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今夜で忘れる。  作者: @豆狸
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中編 忘れられない

 ジョアキン殿下との一夜からひと月後、私はアゼヴェード帝国に嫁ぎました。


 帝国での一ヶ月に渡る婚礼の祝典を終えて、私とティアゴ殿下は大陸の国々を巡る新婚旅行に旅立ちました。表向きはどの国とも友好関係なのです。

 私とティアゴ殿下の婚礼に遅れること半月ほどして、ジョアキン殿下とリーショ様も結婚なさいました。

 祖国ソアレス王国と縁を結んだエアネス王国はまたぞろ調子に乗って、帝国との国境線にちょっかいを出して小競り合いを引き起こしているようですが、それはみな見ない振りをしています。帝国の反撃も、です。


 復讐を始めた私の心は穢れ切っていますが、体は清らかなままです。

 同じ寝室で眠っていてもティアゴ殿下は私に手を触れることはありません。

 やはり利用するために泳がせているのでしょう。ジョアキン殿下とリーショ様はともかく、ソアレス王国の民だけは巻き込まないよう気をつけなくては。


 ひと月前、ジョアキン殿下も私を抱きませんでした。

 リーショ様への罪悪感から?

 いえいえ違います。私が持ち込んだお酒に溶かしていた睡眠薬が良い仕事をしてくれたのです。ティアゴ殿下のことを思い出して怖いから一緒に飲んでほしいと頼んだら、快く飲酒に付き合ってくださったのですよ。


 あの一夜のことを私は忘れません。ちゃんと紙に記しました。


「ねえダニエラ、行きたいところがあるんだけどいい?」


 アゼヴェード帝国の現役将軍とは思えないほど、ティアゴ殿下は親しみやすい方です。愛嬌のあるその言動で人の心に入り込み、必要な情報を得るのでしょう。

 かといって武芸に劣るわけではありません。

 大学の剣術の授業ではいつも演技だと気づかれぬよう上手く負けていました。本当の実力がなければ、格下相手に合わせて力を調節することは出来ません。


 ここはエアネス王国の端にある大公領です。

 領都は海に面していて、港には船が並び、砂浜には多くの魚が水揚げされていました。

 潮風がティアゴ殿下の黒髪を揺らしています。活気に満ちた市場で焼き立ての貝に舌鼓を打った後、私とティアゴ殿下は大通りを外れました。


 ソアレスからついて来てくれたエヴァとティアゴ殿下の部下が後に続きます。

 公式行事以外ではのんびりしたいという殿下のお考えで、観光のときの私達は裕福な商家の若夫婦とその護衛といった格好をしています。


 私達は裏通りに入りました。

 裏通りと言っても治安が悪い雰囲気はありません。むしろソアレスの大学周辺にある書店街のような印象です。

 ティアゴ殿下は娯楽書専門と思われる店舗の前で足を止めました。


「読書好きなダニエラになにかプレゼントするね。この店は販売だけじゃなくて出版もおこなっていて、ソアレスの大手書店に弾かれた通好みの書籍を発行してたりするんだよ。お亡くなりになった大公家のご令息が支援してた店なんだ」


 ……ええ、知っています。

 どんなに口調が軽くても、やはりティアゴ殿下は油断のならない方です。

 大陸の神殿を統べるアゼヴェード帝国の大聖殿の主、先帝の第二皇子にして現皇帝の弟君、ティアゴ殿下の兄君でもある聖王猊下が婚礼のときに冗談めかして言っていました。人は私のことを海千山千の怪物だとか言うけれど、ティアゴに比べたら善良なものなのですよ、と。


 ティアゴ殿下は店員に声をかけて、一冊の書物を用意させました。

 可愛らしい包装がされています。最初から注文していたのでしょう。

 お礼を言って受け取って、私はふと思い出しました。


「そういえば大学時代、書店街で見つけた古書を譲ってくださったことがありましたね」

「あの後、勉強に必要ならどうぞって貸してくれたよね」

「私は趣味で読みたかっただけでしたので」

「あのときはありがとう」


 ティアゴ殿下は微笑みました。

 少し胸が痛みます。

 復讐など考えず、この縁談を素直に受け入れて彼を愛する努力をしていたら、愛されることが出来たのでしょうか。……いいえ。ティアゴ殿下は、最初から私が復讐をするような人間だと予想して縁談を申し込んできたのでした。


 ──大学時代、ずっと裏切られてたことは気づいてるんでしょ?

 ジョアキン王子とリーショ姫に復讐するなら力を貸すよ?

 たとえ僕との縁談を断られたとしても、ね?


 ご協力はお断りしましたし、はっきり復讐を宣言したりはしませんでしたが、あのときの彼の言葉が私に復讐を決意させたのは間違いありません。

 むしろ縁談を受けたこと自体が自分自身への決意表明のようなものです。ソアレスの侯爵である父の考えはまた別ですけれど。

 そんな形だけの縁談でしたのに──


 昼間ティアゴ殿下と一緒に過ごしていると、本好きという共通の趣味のせいか、口下手のはずの私がおしゃべりになります。彼の隣にいれば、ほかの人との会話も弾みました。

 その反面、夫婦でありながら抱き合うこともなく眠る夜が寂しくてなりません。

 愛し合うふたりに復讐しようと企んでいる私には、新しく誰かを好きになる資格などないのですけれどね。


 キスしたこともない夫がくださった書物は、今エアネス王国で人気の恋愛小説でした。

 お互いに別の婚約者のいる高い身分の恋人同士の女性が男性に送った手紙という形式です。なんの伏線もなく女性の婚約者が亡くなったことで、ふたりは幸せになります。

 男性の婚約者は健在なのですが、読み終わった読者の頭の中からも作中のふたりの視界からも彼女の存在は忘れ去られていることでしょう。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 お世話になっている大公邸での夕食の後、私とティアゴ殿下は用意されていた寝室に案内されました。ここで数日過ごして、次はエアネスの王都、それからソアレスの王都へ向かいます。新婚旅行が終わるのは、出発から半年ほど経ったころでしょうか。

 エヴァと護衛達がそれぞれの控えの間に移ると、殿下はベッドに飛び込みました。

 敷布の上を転がりながら、いたずらっ子のような顔でおっしゃいます。


「ちょっと気まずかったね」

「……申し訳ありません」


 大公家の跡取りは、お亡くなりになったご長男の弟君です。

 彼は私とジョアキン殿下の婚約が解消された後、私に釣り書きと贈り物を送って来てくださいました。

 とても素晴らしい贈り物でしたが、私と侯爵家はティアゴ殿下との縁談を選んだのです。私の考え(復讐の決意表明)はともかくとして、父である侯爵は祖国(ソアレス)隣国(エアネス)の関係を深め過ぎて、帝国の怒りを買ったときのことを案じたのでしょう。


「まあ仕方ないよね。……ダニエラが僕を選んでくれて嬉しいな」

「喜んでいただけたなら私も嬉しいです」

「さっき書店で贈った本、夕食前に読み終わってたみたいだから僕も読んでいい?」

「……はい」


 私がジョアキン殿下の別荘で、彼が睡眠薬で眠っている間に家探しをして見つけたリーショ様からの手紙を参考にして書いた恋愛小説を読んで、ティアゴ殿下はどうお思いになるでしょうか。

 この程度の復讐しか出来ない女か、とがっかりされてしまうかもしれませんね。

 ティアゴ殿下は本をお読みになるとき、あまり時間をおかけになりません。速読がお出来になるのです。記憶力もとんでもなく子どものころのことで今でもからかわれるのだと、皇帝陛下が溜息をついていらっしゃいました。


 ……大学時代私がお貸しした本はなかなか戻してもらえず、その代わりにと何度かお茶に誘われたのですが、あれは勉強に使う本だから長い間必要だったのでしょうか。

 お譲りしましょうかとも申し上げても、そうじゃないんだと苦笑されましたっけ。


 復讐の種は撒き終わりました。


 エアネス王国ではリーショ様の手紙を元にした恋愛小説、祖国ソアレス王国では大公家の跡取りに釣り書きと一緒にいただいた亡き兄君の日記を元にした小説──友人の突然の死に疑問を抱いた主人公が友人の日記を読むと、そこには婚約者の裏切りに悩む日々が綴られていた、という内容です──が人気を博しています。

 固有名称は架空のものですが、読む人が読めばだれのことかわかるでしょう。

 ソアレス王国第二王子ジョアキン殿下への手紙はエアネス王国で、エアネス王国大公家のご令息の日記はソアレス王国でと、あえてずらして販売してみました。すぐに気づかれて不敬罪で発禁処分になったらつまりませんもの。


 祖国ソアレス王国とエアネス王国は、形だけでなく友好国です。多くのものと情報が行き来しています。大陸の言語は共通ですし、学術都市と名高いソアレスの王都には時間がかかってもすべての本が集まってきます。

 いつかだれかがふたつの小説の共通点に気づくでしょう。

 女性の婚約者の突然の死にモヤモヤとした疑惑を抱いて忘れられなくなるでしょう。


 これが、私のささやかな復讐です。


 リーショ様の婚約者、大公家のご長男の死因はもちろん自然死ですよ?

 でもだからこそ腹が立つではありませんか。

 ……まるで運命がおふたりを祝福しているかのようで。十数年に渡る私の想いが無意味だったと言われたようで。


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