前言撤回急展開
立派なスマホ依存だかネット依存だかになってるあたしにだってもちろんスマホを触らない時間はある。寝てる時とかご飯食べてる時とか。あとは、友達と喋ってたり授業中は触らない。だから学校に行ってる間はほとんど触ってないことになる。あれ?もしかして全然依存してなくない?…なんてのは冗談で、自分が依存してるのはわかってる。だからってどうもこうもしないだけで。
そんなスマホ依存のあたしからしたら、いやスマホ依存なんて関係なく一般的な高校生からしたら、学校なんてのはもうめちゃめちゃにダルい。休めるもんなら休みたいし、そりゃ受験して受かって入った学校だけど、行きたくて行ってるわけじゃない。
やる気なんて微塵もなくて友達も少ないあたしが学校に行ってるのは行かなきゃ怒られるからだけど、ただそれでも休み時間ともなればそこまでダルくもないわけで。スマホだっていじれるし、興味ない話聞かなくていいし。
でも今日のあたしはそうも言ってられなかった。なんとスマホを忘れた。家に。置いてきてしまった。どこにあるかまでわかってる。ベッドの上だ。寝起きで軽くいじってそのまま放置。ここまでわかってるのに手元にはないもどかしさに頭をかきむしりたくなる。髪型崩れるからしないけど。あー、もうマジで最悪。
授業中はまだいい。どうせ持ってても触れないし、先生が前に出てる時は触っちゃダメって身についてる。けど問題は休み時間。
昼休みなら有紗とか由宇がいるからどっちみち触らないけど、普通の休み時間は基本的にあたしは一人でいる。たった十分だし。ただこの十分が、スマホがないと信じられないくらいに長い。休み時間なのに授業中と同じくらい秒針が遅い。
ゴン、と机に額を落として目を瞑る。このまま寝てやろうか。ウソ。無理。この体勢で寝らんないし、学生というのは授業中に眠くなって休み時間に目が冴えるようにできている。どうやっても無理だ。
こんな休み時間でも暇で暇で仕方ないんだから、これより長い通学の電車はそれはそれはしんどかった。
いつもの電車に乗っても何したらいいかわかんないし、そもそもどこを見たらいいかってところからわかんない。知らない人の顔なんか見て目が合ったら気まずいし、それで睨まれでもしたら怖いし、そうでなくともなんか変な勘違いとかされたらたまったもんじゃない。でも不思議と窓の外の風景より人の顔の方に目がいってしまうから困った。
仕方がないから最終的には鞄を抱え込んで俯いて、寝たふりの体勢でやりきった。帰りも同じようなことがあるのかと思うと今から憂鬱でしかない。
そんなことを思いながら額にぐーっと体重をかけていると、軽く肩を叩かれた。軽くぽんぽんされただけなのに不意打ちでびっくりしちゃって、悪夢から飛び起きたくらいの勢いで振り返ると、あたしの勢いに有紗もびっくりしてた。
「ごめん、寝てた?」
「いや、大丈夫…」
間抜けなあたしに有紗はちょっと笑ってるし、あたしもあたしで恥ずかしいのと自分の間抜けさが可笑しいのとで笑ってしまう。
「ちょっと数学の教科書忘れちゃって」
「ああ、いいよ」
鞄から教科書を取り出して渡す。けど、受け取った有紗はすぐに教室を出ていく様子はない。休み時間はあと五分くらい。有紗のクラスは遠いってわけじゃないけど、そろそろ戻った方がいいんじゃない?そう思ったあたしの目をまっすぐ見て、有紗は嫌味なくらい明るい笑顔を浮かべる。
「休み時間なのにスマホいじってないなんて珍しいね」
その一言がいやにカチンときた。なんていうか、鼻につくって感じ。
「…今日スマホ忘れたの」
きっと有紗は去年のあたしを思い出して言ってる。去年も今年も変わらずあたしはスマホにべったりだから。
もしかしたら、ずっと有紗はあたしのことをスマホ依存症患者だと見下していたのかもしれない。今のは皮肉ってこと?やば、そう考えたらちょっと嫌いになりそう。とは思ったものの、どうせ有紗は思ったことをそのまま言っただけなんだろうって分かってた。きっとあたしがイラついてることにも気付いていない。
「そっか。忘れなくてもあんまりいじっちゃダメだよ」
「はぁい」
「じゃあね、教科書昼休みに返すから」
「ばいばい」
「バイバイ」
そこら辺の大人と同じようなことを言う有紗に手を振る。
正しいこと言ってるんだろうけど、それ教科書貸してもらった直後に言う?…教科書貸したのは関係ないか。でも全面的にあたしが間違ってるって分かってても、ムカつくことを言われたらムカつくんだから仕方ない。
なんか今日は嫌なことが多い。スマホ忘れるし、有紗は腹立つし、六時間目は体育だし。そういう日ってある。嫌なことはわりとまとめて起きるもんだ。
あー、今日の昼休みちょっと嫌かも。適当な理由つけて一人で食べよっかな。年々減っていく生徒数のおかげで空き教室多いし。一つくらい誰もいないとこあるでしょ。
なんてことを三時間目が始まる前の休み時間に考えていた。そんなどうしようもないくらい性格の悪いあたしは、わざわざお弁当を別々で食べる理由がすぐに思いつかなくて、それを授業中にずっと考えるのもバカバカしくなって、結局はいつもの教室でいつものように座っていた。
ちょっとくらいなら我慢してやりますよ。あんな一言でイライラすんの子供っぽいし、有紗は気にするどころかあたしがイラついてることなんて知りもしないだろうし。あたしばっか神経逆撫でされてて腹が立つ。またイライラしてきた。
「まこちゃん、教科書ありがと」
「ああ、別にいいよ」
超ムカつくセリフを言われる直前に貸した教科書が返ってきた。すると、続いて有紗はまた何か差し出してくる。
「あとこれは貸してくれたお礼ね」
差し出してきたのは手のひら程度の大きさのパッケージに包まれたチョコ。
でも、ただのチョコじゃない。そのパッケージにはあたしのやってるソシャゲのキャラクターが載っていた。ちょうど今日からコラボ商品が店頭に並んでいるんだけど、大人気ゲームなのと、最寄り駅の近くのコンビニは利用客が多いのもあって、あたしが学校の前に覗いたらなくなってた。
それが今差し出されている、有紗の手で。
「このゲームやってなかったっけ?」
「やってる」
「だよね。今日学校行く前に近くのコンビニ行ったらあったから買っちゃった」
あげる、と差し出してくる有紗に心からお礼を言って、机の上にパッケージが綺麗に見えるように置く。友達って最高だな。
教科書貸した時の腹立つ一言を忘れたわけじゃないし、また同じこと言われたら同じように腹立つだろうけど、今日の分は許してあげようかな。いいもの貰ったし。
あたしの中で有紗の好感度がぐんぐん上がっていく。たった一日で友達の好き度がころころ変わるのはあんまり良くない気がするけど、友達なんてこんなもんでしょ。嫌なところがあったり好きなところがあったり、その上で好きな部分が多いから友達ってだけで。たまたま今日は一日で色々あったけど、例えば今有紗があたしにこのチョコをくれなかったとしても、明日から友達辞めますってわけじゃないし多分それからも友達を辞めることはない。
せっかくだから写真撮っとこ。ポケットに手をやると、薄っぺらいスカートの生地の物足りない感触に拍子抜けした。そういえばスマホ忘れたんだった。
誰もいない家に帰って、いつもより急ぎ足で自分の部屋に向かう。映画の上映直前みたいにわくわくしてる胸がくすぐったい。部屋に入ってすぐ、お目当てのものはやっぱりベッドの上に寝転がっていた。
制服がしわになるのもお構いなく床のクッションの上に座って携帯を手に取る。今日くらいはいいでしょ。ずっといじってなかったんだから多少優先したって構わない。
ホームボタンを押してスリープを解除すると、ロック画面に設定してる画像を覆い隠すように通知が並んでいた。ちなみにロック画面は大好きな絵師さんが描いた大好きなソシャゲのキャラ。あたしがちょっと前にテンションが上がったっていうアレ。
ロックを解除して真っ先にタップするのは、やっぱり青いアイコンのSNS。本垢のタイムラインはだいぶ更新されていて、うきうきとスクロールする。
好きな投稿にいいねを押して、ちょっと仲のいいフォロワーにはリプライをしてみたりして、今日楽しめなかったSNSを一気に楽しむ。たまにはこうして溜めてから見るのも悪くないかもしれない。だからってスマホを置いて家を出るなんて絶対しないし、あたしにはだらだらタイムラインを見る方が性に合ってるけど。
一通り本垢のタイムラインを確認し終わって、ちょっと前までのあたしならそのまま裏垢だったりMの垢だったり、そういう他のアカウントに移動するところ。現に、手癖であたしの指は別のアカウントに移動する手前まで操作していた。
しかし、最近のあたしはちょっと違う。本垢に戻って通知欄をタップした。そこにはいつもなら大体フォロワーにいいねされただのの通知しかないが、ここ数日はリプの通知ばかりが並んでいる。相手はどれも同じ人。
『あさいちで行ってゲットできた!まこは?』
そのリプライについてる画像には、あたしが昼休みに有紗からもらったチョコがアップで載っている。その背景には、ボケてるけど薄い灰色の歩道と黒いスニーカーが映っていた。多分学校に行く途中で歩きながら撮ったんだろう。周りから変な目で見られてなきゃいいけど。
あたしは鞄からチョコを取り出して、床の上に置いて撮る。本当はこのリプにも学校で返せるはずだったのに。そしたら今頃もっと色んな話ができてたんだと思うと、なんだか惜しいことをした気分になる。やっぱりスマホは肌身離さず持ち歩いてた方がいい。
『家にスマホ忘れて返信遅れたごめん!あたしは買えなかったけど友達がくれた~』
撮ったばかりの写真を軽くトリミングしてから送る。
絵文字をつけるか迷ったけど可愛い子ぶってるみたいだからやめておいた。あまりごてごてした文は女の子相手だと別にいいけど、男の子相手だと媚びを売ってると思われるかもしれない。…いや、そんなことないのかな。一つくらいなら絵文字つけた方がいい?わっかんないな~。
もう送ってしまったというのにあたしを悩ませているリプライの相手は、少し前に突然フォローしてきたれおだった。
ここ数日のやり取りでわかったのは、あたしより1つ年下の男の子で、共通の趣味はソシャゲ、住んでる県が一緒で、あとはあたしと同じようにスマホにべったりってこと。共通の話題があるから話の内容にも困らないし面白いし、おかげさまで随分楽しく過ごせている。
裏垢への浮上もMの垢への浮上も以前よりすっかり減って、タイムラインを眺めてたまに独り言を呟くだけだった本垢にいることが増えた。
別にれおのことが好きとかじゃなくて、いやまあ好きだけど、そういう意味ではない。ネットで恋愛とかしないし。今まであれだけバカにしておいたくせに自分もするとか、そんなバカなことはいくらあたしでもやらない。
送ったリプに返信がすぐにくることはない。学校から帰ってる途中とか、そのへんだろう。
急に暇になったから他のアカウントを見て回る。けど、フォロー数がいまいち多くないせいでもう夕方だというのにタイムラインはあまり活発ではなくて、最後にMのアカウントに飛ぶ。ここは更新頻度が低いうえに、深夜が一番活発に動く。その分あたしの楽しめる内容の投稿が多かったりするんだけど、日の上ってるうちは変わり映えしなくてつまらない。
一番新しい投稿は十時間前、朝の七時半。あたしが家から出た直後だ。しかも、きぃの投稿だった。学校行く前に呟いたのかな。きぃは学校に行ってるであろうお昼の時間帯には滅多に投稿しない。たぶん学校がスマホ禁止なんだと思う。
『最近まこ浮上しないね』
その短い一言がタイムラインの一番上に表示されていた。
なんだか言外に、あたしがいなくて寂しいと言われてるみたいで、嬉しくなってすぐにリプライを送る。
『ちょっと忙しくて浮上できてなかった~!今度また通話しよ』
最後に遠慮なくハートマークを添えて送信する。大サービスで三つもつけてやった。
忙しかったっていうのはもちろんウソなんだけど。こんなSNSにべったりなあたしが浮上できないほど忙しいわけがない。でも、ちょっと前の通話でネットで恋愛してるやつらを一緒にバカにした身としては、本垢のフォロワーの男の子と話すのが楽しくってさ~、なんて言えない。言えるわけがない。今度は私がバカにされる番だ。
それにきぃはあの時「急にフォローしてくるやつは信用できない」みたいなことも言ってた。その「急にフォローしてくるやつ」と仲良くしてるとは言いにくい。なんて言われるかわかんないけど絶対反対されることだけはわかる。
あたしからしたら十分信用できるんだけどな。ネットの情報にはウソが混じってる、なんて当たり前のことは当たり前に知ってるし、そんなことを言ってくる大人たちよりもネットに触れてる時間が長いんだから、何がウソかなんて大体わかる。その上でれおは信用できるんだからあたし的には全然大丈夫。
ブブッと手の上でスマホが震える。通知だ。れおからかな、れおからだといいな。
『よかった~!また今度通話しよ』
きぃからだった。いや別に全然ガッカリしてるとかじゃない。全然嬉しい。きぃとの通話楽しいし。ただ今じゃないな~。
既読の意味のいいねを押して、ベッドの上に投げる。ぽすりと空気の抜ける軽い音が鳴った。通話してもきぃにれおのこと話せないな。それは少し窮屈かもしれない。
すると、またスマホの震える音がした。きぃにはリプライを返してないから、考えられる通知はたった一つ。
床にだらしなく座っていた体の上半分をベッドに乗せて、急いでスマホを手に取った。
『よかったじゃん!ていうか新イベの告知きたね、走る?』
「…新イベ?」
家に一人しかいないのに声が出た。機嫌がいいのがまるわかりの高い声。一人で良かった。
れおへの返信は一旦置いといて、タイムラインにいく。
あたしとれおがやってるソシャゲの公式垢から告知されていたのは、あたしの好きなキャラクターがメインに据えられたイベントだった。今声を出したら確実にさっきより高いのが出る。
やばいかも。テンションが上がって落ち着いてらんなくて、のそのそとベッドに上がった。待って制服着たまんまじゃん。寝る前にシーツ替えよ。
『絶対走る!!』
ふわふわと浮つく指で返信する。れおからの返事は秒できた。
『じゃあ通話しながら走らん?誰かとやった方がやる気出るんだよね』
…は?通話?
急な展開に頭がついていかない。これがSNSでよかった。普段使ってるメッセージアプリなら既読つけたまま放置とかになってるところだ。
一旦タイムラインを閉じて、スマホをスリープ状態にする。画面を下に置いて、スマホカバーに描かれているウサギをじっと見つめた。これ有紗と買いに行ったやつなんだよね。あたしがウサギで有紗がクマ。一年生のわりと早い段階で仲いい子ができたから、嬉しさより安心の方が大きかったのを覚えてる。
で、なんだっけ。通話?れおと?二人きり?そりゃ二人っきりだよな。他に誰がいるって言うんだ。でも二人っきりとか想像するだけで緊張するんだけど。あたしあんまり初対面の人得意じゃないんだよね。こんだけリプで喋っといて初対面はおかしいかもしれないけど、文のやりとりと通話ってだいぶ違うじゃん。生なんだよ。なんて返そうかな~って呑気に考えてらんないの。
しかし、れおの言ってることもわかる。このゲームのイベントってかなり時間食うし、一人でずっとやってると気が滅入る上に虚しくなってくる。イベントの時ばかりは耐久ゲーになるんだよね。それでリタイアしたイベントも結構多い。けど今回は好きなキャラのイベント。なんとしても完走したい。
かなりしっかり長考した。
約十七年、厳密には十六年と十か月くらい生きた人間がしっかり考えたんだから、きっと大丈夫。返事しよ。なるべくさりげない感じで、なんとも思ってない風を装って。
『いいけど、あたし結構コミュ障だよ』
ゲーム片手間の会話ならそんなに気負わずに済むか、という考えのもと半分通話してもいいって言ってるような返事をした。
何も声を聞いてみたいとか、この通話をきっかけにもっと仲良くなれたらとか、そんなんじゃない。そんなのまるであたしが好きみたいじゃん。
『大丈夫!俺結構喋るの得意だから』
あぁ、それは頼もしい。けどあたしは知ってる。こういう風に言ってくる人の大半はそんなに喋るの得意じゃない。苦手ってほどではないんだろうけど、こっちの期待を余裕で下回ってくるからタチが悪い。ちょっと気ぃ遣うんだよ、ちくしょうめ。
楽しみなような不安なような、そんな緊張感を抱えて、ゲームのイベントが始まる日を確認する。
はいはい、再来週の金曜日ね。予定表とかに書くほどじゃないな。楽しみにしてるから忘れるわけがないとかそんなんじゃなくて、ゲームのイベントなんかどうせゲームやってりゃいやでも目に入るってだけ。
SNSのリプライじゃなくてDMの方に通知がくる。送られてきたのは通話もできるメッセージアプリのQRコード。これからはこっちでやりとりしようってことらしい。マジか。行動はやくない?
再来週の金曜日というと、少し遠いように感じるが、学校に行って帰ってを五回繰り返してニ日休んでをニセットするだけ。そう考えたらめちゃくちゃすぐじゃない?
二週間も経てばいいことも嫌なこともそれなりにあるけど、過ぎてしまえばどれも些細でどうでもいいことばかり。体育がダルいとか、雨の日はスカートが濡れてヤダとか、教科書忘れてちょっと焦ったとか。そんなもん。凹凸のない生活をしてるせいで振り返った時ちょっと病みそうになるレベル。ウソだけど。こんなんで病むわけないだろ。
だから今日みたいに、いつもとちょっと違うことをする日っていうのは、それが後からどんな些細な思い出になるとしても、今の段階ではわりと大きなイベントだったりする。これが凹になるか凸になるかはこの後次第だけど。だってあいつ絶対コミュ強じゃないよ。ちょっと嫌になってきたかも。一人でイベント走る方が気楽じゃない?
けど今更怖気づいたところで、約束した二十一時はもうすぐそこ。まあ、この通話で気まずくなったらネットでも距離置けばいいだけの話だし、意外といけるかもしれないし。
そんな風に自分に言い聞かせながらベッドの上で座って時間が経つのを待っていると、パッと点いたスマホがそれと同時に鳴り出した。ちょっとびっくりしたしそこそこ緊張する。逃げだしたいような気持ちで通話ボタンを押して、スマホに繋いでるイヤホンを耳に捩じ込んだ。
スピーカーで通話なんかできるわけない。きぃの時とは違うんだし。男の子と通話してるってバレるじゃん。
『もしもし?』
聞こえてきたのは若い男の子の声。若いのは当たり前か、一こ下だもんな。でも少し高めの声をしてるのか、ちょっと可愛らしい雰囲気を感じる。
「あ、もしもし…」
『はじめまして~』
「あー…はっ、じめまして~」
ちょっと緩めでゆっくりした喋り方。モテそう、というかまあ女子から好かれそうな雰囲気は感じる。男らしさがなくて関わりやすい。今時人気の中性ぽい感じ。狙ってんのか元からそうなのかはわかんないけど。
ぎこちないあたしにれおは息を揺らして笑った。ちょっとくすぐったい。
そこからはすんなりゲームの話に移って、会話はイベント片手間に進められていく。とはいっても変に間が開くこともないし、話はめちゃくちゃ面白いわけではないけど居心地がいい。そりゃ会ったこともない人だから気は遣うけど、それを差し引いても楽しい。喋るのが得意っていうのはあながち間違いではないらしい。あたしの期待は余裕で上回ってる。
こうなってくると通話が始まる直前まで絶対ウソとか決めつけてたのが申し訳ない。裏垢とかMの垢で「今度本垢のフォロワーと通話するけど相手絶対コミュ障なんだよな」とか呟かなくてよかった。形に残ってたら余計申し訳ないわ。思うだけなら誰にも伝わってないしノーカンでしょ。
ゲームのイベントはいつも通りの周回ゲーで、最初のうちはグラフィックとか演出が真新しくて通話そっちのけで画面を見てたけど、さすがにしばらくすれば見慣れたものになってくる。
というか始めてどれくらい経った?一時間か、早いな。時間のわりには二人とも口数は少なくて、けどそのわりにはもう打ち解けてる気がする。少なくともあたしはそう。結構最初の方から波長みたいなのがあってると思ってた。
「なんか…飽きてきた」
半ば投げやりなあたしの言葉に、耳元でれおが笑う。さっきまでも何度か笑ってるのを聞いてたけどやっぱりくすぐったい。
『まぁ周回だからね』
「…なんか面白い話ない?」
言っておいてなんだけど、初めて通話する相手への言葉じゃないな。仲のいい友達にもなかなか言わないよこんなん。きぃとかに言ったら絶対キレる。
『ちょっと待って』
けど、あたしのこのいくらなんでも酷すぎる投げやりな一言にれおは律儀に返してきた。真面目か?それとも面白い話があるのか?
この話の振り方でまともな返事が返ってくると思わなくて、それだけでちょっと面白い。
「なに見てんの?」
『タイムライン』
話のネタ探してんじゃねえか。
「…あたしも見よ」
周回ゲーは一旦置いといてホーム画面に戻ると、何も考えなくても指は青いアイコンをタップする。
SNSにとってゴールデンタイムといってもいいこの時間はやっぱり人が多い。おまけに明日は土曜日だ。お祭り騒ぎってほどじゃないけど、居酒屋くらいの騒がしさはあった。
適当にいいねとか飛ばしながら更新していく。その合間に独り言も漏れた。通話してるとよく口が滑る。
「…誰か炎上とかしてないかな」
ぽつりと漏れたその言葉は、いつもなら言わなくて、せいぜいきぃと通話してる時くらいにしか出ないものだった。やばい、と思って頭が焦りを認識するより先に、れおがスマホの中から吹き出した。
『やっば、めっちゃ面白いなそれ』
楽しそうに笑う声に、焦りの名残を残した胸を撫で下ろす。
「いやだって、暇だし。話題になるなら何でもいいもん」
『まあ…でも正直わかるわ』
「わかるんじゃん」
『炎上してるやつ見んのってなんであんなに楽しいんだろうね』
れおの言葉に同調して笑いながらも、胸の中では圧倒的に安心していた。
あたしはクソみたいな炎上とか騒動に群がる自分を、というかそういう自分の性質をハエみたいに汚いもんだと思ってるから、そこで共感を得られるのはかなりデカい。普段取り繕ってる部分を晒せるから、すごく気楽で居心地がいい。これで初対面か。かなり仲良くなれそう。
本垢のタイムラインを更新しきって、手癖で今度は裏垢にいく。れおと話題を共有するなら本垢だけど、裏垢にだってなんか面白いことあるかもしれないし。
「…あ」
『ん?なんかあった?』
え~、これ話す?れおに?こんな裏垢のフォロワーの蔭口みたいなことする?
まあいっか。今更でしょ。
「裏垢のフォロワーがさ、病んでんだけど」
『既に面白そうじゃん』
マジでお前ほんとにあたしと同類じゃん。
「めっちゃ長文のメモのスクショ載せてんの」
言い切ると同時に、あたしとれおは同時に笑いだした。
お手本みたいな病み方だなほんと。元々メンヘラっぽい子で、最近は裏垢に浮上してなかったから安定してるのかなと思ってたけど、久々に浮上したと思ったらこれだ。なんだこの長文。長すぎて逆に読みたくなる。
『なんて書いてんの?』
「ちょっと待って、長すぎてすぐに読み切れない」
つらつらと並べられているお気持ち長文を目でなぞる。
絵文字も使ってないのによくこれだけ感情が剥き出しの文章を書けるもんだ。悲壮感満載のそれは読みにくいわけじゃないけど、イタイタしくてだんだん恥ずかしくなってくる。こういうの共感性羞恥っていうんだっけ。マジでキツい。
まあでも内容は大体分かった。
「あー、なんか、彼氏と別れたっぽい」
あたしと同じ年くらいの女の子が病む理由はそう多くない。大半が男絡み。やっぱ恋愛なんかするもんじゃない。知らないところでこうして話のネタにされて笑われるのがオチだ。若いんだからさっさと次にいけばいいのに、そう割り切れない子がどうしてか多かった。
『お気持ちスクショ何枚?』
「四枚」
『彼氏と別れただけで?』
「彼氏と別れただけで」
言いながら声が震えてるれおにつられてあたしも我慢できなくなってきた。メモスクショ四枚はやりすぎでしょ。
『そんなすぐ病むから別れるようなことになるんじゃねーの』
「多感な年ごろだからね」
『多感すぎるだろ』
ついに声を上げたれおに、あたしも抑えきれなくてベッドの上で丸まって笑う。あー、誰かと一緒に人のことバカにして笑うの楽しい。めちゃくちゃ性格悪いけど。
ていうか丸まったついでにベッドで寝転ぶと一気に眠くなってきた。あたしの知らない間にあたしの体は寝たがっていたらしい。まぁ今日体育あったし、通話するから緊張してたし。明日は休みだから夜更かしできるけど、眠いなら寝たいな。
「なんか眠くなってきた」
『急すぎん?もう寝る?』
「…寝たい」
せっかく打ち解けてきたし通話を続けたい気持ち対眠気。勝者は眠気だった。だってベッドの上で眠くなったら寝るしかないでしょ。
笑い声の治まったイヤホンからは、眠いあたしに気を遣ってか少しトーンの落ちた声が聞こえてくる。通話を始めた時の声より低いそれは嫌いじゃない。どっちかっていうと好き。どっちかっていうとね。ていうかそもそも声の話だからね。
『じゃあ終わろっか。また暇なときやろ』
「はーい、おやすみ」
『おやすみ』
通話が切れたのを確認してからイヤホンを耳から引き抜く。そのまま布団の中に潜り込んで枕に頭を乗せた。お風呂も歯磨きも通話の前に済ませておいてよかった。これは楽だわ。
いつもなら寝る直前までスマホを見てるけど、今日はなんだかそんな気分じゃない。部屋の明かりを消して目を瞑る。あたしにしては珍しく充実感を覚えた夜だった。