせる内に、眠気がドンと訪れた。余計なことを考えず、今は眠れと本能が促すよう。俺は正解を知るため、包装を雑に解く。大小に裂いた色紙を、ベッドから床へ払い落とし、箱を胸に置いた。
「ミント、ペパーミントの丸い飴玉か」
黄緑色の箱で、自然農法のミントだと謳われている。飴玉の写真は、新緑や涼しさを連想させ、今の寒い十二月には季節外れだ。売れ残りを袋詰めしてるに違いない。
少々ガッカリさせられたし、この飴で目を覚ます気は起きない。箱を指でこじ開け、飴玉の小袋を一つ取り出す。それを鼻先に当てると爽快感を嗅ぎ取れたが、舐める気はやはり起きない。
俺は飴玉の小袋を握りしめ、再び目をつむる。眠い、やはり今は眠るとき。電灯を消すことすら億劫だ。
ああクソッ……。夢はどれもこれも喧騒で満ち溢れ、余計疲れさせる。パジャマに着替え、電灯を消すべきだろうけど、本能は二度寝を欲した。
記憶に残らない夢を願う。