第75話 決死の籠城
話によれば、どうやらレイチェルは、土倉に立てこもり、結界を張っているそうだ。
果たして結界はどのくらい持つのか。この時点ですでに時間が経ってしまっている。
「助けに行くのか?」
スクトモが、平時と変わらぬ様子で言う。
「当たり前です。ララさん、テッシンさん」
「はい、急ぎましょう」
「あぁ」
恭之介は、何も考えられなかった。とにかく急がねば、その思いだけでいっぱいだった。
「待て」
しかし、スクトモが恭之介の勢いに水を差してくる。
「何ですか?邪魔をするなら」
「そう殺気立つな、三十秒だけ考えさせろ。お前にとっても悪い話じゃない」
そう言い、スクトモは目をつぶった。
今はその三十秒すら惜しいが、スクトモの言葉も気になる。こちらにとって悪い話じゃないとはどういうことか。
「……おい、その女の結界は本当に持つのか?一時間二時間の話じゃないぞ?」
「私は魔法が使えないので詳しくはわかりませんが、結界の力は本物です。それに考えなしに行動するような女性じゃありません。きっと彼女なりに成算があるのだと思います」
「わかった。で、お前はダコク・イチフルと敵対する覚悟があるのか?この国の大大名だぞ?」
「愚問です」
「信じられないくらい馬鹿な男だな。女のために全てを投げ出したあのソウモンイン・ササハルも貴様のような男だったのだろう」
スクトモが呆れたように手を振る。
「わかった、馬を貸してやる。お前は女を助けるために盛大に暴れろ。俺はその隙に、ダコク・イチフルの首をもらう」
「あなたも一緒に行くということですか?」
「あぁ、もし、イチフルの首を取れたら、ついでにダコク家と敵対したという悪名もこちらがもらってやろう」
話がうますぎる。そんな表情が出ていたのだろう。スクトモが言葉を続けた。
「そう疑うな。こちらとしても小勢でイチフルが外に出ているのは、相当な好機だ。そして先鋒には貴様のような規格外の男がいて、イチフルの軍勢は乱れに乱れるだろう。その隙に俺たちはイチフルの首を取る。やってやれないことはない」
「そうですね」
「そして俺たち革命軍がダコク家当主の首を取るということは、ホノカ全土に大きな衝撃を与えられる。何せ、ダコク家は四大名の中でも、もっともナリスエ家と近く、また、民草を苦しめている。奴が死んだとなれば、同志や民衆も沸きに沸くだろう。これが俺たちの事情だ。納得できたか?」
「はい、わかります」
「まぁ、イチフルがいない、あるいは女がもう連れ去られていたら、そこで協力関係は終わりだ。それでも馬を借りられる分、貴様に損はないだろう?」
スクトモの言う通りだった。
ある程度の距離ならば恭之介は、馬より速く走れる。しかし、ササノ村までの距離とその後の戦闘を考えると、馬の存在はありがたかった。
罠の可能性も捨てきれないが、それについては恭之介は考えるのをやめた。
今の状況で、レイチェルとヤクが襲われている以上の最悪はない。罠があろうともそこに飛び込んでいくしかない。
「そんな猛々しい顔もできるんだな。はん、恐ろしい男だ。ますますお前を敵に回さなくて良かった。まぁ、短い間だが協力しようじゃないか」
スクトモが手を挙げると、すぐに馬が引かれてきた。
「さぁ、そうと決まれば急ぐぞ。イチフルに城に帰られてしまっては、このチャンスが活かせん」
スクトモは二十人ほどの配下を連れていくようだ。数を抑えたのは速度を重視したのだろう。
イチフルは百ほどの配下を連れているという話だから、数的不利を恭之介の暴れっぷりで補おうとしている。
この杜撰にも思えるやり方に、かえって罠の可能性はないと恭之介は思えた。もし罠にかけるつもりならば、もっと周到な策を出すはずだ。
おそらくスクトモは、ここでも一つ賭けをしようと考えたのだろう。イチフルの首を取るために。
正直、スクトモの革命にあまり興味はないが、協力し合えるのは恭之介にとっては幸いだった。現段階では、レイチェルを助けるための最善を尽くすことができている。
恭之介は、スクトモが用意してくれた馬にまたがった。気性の良さそうな馬である。
「行くぞ、死ぬ気で駆けろ!」
スクトモの号令で、馬たちが駆け始めた。さすがに精鋭を集めたのか、想像以上の速さで駆ける。
恭之介の馬も集団本能に引っ張られ、騎手の腕を補うように懸命に駆け始めた。
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「おい、この結界を解かんか!」
武士たちが乱暴に結界を叩く。
やはり土倉を選んだのは正解だった。入り口部分にだけ結界を張ればいいので、その分魔力の消費を抑えられる。
「くそ!この」
武士たちは抜いた刀で突いたり、斬ったりするがまったく歯が立たない。
結界の範囲が狭い分、結界の強度も上げられる。
懸念だったのは、こちらの結界を破るほど強い力を持った者か、魔法を打ち消すような魔法使いがいることだったが、幸いなことにどちらもいないようだ。
これならば、レイチェルの魔力が尽きない限り、ここで恭之介を待つことができる。
敵は目の前の武士でも、ダコク・イチフルでもない。
自分自身との戦い。
ヤクが心配そうな顔でこちらを見てきた。レイチェルは笑顔を返す。
「何をそんなに警戒しているのだ」
聞き覚えのある声。
そちらに視線を向けた。
ダコク・イチフル。
困ったような、それでいてレイチェルの行動をなだめるような顔つき。一見、大らかな表情にも見えるが、目だけは違った。
猛った攻撃的な光が奥にある。このように抵抗を示したレイチェルに憤慨しているようだ。
「部下が手荒な真似をしてすまなかった。怖がらせる気はなかったのだ」
体つきに合った脂肪に包まれた手が、そっと結界に添えられる。
明らかに錯覚ではあるが、自分の身体に触られたようにも思え、レイチェルは不快さを感じざるをえなかった。
「別に痛い目に合わそうとしているわけではない。お主を妾として迎えようとしているだけだ。金もたくさんやる。不自由な暮らしはさせないぞ。何も嫌がることはないだろう」
どうやら本気で不思議がっているようだ。
それが嫌な人間がいるのをどうしてわからないのか。
一部の権力者が持つ傲慢な自信。
自分の言う通りにすることが、相手にとっても幸せだろうと信じて疑わない、ずれた感覚。
レイチェルは、イチフルに対し、一切の反応を見せない。
無視。それが相手に取って一番嫌なことだろうからだ。
「そこの小僧が私の部下を斬ったことも不問にするぞ。その小僧が気にいっているなら、お前の世話役や護衛として使ってもよい。それに将来有望そうだ。何なら武術の稽古もさせてやろう。腕が立てば、ゆくゆくは儂の麾下に入れてやることだってできる」
よくもこう、するすると言葉が出てくるものだ。
きっと本心ではあるのだろう。
こちらが従順になれば、ちゃんと約束を守るのかもしれない。
だが、そんな未来はまっぴらごめんだった。
プライドだろうか。意地だろうか。はたまた貞操を守りたいという本能だろうか。
レイチェル自身もよくわからない。
はっきりわかるのは、自分はこのイチフルに従いたくないという一点。
それが今こうやって無謀で危険な手を取らせている。
ヤクには申し訳ないとも思うが、きっと彼も同じ気持ちではないか。何せ、あの恭之介の弟子である。
「何が不満なのだ!」
イチフルが結界を叩きはじめた。どうやら業を煮やしたようだ。
「儂が妾で迎えてやるのだぞ!?国中の娘たちが望んでいる身分をどうして受け入れない!?いい暮らしをさせてやるといっているではないか!」
勘違いも甚だしい。あまりの勘違いっぷりに、笑みを浮かべてしまう。
「ん?考え直したか!?」
しかし、イチフルはレイチェルの笑みを違う風にとったようだ。
どこまでも自信過剰で自分本位。レイチェルが慕うあの人とは大違いだ。
「ダコク・イチフル様」
反応する気はなかったが、つい言葉を発してしまった。
「なんだ?結界を解く気になったか?」
イチフルが、酒焼けした丸い顔を結界に近づける。期待に満ちた顔。愚かだ。
「此度のお申し出について、ご返答いたします」
「うむ!」
「くそ喰らえです」
イチフルは、一瞬呆けたような表情になった後、赤ら顔を更に赤くする。
「小娘がっ!儂を侮辱した罪、軽くないぞ!時間はある。お前の魔力が尽きるのを待てばいいだけだ。結界が解けた暁には、いくら後悔してもし足りないほど、凌辱し尽くしてやろう」
イチフルは忌々しそうに結界を何度も叩く。
「お前ら、攻撃を続けろ。少しずつでも魔力を削れるはずだ。いいか、さぼるなよ!儂はこの上の部屋にいるから、結界が解けたらすぐに声をかけろ」
憤慨しながら、イチフルは宿の中に入っていく。上で酒でも飲みながらこちらの様子を見るのだろう。
ふと横を見ると、ヤクが目を大きく開いた顔で固まっていた。少し怯えているようにも見える。
「品のない言葉遣いをしてしまいました。さっきのことは恭之介様には内緒にしてくださいね」
ヤクは固まった顔のまま、何度も頷いた。
レイチェルは再び、結界に集中する。
武士たちは、主人の言いつけ通り、レイチェルの結界を攻撃し始めた。
周囲が更に騒がしくなるが、集中しているレイチェルにはそよ風ほども気にならない。少しずつ削られていく結界を、ただただ丁寧に修復し続けるだけだ。
恭之介がどのくらいで助けに来てくれるか、計算するのはやめた。不確定要素が多すぎる。この状況をまだ恭之介が知らない可能性だって大いにありえる。
だが、レイチェルとヤクの危機を知れば、必ず助けに来てくれるだろう。それは間違いなく信じられる。
なので、レイチェルができることは少しでも長くここで耐えることだった。
一分一秒でも長く結界を持たせれば、レイチェルの希望が一歩また一歩と近づいてくるからだ。
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