1.「待っちゃくねぇな、時間ってのは」
『チームアルファ、ロスト! KIAです!』
「うっそだろオイ!? まだ始まってから五分も経ってないって!」
サーチライトと爆炎が戦場を不規則に、激しく照らす。
『! 敵反応がそちらに向かっています。 これは……敵Cランクソルジャーふたりが西から、Cランクノーマッド三体が南からです! 逃げて!』
インカムから絶えず流れる情報、砂と、硝煙と、血肉の臭い。
「了解。デルタ、北東にいるはずのブラボーと合流する……おい新入り、行くぞ」
攻める側も守る側も、肌に感じるあらゆるものから死の気配を察知する。
特に、守る側は。
「俺達は今たったの三人。うちひとりはてめぇみたいな新入りとときたもんだ……こりゃ、来週にはデルタは一からの再編さね」
約七か月に渡りデルタの小隊長を務めていた斉田一馬はオペレータに冷静に返事ことしたものの、たどり着けるとは毛頭思っていなかった。
「!? そんな!?」
「ウソじゃないさ。俺達は使い捨てみたいなもんだ。務めて一年以内に死ぬ奴が全体の七割ってのは、伊達じゃないんだぞ?」
背後を警戒していた隊員の芦田を手招きし、「ブラボーだ」短い会話で次の指示を出す。
たった三人の行進。軍靴はまばらなデスマーチを奏でる。
芦田が左腕をだらんと垂らしているのは三分前にあった怪物――ノーマッドとの戦闘で骨を折ったからだ。終わってしまった以上ついでの情報に過ぎないが、その戦いで隊員を二名、失っている。
「てめぇも運が腐ってるなぁ阪上。三か月でその時が来るなんてよ」
他のエリアの人間と、怪物のダブルパンチが自分の領地を襲った――それが、斉田達の守るチバエリアの現状だ。歴戦の猛者たちならともかく、とある事情により、一般人より身体能力が優れている程度である斉田達にとってはいわゆる「詰み」に近かった。
「ま……まだ死ぬって決まった訳でもないじゃないですか! 何を言って――!?」
その時、三人の耳に重苦しい足音が聞こえた。
アスファルトを踏み砕き、しかし軽い足取りが、迫ってくる。
「ほらよ、その時だぞ新入り」
喋りながらも百メートルの世界記録保持者も真っ青な速さで走っていた三人の前に突如、二メートルを超す巨体が躍り出た。
「芦田ァ!」
「はい!」
芦田が右手だけで構えて発砲。斉田も息を合わせてアサルトライフルの銃口を焼く……するも、黒くけむくじゃらな巨躯は一瞬で三人の視界から消え去る。
足元の地面は、派手に割れていた。
「ッ!? 上だ!」
「チィ――!?」
刹那、
「グルルァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
高く跳躍した怪物が、芦田を空き缶よろしく踏み潰す。
「うぉ!?」
衝撃に斉田はよろめき、新兵は尻もちをつく。
目の前でまた、それぞれの歴史を歩んでいた命があっけなく捨てられた……ことなど、今更ショッキングでもなんでもない。彼にも早めにその時がきた、それだけ。
「ガァァアア……」
肉塊と血潮の中央で吐息を漏らす、身体に走る緑の線をうっすら光らせる黒いケモノ。
『斉田さん! あと一分ほどで敵ソルジャーとコンタクトします!』
こんな怪物がノーマッドの中では最も弱い部類だと聞かされた時には、流石にこの世界の異常性に面食らったものだ――斉田は鼻で笑う。
「分かってるよそんなこと」
オペレータの通信は右から左――もう、斉田は諦めていた。
「っ! クソ……クソ!」
一方、身体を起こした新兵、阪上春人は斉田とは正反対だった。
探す。逆転の可能性と要素を。
祈る。奇跡や偶然を。
「何か、ないか……!?」
「なんもねぇよ。一矢報いる以外にゃあさ」
人間としてそれなりにやりたいことをやって、修復不可能なほど疲弊した斉田とは違い、春人にはまだ死ねない理由があった。
だから、斉田に合わせて銃を構える。
「行くぞ!」
「はい!」
ふたりで二車線の路面の両端に散開し、素早く構えて発砲。
「ッ! ンガァ!」
巨大なサルのようなノーマッドの両脇腹に鉛の玉が刺さる。
しかし、効果は薄い模様。怒りのボルテージをいたずらに上げてしまった。
「ウガァアアアアア!」
ニ方向に向けなければいけない敵意を先にどちらに振るか――ノーマッドは、迷わず斉田に向けた。
「クソ! こっちか! 運わりぃな!」
引き裂かれるか、食いちぎられるか、踏み潰されるか――どれも楽には死ねそうにない。
「阪上ぃ!」
かくなる上は、と。斉田の覚悟は早かった。
「は、はい!」
「ブラボーはこっから北東に四百メートルだ! こいつが終わったら行け!」
「斉田さんは!?」
「知るかよ!」
「ンガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
人間の頭を丸ごと貪れる大きな口から牙をのぞかせて、ノーマッドが勢いよく跳びかかってくる。十メートル近く離れていても、喉の奥からくる悪臭は斉田の鼻をついた。
「こいつが、俺が嗅ぐ最後のにおいかぁ」
後ろに全速力で下がりなら腰に手をやって、手榴弾を握る。
この手榴弾は、斉田たち一般兵らには「自決用」という名目で渡されている代物だ。
理由は、よほどのことがない限りノーマッドに致命傷を与えられないし、同じソルジャーの大半は動物的身体能力を持つが故、命中が望めないから。
だが、半年前に殺された元デルタの隊員が、斉田の目の前でこいつの唯一効果的な使い方を見せてくれた。
「俺ぁ……逝くぜ」
「ウゴォオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアア!」
ピンを抜き、左手で力強く握り、
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「斉田さぁあああああん!」
喉笛を食い破ろうと跳びかかってきたノーマッドの口に向けて、その左手を力の限り突き出した。
「ングッ――――!」
「うぉ……!?」
腕が焼けたような痛み、そして、
「斉田さ――!」
「生きろよ」
ひとりと一匹を、耳をつんざく轟音が、新兵の爆発する感情をかき消した。
「チクショォ――!」
――――――――――――――――――――――――――――――――
瞬く間に孤独に襲われた少年は、降り注ぐ肉と、発光する緑のジェルを茫然と浴びていた。
「…………」
つかの間の静寂のうちに思うことは沢山あった。
沢山の感情が複雑に渦巻いていた。どこか遠くで鳴り響く命の奪い合いの音なんて耳に入らないほどに。
たまたまノーマッドの敵意が自分とは違う方向に向いたから助かった……もしこちらに来ていたら……考えるだけでも怖気が止まらない。
「ッ!?」
人を偲ぶ時間はない――視覚が訴えかけてきた。
「ゴルルルルルル……」
ズシン、ズシン、ズシン。自らの重厚さを誇示しながら餌を求めてやってきた、同じ姿のノーマッド。
そして、
「敵ソルジャーを発見……したはいいものの」
「ノーマッドも一緒か……ついてねーなー」
「見てようぜ! オレ、ビル登ってるわ!」
春人と同じ……失礼、同じようで違った。
同じ人の姿をし、人が使う武器を持ち、人が着る服を着ながら、春人を人として認識しない――こちらにとっても同じことだが――ノーマッドと同じ「敵」が、いる。三人も。
「……チクショウ」
銃を強く握る。
腹の奥底で、血が煮え立つ。
「チクショウ!」
八分前に死んだ三人? 忘れた。
三分前に死んだひとり? もちろん忘れた。
「チクショウ!」
一分前に死んだ恩師?
「チクショォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
察しの通り、忘れた。
「ゴァアアアアアアアアアアアアアア!!」
春人の咆哮に真っ先に食らいついたのはサル型のノーマッド。
――と、
「よぉーう少年。精が出るじゃねぇか」
「……え?」
コンマ数秒前、まばたきをする直前までは虚空だったその場所、春人の隣にいる、軽装で青髪の青年。
「そうカッカしちゃダメだぜ? こういう時こそ、だ」
春人よりも長身で筋肉質な身体をした青年は右手で白銀の槍をもてあそぶ。
ニィっと、いたずらっぽく笑った。
「こう、ニカッ! と、笑ってる男が一番強いんだぜ?」