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第111話 極み

 恭之介が暮霞を抜くのと同時に、ササハルも佩刀を抜いた。


 刀を抜いたことで、圧迫感が強まる。


 やはり強い。計り知れない。


 自分も強くなった気でいたが、まだまだ甘かった。


 目の前の男は、間違いなく天下無双だ。


 再び笑みがこぼれる。


 こんな時だというのに、嬉しくてたまらない。


「恭之介、すごいな。お前は俺が出会った中で間違いなく最強だ」


 ササハルの口元にも笑み。


 殺し合いの最中に、相手が強いことを喜ぶ。


 剣の道に囚われた餓鬼がここに二人。


 こんな立ち合いができるなんて、剣士としてこれ以上の幸せはない。 


 暮霞が陽の光で煌めく。


 まるで恭之介の気持ちに呼応したようだ。


 恭之介はいつも通り、地摺りで構える。


 じりじりと間合いをはかり、刀三本分ほど離れたところで、示し合わせたように止まった。


 次の瞬間、体にのしかかってくる重圧。


 ササハルの気迫が作り出したものだ。


 気を抜いた瞬間に押しつぶされてしまいそうである。


 父との立ち合いで感じた圧以上のものだった。


 あの時の自分より今のほうが強くなっていることを考えると、ササハルの力量がどれほどのものかわかる。


 耐える。


 ただササハルの剣圧に耐えるだけ。


 苦しい。


 しかし、自分だけではない。相手も苦しいはずだ。


 それが今の恭之介はわかるようになった。


 そうか、ならばあの時も。


 一歩も動かなかった父。


 その父の苦しそうな顔。


 もしかしたら自分は負けていなかったのか。


 束の間、父との立ち合いが頭をよぎった。


 しかし、すぐに頭から捨て去る。そんな余裕などない。


 正眼に構えたササハルの剣先がゆっくりと揺れている。


 ヴィラの話を聞いた限りでは融通のきかなそうな男だったが、剣は懐の深い、何とも柔らかい剣だと感じた。


 そして、どこか楽しげで、華のある剣。


 ササハルの肩が一定の拍でかすかに動く。


 まだ呼吸は穏やかだ。


 それは恭之介も同じだった。


 耐えるだけならばまだまだ耐えられる。


 しかし、どこかで仕掛けなければならない。


 膠着状態が続けば、何が起こるかわからない。


 父のように。自分も、ササハルも。


 恭之介は暮霞への力の入れ具合をわずかに変えた。


 わずかの緩み。


 乗ってこい。 


 誘い。

 

 ササハルが笑みを浮かべた。


 次の瞬間、ササハルの揺れていた剣先がぶれる。


 一陣の風。


 天下無双の突き。


 速すぎる。


 肩口に凄まじい熱。

 

 恭之介は必死に体をねじり、暮霞を振るって横に抜けた。


 すぐさま向き合う。


 ちょうど立ち位置が入れ替わった状態だ。


 砂埃が二人に遅れるように宙に舞う。


 肩が熱い。


 見なくてもわかる。


 斬られた。


 きっと浅い。


 肩は問題なく動く。浅いはずだ。


 血の匂い。


 肩口がじっとりと濡れているのがわかる。

 

 立ち合いで血を流すなどいつ以来か。


 しかし、まだ視界はしっかりしている。


 目の前のササハルは、すでに先ほどと同様に、ゆったりと構え直していた。


 あの怖気を振るうほどの凄まじい突きのあととは思えない落ち着き。


 だが、ササハルの脇腹付近もわずかに黒ずんできている。


 どうやらこちらも斬ったようだ。


 しかし、血の量を考えるとこちらよりずっと浅い。


 心の中で自分を罵倒する。


 何という愚か者なのか。


 口では天下無双などとんでもないと言っていたくせに、心の奥では驕っていたのだ。


 誘いにかけ、相手に乗らせてから、こちらは後の先を取る。


 恭之介がよく使ってきた型だ。


 しかし、今ここで使う型ではない。


 ササハルほどの相手に、簡単に先を取れるはずがないのだ。 


 ササハルは誘いとわかって、あっさりと乗った。


 そして誘いに乗ってもなお、ササハルの速さは恭之介の想像を上回った。


 それほどの相手だというのに、どこかで驕りがあったのだ。


 極限の勝負を仕掛けず、どこかに余裕を持たせた戦い方。


 甘い。甘すぎる。


 そんな覚悟で勝てる男ではない。


 命を賭けて攻める。


 それしかない。


 恭之介はやや剣先を下げた形で正面に構え直した。


「いいな、その精神」


 こちらの意志が伝わったのだろう。


 ササハルが不敵な笑みをこぼす。


 彼は相変わらず正眼。


 恭之介とは対照的に、少し高めに構え、剣先を揺らしている。


 互いに先ほどより近づき、あと少しで剣先が触れ合いそうだ。


 肩の傷は更に熱を帯びてきた。


 しかし、まだ動きに不自由はない。


 足にゆっくり力を込め、ササハルを中心に、円を描くようにじわりじわり動く。


 隙は全くない。脇の傷もやはり浅そうだ。

 

 不敵な笑みを浮かべたまま、こちらを観察している。


 余裕は明らかにあちらにある。


 止まっては、わずかに動く。


 それを何度繰り返しただろう。

 

 近くにいるはずの仲間たちの気配ももはや感じない。


 今度は恭之介から動いた。


 素早く手首を返し、ササハルの腕を狙う。


 反応。


 ササハルは体をひねり、その勢いのまま、恭之介の左へ抜ける。


 脇に微かな熱。


 逆にこちらに手ごたえはない。袖を斬っただけか。


 再び向き合う。


 ササハルがかわすことを意識した分、脇の傷は浅くすんだ。


 それでも着物がじわじわと赤黒く染まる。


「かはっ」


 恭之介はここで初めて苦しさを感じ、荒く息を吐いた。


 傷のせいだけではない。


 立ち合いの重圧が恭之介を消耗させていた。


 ササハルの表情は依然変わらないが、額には汗が光っている。


 呼吸も少し深くなっているように思えた。


 相手も苦しい。


 しかし、流している血の量を考えると、こちらの方がずっと苦しい。


 少しずつ視界も霞んできた。


 そう時間は残されていないだろう。


 死。


 心の底から死を意識したのは、これで二度目。


 一度目は当然、父との立ち合い。


 あの時は、恐怖も悔恨もなかった。


 ここで自分の生は終わるのだという諦めがあっただけだ。


 今はどうか。

 

 やはり死ぬことは怖くない。


 意識せずとも死はいつも近くにあった。


 幸い今日まで死ななかっただけである。


 多くの者たちの生を終わらせてきた自分に、とうとう順番が回ってきたのだという、ただそれだけ。


 やはり恐怖はない。


 しかし、違和感。


 死から逃れたいと思っている自分がいる。


 何故か。


 視界が切り替わる。


 ササハルの向こう側に見える者たち。


 この世界で、自分を受け入れてくれ、そして一緒に助け合って生きてきた人たち。


 さっきまで気配すら感じなかったのに、今ははっきりと見えた。


 無表情のレンドリックとキリロッカ。

 

 心配そうな顔を浮かべているララとレイチェル。


 唇を噛みしめ、まっすぐこちらを見ているヤク。


 手を組み、目をつむって祈りを捧げているヴィラ。


 そして、今にも泣きそうなリリアサ。


 ここで恭之介は心の違和感の正体に気づいた。


 自分は死にたくないのだ。


 物心ついてから今まで、恭之介に欠けていたもの。


 生への執着。


 自分が死んだらこの人たちはどうなるのか。


 この人たちのためにも、自分は死んではいけない。

 

「そう、それだ」


 ササハルが、嬉しそうに言う。


「貴様、今死にたくないと思っただろう?」

「……よく、わかりましたね」

「しんどかったら無理に話さなくてもいい。俺が話したいだけだ」


 刀を構えたままササハルが語り出した。


「死にたくないという思いが、生き物を強くする。手負いの獣のしぶとさを見たことがあるか?」

「はい」

「あれこそ生き物の本能だな。人も同じだ。死にたくないという思いがその者を更に強くする」

「生死を、超越することが、強さへの道だと思っていました」

「そういう考えもあるが、俺は違うと思う。死を達観した奴は、あと一歩足りない。死んでたまるかという思いが、体の底からあと一段、力を呼び起こす」


 そこでササハルの表情に陰りが見えた。


 どこか悲しげにも見える。

 

「だから俺は大軍を前にしても負けなかった。ジュリエンザを守るまで死ぬわけにいかなかったからな」

「……思い出したのですか?」

「これほど澄みきった勝負をすればな。否が応でも頭の中の霧は晴れる」


 ササハルは楽しそうに、そして寂しそうに笑う。


「信じられないかもしれないが、俺は敵が退却するまでこの足で立っていたんだぜ」

「信じますよ」

「そうかい、そりゃ嬉しいね」


 ササハルは後ろを振り返る。


「ヴィラ。ずいぶん年を取ったな」

「ササハル!」

「ヴィラさん、立ち合い中です!」


 駆けだそうとするヴィラを、苦しげな表情を浮かべたララが抱き止める。 


「おい、ヴィラ。あのあとジュリはどうなった?」

「それは……」

「……いい、わかった。そうか、結婚するって約束を破ってしまったからなぁ」


 笑みを浮かべながらも、目には悲しさの光が灯る。

  

 死してなお、感情豊かな男だ。


「だけど、あなたは守った。あなたが愛したジュリの村を。人は変わっても、あの村は残っているのよ」

「そうか。なら命を賭けて戦った意味が少しはあったな」

「そうよ!だから、もうあなたは戦う必要はない。もうゆっくり休んでいいのっ!天国でジュリと一緒に暮らしてっ」


 ヴィラが泣き叫ぶ。


 そんなヴィラをササハルは優しげな顔つきで見つめる。


「そうだな。俺がその天国とやらに行けるかどうかわからないが、記憶が戻った以上もうこんな辺鄙なところで戦い続ける必要はないな」 

「そう!そうよ、ササハル。あなたはもう十分なことをしてくれた。休んでいいの!」

「おう、休ませてもらうよ。だがな、この立ち合いだけはやめるわけにはいかない。そうだろう?恭之介」

「はい、それはもちろん」


 更にヴィラが何か言おうとしたが、言葉は出なかった。


 おそらくササハルという男の性格を知っているからだろう。


 強者というものに飢えている。


 いや、ササハルだけではない。


 恭之介も。


 強さを求める剣士で、一生に二度とないであろう最高の立ち合いを避ける者はいない。


 この勝負は誰にも止められないのだ。


「ソウモンイン・ササハル、最後の立ち合いだ。悪いが天下無双のまま、あの世に行かせてもらうぞ」

「天下無双の名は私が受け継ぎますよ。何せ、待っている人たちのためにも、ここで死ぬわけにはいかないので」

「おう、生への執着を抱いたまま死ね。それこそ人間よ」


 これ以上、言葉はいらない。


 お互い同じような正眼で構える。


 不思議と鏡写しのようになっていた。


 恭之介は一つ息を吐く。


 血を流し過ぎたせいで、意識はやや混濁している。


 しかし逆に、無駄なことを考える余地もなかった。


 ただ目の前の男を斬る。


 目の前の男に勝って、生きる。


 生き続ける。


 ただそれだけだ。


 対するササハルの瞳は、爛々と輝いている。


 その輝きは死者のものではない。


 間違いなく、生者の輝きだった。


 天下無双の武士。


 自らのため、そして大切な者のために、力の限り生き、死んでいった男。


 偉大な、そして誰より人間らしい男だった。


 互いにじりじりと位置を変える。


 わずかな隙、わずかな綻びを探すためだが、もはや二人の間にそんなものは存在しない。


 それほどまでの極限の立ち合い。


 父が求め、得られなかった極み。

 

 自分はそこに達した。


 そして、今日それを超える。


 超えることで、新たな生が始まるのだ。


 最後にちらりと仲間たちの顔を見る。


 覚悟は決まった。


 そして、残されている意識をすべてササハルに向ける。


 ただ斬る。


 暮霞に気迫を込める。


 恭之介の圧に当てられたのか、ササハルはわずかに呼吸を荒くした。


 まだだ。


 恭之介は体の底から力をふり絞った。


 限界などとうに超えている。

 

 しかし、これまでの自分を超越しなければ、勝てるはずがないのだ。

 

 更に気迫を込める。


「ふっっ」


 ササハルの呼吸が僅かに乱れる。


 刹那。


 つま先に力。


 地を蹴った。 


 一瞬で近づくササハル。


 暮霞を跳ね上げる。


 さすがは天下無双。


 ほぼ同時に、首筋へ風。


 死の香り。


 しかし、首に熱はあるが、意識はまだある。


 生。


 その証拠に、恭之介の手には、したたかな手ごたえ。


 斬った。


「ぐぅ……」


 並び立つササハルの口から微かな呻き。


 そして、ササハルは地面に、仰向けで倒れた。 


 それとほとんど同時に恭之介も膝を落とす。


 すでに限界だった。


 こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえる。


 恭之介の意識は完全に朦朧としていた。


 しかし、それでもササハルの顔からは目を離さなかった。


「負けた。俺が負けた」


 苦しげではあるが、どこか晴れやかな表情で言う。


「強いな、恭之介。すごいぞお前。何せ、俺に勝ったんだからな」

「ササハル殿に強くしていただきました」

「おう、それを忘れるなよ。その気持ちを抱いたまま、俺の分まで生きて行け」

「はい」

「恭之介君!」

「ササハル!」


 二人の女性の声がかぶさる。


「恭之介君、早く横になって!すぐに回復魔法をかけるから。レイちゃん、手伝って。まずは念のため、結界を」

「わかりました!ララ様、荷物の中から包帯とポーションをお願いします」

「すぐに出します!」

「み、みなさん、ちょっと待ってください」


 恭之介は女性陣の指示を遮り、片膝をついたまま、ササハルと話すために体を引きずる。


「ササハル殿」

「なんだ?早く治療を受けろ」

「もし私の弟子が一角の剣士になったら、ソウモンインの姓を名乗ることを許してもらえないでしょうか?」

「何?」

「ササハル殿の名を後世に残したく」

「貴様の弟子は、今ここにいるのか?」

「はい、来ています。ヤク、ここに」


 急に呼ばれたヤクが、驚きと畏怖の混じった表情で近づいてくる。


「おぉ、お前が恭之介の弟子か」

「は、はい。ヤクと申します」

「いい顔をしているな。ヤク、俺の姓を受け継いでくれるか?」

「え?」


 ヤクが困惑したように、恭之介の顔を覗き込む。


 恭之介は、小さく頷いてやった。


「ぜ、ぜひ!俺は、ソウモンイン・ササハル様の名に恥じない剣士になります!」

「おう、頼んだぞ。はっはっは!恭之介のおかげで、ソウモンインの名を残すことができたな。じいもあの世で喜んでくれるだろう」


 口調とは裏腹に、少しずつササハルの気配が小さくなっていく。


 最期のときだ。


 恭之介は、それを共にするにふさわしい人に譲り、リリアサたちの治療を受けることにした。


「ササハル、これでゆっくり休めるわね」

「あぁ、終わった終わった。しかし、ジュリのことを忘れて百年も戦い続けていたなんて、本人が知ったら怒るだろうか」

「……怒らないわよ。あなたが何をしても、あの子はいつも優しく微笑んでいたでしょ」

「そうだな、ジュリはそういう女だ」

「そうよ」

「あんな女に出会えた俺の人生、最高だったな。しかも最後の最後にこの立ち合いだ」

「えぇ、いい人生だったじゃない」

「おう。さ、そろそろだな。ヴィラ、最期に懐かしい顔を見れて良かった」

「……ジュリによろしくね」

「あぁ、お前が来るのを、二人で待っている。さらば」


 ヴィラは頷き、静かに泣いた。


 ササハルだったものは、黒い霧となり、そして消えていった。



お読みいただき、ありがとうございました。

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