4.把握
「なあ、町田とはご無沙汰?」
突然声をかけてきた奴は、例の友人だった。町田を「三十歳までに結婚できなかった男が妥協する顔」と評し、彼女の隣へ座れるありがたいキップを寄こした野郎。
……名前は立川、えっと、ナントカだ。今日も彼は明るく朗らか、能天気なご様子。高校が決まる直前でも、彼の調子は普段と変わらなかった。そういう意味では多少安心できる奴だ。マッシュに仕上げやすい直毛を、いつも羨ましく思ってる。
しかし立川は、教室で机に突っ伏し、昼休みを休息に充てる俺へ、とってもありがたい言葉をかけてくれた。いつもの軽い口調に、無責任な微笑みまで浮かべて!
「お前に関係ある?」
「うわっと」
そっけなく返しただけだが、彼にはキツく聞こえたのか。笑みはしぼみ、作り笑いに変わる。
「いやいや、関係なくはないよ。クラスメートとして放っておけなくて。その、フェイクニュースがまたさ」
「……ああ、今度はどんなデマ?」
俺は町田と付き合っている、という「設定」がクラスで以前から存在はしていた。「展開」や「舞台」をつくられたことは何度もある。例の写真撮影での件がそう。
ただ最近では、公然と語られるほど……。先日の「町田の家で彼女を叩き起こした件」が大きい。真実は「彼女の分身どもを減らしたかった件」だけど、彼女や周囲は耳を貸さないだろう。
ハッキリ言えば、みんな楽しんでる。彼女と最近どうだと、無責任な言葉をかけた立川も同じく、他人事をエンタメ扱いだ。
増え続ける分身だけでもメンタルが一杯なのに、デマにも対処しなくちゃいけない。誰々が付き合ってる恋愛の噂なんて、どこでも流れる類だけど、スルーできずにいる。
なにせ、あの一件から噂に尾ヒレが付き、「妊娠させた」やら「できたソレを母親越しに蹴った」というデマが流れた……。さすがに酷い類は自然消滅したが、心苦しさは残る。
「フッたせいでリスカしてるっていう。例えばそう、今はトイレの個室でさ。……けど、別れたなんて嘘だもんな」
「いいや、フッてないし付き合ってもない!」
彼がデマを流したわけじゃない。けど、手近な彼を殴りたい気持ちに駆られた。なんとか耐えるも、口調と表情が険しくなった俺。
教室にいたクラスメートの多くから、注目を浴びる。奴らが浮かべる表情は、からかい半分驚き半分といった具合。右斜め前方に座る、クラスのアイドル的存在の檜原さんにもそんな表情を向けられ、怒りに恥ずかしさがトッピングされた。
「落ち着け、落ち着けって」
怒りや恥ずかしさで紅潮した俺。気づけば、席から立ち上がっていた。急いで座り、顔を伏せたが手遅れだ。
傍目には興奮したとしか見えない。悪く考えるなら、まるで包丁を振り回し狂った輩のように……。
よし深呼吸、落ち着き深呼吸。状況や関係をこれ以上複雑にしてどうする?
「悪い悪い、かなり疲れてて」
「……だろうな。受験の次は、恋愛を解決しなきゃだもんな」
俺の左肩へ手を置き、そう宥めてきた立川。反論したい気持ちを抑え、分身どもの数を思い出す。
分身は今朝も増え、五十どころか六十匹台だ。六十三匹の分身どもは先ほど、彼女と共にトイレへ向かった。大勢の分身どもに阻まれ、他に誰もトイレへ入れないはず。……今回のデマは、町田が女子トイレでぼっちだからか?
分身問題が未解決なのに、デマの出所まで探る余裕はない。その場で否定するぐらいだ。ちなみに担任は、公務員らしい「触らぬ神に祟りなし」のスタンスでいる。
分身を四匹減らせた、町田宅での夜。あのとき、町田の母親が浮かべたニヤニヤ笑いは、何年何十年経とうと思い出せるはず。包丁や睡眠薬はバレずに済んだが、気持ち悪い展開へ流されてしまった……。
俺と町田が親友関係から恋愛関係へ発展したと、彼女の母親は無邪気に喜ぶ始末。誤解を解くべく、俺は当然否定した。恥ずかしさからの否定じゃない点も含め、強く言った。
けど町田本人が、イエスともノーとも言わず、曖昧な態度を示してしまう……。「あまり酷い事はされなかった」とだけ言い、俺をそのまま帰した。
この件は速やかに、俺の両親へラインで伝わった。母は玄関でニヤニヤ笑顔を浮かべ、クタクタな俺を出迎えた。俺の両親も、町田との関係が発展するのを良しと考えている。中学生の子供同士が付き合い始めれば、嬉しさより心配が上回るのが普通だろうに。
……それから話が漏れ、今こうなってる。分身問題に加え、誤解やデマに振り回される日々だ。
あの夜以降も分身を減らすべく、何度かチャレンジした。家庭科室の包丁をまた使ったり、車道へ蹴り出したりだ。死んだ途端に消滅する点が、不快さや罪悪感を慣れさせてはくれた。
しかし、結果は焼け石に水に過ぎず、次の機会を伺う間に増えてしまう……。それに、家庭科室や技術室に出入りする事はリスクが大きい。リュックやポケットを調べられ、包丁や金づちが発見されれば終わりだ。
分身を一匹残らず殺せば、二度と出現しない可能性には賭けたい。けれど、今まで一回の機会で殺せた数は一桁に留まり、その試みはとても簡単じゃない。爆弾や灯油を使うわけにもいかないし。
「金欠でデート行けないなら、遊園地のペア券やろっか? ディズニーやUSJじゃなくて、青海のヤツだけどさ」
立川はそう言い、隣町の遊園地『青海レッドオーシャン』のチケットの端を、ズボンポケットからチラ見させた。ほどほどに楽しめるご当地スポットで、都の観光パンフにもさりげなく載っている。俺が最後に行ったのは、小学校での遠足だ。無論、町田と共に……。
「いらない! 付き合ってもない女子とデートするわけないだろ?」
彼女とはもう遊園地へ行けない。行ける身じゃないんだ。
「おい、町田は別にブスってほどじゃないじゃん? トカゲやゴリラと呼ぶ奴いるか? いないだろ?」
立川がそう言った。確かに彼女はブスじゃないが、美少女でもない。典型的な丸顔で地味な雰囲気をまとい、能天気や幼馴染という点だけが取り柄の女子だ。どの辺りに性的魅力が?
俺の視線は自然と、檜原さんへ向いた。クラスで一番魅力ある女子を決めるなら、満場一致で彼女が絶対選ばれる。
彼女の長い黒髪は美しく艶があり、肌は石鹸のような清潔感で満ちている。しかも女子として中身もバッチリの彼女は、俺にも「高嶺の花」の存在だ。
ひょっとすると、一部の女子は檜原さんを不快に思ってるかもな。どこかへ消え去ってほしいと心の底から……。
「おいおい、ヒノキちゃん(檜原)と比べちゃ残酷だろ?」
立川が声を潜め言った。苦笑いや同情に、非難を混ぜ合わせた笑みを浮かべている。その複雑な表情は笑いを誘ったが、堪えるしかなかった。
「何が残酷なの?」
町田がトイレから戻り、急接近している。分身どももゾロゾロと、教室へ堂々入ってくる。大半が躊躇なく周りにたむろし、あぶれた少数が廊下の窓際にズラリと立ちつくした。蛍光灯や日光が遮られ薄暗く、黒板や人の顔に影が差す。
「楽しい話なら聞きたいな?」
和やかな口調で、話の輪へ入ろうとする町田。しかし、彼女が楽しく語り合えるテーマじゃない。少なくとも、ニコニコ笑顔になるような……。
見計らったように鳴り響く、昼休み終了のチャイム。その音色は、テスト最終日の締めで鳴るそれよりも、解放感を湧かせた。ああ助かった。
――倒れたのは突然で、はじめ何が起きたのかわからなかった。俺だけじゃなく教室の全員が、檜原さんの失神に気づくのがワンテンポ遅れたほど。
五時限目日本史の後半に指名された彼女は、教科書の平成初期を読んでる途中に倒れこんだ。顎を机で打ち、教科書と床につく。
「檜原さん? ちょっと、檜原さん!?」
日本史のババア教師が、メガネのつるを指でつまみ直しながら、床で動かない彼女に呼びかける。ありきたりの深刻な表情、そして反応。
倒れた原因は、汚く濁り切った教室の空気だ。寒さから閉め切った室内で、大勢の分身どもが呼吸するせい! 人並みに二酸化炭素を排出し、俺以外の人間にもついに牙を……。
けれど後日、教師たち大人は、教室の換気か本人の問題(生理や貧血)で片づけてしまう。これでは解決にならず、卒業までにクラスメートの何人が倒れさせる気だろうか?
しかし俺は、空気の問題だけじゃないと把握できた。やはり最近から、時の流れや動作をのろく感じやすい。周囲すべてがコマ送りやスローモーションに見え、手足を素早く動かせないひとときが、最近よく起きている。
教科書のページをめくる際も、残像が薄らと見える。目に焼きつきはしないが、めくる度に嫌気を覚える。
疲労や幻覚じゃなく、明らかに非現実的なことが起きていた。それは分身の数に比例し、拍車がかかっていく。さらなる異変に俺は、不気味や恐怖をあらためて感じた。分身を初めて目にした朝と変わらないほど。
立川やクラスメートの多くに、真剣に尋ねると「そう言われれば」と、ややマジメに答えてくれた。町田でさえ、軽々とは否定しなかった。みんな心のどこかで、ストレスや疲れが原因じゃない何かが起きてるとわかっている。バカにされたくないと、自分から口にしないだけなんだ。
とはいえ、分身が原因だと説得してもムダに終わった。元から把握できている人間は、相変わらず俺一人だ。
俺一人だけじゃない問題を、俺だけで解決させられる理不尽……。それに嘆き悲しむ余裕すらない。分身は今朝も増え、明日あさっても増えていく。
たとえ今のペースで増え続けても、日本中が分身で埋め尽くされはしない。けれど、檜原さんのような被害者が出てしまう。淀んだ空気を吸わせた挙句、時間や動きを狂わせる分身ども。奴らは何喰わぬ顔で居座り、日本語を話すこともなく、俺たちを苦しめるばかりだ。
解決を諦め、知らぬ存ぜぬでいれば、誰もが被害者になりかねない。俺だって正直怖いんだ。
分身どもを殺そう。数匹程度じゃなく、今度こそ徹底的に!
一匹残らず全滅させれば、奴らに勝てる可能性に賭ける。皆殺しで解決し、五ヶ月足らずでも中学校生活を「日常」に戻そう!
町田と同じ外見の癖に、無言で無反応な奴らに情けは無用だ。イヤなら消え失せればいいんだから。
何度か減らせた今も変わらず、町田にただついてくる。通過するトラックに轢き殺されようと、他の分身と電柱に挟まれ圧死しようとも。どこまでも従順と、何も疑うことなくずっと……。
「犬だ」
「んんっ、犬? どこに?」
彼女のそばを離れない分身を犬に置き換えた際、声が漏れてしまった。
「あっ、いや何でもない」
そうごまかしたとき、分身皆殺しの場を思いつけた。彼女を自然に連れていける場所と機会を!
「なに? 私が犬って意味?」
彼女に構わず、考えこみつつ歩く俺。肯定すれば修羅場になり、余計な時間を喰らう。俺は大事な時にいる。彼女と分身を扉で確実に引き離せ、控えめな距離で済むのにピッタリな場所を思いつけた。
ただ、場所は悪くないけど、彼女をまた欺く必要がある。それに自分自身も欺き、強い罪悪感で後々苦しむはず。何事も割り切って進める、ドライな人間が羨ましい……。
夕空を薄目で見つめつつ、覚悟を決めた。多少不自然でも、彼女を流れに引きこもう。彼女に取っても悪い話じゃない。
「ラインさせて」
「あっ、うん」
彼女はキョトンとするが、怪しんではいない。簡単なことだ。
歩道の脇で立ち止まり、立川へメッセージを送った。簡単に進められる。
「青海レッドオーシャン、行きたいの?」
俺のスマホを覗きこんだ彼女が言った……。ムカついたけど、深呼吸で耐える。油断しちゃダメだ俺。
そして立川から、歓喜を示すスタンプと了解メッセージが届くと、俺は町田の顔を見据えた。ああ恥ずかしい。
彼女も一丁前に恥ずかしいご様子で、誘いを待ち構えている。
「そのさ、二人でさ、遊園地に行かない?」
照れ隠しにしか聞こえない、ベタな誘い文句。ウブな子供が吐くセリフじゃないか。回答は決まってるんだから、適当かつ強気でいいのに。
「もっちろん! ヤリィ!」
当然快諾。覗き見で話を把握できてたもんな。
それでも俺は、全身から力が抜けるのを感じた。彼女も似たような調子で、頬をポカポカ紅潮させてもいる。
取り囲む分身どもを消せば、教科書通りの感動シーンだ。第三者に涙を流させ、誰かが達成感を得る類のな。
……ところが、立川から続けて送られたメッセージが、感涙を吹き飛ばした。それにはかなりシラけ、いろいろ考える必要に迫られた。
『悪い悪い、券は平日限定の割引券だ。いいか?』
ああクソッ、小遣い前借りとサボる口実が必要だ。
まあ、両親は喜んで協力してくれる。余計なお世話も含めて。