2.懸命
町田は親友だけど、恋愛関係は望んでない。もし彼女が望んでたとしても、あまり良い返答はできないな。
彼女の性格は悪くないけど、顔がブスでも美少女でもなく微妙だし……。ある友人の言葉を借りると、「三十歳までに結婚できなかった男が妥協する顔」なんだ。無論、彼女には内緒している。
大人もだけど、外見は皆評価したがるもの。思春期の俺たちには、なおさらな話題で、残酷だとは思う。
それはさておき、俺は町田とは別の高校へ進学する。そう決意するのに躊躇しなかったし、町田は渋々納得してくれた。志望理由は偏差値や学費からだと伝えた。
増え続ける分身の問題は、あえて理由に挙げていない。彼女はこの問題を理解していないし、先生や親に伝わるリスクを考えれば、わざわざ言う必要はない。
別々の高校になれば、分身の増殖が止まるかもしれない。そうなれば、近所で挨拶ぐらい交わせる。部活や将来、恋愛話などを気兼ねなく話せるはず。
俺は高校生活を思い浮かべながら、自室で願書を書き終える。少子化のおかげで、最近は公立高校も全入状態だ。油断してもしなくても通る。願書の文字が少々歪んでいようが、先方に選ぶ余地はあまりない。
願書の用意を終えた後、SNSやゲームで潰せる時間は残っていなかった。
大人側の都合で、明日から修学旅行なんだ。分身問題も忘れ、旅支度を急ぐ俺。願書で時間がかかり、夜遅くになってしまった。下着と充電器は真っ先に詰めこんだ。
京都行きの新幹線でグーグー寝ちゃわないようにしなきゃな。天気は晴れだし、富士山を右側で眺められる。他の品々をボストンバッグに詰めこみながら、青空に映え、頂を薄ら輝かせた富士山を思う。
……ああ、町田と相席である点を思い出してしまった。そんな二人掛けシートのそばに佇むのは、三十えっと、三十四人の分身ども。
席を寄こせと言わないにしろ、圧迫感はさぞ酷いだろう。トイレへ行きづらく、乗り降りに苦労するはず。
いやいや、俺が抱えこむ問題じゃない! 中三の夏休みは勉強で忙殺され、町田やクラスメートとはカラオケもできない夏だった。だから、登下校や校内以外の場で、分身がどんな迷惑をかけたなど知らない。
悶々としつつ荷造りを終えるなり、俺はベッドインを決めた。スプリングの反発を額に喰らいつつも、眠気がそれを上回り……。
――町田とは翌朝、最寄り駅近くで会えた。集合場所へ向かう彼女と分身どもは、それだけで一つの団体旅行で、離れた歩道から即わかった。
「おはよー!」
挨拶は彼女個人だけど、視線は団体レベルで浴びせられた。やや寝不足の上、彼女は流行りの原色系の私服姿で、分身も同様だったせいで、とても目に悪い光景だ。視力や気力が一段階落ちたと感じるほど。
「ああ、おはよ」
「んんっ、あんまし眠れてない? 興奮しちゃってさ?」
「……うん、まあ、そんなとこ」
改めて言ってやりたい気持ちを抑える俺。気にせず過ごすんだ!
集合した駅前広場で、分身どもはさっそくやらかす……。行き交う会社員や学生やらをジャマし、彼女の周りにデッドスペースをつくった。
分身は姿を見せずとも、生体や物体とは干渉し合う。地に足をついていたり、俺が殴れたから間違いない。
ただ不思議な点は、行き交う人々が気づいていない点だ。きっと、無意識に体がすれ違うんだろう。歩きスマホなら尚更の話だ。
担任や校長やらの中高年が前で話す間、俺や町田は周りに距離を取らせていた。当然、その駅から東京駅へ向かう電車内でも同じく。ラッシュアワーを避けての移動だが、それでも迷惑極まりない。二泊三日の修学旅行が、「旅の恥は掻き捨て」じゃ済まなくなると確信した……。
人々や分身に揺られ蹴られつつ、東京駅の改札まで辿り着けた。
分身がボストンバッグを踏んだことにイラつきながら、新幹線のキップを確かめる。財布の往復キップを見るなり、クラスメートの誰かと交換しようと思い立つ。改札前で町田から離れ、友人の元へ向かった。
「交換しない?」
「おい、なに言ってる?」
半笑いの顔と声。
「なにって、新幹線の席を戻してくれよ」
「いやいや、エスコートしてあげなって!」
そう受け流す友人。元々は彼のキップだが、気を回してくれたおかげで、俺は町田と相席になった。彼はマジの善意から、俺と彼女をくっつけたがっている……。
ああどう考えればいいものか。俺が彼女を避けるのは、照れ隠しだと誤解してる。分身どもが俺以外にも見えれば、彼も納得してくれるはずだが……。
そうこうしてる内に、彼は改札を通り、俺たちもゾロゾロ通っていく。プラットホームへのエスカレーターにて、町田が右肩をコンッと叩いてきた。親し気なタッチと、親し気な顔。
「楽しんで楽しもうね!」
今朝から七回は吐いたセリフを、町田がまた言ってきた。この修学旅行を満喫したい気持ちは変わってない。行き先は京都奈良だけど、将来思い返せる青春を絶対つくるんだと。
「ああ、思い出をその、いろいろつくらなきゃな」
気持ちは強かったが、言葉で上手く表せなかった俺。三十五人分の同じ顔を眼前にしては……。
新幹線のぞみがホームに現れたのは、三十四の分身どもがエスカレーターをあがり終えたときだ。奴らのせいで、後続の他クラスには迷惑かけた。
「もう時間だから、早く乗りこめ~!」
担任のオッサン三宅はそう呼びかけると、真っ先に自身が乗りこんだ……。まあ、先客や車掌に一声かけるためだろう。変にせかせかしがちの彼に、クラス一同慣れたもの。
京都で思い出をつくるべく、俺たちも続々乗りこんでいく。地元の都内でもつくれるけど、中学時代のそれは二度とつくれない。お金がいくらあろうと、時間や時代は手の届かない代物だ。
……ホームドアを抜け、幅狭い列車扉を目にしたとき、俺はふと思いついた。新幹線の高速を活かせば、分身を駅で置き去りにできるんじゃないか。
分身が本人の身体能力を超えるのは一度も見ていない。分身は彼女のそばから離れず、ボールを代わりに蹴り返したりもしない。彼女が体育で変に活躍した話も無し。
つまり、分身も一応人間に過ぎず、新幹線には追いつけない。次の品川駅で人身事故でも起きない限り、分身は京都まで自力で目指すことになる。旅行中に追いつかれず、心置きなく過ごせるわけだ!
そして、すぐさま動く。新幹線の扉前に立ち止まり、彼女へ振り返った。互いの鼻先がぶつかりかけた点に驚く余裕はない。
「なあ、ココで写真撮らない?」
「んんっ? 今ココで?」
町田とのツーショットは何度も経験あるが、彼女はまるで初めて誘われたような反応を示した。
「そうそう、急いでパシャッとさ」
彼女がコクリとうなずいた。驚きながら無邪気に喜んでるご様子。
俺たちは後続に先を譲り、ホーム側へ戻った。そして、荷物を足元へ置き、ポケットからスマホを取り出す。
静かにしなる、二つのボストンバッグ。帰路では間違いなく、土産物や畳んでいない服でパンパンに膨らむ。
分身どもはホームで佇んでいる。そばを離れ、キヨスクを覗きだすような奴はおらず、俺たちを見送る気じゃないのは確かだ。
全員は無理でも、タイミングよく乗りこめば、分身どもをかなり減らせる。まあ数人程度なら、この際ガマンしよう。
スマホで時刻を確かめ、カメラを起動する。しおりの発車時刻までは二分ある。みんなが通り過ぎた後で何枚か撮り、駆けこみ乗車を決めよう。クソマジメな担任が来て、ジャマされないよう祈る。
祈りは実現した。車内のクラスメートたちが、俺たちのツーショットに協力すべく、担任の注意を引いてくれた。よく見ると、俺たちの荷物を拾い上げ、車内へ運んでくれていた。
……ありがたいけど、ニヤニヤ笑いまでは頂けない。クラスの世論は、俺と町田をくっつける大義で一つらしい。反応に困るし、どう感謝したものか。
今は気にせず、駆けこむタイミングを見計らいながら、撮影を続ける。しかし、作り笑いも楽じゃなく、彼女はウンザリ顔に。
「早く乗ってくださいね!」
ホームの駅員に声をかけられた。分身どもの隙間の向こうで彼は、赤い旗を揚げようとしている。発車の安全確認を示すあの旗を合図にしたいが、迷惑はかけたくない。もし新幹線を遅延させれば、俺だけ帰路に……。
「よし乗ろう!」
「ええっ、ちょ、ちょっと!」
潮時だ。勢いに任せ、町田の右手首を掴み、車内へササッと駆けこんだ。正確には「ササッ」ではなく「ズサッ」という荒々しい音を立てて。
「おっと」
扉で躓き倒れかかった彼女を、俺は左肩で受け止めてやる。見上げる彼女と目が合った瞬間、発車ブザーが鳴り響く。その高音はとても大きく、うるさく聴こえた。
俺は視線を彼女から外し、扉やホームドア、そして分身どもへ向ける。これ以上複雑な気持ちに沈みたくない。
ブザーが鳴り止み、列車扉とホームドアが閉まるまでの数秒間は、時の流れを怖いほど遅く感じられた。映画やゲームを想起させる、お馴染みなスローモーションにも関わらず。
全員置き去りはダメだったが、駆けこめた分身は三人で済んだ。
そう、三人だけ! 三十一人も置き去りにできた!
旅先で一人ずつ増えるのは仕方ないが、九割以上も削減できた事実に達成感がこみ上がる。近いうち、高校受験に合格したときも、これほどの熱い気持ちになれるのか。
ホームの分身どもが急接近してくる。絶対ついていく気概を、無表情の元でも感じ取れた。町田から離れれば死ぬかの如く。
新幹線が走り始める中、ホームドアを乗り越えてくる分身ども。ショッキングピンクのミニスカートがはだけ、太ももやパンツが見えたけど、全然嬉しくない。
代わりに浮かべた気持ちは、痛快というやつ。
分身の一人が列車扉にしがみついたものの、駅を出る前に落ちた。柵か何かにぶつかり、真っ赤に拡散したんだ!
ところが、窓の赤みはパッと消え、キレイに磨かれた窓に戻る。車窓で映える都会の中に、分身はいない。
窓の分身がダメになる瞬間は、中学生の俺には衝撃的でもあった。
ただ、アレは町田本人じゃなく分身だと、あっさり割り切れた。正直、可哀想とすら思えない。
……ああそっか、そういうことか。
本物の彼女は俺のすぐそばで、奴らは偽物に過ぎない。昔から共にいる彼女と似たような姿格好をしながらも、奴らは日本人どころか、人間ですらないんだ!
心の安全装置が働いたらしく、俺は自然と割り切ったわけだ。もちろん、眼前で失せたのが分身じゃなく町田本人だったら、涙を流し悲しんでいる。
「浮き沈みが激しいね。まあ、別にいいけど」
町田が気まずげな表情で、聞き取れる言葉を話す。疑いようなく彼女は本物で、そばの三人は人間未満の偽物だ。
「ゴメンゴメン、お前と一枚でも多く撮りたくてさ」
「……そ、そう? ラインで送ってよ、その全部?」
「もちろん!」
テンション高く口走った俺。分身を一気に減らせた戦果に、気分が緩んだらしい。そこで列車扉のほうを見て、気を引き締める。
幸い、扉からの車窓に異変はない。建ち並ぶビル群から、もうじき品川駅だとわかった。やはり奴らでも追いつけないんだ。
奴らはもうじき、後続の新幹線に蹴散らされるだろう。赤い霧と化し、消え失せる分身ども。町田のそばにいる三人に、「思い知ったか!」と言ってやりたい。
「向こうで悪ふざけなんてしないでよ?」
「しないしない!」
分身が増えるにしても、五人程度なら耐えられる。せっかくの旅行だし、この三日間は楽しまなきゃな!
「オイ、日野に町田! なにノンビリ撮ってたんだ!」
その矢先、担任三宅のジャマが入る。怒鳴り声の後、客室とのドアが開き、彼の真っ赤に歪んだ顔を拝む。
「すいませんでした」
俺越しに担任へ向き、平謝りする町田。
クラス一同の努力も虚しくバレたんだ。まあ今は清々しい気持ちだし、彼の時代遅れに満ちた説教を一語一句聞いて……。
そこで俺は虚を突かれる。
担任の背後、つまり客室の通路に奴らがいた……。東京駅に置き去りした分身どもが、ズラッと一列で並び、こっちをじっと見つめている。
奴らの何人かが、担任の脇を通り抜け、他の分身と合流を晴たす。それから彼女本人と共に、担任のほうを向いた。彼の説教を聞いてやろうと耳を傾けてるよう。
そして俺のほうは、一語一句耳に入らない。混乱しつつも、彼の話は無価値だ。こんな状況を理解できるヒントが、話の中にあるわけないから。