触手の勇者の復讐譚
魔族と人間族の戦争が始まって早5年。血で血を洗う熾烈な争いは、しかし人間族が優位に立っていた。
身体能力で魔族に劣る人間族が、何故魔族と渡り合い、あまつさえ優位に立てるのか。それは神の恩寵によるものだった。
天職とスキル。それが神が人間族に与えた力である。
天職が身体能力を底上げし、スキルが神業を成す。特に“勇者”の天職を持つ者は強烈であり、一たび剣を振るえば100の魔族が切り裂かれ、一たび呪文を唱えれば神の怒りがごとく雷が降り注ぐ、まさに魔族をもってして化け物と言わしめる存在であった。
人間族の優位に傾いたのも、直接的な原因は勇者にあった。≪極光の勇者≫エクス率いるパーティーが、魔王を討ち取ったからである。
その結果、指揮系統に混乱をきたした隙を人間軍に突かれ、魔王軍は劣勢に陥ったのだった。幸い魔王の側近集団たる四天王が健在であったため、空中分解こそ避けられたが、もはやいかなる作戦でも状況を覆すことは難しかった。
たった一つを除いて。
風が吹きすさぶ荒野の真ん中で、漆黒の甲冑を纏った男が立ち尽くしていた。背には巨大な二振りの剣を背負い、闘志を練り上げている。
ここはウィード荒野。毒沼からつながるこの荒野は魔王城への道の一つであり、魔王軍の最重要地点の一つでもある。
毒沼の環境は厳しいため、軍を率いることは、たとえスキルを駆使しようと虚弱な人間には不可能だ。しかし、少人数――例えば4人パーティーだったら? そして毒などに強烈な耐性を持つ“勇者”や“聖女”だったら? 魔王さえ倒した勇者たちであれば、難なく乗り越えてくるだろう。そして、男はそれを待っていたのだった。
「カイル……あなたは……」
その後ろに控えていた女性が、憂いを帯びた声で男に声をかけた。黒檀より深い黒髪を風にたなびかせ、その表情は悲しみを湛えている。その背中には魔族の象徴たる黒翼が生えている。
カイルと呼ばれた男は、その言葉に振り返らず答える。
「分かってるさルシフェラ。君の父……魔王様の仇は必ず取ってみせる」
「……いえ、それよりも必ず……必ず、生きて帰ってきて……」
「……約束するよ」
やはり振り返らず、カイルは答えた。バサリと羽ばたく音が聞こえる。次代の魔王たるルシフェラが、軍の立て直しの真っただ中で死ぬわけにはいかなかった。加えて、勇者パーティーとのタイマンはカイル自身が望んだことでもあった。
誰にでもなく、カイルはつぶやく。
「そう……ルシフェラ、君の父の仇だ。そして――」
――俺の仇でもある。
・ ・ ・
カイルは人間族だ。
彼は幼いころ、とある辺境の村の教会で神父に拾われた。孤児であった彼に神父は不器用ながらも愛情を注ぎ、村人たちも村の一員として温かく迎え入れた。そして心身ともに健やかに成長していった。
雲行きが怪しくなり始めたのは10歳の時、天職の恩寵を授かった時である。大恩ある神父や村人たちのため、村に骨をうずめる気であったカイルは、しかし“勇者”の天職を授かってしまう。そして、“勇者”を授かったものは王都の学園に入れられ、そこでスキル授与の儀式を受けなければならなかった。
カイルは神父たちに別れを告げ、王都からの遣いに連れられ学園へ入学する。そこは“戦士”や“僧侶”といった過去の英雄たちと同じ天職を授かったものが通う学園であった。彼の世代には“聖女”や“賢者”など強力な天職がそろい踏みしていた。
入学して間もなく、カイルはスキル授与の儀式を受けた。この時、彼の行く先に暗雲が立ち込め始める。授かったスキル、それは“触手”であった。文字通り体から触手を生やすスキルであり、悲しいことに、初めてでは扱えぬほどに強力であった。カイルは全身から触手を生やし、異形と化して暴走してしまった。
そこでカイルはもう一人“勇者”の天職を授かった人物と出会う。得たばかりの“閃光”のスキルを使いこなし、カイルの触手を切り刻んで暴走を止めたのである。この男の子こそが、のちに≪極光の勇者≫と呼ばれるようになるエクスである。そしてこの出来事が、二人の勇者の評価を決定づけることになった。
エクスは底なしに優しく、高潔であった。異形になりうる力を持ったカイルにも普通に接し、共に高めあおうと肩を叩いた。カイルはエクスに対し、劣等感こそ多少感じてはいたが、それ以上に尊敬していた。
だが、周囲の人間は違う。『高潔な閃光の勇者』と『魔を宿す異形の勇者』として二人を分け、徹底的にカイルを貶めた。特に、スキルを使いこなすことに苦労していたカイルを、彼らは出来そこないだとけなした。同級生から、先輩から、教師に至るまで、およそカイルの味方といえるべき人間は存在しなかった。そこには、“勇者”という天職を授かったことに対する嫉妬があったのかもしれない。異形を成すスキルに恐れを感じていたのかもしれない。いかなる理由にせよ彼らは5年以上、カイルに嫌がらせをし続けたのである。
入学して5年後、カイルは卒業試験を受けていた。直接戦地へ赴き戦果を上げること、それが勇者としての試験の内容であった。本来であれば味方本陣に転送され、作戦を言い渡されるはずであり、カイルもそう聞かされていた。だが、彼が転送されたのは戦場の真ん中であった。味方はおらず、周りには魔族の尖兵たる魔物に囲まれていた。
そこから先を、カイルはあまりよく覚えていない。記憶にあるのは、無我夢中で剣を振るっていたその背後から、魔法の雨が降り注いだことだけである。
気が付いたら、ベッドの上で寝ていた。横に目をやると、看病してくれていたのか美しい黒髪の女性がうたた寝をしていた。その背中に黒翼が生えていることに気がついたが、もはやカイルにとってはどうでもよかった。同族に後ろから撃たれたがために、人間をもはや信用出来なくなっていた。
女性はルシフェラと名乗った。戦火から逃れ、辺境で暮らしている魔族であり、たまたま戦場であった荒野の近くに寄ったとき、瀕死のカイルを見つけたのだという。そして自分の家まで引きずっていき、介抱したらしい。
いつまででも居ていいと微笑むルシフェラに、カイルはならばずっと居させてくれと頼んだ。故郷には帰れない。何より神父に迷惑をかけたくなかったから。人間族のところにも帰れない。帰ればまた捨て駒にされるから。その頼みをルシフェラは快諾した。
そこから2年ほど、穏やかな時が続いた。太陽のもと鍬を振るい、雨が降ればルシフェラと他愛もない話をする。時に狩りに出かけ、スキルを駆使して獲物を狩った。勇者としての重圧も、周囲からの嫌がらせもない。カイルにとっては実に5年ぶりに心から笑えた時間だった。だが、それは唐突に終わった。
たまたま家の近くを通りかかった行商から買った新聞によって、カイルは故郷が滅んだことを知る。それは、たびたび戦火を交えていた魔族ではなく、人間同士の小競り合いの結果によるものだった。
カイルは深く慟哭した。そして同時に身を焦がすほどの怒りを覚えた。
この恨みは、悲しみは、誰にぶつければいいのか。誰に復讐すればいいのか。そしてカイルは決意する。
個人や国ではない、もはや種なのだと。人間族に復讐するのだと。
そして、彼はルシフェラに別れを告げ、魔王軍に志願する。触手のスキルによって魔族になりすましたのだ。
ほどなくして始まった人間族との戦いでは、まさしく獅子奮迅の活躍を見せ、その戦果は魔王の耳にも届くほどであった。積み上げた戦果はそのまま実績となる。実力主義の魔王軍の中にあって、カイルはとんとん拍子に出世し、魔王によって≪黒騎士≫の称号と漆黒の鎧を授けられた。その時、人間族であったことを看破されるが、カイルを追ってきた魔王の娘ルシフェラのとりなしに加え、魔王自身に力を見せたことで不問となる。
そして、≪黒騎士≫としてルシフェラとともに各地で5年以上戦ってきたのだった。
・ ・ ・
「……」
カイルは待っていた。魔王の仇であり、多くの魔族の仇、そして自身の復讐を妨げる怨敵を。
果たして、砂塵の中から4つの人影が現れる。鎧の男に白いローブを纏った女、マントを羽織った眼鏡の男に着流しの女……。間違いなく、勇者パーティーである。
「待っていたぞ。勇者エクス、聖女カタリナ、賢者マルク、剣聖オボロ」
カイルのその言葉にか、はたまた敵が現れたからか、あるいは両方か。勇者パーティーはすぐさま臨戦態勢に入った。
「待っていた? 一人でか?」
周囲を警戒しながら、エクスは訝し気に呟く。白銀に輝くその鎧は、過酷な毒沼を抜けてきたというのに曇り一つ見当たらない。
「……ありえません。魔族のことです。何か、卑劣な罠を仕掛けているはずです」
カタリナはキッと睨みながら、すでに補助魔法を詠唱している。
「あれは≪黒騎士≫ですね。罠があるにせよ何にせよ、油断だけは禁物です」
マルクは不敵に笑いながら杖を掲げている。
「≪黒騎士≫! いいねぇ、一度手合わせしてみたかったんだ」
オボロはあくまで自然体だ。だが、その目は猛禽類のように鋭い。
「……あくまで、俺とお前たちとのタイマンだ。カタリナはともかくエクス、お前なら信じてくれるだろう? 俺はお前に嘘をついたことはないからな」
「どういう……!」
エクスとカタリナの目が大きく開かれる。目の前の黒騎士が晒した素顔が、あまりにも昔戦死した勇者にそっくりだったからだ。
「カイル……お前なのか!」
「カイルさん……生きてたんですね……」
「ああ、おかげさまでな」
皮肉気に顔をゆがめながらカイルは答える。
「一体どういう……お二人は黒騎士と知り合いなんですか?」
マルクは疑問を口にする。オボロも口には出さないが、その表情は困惑の色を隠せないでいた。
「お二人も聞いたことはないですか。十年前戦死したという異形の勇者の話を」
カタリナのその言葉に、マルクはピンときた顔をする。
「ああ、ああ! あの“出来そこない勇者”の話ですよね」
「ええ。そうですよね、カイルさん」
そう言ってカタリナは微笑みを作る。
「ああ、そうだ。お前にもずいぶんお世話になったな、カタリナ」
「フフ、懐かしい話ですね」
「今は昔話をしてる場合じゃない」
カイルとカタリナの静かなにらみ合いを、エクスはばっさりと切る。
「なぜお前が魔族の側に立っている、カイル。お前も勇者のはずだ」
「簡単に言えば復讐だ。お前ら人間族に対してのな」
「学園でのことをまだ根に持っているんですか? やはり出来そこないですね。なんて器の小さい」
「そっくりそのままお前に返すよ、カタリナ。貴様らに理解してもらおうとは思わん」
「……たとえどんな理由があろうと、たとえかつての友であったとしても……いや友であったからこそ、悪に堕ちた貴様を俺は斬らねばならん」
「そう言うと思っていたさ。エクス、お前は昔からそうだった。常に“勇者”としてありつづけた。だがな、だからこそお前は気づけないのさ。光り続けたからこそ、見えていないものがある」
「復讐のために眼が曇り、“勇者”でありながら敵に与したあなたにだけは、言われたくないですね」
「まさしく、俺が復讐したいと思っているのはお前のような人間だよマルク」
そこでカタリナの体が光り、勇者たちに補助魔法がかかる。同時にオボロが突っ込み、一息でカイルの懐に潜りこむ。
殺気を感じてカイルがのけぞれば、目の前を白刃が通り抜けていく。
なおもオボロは斬りかかるが、素早く抜剣したカイルに受け止められる。
「驚いた。私の居合を躱したのは、魔王に続いて二人目だよ」
「それは光栄な話だな」
「いい、いいねぇ! あんたが出来そこないだろうが裏切り者だろうがどうでもいい! この剣戟を楽しもうじゃないか」
二、三合と打ち合う。オボロのすらりとした刀が、カイルの巨剣と切り結ぶ。
「ああ楽しい、楽しいねぇ!」
「お楽しみのところ悪いが……」
唐突にオボロは吹き飛ばされる。オボロが痛みにうめきながら見れば、カイルの腹部から太い触手がせり出している。
「これは俺とお前たちとのタイマンだ。全員で、心してかかってくるんだな!」
カイルの全身から闘気があふれ出す。同時に背から、肩から、触手がいくつもせり出してくる。
「相変わらず気持ち悪いこと……」
「うわぁ……」
「気を付けろ。カイルの触手は変幻自在で、しかも剛力だ。一発もらうだけで意識を刈り取られるぞ!」
「いつつ……確かに、補助魔法がかかってないと危なかったねぇ」
「いくぞ!」
ざわざわとうごめき、暴風がごとく触手が勇者たちに襲いかかる。
触手の一撃一撃が大地を砕いていく。だが、魔王を倒したのは伊達ではない。強烈な暴力の風を、勇者たちは難なくさばいていく。
「主よ! 我らに加護を!」
カタリナの祈りが身体能力をさらに底上げし、
「貫け! 弾けろ! 氷つけ!」
マルクが強力な魔法を雨あられのように撃ち出す。
「チェェェスト!」
しなやかな体躯から想像できないほど重い剣戟をオボロが繰り出し、
「ぬぅん!」
まさしく光の如くエクスの剣が触手を細切れにする。
「流石にやる……! 魔王様を倒しただけのことはある……だが!」
カイルは異空間からさらに二振り巨剣を引きずり出す。それを触手で握ると周囲を嵐のように振り回した。
「こいつを受けきれるかぁ!」
「うお!」
「ちぃ!」
たまらずオボロとエクスは距離を取る。
全方位を切り刻む暴風を前に、勇者と剣聖は攻めあぐねる。
間合いを測りながらオボロがぼやく。
「あれには近寄りたくないねェ」
「私にお任せあれ! 押しつぶれろ!」
そのぼやきにマルクが答える。かざされた杖から強力な重力場が形成され、カイルの動きを封じた。
「ぬぅ!?」
巨剣の嵐が鈍る。そこを見逃す彼らではない。
「主よ! 疾き風を!」
「スキル! “斬鉄剣”!」
「スキル! “極光”!」
風の加護を受けたオボロとエクスは、加速しつつスキルを発動する。
オボロの刀が鋭く輝く。風に乗った刀は巨剣を切り裂きカイルの首に迫る。
エクスの体がまばゆく輝く。光と化したエクスは太陽の如く輝く剣を振るう。
殺った――
勇者パーティーの誰もが勝利を確信した瞬間だった。
ピタリ、と二人の動きが止まった。
「な、なんだ!?」
「体が、うごかな……うご……!?」
オボロの口に触手が突っ込まれる。
「エクスさん! オボロさん! ……ぐぅ!?」
動揺と焦り、それによって一瞬集中が途切れたマルクは、その瞬間を見逃さなかったカイルの触手によって吹き飛ばされる。
「これで動きやすくなった」
「カイル……何だこれは……! オボロに何をしている……!」
「エクス。お前だって知ってるだろう? スキルは進化する。お前の“閃光”が“極光”になったように、俺の触手も進化したのさ。よく目を凝らしてみろ」
「……これは!」
全身を縛りあげる細い触手にエクスは気づく。いや、体だけではない。見渡せばいたるところに触手が張り巡らされている。
「触手の結界だ」そうカイルは言った。
「進化の一つは細さの調節だ。もっともこれは俺がスキルを使いこなした結果かもしれないがな。剣を振り回しているときに仕込ませてもらった」
光の速さだろうと、くるところさえ分かっていれば捕まえられる。そうカイルは嘯いた。
「そしてもう一つは――」
「主よ! オドの光にて敵をうち滅ぼしたまえ!」
カタリナの指先から放たれた幾筋もの光のエネルギーが、エクスたちを縛る触手を焼き切っていく。
自由になったエクスは一度引いて態勢を立て直す。
「助かった!」
「うっかり忘れてたよカタリナ。てっきり一人で逃げ出したのかと」
「生意気になっちゃって。昔はもう少し可愛げがあったのに」
「十年もたてば変わるさ。それにもう手遅れだ」
「え?」
拘束が解けたというのにオボロが動かない。その顔は恍惚としたような、心ここにあらずといった表情であった。
「オボロ!?」
「これが俺のスキルに備わったもう一つの能力、“粘液分泌”だ。各種様々な効果の粘液を分泌できる」
カイルは触手の一つを持ち上げて、粘液をしたたらせる。
「毒ってこと? “聖女”の前には毒なんて!」
オボロは毒を飲まされた――そう判断したカタリナは即座に解毒魔法を詠唱する。カタリナの体から発せられた光が、オボロを優しく包んでいく。だが、オボロは依然呆けたままだ。
「なんで!? 毒は確かに消し去ったはず!」
「手遅れといったろう? 俺が飲ませたのは毒じゃない」
「どういうこと!」
「飲ませたのは“媚薬”だ。脳の中枢に強烈な快感を与える。オボロは今頃、快楽の海を揺蕩っているだろうよ」
カタリナは初めて表情を歪ませる。彼女は傷も癒せるし解毒もできる。条件が整えば蘇生だってできる。だが反面、精神を癒すことはできない。正確にはできないことはないが、短時間では、少なくとも戦っている現状では不可能だ。
「そんなことを言っているうちにもう一人だ」
「マルク!?」
「――! ――!」
先ほど弾き飛ばされていたマルクが、四肢を触手に絡めとられオボロと同じように口に触手を突っ込まれていた。その顔は徐々に恍惚に染まっていく。
「カイルゥゥゥゥゥウウウ!!」
エクスが光と化して斬りかかる。だが、超光速の剣戟をカイルは難なく受け止める。
「言ったろう! 来るところさえわかれば対応できる! お前の動きはお見通しだ! そして――!」
触手がカイルの腕に絡みついていく。二回りも大きくなったその腕で振るわれた巨剣を、エクスは受け止めきれず弾き飛ばされる。
「膂力では俺のほうが上だ! この“触手”のおかげでな! っとぉ!」
カタリナの発した光線をカイルは避ける。
「主よ!」
五月雨の如く光線が降り注ぐ。だが、狙いが甘いのかカイルには当たらない。
「足元がお留守だぞカタリナァ!」
足元に忍び寄っていた触手がカタリナの足首を掴み、持ち上げて地面に叩きつける。
「くぅ……!」
「“勇者”や“聖女”には粘液は効かないが……」
触手がカタリナの体をギチギチ縛りあげる。全身がミシミシと軋み、カタリナは苦しそうに呻く。
「カタリナ、お前にはお礼をしないといけないからなぁ」
「……フフ」
不意にカタリナが笑う。
「わ、私が……狙いを……外すとでも……?」
「……なに? ……まさか!」
カイルは直感的に身を屈める。同時に極光が、カタリナを縛る触手を斬り飛ばす。
「エクス……!」
触手の支えを失ったカタリナを、エクスは受け止めるとそっと地面に下ろす。そしてカイルに向きなおる。その目は強い決意に満ちていた。
「お前は言ったなカイル……! くるところが分かれば対応できると! だったら――」
「汚らわしい…結界には……穴を開けさせてもらったわ……油断したわね……」
息も絶え絶えに、しかしカタリナは勝ち誇る。
「……だが、パーティーは壊滅。残るはエクス! お前のみだ!」
「俺たちはいつだって窮地を切り抜けてきた!」
剣の切っ先をカイルに向けて、エクスは吼える。
「悪に堕ちた勇者カイル! 貴様にはここで引導を渡す!」
「ほざけ!」
ぶわりと触手が展開する。だが、次の瞬間にはすべて細切れにされる。
「結界が無ければ、俺を捉えることはできない!」
「クソ……!」
先ほどまで、戦況は確かにカイルに傾いていた。しかし、それもすでにひっくり返されつつあった。結界を張りなおす隙すら、エクスは与えてくれない。それほどまでにエクスの猛攻は激しかった。
急所こそ守れているものの、漆黒の鎧は切り刻まれ、触手は展開したはしから切断される。振るう巨剣はむなしく空を切るだけだ。
幾たび斬られたか、ついにカイルは膝をつく。
「これで終わりだ……」
エクスはカイルに切っ先を突きつける。
「まだ、まだだ……! 俺の復讐は……まだ、終わらせない……!」
「安らかに眠れ……」
剣が振り上げられる様が、カイルにはまるでスローモーションのように見えた。
まだ、まだだ……。まだ終わっていない……!
いまだ闘志宿る目で、カイルはエクスを睨みつけていた。
ズバァァァン……!!
腕が斬り飛ばされる。だが、それはカイルのものではなかった。
空より降り注いだ一条の黒い光が、エクスの右腕を切断したのだ。そして、その魔法を使えるのは、現在では一人しかいない。
決着はどちらが先に状況を理解したかで決まった。
状況が分からず一瞬混乱したエクスと、戸惑いながらも魔法の主を察し動けたカイルの差であった。それはほんの一瞬にも満たない、刹那の差であった。
カイルの触手がエクスの左肩を貫き、続いて全身を串刺しにする。エクスの全身から血が噴き出し、赤い雨がカイルの鎧を赤く染めた。
「ゴフ……」
「……」
カイルは勝利した。だが、その顔には喜びの色はなかった。
その後ろに、黒い翼をはためかせながら、ルシフェラが舞い降りる。
「ルシフェラ……なぜ、来た……」
「……あなたは一人で戦いたいと、そうわがままを言った。だから私もあなたを助けたいと、わがままを通したの」
「だが……俺は……!」
「私にだって!」
「ッ……!」
「私にだって、守り通したいものはあるの……」
そう言ったルシフェラの瞳には涙が浮かんでいる。それを見たカイルは何も言えなくなってしまう。
瞬間、訪れた静寂。それを破ったのは串刺しにされたエクスだった。
「……ふふ。ああ、良いことがあると……悪いこともある…もんだな……」
「……」
カイルはゆっくりとエクスを地面に下ろす。
エクスは血を吐きながら、しかし笑みを作っていた。
「悪いこと……まさか、俺たちが……負けるとは……な。……いや…………それが驕り……だったか……」
「……いや、お前は勝っていたさ」
だが、と息も絶え絶えに、しかし嬉しそうにエクスは言葉を継ぐ。
「……死んだと思っていた……友人が……生きて…あえるなんて、な。しかも…恋人まで……ふふ……お前は、人付き合いが……苦手だったから…な……」
「……ああ、そうだったな」
「俺は…勇者としてお前を……認めることはできない。……だが……友人としては……お前には幸せに……生きてほしい……」
「エクス……」
「せいぜい……元気で…………」
言葉が途切れる。
≪極光の勇者≫エクスは息を引き取った。その表情は、どこか穏やかであった。
わずかに開かれたその目をカイルは閉じてやると、すっと立ち上がる。もう一つ、片づけないといけないものがある。
「そう……ほだされてたってわけね……」
全身の骨が砕かれ、勇者が死んでなお、カタリナはふてぶてしい。
その戯言に答えることもなく、カイルはゆっくりと歩を進める。
「ああ、儀式のときを思い出すわ。あのときから私はあなたのことが嫌いだったわ。いっそ、エクスが触手を斬ったときに、一緒に本体も斬ればよかったのに。あなたが死んでれば、全部丸く収まったのに。まさか、“勇者”のくせして魔族の娼婦にほだされるなんて、信じられ無いことだわ。器が小さいものが力を持ってしまった悲劇の典型ね。あなたが今どんな風に見えているか教えてあげましょうか? 真正の化けも――」
ドシュッ
そして、カタリナの首が宙を舞った。
・ ・ ・
勇者死す。
そのニュースは人間軍にも、そして魔王軍にも大きな衝撃をもたらした。
士気が下がったところを突かれ、人間軍は大きく戦線を後退。勝勢をひっくり返され、拮抗状態まで引き戻された。一部では講和の話も持ち上がっているらしく、議論が紛糾している。それほどまでに勇者が抜けた穴は大きかった。
魔王軍は劣勢こそひっくり返したものの、それまでの戦いによる疲弊から拮抗状態に運ぶのが精いっぱいであった。現在は新たに魔王になったルシフェラのもと、軍の再編を急いでいる。とはいえ、アンデットに改造した“剣聖”や“賢者”といった強力な戦力を得て、着々と力を蓄えている。
そして、新生魔王軍の玉座、その傍らには漆黒の鎧を纏った≪黒騎士≫が寄り添うように立っていた。
彼はもう止まれない。人間族への復讐を完遂する、その時まで。
初めてこんな長い短編書いた……。やっぱ感情描写が難しい。
面白いと感じていただけたら、評価感想、お願いします。
まさかジャンル別ランキングに乗れるとは……ありがとうございます!感無量です!
あ、あと宣伝になりますが、拙作「追放されたゴーレムマスターはのんびり旅をしたかった」も、よろしくお願いします。本作のような復讐ものではなく冒険ものではあるのですが、よければぜひどうぞ。