世界を救ってみたら、ほんの少し救われた僕の話
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
半年前に初めてそれが分かった時、僕は半年も経たない内に世界は終わると思っていた。
地球上のあちこちで暴動や戦争が起き、核ミサイルが無数に飛び交い、海と大地をボロボロにするだろうと思っていた。
半年を待つまでもなく、人類は好き勝手に争って自滅すると思っていた。
どいつもこいつも欲望を剥き出しにして、どうせ死ぬなら好きにやってやる―――。
そんな奴等で溢れかえると思っていた。
ところが蓋を開けてみたらびっくり。
偉そうなあの国の偉そうな代表は、家族と隣人に感謝して、心穏やかに最期を迎えましょう、アーメン。なんて言っちゃって。
野蛮なあの国の野蛮な代表は、我が国を中心に地球人類が一致団結して、この戦いに打ち勝つべし!なんて言っちゃって。
どこのどいつも核ミサイルなんて撃ちやしない。
僕の身の回りだってそうだ。
殺人や強盗や強姦といった凶悪犯罪だらけになって、三日もしないで都市機能が麻痺して、早々に世界の終わりを迎えると思っていた。
ところが蓋を開けてみたらびっくり。
街角のコンビニにたむろしている半グレみたいな奴等は、最後くらい人の役に立ちたいなんて言って、ボランティア活動に精を出している。
黒服を着て人を陥れる事しかしないアイツらは、カタギの皆様に生かされてきた恩を今返したいなんて言って、積極的にパトロールをして治安の維持に努めている。
あの猟奇的連続殺人犯のあいつは、全ての悪行を洗いざらい告白して、自ら命を断った。こんな命は皆様と最期を共にする資格はない、申し訳ありませんでした――― という遺書を残している。
そんなわけでこの半年間、軽犯罪も凶悪犯罪も世界的に激減して、僕をいじめてたあいつらは丸坊主で土下座してきて、地球人類が一致団結してあらゆる対策を施して、ムカつく姉は好きな男と付き合ってすっかり丸くなってと、良い事ばかりだ。
なんだか、どうせすぐに滅びるさ……なんて斜に構えていた自分が恥ずかしい。
これでは僕が一番、霊的に劣っているみたいじゃないか。
こんな自己嫌悪を覚えるくらいなら、やっぱり世界なんて滅んでしまえなんて思ったりもしたけど、それはまあ半分冗談だ。
どうせすぐに化けの皮が剥がれるだろうと思っていたら、もう後七日だ。
随分頑張ったなあ人類としみじみ思う。
みんなこの半年間、一所懸命に誰かのために生きていたようだ。僕を除いてね。
なので僕も遅ればせながら、せめて自分に出来ることをしようと思ったんだ。
まずは、残り少ない日常を大事にしないといけない。
僕は、お母さんにはおはようと声をかけ、お父さんには学校へ行くとメッセージを送り、お姉ちゃんには彼氏と仲良くしろよと心の中で呟いて、制服を着て学校へ行った。
久しぶりの学校は、こんな状況でも全然変わりがない。僕が登校したのは一年半ぶりだけど、その時から変わっていない。
自由登校にも関わらずほとんど全員登校しているし、先生達は今日も熱心に授業を行っているし、掃除は行き届いているし、花壇の手入れはされているし、合唱祭の練習も行われているし……。一ヶ月後なのに。
みんななんだか生き生きしてる。もうすぐ死ぬのに。
みんななんだかワクワクしてる。もうすぐ死ぬのに。
とりあえず保健室に行ってみる。保健室の先生が僕を見るなりパッと目を輝かせて、よく来たわねと言ってくれた。最期だから、頑張ろうと言ってくれた。
登校しただけでこんなに褒められたものだから、僕は何だか嬉しくなってきて、「ありがとうございます。ちょっと校庭に行ってきます」と告げて、保健室を出た。
校庭ってこんなに広かったんだ。知らなかった。まともに学校に来たことなんて無かったし、体育の授業なんて苦行以外の何物でも無かったから。
さて、世界の終わりまであと七日。ちっぽけな僕でも出来ることを、いまからしよう。
空を見上げて、ぐっと目を閉じる。
ねえ、やっぱり何とかしてよ。
(何だよ、今更)
だって、思ったよりみんな頑張ってるんだもん。
(ただの現実逃避だろ)
だとしても、やろうと思えばみんなちゃんとできるってことじゃん。
(まあそりゃそうだがな。継続性がない)
それでも、いつか辿り着ける。
(何万年後だよ)
何万年、何十万年かかってもいつか辿り着ける。僕は信じてる。信じたい。
(全く。しゃーねえな。お前だけ死ぬけどいいか)
僕はどうせ死んでたようなもんだから。頼んでおいて何だけど君こそいいの?
(ふん。まぁ興味はある。お前ら人類が、これからどんな進化を遂げるのか……)
失望はさせない。皆きっと、頑張るはずだから。
(よーし言ったな。体貸しな。やってやるよ)
その言葉を最後に、僕の体は僕のものじゃなくなった。見た目は僕でも中身は全然違う別の何か。ただの人間が校庭から全力でジャンプして、地球の重力を振り払って大気圏を突破できると思う?
今の僕じゃない僕ならできる。その証拠にほら、目の前はもう星が輝く暗黒の宇宙空間。
体の下の方には、青く輝く地球がある。芸術とか自然の美しさとか、そんなものにはかけらも興味が無い僕だけど、この光景にだけは、いつも感動してしまう。
視線の先には月がみえて、その横に太陽が見える。いや、正確には太陽みたいな星だ。あんな座標に太陽がある訳がないんだから。
月と同じくらいの大きさに見えるけど、実際は全くそんな事はない。大気が無くて距離感がうまく掴めないけど、本当は本物の太陽くらい大きい。
それが、那由多の彼方から地球に向かって来ている。地球時間で七日後に到達する予定で、それが世界の終わりの理由だ。
ここまで徹底的に一切の議論の余地もなく世界の終わりだと思えることも中々ないよなあ、なんて思う。
『何をしてるの!?許可なく力を解放するなんて!』
慌てた声が頭に響く。頭というか、第六感というか、とにかく妙な聞こえ方だ。
「よお。相変わらずデケー声だな」
『最大級の違反行為よ!今すぐ戻りなさい!』
僕じゃないもう一人の僕の軽口は無視して、言ってくる。
「そう慌てんなよ。ちっとばかし予定を変えるだけだ」
『予定を変える……。あなたまさか! やめなさい、これはもう決定事項よ! 地球は滅する。それが宇宙の意思よ!』
「宇宙の意思か。天然自然の摂理。何ものも抗えない唯一無二の意思」
『そうよ、その意思には逆らえない。私達はそれに従うだけ。当たり前のことよ。知っているくせに、何をしてるの!』
「なら、これは地球の意思だとでも思っとけ。人類に絶望していた地球の代表が、抗うと決めた。それだけだ」
『悪ふざけもいい加減にして! そもそも、あなたの役目はそんな事じゃ―――』
その言葉に上から被せるように、僕じゃないもう一人の僕は言う。
「悪いな。俺は見たくなっちまったんだよ。この未熟でメチャクチャで無秩序な星から生まれた、この傲慢で哀れで情けない生き物が、どうやって生きていくのか」
『……!』
「だから、ちっとばかし予定を変える。それだけだ。以上、通信おーわり」
第六感のざわつきが収まる。身体がドンドン熱くなる。浮遊するスペースデブリが、身体に触れた途端に蒸発する。
あ、ところでさ。カッコつけてるけど、どうやってアレを止めるの?
「受け止めるのは無理だな。あの質量と速度じゃ、地球まで押し込まれちまう」
うん、なるほど。
「軌道を逸らすのも無理だ。あらゆる物理法則を捻じ曲げて地球に突っ込んできてるからな。逸らしてもユーターンして戻ってくるだけだ」
ほうほう。で、つまりどうするの?
「お前こそカッコつけてる割に何も考えてねえじゃねえか……。まあいい。答えは一つ。ぶっ壊す。それだけだ」
わお簡単。
「ぶっ壊れた破片はいくつか行っちまうだろうがな。大気圏で燃え尽きてくれる事を願っとけ。それに今の科学技術だったら、ある程度は何とかなるだろ」
星に願いをってやつだ。意外にロマンチストだよね君。
「うるせーよ」
破片以外は? 放射線とかそういうのは?
「それはどうしようもねえな。しばらく病人が増えるかも知れねえが、おまえらの医療技術なら何とかなる範囲だろ。さて、もういいか? そろそろやるぞ」
あ、最後に一つ。
「あんだよ。まだあんのかよ」
うん。これから僕も君も死ぬんでしょ。君は一体どうやって人類の未来を見るつもりなの?
「なんだそんなことか。別に俺にとっちゃ死なんてのは、なんてこたあねえ。宇宙と一体になるだけだ。お前らの未来は、まあなんだ、肌で感じられるっつーかなんというか。肌なんかねえけど」
なるほどね。じゃあ、真の意味で死ぬのは僕だけか。
「そういう事だな。まぁ、しゃーねえわな」
うん。教えてくれてありがとう。じゃあ頼むよ。
という僕の言葉にはもう答えず、僕の体はいよいよ熱さを増してきた。
体毛は燃え尽きて、肌はただれ落ちる寸前で、骨は消し炭になる寸前で、脳はトロける寸前で……。
その状態で一気に飛ぶ。足場もないし、ジェット噴射みたいなものも無いのに何で飛べるのかいつも謎だったけど、とにかく、今日はいつもの何千倍もの勢いで、向かってくる星に突っ込んでいく。
そのまま燃え盛るプロミネンスをくぐり抜けて、あっという間に星の表面へ激突する。
激突と共にとんでもない衝撃波が発生して、僕の両腕は消し飛んだ。
それでも、星の奥深くまで突き進む。何千万という回数の核爆発を巻き起こしながら、深く深く突き進、遂に中心部まで到達した。
「さすがにしんどいな」
さすがにね。気付いたら足も取れてるし。
「まあここまでくれば後は仕上げるだけだ。やるぞ」
うん。
体が更に熱くなる。もう残っている部位は胸から上だけになった。
熱が心臓の辺りに集まってきて、凄い重みを感じる。どんどん重みは強くなって、僕の体の残った部分も重みに吸い込まれていって、頭から突っ込んでいるこの星すらもどんどん僕の中に吸い込まれている。
遂に僕の体は心臓だけになって、それもどういう仕組みか更に内側に吸いこまれていって、最後は赤ちゃんの手くらいの大きさの、真っ黒な塊になってしまった。
―――準備完了?
―――ああ。あと十秒もすれば、全部吹っ飛ぶ。
―――わかった。ありがとう。君に会えて良かった。
―――ふん。まあ、達者でな。
達者でな?どういうこと?
その疑問はぶつけられなくて、僕たちは爆発した。真っ黒な塊から瞬時に真っ白な光そのものになって、星の内側で大爆発した。
ここまで徹底的に一切の議論の余地なくぶっ壊れたと思えることもないんじゃないかと思うくらいに、太陽のような星がぶっ壊れた。
いや。
ぶっ壊した。
僕たちでぶっ壊した。
ざまーみろ。まだ世界は終わらない。
僕は終わりだけど。
そのあたりで僕の存在も、徹底的に一切の議論の余地なくぶっ壊れて、僕は終わった。
*
気が付いた時には、僕はベッドに寝ていた。
視線を右に、次いで左に。白い衝立が見えて、簡素なサイドテーブルがあって、腕から伸びる管が見えた。
そのまま管を視線でたどると、まあ点滴の袋が見えてくるよね。腕に刺す管といえば点滴と相場は決まっている。
何もおかしくない。
耳が働き出して、衝立の向こうからテレビの音が聞こえてきた。
「おはようございます。世界の終わりが回避されて七日目になりました」
うん、何もおかしくない。
だって僕たちがあの星をぶっ壊したから。地球が普通に回って七日目を迎えるのは、何もおかしくない。だから僕は率直な疑問を君にぶつけてみた。
なんで僕は生きてるの?
おーい。
君は死んだの?
おーい。
どうやら君は死んだようだ。
うん、何もおかしくない。
だってそう言ってたからね。
正確には死んだわけじゃないようだけど、霊的に劣っている僕からすれば死んだようにしか認識できないし。
だから、何もおかしくない。
何もおかしくないんだけど。
でも、おかしい。
これはおかしい。
あの時、君と一緒に完全に死んだと思ったんだけど。死んだというか、存在が消えたというか。とにかく普通に死ぬ以上に死んだんだ。
なのに何で?
何で僕は生きてる?
どうして君だけ死んでる?
どうして地球は、一目でわかることにも気付かないで、今日まで普通に回っている?
あまりにもわからなくて、わからなさすぎて、涙を流してギャアギャア泣いたんだけど、看護師さんも僕が泣いていた理由はわからなくて、きっと泣きたい気持ちになっただろうな。
*
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。今朝のニュースザモーニング、トピックはこちらです。まずは世界同盟国会議の最新の情報ですが……」と言う。
いつの間にか朝のニュースは、世界の終わりが回避されてから何日経ったかはもう数えなくなった。三十日くらいまでは言っていたと思ったけど、もう言わなくなった。
僕も何日経ったか、もうよく分からない。
よく分からないまま、僕は今日も学校に行く。
お母さんには、おはようと行ってきますを言うし、お父さんには、学校へ行くとメッセージを送るついでに仕事頑張ってと付け加えるし、お姉ちゃんには、もっといい男が現れるから気にするなよと慰める。
街角のコンビニにたむろしていた半グレみたいな連中は、もうたむろしなくなった。
黒服を着て人を陥れる事しかしないアイツらは、人を陥れる事をやめてしまった。
猟奇的連続殺人犯はその後出てこなくて、警察は暇そうだ。
学校の保健室にはしばらく行っていない。
今日の授業は一限目から体育がある。何をやるのかは知らないけど、最近はそれほど苦行でもなくなってきた。
広い校庭は相変わらず広いけれど、端から端まで走ってみると意外に達成感があって悪くない。
今日の僕は、熱心な教師達の授業を受け、掃除を行い、花壇の手入れをし、体育祭の練習を行う。
少ないけれど友達も出来た。僕みたいな霊的に劣っている人間には出来過ぎた友人達で、だから僕は彼等に恥じないような人間になりたいと思っている。
色々あったけど、色々あった前よりも、ほんの少しだけマシな世界になった気がする。
君のおかげだと思う。
達者でな、って最後に言われたから、僕は達者に暮らそうと思う。
達者に生きようと思う。
達者に暮らして達者に生きて、この世界をほんの少しでも良くなるようにしてみたいと思う。
君はどっかで見てるんだろう。
いや、肌で感じているんだっけ。
もう二度と会えない身近な親友。
その肌で感じてくれよ。
世界も僕も、もうちょっと頑張ってみるから。