8話 なぜ、元夫の名前が?
侍女のマリアにも一人にして欲しいと言って、部屋を出てもらいました。
幸せ、私の幸せ。部屋のソファーに座り、周りを見渡し、天井を見上げる。私の部屋ではない。そんなことは当たり前だとわかっている。
コルバートにいた頃が一番幸せだったのかもしれない。好きな物を作って皆にありがとうと言われ、領民にこんなものがあればと言われれば作り、皆が嬉しそうにしているのを見るのが好きだった。
いつものバッグから、この前作った懐中時計を取り出した。今思えばこんなものは私のエゴだ。前世のように、時間に追われて生きているわけではない、この世界の人たちにとってはこんな物はいらない。
懐中時計を投げ捨てる。しかし、高級な柔らかい絨毯の上に落ちたので、壊れもしない。はぁ、とため息が出てしまう。
遠くから誰かが廊下を走って来る音が響き渡り、部屋の前を通り……止まった?ドアが勢いよく開け放たれ、そこにはクストさんが立っていました。早足でクストさんは近寄って……あ。
「あ、そこは」
先程投げた懐中時計が!と言う前に踏みつけバランスを崩し、クストさんは倒れていきました。毛足の長い絨毯に埋もれていた懐中時計は見えなかったようです。
「団長、先走らないで下さいって、どうしました?」
副師団長のルジオーネさんが後から走って追いかけてきました。
「すみません。魔道具を踏んでしまってバランスを崩したようです」
「これですか?」
ルジオーネさんが床から拾い上げたのは先程投げた懐中時計でした。
「そうです。それは時刻を知るための魔道具なんです」
「時刻を?どうやって知るのですか」
「それは……」
どこからかグスグスと音がします。
「団長、泣いていないで起き上がって下さい」
毛足の長い絨毯に沈み込みながらクストさんは泣いていたようです。こんなにもふかふかの絨毯なので怪我はしていないと思うのだけど、どうしたのでしょう。
「ユーフィアは俺のことを嫌いなのか。ロベルト・ウォルスってやつの方がいいのか」
は?なぜ、ここで元夫の名前が出てくるの?
「俺はいらないのか?」
だからなんの話?
「団長。ユーフィアさんが困っているので、床に埋もれていないで這い出てきて下さいよ」
「あの?なぜ元夫の名前が出てくるのですか?」
「前も言いましたけど、こんな団長でも当主ですからね。ユーフィアさんの経歴を調べさせてもらったことを団長に報告したのです。ロベルト・ウォルスという男のことを聞かれたので、報告書に書いてありますよと言ったら、すぐさま、部屋を出て行きましてね。きっと 、何か勘違いしていると思うのですが。どうですか、団長」
「何が勘違いなんだ。夫なんだろ?」
幽鬼の様にゆらりと立ち上がり、顔は下を向いて見えませんが、見ない方がいいような気がします。
「いいえ。元夫です。契約結婚と言い換えればいいでしょうか。兄と共犯のロベルトは罪の恩情をもらうために私と結婚をした。そして、私は押し付けられたロベルトの恩情と言うもののために、魔道具を作らされた。それだけの婚姻です。そこに愛情も何もありません」
「おい。ロベルトってやつはどこにいる」
「サウザール公爵が彼を許さないと思います。殺されているかもしれません」
ああ。とルジオーネさんが思い出したような声を出した。
「ロベルト・ウォルスという男はモルテ国の外交官の奴隷になっていますね」
「モルテ国だと!」
それはエルフィーア様の番の方ではないですか。それこそ……
「人の形をしていないかもしれません」
「モルテはヤバい。あそこは絶対に行きたくない」
「ですので団長。ロベルト・ウォルスがこの国に来ることはありません」
「じゃ、俺の何が嫌いなんだ」
クストさんは私の手を取って、視線を合わせて尋ねてきました。
「ん?なぜ、嫌いになるのですか?」
「俺との結婚が嫌なんだろ」
「私がその様なことを言いましたか?」
「結婚式をしたくないってぃ……」
声が段々小さくなってしまい、最後は何を言っているのか聞こえなくなってしまいました。確かに結婚式はしなくていいと言いました。
「言いました」
クストさんは膝から崩れ落ち、再び毛足の長い絨毯に埋もれました。
「だって、神父と立会人と私と新郎だけの結婚式なのでしょ?新郎のロベルトは来ませんでしたが、そんな結婚し……」
「「それはない」です」
クストさんとルジオーネさんの声が重なりました。




