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第74話 ただ彼を待つ

 恭之介たちは無事だろうか。


 レイチェルは、小さく息を吐く。


 恭之介の腕は疑っていないが、どんな不慮の事故が起こるかわからない。ましてや山賊の根城に攻め込もうというのだ。


 身の安全を祈ることしかできない我が身がもどかしい。

 

 攻撃魔法や補助魔法の修練をしているが、今のレイチェルでは恭之介と共に戦場に立つことはできない。明らかに足手まといになってしまう。


 その点はよくわかっているつもりだが、恭之介と一緒に戦場に立つことができるリリアサやララを、ついうらやましく思ってしまう。


「レイチェル様、先生たちが心配ですか」


 ヤクがレイチェルの顔を覗き込んでくる。


「えぇ、少し」

「先生とララ様ならば大丈夫です。きっといつも通り、のほほんと帰ってきますよ」


 ヤクがにこりと笑顔を浮かべる。


 熱心な彼の性格を思うと、きっと自分以上に戦えないことへの悔しい思いがあるに違いない。だが、それを心にしっかりと納め、他人を慮ることができる。


 優しい少年だ。


 年下のヤクが耐えているのだから、自分もその悔しさに耐えなくてはいけない。


「そうですね、きっといつものあの穏やかな顔で、テッシン様を連れて帰ってきますね」 

「はい。俺たちはせいぜいのんびりさせてもらいましょう」


 ヤクが少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。


 その時、急に外が騒がしくなった。


 ざわざわと大勢の男の声が聞こえる。


「なんでしょうか」


 ヤクが部屋の窓から外を見る。


「え?」

「どうしました?」

「軍勢が、宿を囲んでいます」


 ヤクの目が鋭くなった。怯えがないのは大したものである。


 レイチェルも窓から外を見る。


 確かに、軍勢がこの宿を囲んでいる。何のためか。


 そこで、豪奢な着物に身を包んだ一人の男に目が行く。


 ダコク・イチフル。


 レイチェルに対する執心を隠さなかった男だ。


 嫌な予感がする。


「レイチェル様……イチフル様がいます」


 ヤクも何かを察した様子だ。


 恭之介たちがいない隙を狙って、レイチェルを攫いに来たのか。


 やはりイチフルと村の間で、何かしら情報のやり取りをしていたのだろう。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。


「私が狙いだと思います。ですからヤクさんなら、この囲いから出られるかもしれません」

「レイチェル様を残して出ていくことなどできません」


 そう言うと思っていた。しかし、ヤクを巻き込むわけにはいかない。


 しばし説得を試みたが、ヤクは頑なだった。


 レイチェルを残して自分だけ逃げたら恭之介に顔向けできない。


 その一言で、レイチェルは説得を諦めた。自分も逆の立場だったら同じことを言っただろう。


 階下が騒がしくなった。そして、階段を上がってくる足音。


「失礼いたす」


 声と同時にふすまが開き、二人の武士が入ってきた。


「レイチェル殿ですな」

「何ですか、いきなり。少々失礼ではありませんか?」

「主君ダコク・イチフルが、レイチェル殿に来ていただきたいと」

「恭之介様やララ様ではなく、私に用があるのですか?」


 レイチェルは我ながら白々しい笑みを浮かべ、首を傾げた。


「はい、レイチェル殿でございます」

「私ですか?う~ん、何でしょう」


 腕を組み、大袈裟に悩んでいるような演技をする。わざとらしいが仕方がない。


 演技をしながら、レイチェルはこの先のことを考え始めた。


 イチフルは、自分を妾にするためにここまで来たのは間違いない。


 しかも、本人自ら来るとは、かなり本気のようだ。その強い気持ちに恐怖すら感じる。


 ゆえに、率いてきた軍勢がどのくらいかわからないが、逃げることはおそらく難しいだろう。


 それならば一度、相手に従った方が良いだろうか。


 少なくとも命が奪われることはないはずだ。ヤクのことも守ることができる。


 だが、一度従ってしまうと、その後が悲惨なものになるのが見えている。


 おそらくレイチェルの身を手に入れたら、イチフルはすぐさま城へ帰るに違いない。さすがにすぐここで、自分に手を出すようなことはしないだろう。


 イチフルは好色だが、愚鈍ではない。恭之介とララの存在を無視はしないはずだ。

 

 ならば、まずは城へ帰還し、落ち着いたところでゆっくりと自分を手籠めにするだろう。


 そんなレイチェルを、恭之介たちがほうっておくはずがない。間違いなく城へ乗り込んでくる。自分のせいで、大大名と正面切った戦をすることになってしまう。


 いかにあの二人が強かろうが、それだけの戦力を敵に回して、無事に済むとは思えない。


 下手をすれば、フィリ村にいる兄を巻き込み、ホノカ全体を敵に回してしまう可能性だって考えられる。


 それを考えると、安易に敵の手に落ちるわけにはいかない。だが、逃げることもできない。


 ならば決定的な手段がない以上、今は状況を膠着させるしか手はないだろう。


 今はとにかく一秒でも時間を稼ぐことが重要だ。


「でも、イチフル様のような御方が、私のような女にどのようなご用件でしょうか?」

「某からは何とも。直接、殿にお聞きください」

「私が直接イチフル様に聞いてもいいのですか?」

「えぇ、それはもちろん。ですから、まずは殿のところへ」


 レイチェルののらりくらりとした態度に、武士は案の定やきもきとしているようだ。


「あ、もしかしたら!先日お会いした時にいただいた食事が、とても美味しかったんです。私が『何の調味料を使っているんでしょう』って言ったので、その調味料を持ってきてくださったのかしら?」

「いえ、おそらく違うかと」

「じゃあ、奥様が着ていらっしゃった着物の件かしら。すごく綺麗な布地だったんですよ。あれほどのものはウルダンでは手に入りませんね」

「それも違います」

「じゃあ、あの城下町で見た」

「レイチェル殿!」


 武士たちはレイチェルの言葉を遮るくらいには苛立ってきているようだ。


 別に苛立たせるのが目的ではないが、仕方がない。


「なんですか?」

「とにかく、話は殿から聞いてください。某たちはただ、レイチェル殿をお連れするようにとしか言われておりませんので」

「イチフル様は、私にお話があるんですよね?」

「そう言いました」


 ますます苛立ちが募っているのがわかる。


「でも、私に話があると言うのなら……」

「言うのなら?」

「イチフル様ご本人が、こちらへ来るのが礼儀ではないのでしょうか?」


 無礼な物言いなのはよくわかっていた。


 自分の主君が軽んじられたと思ったのか、武士の二人に怒気のようなものが垣間見えた。


 しかし、武士たちは何とか怒りを収めたようで、ゆっくりと言葉を続けた。


「レイチェル殿、この国には身分というものがあります」

「えぇ、そうみたいですね」

「我が殿の身分はご存じですか?」

「確か、国主ナリスエ家の次ぐ、四大大名のお一人だったかと」

「その通りです」

「それが何か?」


 話している武士は怒りを通り越したようで、馬鹿な女を見るような蔑んだ目を一瞬浮かべた。


 この状況を少しでも引き延ばせるのならば、いくらでも馬鹿になろう。


「はい、ですから殿を呼び立てることができるのは、ナリスエ家現当主ナリスエ・マキマサ様だけなのです」

「そうなんですね。私は異国の人間なので、そのあたりは疎いのです。申し訳ありません」


 レイチェルは恭しく頭を下げた。


 それで多少は溜飲が下がったのか、武士たちは小さくため息を吐いた。


「さ、おわかりになりましたかな。ではレイチェル殿、お立ちください」

「う~ん」

「どうしたのです?ほら、早く」

「いやです」

「はい?」

「お断りします」


 二人の顔が赤くなった。さすがに限界を超えたようだ。


「……手荒な真似をお許しください」 


 レイチェルに、二人の武士の手が伸びた。


「やめてください!」


 武士の一人が乱暴にレイチェルの腕をつかむ。


 レイチェルは叫びながらも、頭は冷静だった。この後どうするか。


 この二人の腕はどれほどだろうか。さほど強そうには感じない。レイチェルの攻撃魔法で何とかなればいいが。


 まずはここを一旦凌げば、レイチェルには考えがあった。


「大人しくしろ!」


 もう一人の武士が、手を振り上げる。


 殴るつもりか。


 レイチェルは魔法を唱える準備をする


 次の瞬間、小さな影が目の前を走った。


 鮮血。


「ぎゃあああ!」

「ひぃぃっ」


 レイチェルを掴んでいた腕、殴ろうとしていた手が、それぞれ地面に落ちる。


「はっ、はぁっ」


 荒い息遣い。


 ヤクのものだ。


 彼の持っている脇差からは、血が滴り落ちていた。


 想像していなかった流れに、一瞬頭がぼんやりとする。


 確かあの脇差は、ヤクが恭之介から借りているものだ。


 何故だか最初にそんなことを考えてしまった。しかしおかげで恭之介の顔が浮かび、レイチェルは落ち着きを取り戻した。


「だ、だれかっ!来てくれ!」


 腕を押さえながら、一人が叫ぶ。階下は更に慌ただしくなる。


「レ、レイチェル様、お、俺、俺……人をっ」

「ヤクさん、守ってくれてありがとうございます。二人の武士を斬るなんて、さすが恭之介様のお弟子さんですね」 


 おそらく初めて人を斬ったのだろう。動転してしまうのも無理はない。


 レイチェルは努めて落ち着いた口調で話し、笑顔を浮かべた。


 恭之介の名前を出したのもわざとである。きっと彼にとって、一番効果がある言葉だろうと考えたからだ。


 その甲斐もあってか、顔こそ真っ青だが、ヤクは少し落ち着きを取り戻したようだ。


 ヤクに人を斬らせてしまった。


 しかし、その悔恨は後回しである。今は彼が作ってくれた絶好の機会を逃してはいけない。


 彼が二人の武士を倒してくれたおかげで、魔力を温存できた。


 これからレイチェルがやろうと思っていることを考えると、少しでも魔力を温存できたのは大きい。


 レイチェルは自らを落ち着かせるように、一つ大きな息を吸いながら考える。

  

 庭にある土倉。扉のない、ただ土の壁をくり抜いた、頑丈さだけが取り柄の小さな倉。


 宿で使う様々なものを保管している場所である。


「ヤクさん、窓から飛び降ります」

「は、はい」


 幸い、この部屋にある二つの窓の内、一つは庭に面している。土倉からも近い。また逃走経路になる通り沿いと違い、逃げ道のない庭にわざわざ待機している武士はいない。


 これならば土倉まで何とかたどり着けるだろう。


 レイチェルはヤクの腕をつかみ、窓の外に身を投じる。


「エアフロア!」


 空中に風の足場を作る。魔力の消費を抑えた最低限の足場。


「庭の方に逃げたぞぉ!」


 部屋で倒れている武士が叫ぶ。余計なことを。


 地に降りると、複数の武士がこちらに向かってきていた。


 ここから外へ逃げるのは難しい。だが、土倉側に行くのは可能だ。


「レイチェル様、何を?」

「大丈夫です」


 レイチェルはヤクの手を引き、土倉へ走る。


 土倉の前に着いた時、数人の武士が近づいて来ていた。


 おそらく、追い込んだと安心したのだろう。武士たちの口元が上がるのがわかった。

 

「レイチェル様、ここでは逃げられませんよ!」

「ヤクさん、私の力を思い出してください」


 レイチェルはヤクに向けて笑いかける。


「結界!」


 レイチェルは土倉に入ると、入り口に結界を張った。


「まさか!レイチェル様、ここに……」

「はい、ここに籠城して、恭之介様を待ちます。今はこれが最善の手です」

「で、でもそれまで魔力が!」

「持たせますよ。私、こう見えても結構魔力があるのですよ」 


 結界の力と魔力の量だけは、人並み以上にあると思っていた。


 自分に与えられたこの二つの力で、ヤクを守り、ひいては自分を守る。


 ここで時間さえ稼げば、恭之介は必ず助けに来てくれる。


 それはレイチェルにとって、確かな未来だった。


お読みいただき、ありがとうございました。

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