第一章 同居
「お前が住まう室を作る」
岩牢から解放されて一夜明けたこの日、頭領に呼ばれた鵺とともに屋敷へと出向いていたはつだったが、日が西の空に傾く頃に鵺の家へと戻ってきた。そして、家に入るやいなや、唐突に鵺がそう言い放ったのだ。それからの行動は迅速であった。瞬く間に拵えてくれたのだが、出来上がったらしい空間を見てはつは頭を抱えた。
「……まさか、これが室ですか?」
「ああ」
素っ気なく鵺が言う。しかし、それは、鵺の家の中に衝立をひとつ置いただけの、おおよそ室とは呼べないようなものであった。
「これの、一体どこが室ですかっ」
驚きと、鵺のあまりにも不遜な態度に、はつは思わず声を荒げた。
「何事だ」
戸を開けて顔をのぞかせたのは、草之助である。家の外にまで声が漏れてしまったことを知り、はつは慌てて口を噤む。だが、心は落ち着かないままだ。
「どうしたのだ」
草之助に尋ねられ、はつは理由を話した。
「鵺……さんが、室を作ってくれると言うのですが……」
「なるほどな」
話はまだ途中であったが、草之助にはそれだけで事情が呑み込めたようだった。
「鵺、衝立で仕切っただけでは、はつが嫌がるのも無理ないことだ」
「それは致し方ない。ここに余分な室などないのだから」
「それならば、この家の隣に小屋でも建てては下さいませんか。小さなものでよいので」
「駄目だ」
はつの訴えを鵺は一蹴した。
「離れていては、もしもの際に対処が遅れる」
「もしも……?」
「里の中に、はつを間者と疑っている者は少なくないからな」
草之助の言葉にはっとした。命を狙われる危険が、まだ完全に去ったわけではないのだ。
「それに、お前が間者でないという確証もない」
鵺の冷たい視線が突き刺さる。
「いずれにせよ、頭領よりお前の目付を言い渡されたのだ。お前には、俺の目の届くところにいてもらわねばな」
助けを求めてちらりと草之助を見る。草之助は溜め息混じりに口を開いた。
「まあ、お前の言い分はわかる。だが、衝立だけというのは……なあ? はつは女子なのだぞ」
「では、どうせよと言うのだ」
「うむ……。ああ、そうだ。裏に使っていない物置小屋があったろう。あれを改築すれば……」
「それでは、はつの言うことと何も変わらんではないか」
「だがな、鵺。お前はよいだろうが、はつにお前と寝起きをともにしろと言うのは、酷なこととは思わないか」
「俺は、それが最善の策だと思うがな」
「まったく……女心のわからない奴だな」
「それは悪かったな。俺は、お前のように誰彼構わず愛想を振り撒くことができないのだ」
「今日はやたらと噛みつくではないか。何かあったか」
「……何もない」
ふいっと、鵺が草之助から顔を背けた。
「俺がくる前に、鵺の身に何かあったか?」
こそりと尋ねられ、はつは首を傾げながらも知っていることを話す。
「さあ……。頭領のお屋敷に行って先程帰ってきたのですが、特に何かあったということはないように思いますけれど……」
「頭領の屋敷に出向いていたのか?」
「ええ」
「ふむ、なるほどな」
草之助は、どこか腑に落ちた様子だった。
「……なんだ」
鵺が草之助を睨む。だが、草之助の方はまったくもって意に介していないようだ。
「俺も先刻までそこにいたのだがな」
「そうか」
「声をかけてもよいだろうに」
「悪いが気づかなかったな」
「ふうん」
はつには、二人が何について話しているのかわからなかった。だが、問題は完全にすり替えられてしまったようだ。
「あの……」
はつが声を上げると、二人がこちらに振り向く。草之助が思い出したように言った。
「おお、そうだ。今ははつの話をしていたのだったな」
「とにかく、小屋を建てるのはなしだ」
「お前は、真に頑固者だな」
「何とでも言え」
草之助がちらりと目配せをする。わずかに困ったような表情のあとに、ふるふると首を横に振られた。はつはがくりと肩を落としたが、鵺の言い分も理解はできる。それに、申し訳なく思うところもあるのだ。
――私と会わなければ、こんな厄介事を押しつけられることもなかったのだろうな……。
そう思うと、あまり強くも出られない。結局、はつは鵺の提案を、渋々ながらも受け入れるしかなかったのだった。
「あの、鵺さん」
言ったところで笑い声が起こった。草之助からである。呆気にとられているはつに、鵺が渋い表情で言う。
「お前が妙な呼び方をするからだ」
「そうですか?」
「頭領以外には敬語も敬称も必要ない」
「極端だな」
脇から草之助が口を挟んだ。
「はつよりもずっと年重に見えたなら、それはやはり、礼儀として敬語を使うべきだと俺は思うがな」
「そうですね」
「だが、俺たちにはその必要はないぞ」
やはり、草之助は己よりもはつが年下だと思っているようだ。はつは、本当のことを言うことができずに口を噤む。
「それで、何だ」
鵺の苛立った声に、先程鵺を呼びっ放しになっていたことを思い出した。
「あ、頭領のお屋敷での話が気になって……」
「何かあったのか?」
草之助が鵺に向く。
「抜けた者のことだ」
鵺は簡潔に説明した。
「頭領は、鵺に始末を任せると仰っていました。始末とは、どういうこと?」
尋ねられた鵺の表情が、少しばかり陰ったように見える。
「見つけ次第里へと連れ帰り、処断せよということだ」
「処断?」
「殺せということだ」
はつが息を呑む。頭領の口振りからそういう話であることは何となく感じていたが、はっきりと耳にすると胸が詰まる思いだった。
「鵺が、その人を殺すの?」
「ああ」
「どうして」
「もともと、それが俺の任務だからだ。俺は、奴を追っていた折りにお前に会った。そのせいで奴には逃げられてしまったのだ。だが、そう逃げ切れるものではない。いずれ捕まるだろう」
「そうしたら、鵺が……」
「斬る」
短い言葉の中に秘められた決意を、はつは肌で感じていた。
人を殺そうとしたこともなければ、殺されそうになったこともないはつにとって、その言葉にどれほどの重みがあるのかはわからない。
「そう……」
この時のはつには、ただそう呟くことしかできなかった。
やむなく、鵺と共同生活を強いられることとなったはつ。
その鵺の任務は、里の抜け忍を処断することだった。
だが、それはまだ先の話……。
次回、女たちの戦いが勃発します。