醜い心
これを機に仲直り、などこれがもう止められない反抗であることを察していた彼女が思うはずもなく。予習をしないスタイルを相変わらず貫いていた。どれほど怒られても懲りずにサボる。友人に飛び火が行っても、お構いなし。もちろん何らかのお詫びはするが。
そんな彼女の暴挙が繰り返されれば、教師の堪忍袋の緒が切れるのは必然。
彼女はやりたいことを見つけ、担任にも反対されることなく応援された。両親も後押しをしてくれている。もはや壁はあってないようなもの。自己推薦の道を選んだ彼女は対策を始めた。そして、あろうことか英語の授業中にその対策を始めたのだ。それを、ただでさえ目敏い教師が見逃すはずがなかった。
「…おい、お前いい加減にしろよ」
ぶちぎれた声を聞いて、彼女は内心にやりと笑った。この時を待っていたのだと、そう言わんばかりに。夏に行われた学習合宿も、彼女は行かなかった。英語は必須科目であったし、担当教員も固定されていたから。そんな地獄に放り込まれては、ライフがいくつあっても足りないと思った。
「やる気ないなら後ろへ行け」
卒業までの自由が約束され、内心勝利に悶えながら彼女は喜んで席を移動した。
そこからはもう、何をやっても無視。お互いに無視。当てられもしない、見向きもされない。二学期から始まった上位クラスのみの補習も皆の前で公開処刑同然に教室を追い出された。
「お前、予習やったか?」
「問題集についてる問題なら解きました」
「もう終わるだろ、お前」
終わるとは、受験のことだ。
「…まだ結果来てませんけど」
「あんなところ落ちるわけねえだろ。お前はいい、帰れ」
「……」
あの時、こんな形で追い出されたことに泣いてしまったのを、彼女は今でも後悔している。泣き虫な癖が、高校生にもなって出てきてしまったことを恥に思った。
教師の予想通り、彼女は皆より一足早く合格通知を受け取った。それでも二人の関係性は変わらない。教師の態度も彼女の態度も、何も変わらない。険悪な空気だった教室が穏やかになったくらいだ。彼女はそのまま、自由登校になるその日まで後ろの座席で自由を謳歌した。欠席もつかないし無駄な口論をしなくてもいい。なんて効率的。
職員室でさんざん悪口を言われるであろう担任には申し訳なかったが、彼女は後悔しなかった。
「あの先生は、退職しても長生きしそう」
彼女が別の英語教諭の授業後にぼやくと、二人のくだらない喧嘩に巻き込まれた友人はため息をついて返事をした。
「あーいう人は退職した途端にボケるっていうからわからんよ」
「…そうなの?」
「らしいよ。あれ?なんか泣いてる」
かの英語教師は、別科目で中位クラスを受け持っていた。移動教室から彼女たち上位クラスが戻ると、教室は異様な空気に包まれていた。先ほどまで、ここでかの英語教師が授業をしていたはずだ。なのに、女子生徒何人かが涙をこぼしていて、男子生徒もげんなりした様子であった。
「えっ、何があったの」
中位クラスに属する別の友人に聞いてみると、彼女もうっすら涙を浮かべていた。
「先生とクラスの子が授業中に口論始めて…それがヒートアップして先生キレちゃってさ、めっちゃ怖かった…」
「ええ…?」
自分のほかにもあの英語教師に反抗した生徒がいるのかと彼女は目を丸くした。詳しい状況はわからないが、よく聞いてみるとその生徒も教師も、互いに虫の居所が悪かったらしい。今は教室の隅っこで落ち着いたらしい二人が話し合いをしていた。生徒の方はしきりに目を拭っている。その子は生徒や職員からも高い好感度を得ている、美人でカリスマ溢れる子であった。
(私は、あんなふうに話し合いはしなかったなあ)
先にすべてを放棄したのは彼女の方だ。教師は説得すら試みず、あっさりと彼女を諦めた。それ自体は構わなかったが、やはりお気に入りの生徒には嫌われたくないのだなあと人間の醜さを垣間見た気がして、彼女は必死な様子の教師に吐き気がした。
「あんたの方がブチギレられる案件だよね」
ぼそっと喧嘩に巻き込まれた方の友人がつぶやいた。彼女は自分でもそう思った。あの子は解けなかった問題をわからないと言っただけらしい。それを教師が変な方向に解釈して捻じれて行ったのだろう。それに比べたら、彼女の全放棄の方がよほど罪深い気がした。
(それでも、こちとら早々に見捨てられたんだから)
あの子もとっくに合格通知を受け取っているはずだ。それでもなお教師はあの子に対して、彼女のように仲を崩すような後味の悪いことはしない。
「心底そう思うわ。でも、あっちにはアフターフォローがあるなんてね。この扱いの差よ」
「言い過ぎたって反省してるんじゃないの?あれだけ沢山の子が泣いたくらいだし、相当怖かったんだろうよ。あんたの方はそう言うけど、変わる気ないんでしょ?」
「ない!むしろ与えられた自由を謳歌してる!」
「じゃあ、いいじゃん…」
「元からあんまり好かれてなかったって証拠よね」
「かもね」
「まあ、それはそれでいいや」
(後悔は、していない。誰がするもんですか)