6.忍耐
交通戦争で生き残った分身のカウントには苦労した。車酔いが残る中、町田に手を引かれ歩かされたせいだ。彼女は余裕がある内に、あのフリーフォールを済ませたいらしい。
分身は残り四十四匹で、あのぶつけ合いで殺せた数は二十六匹にのぼる。ようやく五十を下回れたが、七十七匹の半分も殺せてない。
それに二十六匹は、彼女チョイスのアトラクションでの数字。たった数分間で俺以上の戦果をあげた事実は、少々悔しいところだ。
……ああ、胸のドキドキがまた始まった。震えの正体は焦燥感や自信の無さからか。それらは心や体を蝕み、悪循環につなげるわけだ。まずいな。
見える形で現れ、見えない形で蝕んでいく分身どもは有害な存在だ。生産性もなく増え、ただ生き続けるだけじゃない。そう考えると、奴らへのウンザリがドキドキを上回り、車酔いはすっかり醒めた。悪くない。
ふと足元を見ると、一帯が羽毛まみれだった。大きさや色、毛先の異なる無数の羽が、深緑色の床マットに散乱し、風で舞っている。白スニーカーの甲にも羽がつき、俺はパタパタと振り払った。
数えながら歩いてる間に、フリーフォールの入口を通り過ぎていた。次の参加分に入れたらしい。進む先に、フリーフォールの太い鉄柱と、それを囲む座席の輪っかが見えた。ハゲた中年男性係員が、客の両肩に安全バーを下げて回る。そして遥か頭上では、プロペラが忙しく回っている。
「やめとく?」
持ち物をミニスカートのポケットへ深くしまいながら、町田が言った。心配八割期待二割なご様子の彼女。背後の分身どもは、無表情十割で俺を見ている。
「いけるいける!」
俺はそう取り繕うと、わざと大股に歩いてみせる。滑稽に見えようが構わない気分だ。
ここで彼女以上の戦果を成し遂げよう。三十四十殺せば、焦燥感など分身のように消えるさ。
『三十メートル、三十三メートル、三十六メートル』
淡白なアナウンスと共に上昇していく、座席の「輪」。空に近づくにつれ、風力発電機のブオンブオンという羽音が大きくなる。
四十四匹いた分身の約半数が、輪のどこかに掴まった。もう半数は地上に残ったが、俺たちの頭上に再出現した。そして自由に落ち、あの世行きを果たす。
「……上、何メートルだっけ?」
町田が聞いてきた。声を上擦らせ、微かに身震いしてる。
「頂上? 確か六十、六十六」
「ううっ、まだ半分、半分ね……」
もう半分で分身をどれだけ殺せるかな?
「上を見てなよ。プロペラのほうをさ」
「うんうんそうしてるね。最後まで」
彼女は後悔を隠せないが、今さら遅い。厳重な安全装置に守られ、自力でも無理だろう。
「…………」
黙りこみ上空を見据える町田。悟りでも開けたような面持ちだ。
「手、つないであげなよ?」
左隣の大学生カップルの男から声をかけられた。二人ともニヤニヤと笑みを浮かべ、俺に町田と手をつなげと促してきた。
余計なお世話に思いながら、愛想笑いで返す俺。手をつなごうにも、彼女は安全バーをガッチリ掴み、視線は上空に釘付けだ。カップルの冷やかしも耳に届いてない。
再出現した分身が、次々に地上へボトボトと落ちていく。俺や彼女に視線を向けるのは忘れずに……。
『四十二メートル、四十五メートル、四十八メートル』
高さ五十メートルまで上がると、風が憎らしく思えてきた。吹雪のようにトゲのある乾いた寒風が、容赦なく顔に吹きつける。背後を除く四方八方から、情け容赦なくかつ絶え間なく。
強風で髪型が乱れ、鼻水が出そうだ。落ち着かず、せっかくの遠景もこれでは楽しめない。目的は分身殺しとはいえ、損した気分になる。
……ただ、分身が上昇する輪とレールの間に挟まれ、搾りたての鮮血をあのカップルに浴びせたのは痛快だ。死んだ分身が消えるまで、男女とも濡れ濡れの赤面で、目や口をパクパク開いてた! シュールな数秒間を目にし、俺は必死に笑いを堪える。
「ああっ!」
そんなとき、町田がいきなり声をあげた。
「なに、なんだよ!?」
イラつきながら聞いた。硬直モードを解いた彼女は、左手で上空を指差す。それからすぐ、両肩にかかる安全バーへ手を戻した。
彼女が指していた先を見る。強風で見づらいが、マシなものを見られそうだ。
「あの鳥、ワシ? タカ?」
「どっちも同じじゃなかった?」
他の客が喋ってくれたおかげで、お目当てを発見できた。
晴れた青空を大きめの鳥が飛び回っている。優雅じゃなく荒々しい飛び方なので、ワシじゃなくタカだと俺は捉えた。中学か小学校で学んだかもしれないけど、たいした問題じゃない。
タカの目的は、俺たちに自らが貴重な存在であるとアピールしたいわけでなく、餌を捕まえることだ。絶対生き残ろうと、餌候補のスズメを無我夢中で追いかけている。強風に吹かれ回るプロペラの放つ、耳障りな羽音をBGMに。
「食べられちゃうね」
「まあそうなるよな。……見ないほうがいい」
俺がそう言うなり、彼女は目をつむる。
麓からそうしておけばと思ったとき、座席の輪が止まる。ついに六十六メートルの頂上だ! 園内はもちろん、山々の縁を沿う高速道路も遠くに見える。新型観覧車に次ぐ高さだけあり、清々しい見晴らしに開放感を覚えられる。
……絶景に魅せられ見落としかけたが、再出現から落下する分身がいない点に気づけた。今は輪にしがみつく、二十匹前後の奴らだけだ!
四十四匹からここまで減らせた好成績に、はしゃぎかけた俺。声を抑え、両足を何度かバタつかせるだけに留めた。
中学二年の二学期、英語の期末テストで平均点より二十点以上リードできた件を思い出す。点数を目にした途端、その場でジャンプしてしまい、町田に大口で笑われたっけ。
「ピピッ、ピピッ」
小鳥のか細い鳴き声が、プロペラの羽音にまぎれ聴こえてくる。タカに狙われたスズメが、風力発電機のプロペラ近くを必死に飛び回っている。タカが早く諦めるよう願ってるに違いない。
「ムダだって」
だが諦めるのはスズメのほう。次はスズメやブロイラーとかじゃなく、人間が保護する鳥類に転生できるといいな。
スズメがやけを起こしたのか、高速回転するプロペラへ突っこんでいく。炭素繊維の硬い羽根に当たれば、小鳥なんて瞬く間に羽毛や挽き肉と化す。この麓で舞う羽毛がその証だ。
しかしスズメは運良く、羽根同士の微かな間を通過できた。気流でバランスを崩しながらも飛び続けていく。
……追いかけるタカは運悪く、赤茶色の羽毛や挽き肉を撒き散らす。骨が砕け散る高い音が、機械的な羽音に添えて聴こえた。タカの死骸は柱にぶつかり、赤黒い血をパッと降らせた。それから落ちていく、絶滅危惧種だったそれ。
あのカップルも運が悪いことに、髪や服を赤く汚した。思いがけない恐怖と不運に、二人は悲鳴を大きくあげる。女のほうはパニックに陥り、手足を激しくバタつかせ、スニーカーの片方を落下させてしまう。男は自分も取り乱しながらも、狂わんばかりの女を介抱する。喚き声と宥める声は、羽音に掻き消されないほどの騒々しさ……。
俺や町田は服を汚さずに済んだ。ただ今の彼女は、地上二十階相当にいる事実を忘れたような、神妙な面持ちだ。生のバードストライクを目撃し、恐怖から気が逸れたらしい。パニックになり喚き立てるよりマシとはいえ、何か言葉をかけたほうが良さそう。
「そのさ、自然って残酷だもんな」
「……人間も自然の一つならそう言えるね」
俺の問いかけに、彼女は淡々と答えた。そして、俺の目をじっと見返す。ホントに悟りを開けたのか?
『ロク、ゴ、ヨン』
次の言葉を考えてる内に、急降下のカウントダウンが突然始まる。何の前触れや演出、突拍子もない。そして、一度切りの急降下というケチ臭いアトラクションだったな。
取り乱すカップルは、輪が下がる勢いで舌を噛むかも。そうなれば、服をさらに赤く汚すだろうな。噛み切った拍子に、血しぶきをお見舞いされないよう願う。
「…………」
彼女は硬直モードへ再び移行していた。瞼と口をきつく閉じ、恐怖の襲来にただ備えている。きっと、時の流れを遅く感じてるだろう。分身どもの悪影響も含め、一秒一秒を重々しく。
『イチ、イチ、イチ、イチ、イチ、ゼロ』
意地悪く告げられた途端、輪は急降下する……。
青空は遠のき、大地が近づいていく。股間がヒュンとなる不思議な感覚を味わいながら、変わりゆく景色を楽しむ俺。一方、町田は口をさらに強く噛み締め、舌を噛まないよう必死だ。安心安全な自由落下なのにな。
それにもったいなさすら覚えつつ、彼女から視線を戻した際、逆さまに落ちていく分身と目が合った。急降下の拍子に輪から手を離した奴だ。共に自由落下する数秒間、俺はそいつと視線が合わせ続けた。
ただあいにく、高さ十メートル辺りで輪にブレーキがかかり、そいつはお先に……。麓で頭頂部から、さぞ派手に散ったはず。
輪がゆっくり降下する間にその分身は、ひき肉一筋残すことなく消えていた。ただ、別の死骸がそこにあった。
……タカらしき死骸が、深緑色の床マット上に転がっている。くちばしを粉砕し、残り少ない羽根を風で揺らしながらも、片方の瞳はしっかり俺に向けていた。何かを訴えたいのか? だけど、それを読み取ってやる義務はない。
「ああっ」
瞼と口を開け、硬直を解いた町田が言った。上空を見上げていたが、やがて下に向け……。
パシャンという軽い破裂音がしたかと思えば、足元に肉片が落ちていた。原形を留めずも、へばりつく小さな薄茶色の羽根から、スズメだと察せた。瞳やくちばしは見当たらず、使い古しのボロ雑巾と言われれば信じられる有り様だ。
「残酷、本当に残酷」
約二羽分の死骸を前に、町田はそう呟いた。そして、安全バーをまだ着けたまま、ご丁寧に合掌まで。
「順番に外していくのでお待ちくださーい」
小屋から出てきた中年男性係員が、棒読み気味に言った。係員は死骸を一瞥するなり、別の係員を呼びつける。ホウキとチリ取りを手にした、浅黒い肌の若い男性係員がやってきた。二人の係員に焦りや驚きはなく、面倒臭さが際立っていた。
「あの、危なくないですか!?」
彼女が大声で言った。他の客一同が思ったのは「自分たちへの安心安全」だけど、俺は野鳥へのそれも指してると察せた。
「そうそう、こんなの危ないじゃないか!」
客の誰かが声を荒げる。隣の不運なカップルみたく、服を汚すのが絶対にイヤなのは当然だ。ただ俺は、町田がこれ以上何か言うのを止めようと思う。どのみち時間のムダ遣いだ。
……彼女を止めかけたそのとき、今度は鳥じゃなく人間、いや分身が落ちてきた。上で何かに掴まり、共に降下し損なった奴だろう。死ぬのは全然構わないが、イヤなタイミングや位置で死にやがった。
なにせ眼前で、町田の安全バーに顔面を強く打ちつけての即死だ……。顔の全パーツは原形を留めず、離れ離れに散っている。福笑いのように面白おかしく思えたら、どれほど気楽だろう。
あいにく俺は不快にしか思えず、猛烈な吐き気がこみ上がった。そして堪える間もなく、俺は町田へ吐いてしまう……。黄土色に濁った液体が、彼女の左肩に降りかかっていく。パシャン!
ああクソッ、やってしまった。パシャッ! うっ、二発目も。
湯気が薄く立ち昇る中、彼女は驚愕した顔を向けたまま、三度目の硬直モードへ。量は紙コップの半分ほどだが、彼女の左肩や二の腕辺りを汚く染めた事実に変わりはない。またやってしまった。
「…………」
「ゴメン、ホントにその、ゴメン」
お互いそれ以上何も言えない。他の客や係員も無言で、何か見たような見てないような面持ちだ。
そして、係員が顔をしかめながら安全バーを外す間、二つの事を考えていく。一つ目はゲロで汚した町田への償い、二つ目はココで死んだ分身どもの件だ。現実から目を背けるように、物思いに沈む俺。
償いはクリスマスプレゼント(手頃な値段)やカフェで奢れば、何とかなりそう。ただし、キスまではご勘弁。
しかし、分身が気色悪い死に顔を晒したり、自由落下で目が合ったりした件は、忘れ去れないほど厄介だ。町田宅で分身を初めて殺した件と同じぐらい、記憶に深く焼き付いてしまった。
ひょっとすると、遊園地という無邪気に楽しむべき場を使った点が何か悪かった? 楽しみながら分身を殺したつもりはサラサラないけど、心の底では上手に割り切れていなかったとか……。
「気をつけてね」
座席から立ち上がる俺に、中年係員がボソリと言った。
今さらいったい何に気をつけろと? 主語を尋ねたい気持ちを抑えつつ、フリーフォールを後にする。
俺は先を歩きながら、町田の足音が後ろから絶えず聴こえてくることに安堵できた。