中国人とアメリカ先住民
やっと整理されつつある。今回テーマとするのは以前発表された中国で発見された人骨で、アメリカ先住民とアジア人の祖先と言う話し。これ良く考えてみるとDNAを調べたなら性別が分かるはず。公表されてない。女性の人骨なんじゃないか?と見てる。それと言うのもY染色体の話が出ないのでおかしいと思っていた。mtDNAは調べてるので、そこから系統を調べる気はあるようなのにY染色体の情報が無い。そもそも大腿骨なら専門家なら分かる人もいるんじゃないだろうか。この骨の性別は結局分からなかった。
Q系の南方からのルートは無いんじゃないか?と段々思えてきた。そしてパミール高原を越えて中国に入った形跡も無い。この発見はアメリカ先住民の女系のルーツを調べているだけの気がしてきた。
詳しい人なら知ってるんじゃないか?と思うけど。どうやらシベリア極東北部のアジア人の居住区にバイカル湖経由で西方からやってきたアメリカ先住民のグループが混血したのが大半の先住民の祖先じゃないか?と見えてきた。
じゃ今中国や日本で発見されるQは?これはここで分岐した系統が東アジアに南下しただけで中国にQ系の男性のアメリカ先住民の祖先が居たわけじゃない。おそらく南下だと分かるのは、アメリカで発見されたミイラから東アジアの系統のQが見つかったから。あっちにも行ったならおそらくシベリアで生まれて南下したと見るのが妥当だと思う。
ひょっとしたら彼らが日本に細石器をもってきたグループかもしれない。それと言うのもこの集団と混血したC2系のグループがいて確か日本にはアメリカに行ったC2B(下位系統が分からないので確定では無い)が入ってきていたはずなのでこのグループじゃないか?と思われる。
まず南方ルートに対してなさそうだと思うのは、東南アジアで見つかった少数民族のQ系の集団にN系も含まれる点。これは北方から南下したのを想像させる。後ベトナムで高い数値が出るが、この系統が何か?で分かると思う。中国への南下グループならおそらく北上ではなく、南下がルートだと思う。おそらく南方ルートは無いと思う。次に時代的には氷河期が終って温暖化するまではタリム盆地のルートは使われて無いと予想できる。
所謂北方ルートと呼ばれるものは、カザフあたりのステップルートだと予想される。それと言うのもロシアのアルタイ地域に住むQ系の人達の遺伝子がアメリカ先住民ととても近いため共通の祖先を持つのではないか?との説が存在する。ここからバイカル湖は目と鼻の先になる。おそらくこの北方ルートを使ってバイカル湖に居住して、そこからシベリアでアジア人と混血したか?または、通り道を氷でふさがれて進めなかったアラスカ付近で合流したCと混血した。
ただし後者には問題がある。別の研究で、バイカル湖の方向を通った系統は3分の1ぐらいしかルーツになってないとの説である。これは正しいと見ている。
理由は、バイカル湖で発見されたUはすべて消えてしまった。これは何故起きるか?と言うと、少ない集団に入って、女性の系統が消えてしまったと成る。今でもそうなのだが、アメリカ先住民は強い父性権力の社会らしい。これによって、父親を中心とした集団が、アジアのCとQの混合グループから主にQを中心として別集団として出発したとなる。
シベリアで混血したのか?アメリカで混血したのか?は取りあえず確定じゃない。だが東アジア集団の数が少なく、西方集団の数が多いなら、何故西方の母系ハプロが消えてしまったのか?の謎が解けない。次に西方集団の系統の方が遺伝子に与える影響が少ないとの見解も矛盾になってしまう。最終的に何故アメリカ先住民はモンゴロイド集団といわれるか?それは混血でも西方集団の数が少なかったからになる。おそらくアメリカでそういった条件になったと言うよりシベリアで混血してから、その後父系のQが集団を引き連れて旅立ったのではないか?と思われる。
それと言うのもこちらで混血した形跡であのあたりでちらほらQが発見されるから。もちろんベーリング海峡が閉じてしまったからやってきた集団かもしれない。でも私は混血後に少し残ったQ系がシベリアで発見されるQ系だと見ている。
ただ凍りに閉じ込められたと言う説が有力なため、アメリカで混血したとの説もある。
今回のベースになったのは、一度どこかにたまって集団の遺伝子が均一になったとの説由来になる。問題はどこに溜まったか?が示されてなかった。ただ、複数回の移動ではなく、時代的には1回の移動で、シベリアアメリカでの遺伝子が均一になる時期があったと言うものになる。その後アメリカで分散して遺伝子の均一性が分散したとの説だった。どうやってそれを調べたのか?分からないけど。遺伝子データからそういう説を唱えていた。
Q系は中国大陸にアメリカに移動する前に通過してない。シベリアの1集団が南下して今の東アジア特有のQ系に繋がってるだけとなる。しかもこの南下集団は、アメリカに渡った大きな集団とはまったく別の時期に移動したグループ。シベリアとアメリカの両岸に居住するエスキモーの集団から分岐した下位グループになる。
アメリカで混血したより、シベリアですでに混血してアメリカに行ったが都合が良いのは、アメリカのC系はQに較べて割合が少ない。この不均衡は西方ルートの影響が少ないとの見解と異なる。それはシベリアからQを父系にしたグループがが中心になって移動したと考えるとすっきり分かる。
世界のハプログループはこういうタイプの父系と母系がずれた民族移動が数多くあって、父系集団のある種のパターンになっている。
かなり奇妙な現象だが、Q系は一人たりとも東アジアを通過してないと見ている。中国に広い範囲で数多く見つかるQ系なのだが、アメリカ移住の流れの痕跡が一切見えない。
ベーリンジア隔離モデルと言う説があって、ここでアメリカか?シベリア?って混血のモデルが作られている。答えは両方。陸地になっていた海峡に閉じ込められたって説になる。アメリカで行き止まりになったんじゃなくて、後ろのシベリアにも閉じ込められたと言う説になる。従来のものはシベリアの寒気が収まってきてから移動したって説だったが、その前に侵入して、後ろのシベリアに戻れなくなってしまったと言う説になる。
これは遺伝的に一度均一になったと言うデータとも良く一致している。なおかつ南北のルートから来た父母の遺伝子が綺麗に混ざる条件を満たしている。
Uが消えてしまった点だけど。実はこれ問題点があって、Xはアジア起源だが、南方ルートで混ざらない。中央アジアに特異なハプロになる。後の時代には交流が盛んになるため出ることもあるが、基本的には東アジアではあまり出ない中央アジア起源のものになる。バイカル湖で発見されたUは一部であって、おそらくXをもったQ集団が北方の主流だったのではないか?と見てる。だからXだけ残ったとなる。
シベリア集団から抜けてアメリカ残留組が残されたというモデルは一応なりたつ。すべてがアメリカにいったのか?それとも一部はシベリアに残ったのか?がこの説においては良く分からない。
ただ、ベーリンジア以外のシベリアのどこかに残った集団が居たと思う。それ以外にベーリンジアのシベリア残留組は居たのか?これはもうちょっと分からない。