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あたしの社会

 学年が変わって最初の自己紹介とか、あとは小学校の頃に流行ったプロフィール帳。あれはみんなどこまで本当のこと言ったり書いたりしてんだろうか。

 例えば、あたしだったら。本田真子。高校2年生で、誕生日はまだだから十六歳。ここまではいいんだけど、問題はここから。

 自己紹介で言う、ってなったら趣味は「音楽を聴くこと」だけど、実際は全然違うなんてみんなわりとあるんじゃない?というか、音楽鑑賞とか映画鑑賞が趣味って言ってる人大体ウソでしょ。なぜなら、絶対に「趣味:音楽鑑賞」と書くって決めてるあたしがウソをついてるから。ほんとはみんなウソじゃないんだとしたら、あたしだけウソついてるのは嫌だからなるべく本当のことに近い趣味を考えときたい。

 耳につくチャイムが鳴ったと同時に、猫背で机に覆い被さっていた体を背もたれに預けて、ついでに足を伸ばしてだらしない体勢で座る。後ろのポニーテールが揺れて、目元に前髪がかかった。本格的に邪魔になる前にそろそろ切らないと。畳んだノートと教科書は適当に机の中に突っ込んで、それからいつもみたいに薄っぺらいスマホを取り出すと、慣れた指先がほぼ何も考えなくてもロックを解除して下のバーに固定してある青いアイコンをタップする。

 これ、あたしのほんとの趣味。SNSっていうか、タイムラインを見ること。こんなの自己紹介とかで言えるわけない。

 親とか先生とか、あとテレビでたまに見るなんかよくわかんないけど偉いんだろうなって雰囲気の大人は、ネットの世界より現実の世界をどうのこうのって言ってるけど、たった十分しかない休み時間で席を立ってまで話したい友達なんかいないし、グループ学習とかになったら話せる友達くらいはいるし、まあ別にいいでしょって思ってる。

 スマホ依存とかネット依存って言われたらそうなんだろうけど、だから何?って感じ。スマホがあれば生きていけるんだからいいじゃん、この先スマホが無くなるなんてこと絶対ないんだし。

 フォロー欄の人数が余裕で三桁を超えてる本垢のタイムラインは平日の昼前だろうと元気に更新され続けている。色んなジャンルの人の投稿が無造作に新着順に並んでいて統一感は一切ない。課題を忘れたという元クラスメイトの投稿の上にゲームのガチャでSSRを引き当てたというスクショ付きの投稿が流れてたりする。

 ほんとにたまーに覗きたくなるけど基本的には興味のない中学の時の同級生の投稿はスルー。学校さぼって彼氏とデート♡なんて周りに自慢するための写真付きの投稿なんか、あたしは全然気にしない。そもそも学校さぼってるのにSNSでそのこと言うとかバカなんじゃないの。絶対いいねなんか押さねえよ。いいねと思う部分がどこにもない。この投稿を見たってだけのことでさえ反応したみたいで嫌になるのに。

 ちょくちょく興味のあるやつ、可愛い人の自撮りとかバズってる投稿とかにいいねを押しているとあっという間にタイムラインの上まで来た。更新マークがくるくる回るが新しい投稿はなし。休み時間はまだ半分も残ってるのに。まぁ三桁の人数をフォローしてようが平日のこの時間帯はこんなもんだ。これが帰る時間になると一気に増えて、二十分程度の電車に揺られてる時間じゃ足りないくらいなんだけど。

 動かないタイムラインはどうしようもないからアカウントを移動する。

 アカウントのホームの右上をタップすると、あたしが今ログインしているアカウントが並んだ。合計五つ。そんなにいるの?って弟とかには言われるけど、これでもだいぶ減らしたつもり。前は八つくらい普通にあった。ただ、あたしでも五つもいらないでしょって思う時はある。五って数字だけを見るとめちゃくちゃ多い。けれど、それぞれ用途があるから結局五から減ることはなかった。

 五つ並んでいるうちの一番下。一番古いアカウントを選ぶ。一番古いって言っても定期的にアカウントを変えてるから、一年くらいしか使ってないやつなんだけど。

 そのアカウントは「M」というアルファベット一文字のユーザーネームにしてる裏の裏垢。あたしの一番の本音が溜まってる場所。たまに自分の呟きを見返したりするとわりと過激なこと言ってるのもあって、鍵垢だから別にいいけど本音と一緒に自分の悪いところも溜まってるみたい。

 Mだけは全員相互フォローで、フォロー欄もフォロワー欄もぴったり同じ数で四。これがあたしの一番の本音を知ってる人数。タイムラインはこの時間滅多に動かない、というか一般的にタイムラインが活発になる時間でも更新は緩やかだったりするけど、ごくたまに動く時がある。

 今日はどうだろうか。更新すると、更新マークがくるくる回って、止まった。新規投稿はなし。タイムラインは朝学校に着いて確認した時と同じ投稿で止まっていた。

 つまらなくなって小さく溜息を吐くと、ちょうど先生が教室に入ってきた。こちらの神経を逆なでするようなわざとらしい大きな声が嫌になって、後ろの方の席で見えないだろうけど思いきり顔をしかめる。スマホを切ってポケットに突っ込んだ。

 授業中は時間の進みがいやに遅い。あと半分くらいかなって思って時計を見てもまだ二十分しか経ってなかったりする。

 ろくに入ってこない先生の話に、広げるだけ広げて見もしない教科書とノート。何の意味もない時間が暇で暇でどうしようもなくって、制服の上からポケットの中のスマホを撫でる。そのまま手癖でポケットから取り出そうとしてしまうけど、授業中だから我慢しないといけない。この現国の先生は話も長ければ説教も長いから。

 もどかしくって、手遊びにシャーペンをくるくる回した。こうやってシャーペンを回すのは、小学生の時に前の席の男子がやってるのがカッコよくて必死に練習して以来染みついた癖だった。昔はよくペンを落としてたけど今はそんなことはない。ただ慣れすぎてペン回し程度じゃもう暇つぶしにならないのが難点だった。

 じりじりとわざとらしくゆっくりと動く時計の針にイラついて悶々としながら残りの授業時間を耐える。これでもまだ三時間目っていうのがめちゃくちゃ憂鬱。あと三つも授業がある。これをあと三回も繰り返さなくちゃいけない。けど次の授業が終われば昼休みに入るから、そこまでならちょっとくらい頑張ってみてもいい。

 とはいっても授業をちゃんと聞く気なんて全然なくて、暇だから今日のお弁当のおかずのことを考えて授業時間を潰す。今日のおかずは昨日の夕飯の残りかな。…昨日の夕飯なんだっけ。

 同じことばっかり考えるのにあたしの脳みそが飽きてきた頃になってようやく四時間目が終わった。三時間目も四時間目もノートは真っ白、先生の話してた内容なんて一ミリも覚えてない。なのに一丁前に空いているお腹にお弁当の入ったバッグを抱えていつもの空き教室に向かった。

「あ、まこちゃん」

 教室に入ると、陽の当たる窓際の席の机を移動させている有紗がいた。にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている有紗に笑い返して、それから同じように机をくっつけている由宇にも同じ顔を向ける。だけど、こっちに笑いかける時はちょっとだけ頬に力を入れないといけない。じゃないとなんとか作った愛想笑いが下手くそに崩れちゃう。あたしは由宇とはあんまり仲良くないから。

 有紗とは一年生の時に同じクラスだったのをきっかけに仲良くなって、それから学年が変わってクラスが別々になっても一緒にご飯を食べてる。タイムラインの監視が趣味なんていうあたしとは違って、有紗は明るくて友達が多くて、プロフィール欄に音楽鑑賞が趣味って書いてもあながちウソじゃなさそうな珍しいタイプ。

 由宇は中学の時から有紗と一緒らしくて、そのよしみというかなんとなく流れで一緒にご飯を食べてるだけ。あたしはあんまり仲いいとは思ってなくて、一緒にお昼ご飯を食べるようになって一年以上になるけど未だに友達の友達くらいの距離がある。多分向こうからしても同じ。きっかけがあれば仲良くなれるかもしれないけど、そんなきっかけありそうもないし、自分からきっかけ作りをしようとも思わない。

 なんとなく居心地のいいとは言えない昼休みは嫌じゃないけど、もちろん好きとも言えない。仲のいい有紗とだけの方が気楽だし、そしたら昼休みも好きって言えるけど、そんなことしたらなんだかあたしが由宇をハブってるみたいになる。そんな悪者みたいなことしてまで有紗と一緒にいたいほど好きってわけじゃない。

 頭を突き合わせた机にそれぞれ座って手を合わせる。この三人だと喋るのはもっぱら有紗で、あたしと由宇は適当に相槌打ったり笑ったりしながらお弁当を片付けていく。

 さっきまでさんざんお弁当のおかずのことを考えてたのに、考えすぎたせいか興味はもうなくなってて、ただいつも通りの味付けの卵焼きを何も考えず口に放り込んだ。

「それでね、せいちゃん今日休んでて」

 有紗の話はいつの間にかあたしの知らない「せいちゃん」の話題になっていた。お昼ご飯を食べながらだったせいか、前の話の流れからそうなったのかいきなり話題転換があったのかわからない。ていうか誰だ、せいちゃんて。

「なんで休んだのってメッセ送ったら、彼氏とデートしてるからってきたの」

 あたしと由宇は二人揃って称賛とも驚嘆ともつかない声を上げた。その一方で、あたしは心の中で「こいつもか」と会ったこともないせいちゃんを見下した。どいつもこいつも似たようなこと考えるバカばっかりだな。今くらいの年齢ってそういうことしがちなのか。

「すごいねー、デートで学校休むとか」

「ていうか彼氏いるの羨ましいなぁ」

 由宇が零した言葉に続けて、あたしも適当な感想を口にする。雑に呑み込んだ唐揚げの衣が歯に挟まってるのが気になっていた。

 彼氏が羨ましいっていうのは別にウソじゃない。ただ彼氏ができた女のイタイタしさっていうのがわかってるから、ああはなりたくないなと思ってしまう。

 恋は盲目とかいう言葉の意味を周りに教えたいのかってくらい恥ずかしいことをポンポン言って、ちょっと何かある度に一喜一憂、それで挙句の果てにはSNSでポエム放流。見てるこっちが嫌になって、もはや嫌がらせのレベル。別れたら別れたでアイコン真っ暗にして病みアピールするくせに、ちょっと経ったらケロッとして友達とのプリに変えてるし。マジで心臓に毛でも生えてんでしょ。一回取り出して見てみたい。

 たとえあたしに彼氏ができたとしても多分ああはならない。なぜならあたしの心臓に毛は生えていないから。

 その後はお互い「彼氏ほしいねー」なんて中身のないことを言い合って昼休みが終わった。あたしとしてはこんな興味のない無駄な話をするよりスマホいじってた方がマシなんだけど、いくらスマホにべったりなあたしでもそんなことしたら友達を失くすってことくらいはわかる。

 ほんとに何の実にもならないようないつも通りの生活で、華のセブンティーンとやらを無駄にしてるみたい。焦りのようなものさえ感じる。親戚の大人とかが、十七歳は一番いい年だって声を揃えて言うせいだ。去年は十六歳が一番いい年だって言ってたくせに。結局は若者が羨ましくて自分の過去と重ねてるだけのおじさんとおばさんに過ぎない。

 5限目が始まる直前に確認したタイムラインはスクロールバーから察するにわりと更新されていて、それはいつものこの時間帯にしては珍しいくらいに多かった。

 何かあったのだろうかと気になりながら、この更新されたタイムラインは次の休み時間にとっておこうとスマホをポケットに突っ込んだ。



 結果からいうと、更新されていたタイムラインはあたしが授業を受けてる間にもどんどん更新され続けていて、十分程度の休み時間じゃ追いきれなかった。帰りのSHRでもそわそわしながら、なかなか終わらない歯切れの悪い先生の話を急かすように指先で机を叩く。もちろん先生は気付いてなくて、いつまで経ってもずるずる続く話に軽く頭痛がするくらいイラついた。

 それからSHRが終わると一番に教室を出て、急ぎ足で駅まで向かう。今日が掃除当番じゃなくてよかった。

 いつもより一本早い電車に乗って、ドアの隣にもたれかかったら準備万端。携帯を取り出してロック解除。タイムラインを開いたままスリープにしてたから、途中まで見てたタイムラインがすぐに出てきた。

 あたしが短い休み時間のうちに把握しきれたのは、誰かが炎上してるんだろうってことだけ。けれど、あたしのフォローしてる人たちはちゃんとしてるのかそれとも誰かに遠慮してるのか、炎上してる本人の名前は出てこない。これだけの人が呟いてるならトレンドに乗ってそうだけど、炎上してる様を楽しむのは誰が炎上してるのか把握してからの方がいい。

 タイムラインをとりあえず今投稿されてる分は確認したから、今度は非公開リストを見に行く。リストはフォローしなくても投稿を見れるもので、この人をフォローしてるって思われたくないけど投稿は見たいって人を入れてる。これはあたしなりの使い方。嫌われ者の配信者とかちょっとエッチな絵を描いてる人とか、後は他人を晒して人の目を集めるインフルエンサーもどきとか。

 お目当てのインフルエンサーもどき「エイム」の投稿はリストを開けば一番上にあって、決して多くない字数で今回の炎上をまとめていた。本当にこういう時は助かる。絶対フォローしたくないけど。だって本垢は鍵がかかってないから誰でもフォロー欄見れちゃうし、こんな人の汚点を晒して注目を浴びてる人をフォローしてるのは人としてあんまり良くないでしょ。

 今日の炎上はそこそこ有名な配信者がやらかしたらしくて、その人はあたしでも知ってる人だった。というか動画見たことあるかも。なんなら友達が好きな配信者じゃん。

「3Len」という名前のその人は、これでサレンと読むらしい。へえ、変なの。

 あたしはさっそく検索欄に「サレン」と名前を入れる。律儀に活動名そのままよりも、こっちの方が検索にかかりやすい。すると、サジェストにはすぐに「炎上」やら「リスナー」と出てきた。サジェストだけで炎上の内容を把握するのも難しくなさそう。

 こいつ、なんとリスナーに手を出した上に彼女持ちだったらしい。彼女がいることを隠してたのはまだしも、リスナーに手を出して浮気となれば野次馬も飛びついて知名度を上回る騒ぎになる。まあ、あたしも飛びついてる野次馬の一人なんだけど。しょうがないよね、炎上する方が悪いし。

 人の炎上を見るのは楽しい。自分のダメな部分を気にせず済むし、人を見下したい気持ちは誰にだってあるでしょ。あとは単純な野次馬根性。性格悪いってのはわかってるけど、毎日毎日こんなことしてるわけじゃないし、少なくともどんな些細な人のあらでも大袈裟に取り上げるようなインフルエンサーもどきよりはマシ。別にあたしがリストに入れて見てるあの人のことを指してるわけではないけど。人の不幸で飯を食ってる人なんてネットには大勢いる。

 検索で出てきたツイートを眺めながら電車に揺られる。元々アンチだったのか自分は全て知ってたみたいな口ぶりで暴言を吐く初期アイコンの投稿。これは明らかに捨て垢。あたしの野次馬根性を5倍濃くして悪意をたくさん詰めたらこうなる。それから、浮気とかいうどう考えても悪いことをした配信者を「何も悪くない」という無責任な一言で擁護するファンの投稿。ここまできたらファンじゃなくて信者に近い。下手にいいねとか多いとエイムみたいな奴に晒されて笑われるのがオチだ。

 そんな中で、ほんの少しだけ、暴言とか意味のわからない擁護に混じって本当にちょっとだけど、純粋にショックを受けているファンの人もいた。この人が一番まともっぽい、アイコン真っ暗になってるけど。

 そんなことをしていたら、家の最寄りまでの二十分なんてあっという間で、手元の小さな画面に夢中だったあたしの耳に、車内アナウンスが届く。

 しばらくは聞き逃していたけれど、それが自分の最寄りに着いたことを知らせるものだと分かって慌てて顔を上げた。この駅で降りる人はもうみんな降りていて、ホームにいた人たちが乗り込んでくるところだった。あたしは慌てて電車を降りる。スマホに夢中になって乗り過ごしかけるとか恥ずかしい。

 改札を抜けて、家までの道をいつもより急ぎ足で歩く。ほんとは次々と更新されていくタイムラインを見ながら帰りたいところだけど、なんかそんなのあからさまに依存してますって感じでかっこ悪い。ほとんど無意識でポケットの上からスマホを抑えながら家に帰った。

 うちの両親は共働き。お母さんは十八時、お父さんは二十時とかに帰ってくる。弟は野球部。だからあたしはいつもこの家に一番乗りに帰ってくる。

 帰ったらすぐにソファに飛び込んでタイムラインを確認したいところだけど、制服が皺になるし、あんまりリビングで堂々とスマホにしがみついてると帰ってきたお母さんが怒り出すから、制服をハンガーにかけて自分の部屋に引っ込んだ。

 ブラウスとスカートの下に履いてた体育用の短パンだけの楽な服装で、ベッドを背もたれに床に座る。帰り道の数分で随分と更新されたタイムラインは、時間帯も相まってどんどん盛り上がりを見せている。

 このアカウントのフォロワーでこの配信者を好きって人はいなかったはずだけど、ネットではそこそこの有名人なだけあってみんな外野からどんどん首を突っ込んでいた。炎上はその外野の野次馬根性を含めて楽しいお祭りだ。あたしだって似たようなもんだろうけど、人の汚い部分を見てるのは楽しい。誰だってそうでしょ。ていうかそうであってほしい。あたしだけ汚いのは嫌だから。

 そこで少し友達のことが気になってアカウントを切り替える。現在炎上のど真ん中にいるサレンのリスナーをしているのは「きぃ」という子で、もちろん本名じゃなくて裏垢のユーザーネーム。あたしとはMの垢でも繋がっていてネットでは一番仲がいいけど本名は知らない。なんとなく下の名前が「き」から始まるんだろうなってことはわかる。その程度。住んでる場所も知らないけど、でも仲がいいのは本当で、下手したらリアルの友達をよりもきぃの方が好きかもしれないってくらい。

 裏垢にきぃは浮上してないけど、あたしと同い年だからそろそろ学校は終わってるはず。そう思ってMの垢に飛べば、案の定きぃの投稿が連投されていた。こっちでのきぃのアカウント名は「Ki」だ。

『ほんとにマジで無理』

 タイムラインを軽くさかのぼってもきぃの投稿しか流れていない。思っていた通りにショックを受けている様子に、一番新しい投稿にありきたりな慰めのリプライを送る。

 相手を無駄に刺激しないような言葉は、長い間ネットで色んな人とやり取りしてるから身についてる。

『大丈夫?あたしで良かったらいつでも話聞くからね』

『ありがと』

 返信はすぐに来た。スマホに張り付いて思ってること全部吐き出してるんだろうな。それから間髪入れず、今度はメッセージアプリの通知が鳴る。

『今夜、通話』

 たったそれだけの雑な呼び出しはもちろんきぃから。仲がいいからこその素っ気なくも見える扱いが嬉しくて笑ってしまった。

 大きく丸を作るウサギのスタンプを送り返して、あたしはうきうきとした気持ちのまま、一番フォロー数の多い本垢に飛んだ。

 きぃとかリスナーからしたら好きな配信者が炎上して傷心気味だろうけど、こっちからしたらただ友達と通話する予定が入っただけだ。今のうちに今回の炎上に首を突っ込みたい。汚い野次馬根性だけど、ネットでなら本性晒して多少汚くてもいいでしょ。

 本垢のフォロワーは決して多くないけど少ないとも言えない。誰が心の中で渦中の配信者を好いているのかもわからない。それに本垢では繋がってないからきっとこの投稿は見ないだろうけど、きぃの好きな配信者のことをあまり悪く言うのも気が引ける。…野次馬根性で首を突っ込もうとしてるけど、一応本心ではある。正直きぃがリスナーじゃなかったら絶対ぼろくそに言ってた。

 あたしはちょっと考えてから投稿の内容を決めて、スマホを握り直す。当たり障りのない内容でいいや。変に尖ったことを言って文句を言われても面倒くさい。ましてや一歩間違って晒されでもしたら更に面倒。この時代、普通の人でも叩かれたりするもんだし。

 ぽちぽちと文字を打って誤字や脱字の確認もそこそこに投稿ボタンを押す。

『彼女いたのは別にいいとしても、リスナーに手出して浮気したのがなぁ』

 ちょっと経てばすぐにフォロワーから反応がきて、いいねの数がくるくる上がっていく。サレンの名前は出してないから炎上に群がる野次馬の検索にはひっかからない。反応をくれるのは見知ったアイコンと名前のフォロワーのみ。それでも話題の真っ只中なだけあっていつもより反応が多い。

 どんどん増えるいいねの数にちょっとした満足感を覚えてからMのアカウントに切り替えようとした時、また新しい通知が鳴った。

 それはいいねを知らせるものではなく、新しくフォローされたという通知だった。浮かぶアイコンは髪の短い、多分男の子の横顔の自撮り。なんだこいつ。



『いい?』

『いいよ』

 ご飯も食べて、お風呂に入って、歯も磨いて。さぁ後は寝るだけって万全の状態の時に、ちょうどきぃからメッセージが届いた。間髪入れずに返事をすればすぐにスマホが震えだす。時間は二十三時からちょっと針がずれたくらい。今日は長引くかもしれないから二時までに終わったら早い方かな。明日は休みだから何時になってもいいけど、あまり遅いと親がうるさい。

「もしもし?」

『もしもし、久しぶり』

 電話の向こうの声は少し拍子抜けしてしまうほど明るい。

 きぃを慰めるつもりでいたのに、もう立ち直っちゃったのかな。それでも一応気遣うつもりで優しめの言葉を選ぶ。

「大丈夫だった?」

『あー、まぁ色んな人に励ましてもらって、とりあえず落ち着いた』

「そっか、よかったぁ」

 きぃにはきぃの友達がいるし、そりゃあたしだけが励ましてるわけないってわかるけど、それはそれとして少し寂しい。でもそんなこと言うつもりは当然なくて、適当な相槌で流す。

「推しの炎上って大変でしょ、あたし経験したことないけど」

『まこってこれって感じの推しいないよね』

「いないねー、好きなアイドルとか配信者とかいるけど推しってほどじゃないしなぁ」

 きぃはゲーム実況者中心に追っていて、最近はサレンに熱を上げていたけれど、あたしはそういうのは全然ない。

 たまたま少しだけ興味の出た実況者についての投稿をしたら、検索からあたしの投稿を見つけたきぃにフォローされて今に至る。一年以上前の気まぐれに近いあの投稿がなかったら今ここまで仲良くなってないんだと思うとなんだか不思議な気分で、だからあたしにとってネットの友達は現実の友達と変わらないくらい価値がある。あの時の実況者にはもう興味の欠片もなくて名前さえすぐに思い出せないけど。

『推しいると楽しいけど大変だよ。すぐ病むし」

「それはきぃ見てるとわかる」

『ほんとすぐ病むよね、あたし!』

 昼間の随分とショックを受けている様子だった投稿からはかけ離れた明るい口調に、電話の向こうと声を揃えて笑う。

 きぃのこういうところが好き。確かに感情の起伏はあるけど、沈んでてもすぐに立ち直るし、こちらに気を遣わせ続けることなんて滅多にない。何かにつけすぐに病んでアピールしてくる奴は嫌いだけど、素直な感情が表に出てるだけのきぃみたいな子は居心地がいい。こっちも気を遣わず素直に自分を晒していられる。

 中身のない話で笑うきぃに、今日の通話の目的はもう果たしたといっても過言じゃない。ここからはだらだらと記憶にも残らない会話が続くんだ、いつもみたいに。話したいことがあって通話しても、目的の会話が一割であとの九割は大概関係のないしょうもない話をしているばっかり。記憶にも残らないそれが楽しかったりするんだけど。

「そういえばさー」

 炎上してるきぃの推しの話は一旦終わって、何を話そうかと考える間もなく口を開く。初対面とかいまいち仲の良くない人とかにもこうやってどんどん話せればいいのにな。そしたら昼休みも少しは楽しくなるのに。

「今日中学の時の同級生が、彼氏とデートで学校さぼってるって呟いてたの」

『うわ』

 嫌なものを目の前にしたみたいなきぃの声。わかる、あたしも同じ気持ち。

「そんでさ、昼休みに学校休んでる友達に連絡したら、その子も彼氏とデートするから休んでるって言うの」

『うーわぁ』

 ほんとはあたしの友達じゃなくて有紗の友達だし、もちろんあたしはせいちゃんに連絡なんてしてないけど。こう言った方が簡単でしょ。こんなウソにもならないようなもの、ネットの友達には何も影響ないし。

「どいつもこいつもさぁ」

『彼氏ごときで休むなよな』

「ほんとそれ!」

 きぃはあたしと仲いいだけあって似たような考えだから、あたしの欲しい反応をくれる。こうも思い通りだと気持ちよくなっちゃう。

「バカだよね」

『なんかそこまで恋愛が最優先だと、なんかね』

「絶対すぐ別れるよ。そんなべたべたしてて長続きするわけないもん」

 そこまで思ってるわけじゃないし、なんならそのカップルのことはどっちもよく知らないけれど、楽しくなってよく回る舌は考える前に喋り出す。まあ高校生の恋愛なんてそんな続くもんじゃないし、間違ったことは言ってないでしょ。ろくに恋愛したことないからわかんないけど。

 きぃの方も似たような愚痴があるらしく、今度はあたしの番とばかりに話し始める。きぃもあたしみたいにほんの少しウソを混ぜて言ってるかもしれないな、なんて思って聞いていた。だからどうってことは何もない。

『なんか最近だとネットで彼氏作った子もいて』

「は?ネットで?」

『そう。やばくない?』

「やば。現実でモテないから逃げてんの?」

 少しきつめのことをわざと言うと、スマホのスピーカーから愉快そうにケタケタときぃが笑う。

 あたしがたまに尖ったことを言うのが好きだと言っていたから、あたしはたまに意識してきついことを言ったりする。そしたらきぃが喜ぶから。

 今回のは意識してってより本心の方が大きいけど。わざわざネットで恋愛するとか、バカのやることってわかんないのかな。

『まこほんとにやばい。まあでもあたしもそう思った』

「いや絶対そうでしょ」

 ひとしきり笑ったきぃの愚痴はまだまだ続く。ネットで彼氏を作ったその子は最近になって別れたそうだが、なかなか泥沼な別れ際になったらしい。

『そしたら、一か月もしないうちに彼氏の方がネットで浮気したらしくて』

 付き合うのもネットなら浮気もネット。見事なまでのネット恋愛に堪らず声を上げて笑った。

 やばい、こんな時間に大きい声出したら怒られるかも。案の定リビングから母親が何か言ってきたが無視だ無視。こっちは楽しんでるんだから邪魔しないで。

「おもしろすぎるでしょ、なにそれ」

『それで友達病んで、今アイコン真っ暗』

「恋愛やめた方がいいよその子」

『ほんとだよね、今度言っとこ』

 ちょっとしたネットの有名人、それこそ何千人とか数万のフォロワーを抱えてるような人がたまにネットで恋愛して、バカみたいに浮かれてそれをお知らせしてるのは見たことあるけど、どれもうまくいってる人は見たことない。そこからネットの恋愛はダメだってわかるはずなのに、わからないんだからほんとにバカ。みんな恋愛したらバカになるんだよ。絶対したくない。

「ネットで、ってどうやって付き合うまでいくんだろ、共通の趣味とか?」

『いや、なんかその子は普通にフォローされただけらしい』

「え、それで付き合うの?」

『付き合っちゃうんだからヤバいよね』

「やばぁ」

 いきなりフォローとか怪しすぎるのに、そこから付き合うとかどう考えてもヤバい。共通の趣味で繋がったんならまだしも、いきなり無関係のところからくるフォローはネット特有の怖さがある。あたしはそこで怖いって思えるから大丈夫なんだけど、警戒心のない人はすぐに信用しちゃう。マジでそういう人はネットやめた方がいい。

 ああでも、あたしもさっき知らない人にフォローされたっけ。

「そういえばさっきいきなり知らない人からフォローきたわ」

『え、キモ。ブロックしたら?』

 バッサリと辛辣なきぃに「んーん」とあいまいに否定する。

「同じ趣味の人だったんだよね」

 サレンの炎上についての投稿直後だったから、検索に引っかかってないのにあたしの投稿に辿り着くほど熱心に首を突っ込んでる人がいるのかと思ったが違うらしい。そこまで熱心ならもう首だけじゃなくて体全体突っ込んでる。

 いきなりフォローしてきた人、確か「れお」ってユーザーネームの人は、あたしの昨日の投稿にフォロー直後にいいねしていた。

 それは好きな絵師さんのイラストについての投稿で、あたしがちょくちょくやってるソシャゲのキャラクターがめちゃくちゃかっこよく描かれていたことに舞い上がったやつだった。今とテンションが違いすぎて、いいねされると掘り返されてるみたいでちょっと恥ずかしい。

 で、その投稿にいいねしてたからそのれおって人のアカウント見てみたら、プロフィール欄に見事そのソシャゲのタイトルが書いてあった。その上、今度始まるコンビニとのコラボ商品を絶対ゲットする、朝早くからコンビニ行く、みたいなことも呟いてた。これで同じ趣味が確定したというわけ。

『へぇ…でも気を付けなよ。いきなりフォローしてくる奴大体意味不明だから』

「大丈夫だって」

 何も考えずに口から出た自分の言葉がフラグみたいに聞こえた。

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