3.雑兵(2)
この世界での人の強さは、これまたアルケーによって数値化されている。
「初の交戦から一週間と少し……うん、心身共に健康。すごいわね」
「ウッス」
身体を構成するアルケーの濃さ、純度など諸々を加味し「アルケー指数」と呼ばれるその数値により、六段階のいずれかにカテゴライズされる。
細かな数値は割愛するが、非戦闘員たるD級、ソルジャーとして参加させられるのはC級以上だ、以下B、Aと続き、その上は戦術級、最上位は戦略級と呼ばれる。
「阪上くんは、今回が初めてだったのよね……本当に大変な初陣にさせてしまって、ごめんなさい」
「いえいえ、エリスさんは何も悪くないじゃないですか。むしろ、オレみたいな下っ端のことまで考えてくれて、ありがとうございます」
春人は悲しいかな、C級だ。それも、Cでも中の下くらい。
「フフ。阪上くんみたいな素直な子がもっといたら、本部も少しは和やかになるかしら?」
「からかわないでくださいよ」
検診の器具を片しながらほくそ笑む麗しきこの女性は、あの戦いでデルタチームとさんざん交信をしてくれた通信士だ。オペレータ、と称したほうが正しいか。
その技術もアルケーから来ている。ファンタジーでいう魔法のようなもので、器具なしで多くの端末、人から情報を収集し、交信を行う特殊能力を持っているのだ。
「あら? わたしは本気よ? 部屋に置いてあるチョコを賭けてもいいわよ?」
「わ、分かりましたって……そんな怒らなくても……」
「フフフ、ほんと、いい子ね、阪上くんは」
エリス=ディアス。彼女に遊ばれるようになってから一度も上手な返しが出来たためしがない。だだ、どうしてなかなか嫌な気分ではない。
「で、今日はオレが最後、なんでしたっけ?」
「ええ。わたしの担当はデルタ、エコー、フォックスのソルジャーの診断。ごめんなさい、今日まで長引いてしまって……被害状況の確認が重労働だったのよ」
「でしょうね。だから、いちいちエリスさんが気に病むことじゃないですって」
無難至極な返事の裏に隠したものがいくつもあるが、春人はそれを表情に出しはしなかった。彼女に言うべきでないという深い自覚を以て。
自分たちチェスのポーン、成れない歩の管理など最後の最後、ついでで十分だろうというのが上の判断だ。当事者として胸糞悪い話ではあるものの、エリスに言う意味はない。
簡素で息苦しい通路は、男女ふたりの靴音をむなしく響かせるだけ。どこかほこりっぽい臭いと、喉の奥に張り付いてくる乾燥した空気は実に不快だ。
「ミハマ区防衛部隊は大体、何人残りました?」
「全部で……そう、六人。デルタは坂上くんひとり、B級がふたりいるエコーが四人」
とある扉の前でエリスは歩を止めた。
「……で、問題児を抱えたフォックスは、その問題児がひとり」
「は、ハハハ……すげぇ人だけじゃんかよ……なんで、凡人のオレが生きてるのか……」
――オレ以外、個人もしくはチーム単位で特色すごいじゃないか。オレだけ完全にそこらへんのエキストラだ。
(次に死ぬの、マジでオレになりそ……)
「阪上くん、あなたはなーんにも悪くないわ」
肩を落としていた春人の肩を、エリスはパンと叩いた。
乾いた音は、春人の頭にいたグジュグジュを遠くにさらっていってしまった。
「ッ」
「わたし、聞いてたんだから。斉田さん達が最初から諦めてたのに、阪上くんだけは諦めなかったの」
いたずらっぽく笑う。
あの戦いで青髪の青年が見せた笑顔に似ていた。
「かっこよかったわ」
「ッ」
「あーーー! 赤くなった! フフ、かわいい」
このままでは延々ともてあそばれ続ける――「ここの扉でいいんですか?」ふたりの目の前のドアノブに手をかけ、エリスがまだ笑っているうちにノブを回す。
健診が終わったらこの部屋、W二二一に入れとは本部に来た段階で言われていた。たぶん、ここで合っている。
「まったく、人で遊んで……」
「あ、阪上くん――」
扉を開けた刹那、
「――――」
バンッ
「…………?」
春人が部屋の向こうににゅっと首を伸ばしてすぐ、その顔のすぐそばの壁に、ぽっかりと穴がひとつ空いた。
「――ハッ!?」
ワンテンポ、ツーテンポ遅れて額に大粒の汗が浮かび上がる。
「ちょ!? 阪上くん! 無事!?」
「あ、あわわわわわわわ……!」
穴の向こうから漂う煙が、それに込められていた薬物と殺傷能力を雄弁に物語っていた。頭に当たれば即死、身体でもただでは済まされない。
そう、銃弾だ。
一方、
「チッ、思ったより面白くないわね」
銃口を左右に振って硝煙を弄ぶ犯人は、つまらなさそうに舌打ちをする。
「み、実華ちゃん! あなたどういうつもりよ!?」
「んー? ここにいる問題児の気まぐれで助かったっていう腰抜けが部屋に来るって聞いたから、どれほど頼りないのか試してみたのよ」
その少女は春人よりもずっと小柄で、しかし――この世界で見た目なぞ全く信用ならないにしてもだ――より横柄で、尊大で、戦いを経験した目をしていた。
「思った通り、余興にもなれないグズみたいだけど」
机に脚を乗せ、ホットパンツの露出を気にも留めず、銃を乱暴にジャケットのポケットにしまった少女はフンッと鼻をならす。
「で、男ここに持ってきてどうするつもり?」
春人を押しのけて部屋に入ってきたエリスはあたりを見回し
「……オーマ?」
薄暗い部屋の中央に置かれた中机を囲んでおかれた椅子のひとつに、その影を見つける。
「ンガー……スピー……むにゃ」
少女から注意がそこに移った春人の口から「あ」声が漏れた。
知っている顔だった。ノースリーブの黒いタートルネックの、青髪の青年。
「ちょっとオーマ!」
「だぁ!?」
――の頭を、エリスは手に持っていたバインダーで力いっぱいはたく。
「あいったぁ……――おお! エリスじゃないか! お前から俺に会いに来てくれるだなんて嬉しいなぁ! やっと一緒にメシ食ってくれる気になったんだな!?」
「どーーーーしてそうなるのよ!? 実華ちゃんが何か変な気を起こそうとしたら止めてって言っておいたでしょう!?」
オーマと呼ばれた青年は頭をボリボリかきながら、やや離れた位置に腰を下ろす実華を見やる。
「ぁあん? ミカ?」
で、出た言葉が、
「いやーホラ、あの子だって大人だぜ? 俺は彼女を信じて、あえて何も――」
「あーエリス、そいつあたしが部屋に来た時点で寝腐ってたわよ」
「…………」
おかしい。春人と話していた時のエリスはとても朗らかだったというのに、今では平気で人を殺しそうな冷たい瞳をしている。
そんな彼女に睨まれて動じないオーマもオーマで……このままでは、誰が事態の収拾をつけるのであろう。
目を泳がせていたオーマ。置いてけぼりにされて立ち尽くす春人と、目が合った。
「おっ、この前の少年じゃない。元気してた?」
「へ? ああ、ええ、おかげさまで……」
「ヘヘッ、よかったよかった。ここで会うなんて奇遇じゃんかよ」
「ちょっとオーマ。話をそらさないでくれるかしら?」
「ンガッ!?」
ああ、あのアイアンクローは痛そうだ。頭蓋がミシミシきしんでいるのが手に取るように分かる。
その光景を退屈そうに眺めていた実華だが、
「あのさぁ、あんたらいつまで遊んでるのよ?」
「……あ、あと実華ちゃんも、味方への無為な威嚇行動は規則で禁止されてるし、そもそも常識を疑うって、もう何度も言ってるんだから」
「チッ、しまった。藪蛇だったわ……」
置いてけぼりの春人もいよいよ確信する――ここのヒエラルキーのトップは、間違いなくエリスだ。