第五章 拷問
「これよりお前を拷問する」
捕えられて三日後の夕刻、岩牢に現れた鵺がはつを牢から出した。ようやく無実であることがわかったかと安堵したのも束の間、はつの耳に思いもよらぬ言葉が飛び込んできたのである。
「ごうもん……?」
聞き慣れない言葉を、鸚鵡返しのように呟く。
「そうだ」
それに対し、鵺は実に素っ気なく返した。
はつが牢から出されて間もなく、梯子を鳴らす音が相次いで聞こえてきた。下りてきたのは、はつの処遇を巡っての評議の間に居合わせた里人らである。その最後に頭領が下り立つ。そして、命じた。
「鵺、始めよ」
「は」
頷くと、鵺ははつににじり寄った。はつは危険を感じて後ずさる。
「……こないで……っ」
消え入りそうな声で訴えた。だが、鵺は聞く耳を持たぬとばかりにはつとの距離を詰めていく。はつが下がる。その分だけ鵺が間を詰める。それを繰り返し、ついに硬い岩の壁にはつの背が当たった。はつが息を呑む。鵺の左手がはつの細い首にかけられた。
「女、問いに答えろ。お前は間者か。何処かの回し者か」
答えようにも声が出ない。恐ろしさのあまりに竦み上ってしまったはつは、ぎこちない動作で首を横に振るのが精一杯だった。
「そうか」
はつの首を絞めつけたまま、鵺は右手をはつの左手の小指にかけた。そして、その爪を指先で弾く。
「真のことを申せばよし。さもなくば、お前を待つのは死よりも辛い拷問だ」
「……知らない……本当に、私は何も……」
左手で拘束したまま、鵺は右の手甲から棒手裏剣を抜き取るとはつの小指の爪にかけた。
「あっ……」
短い悲鳴のあと、はつがぐったりとその身を鵺の肩口に沈める。はつの足元には数滴の血痕が散っていた。
微動だにしなくなったはつの体を支えながら、鵺は頭領へと向き直る。
「小指の爪を剥いだぐらいで気を失うようでは、間者など務まらぬかと存じます」
ことの次第を見守っていた一同は、鵺と同じく頭領に向き直った。
「うむ。いずれにせよ、気を失っていては拷問を続けることは無理であろうのう。だが、間者でないとも言い切れぬうちは、この者を里の外へ出してやるわけにもいかぬ。ひとまずは鵺の預かりとする」
「それは、この者を私に任せると、そういうことにございますか」
「さようじゃ。これより、鵺をその者の目付に任じる。草之助とともに面倒を見てやるがよい」
「……私もにございますか」
頭領と鵺の話を割って、草之助が驚きの声を上げた。
「お前はもとより、常日頃から鵺の目付役を買って出ておったではないか。今回もそう致せ」
「は……」
「この者についての処遇は以上とする。その後、何かあれば追って沙汰致す。みなの者、よいな」
「はっ」
一同は声をそろえ、それに従う意思を示したのであった。
だが、頭領が岩牢を出て行って間もなく、小次郎が舌打ち混じりに言い放った。
「こんなものかよ。これが拷問と言えるのか?」
「拷問の目的は痛めつけることじゃない。見極めることだろう。さっき、あんたがそう言ったんじゃないか」
浅葱の言葉に、小次郎は再度舌打ちをする。
「なんだ、浅葱。まさかお前が鵺の肩を持つとはな」
「馬鹿言うんじゃないよ。誰が鵺の肩なんか持つもんか。かと言ってあんたの肩も持つ気はないけどね。あんたのやり方には毎度反吐が出るよ」
「はん。そうかよ」
「いいかい、小次郎。血縁のよしみで言っておくよ。あんた、人の不幸を食い物にしていると、いつかあんたがそれと同じ苦しみを背負うことになるよ」
「ふんっ。小娘が知ったようなことを……」
「もういい」
弥助が見兼ねて止めに入る。小次郎は興醒めとばかりに、さっさと岩牢を出て行った。
「浅葱、小次郎のことで気分を害させたのは悪い。だが、二度と言わないでくれないか」
「……何をだい」
「いつか小次郎が苦しみを背負うことになると言ったろう」
「言ったね。けれど、あいつは、そう言われるだけのことをしているんだ」
「それはわかる。しかし、言霊と言うではないか。人の言葉には魂が宿るという。言えば、それは真になる。あれでも小次郎は、俺の実の弟なのだ。……頼む」
「ああ……そうだね。わかったよ」
こうして、はつを巡る騒動は一応の終結を迎えた。はつは、三日続いた地下牢獄での生活をようやく終え、外の世界に出ることを許されたのである。
はつが目を覚ましたのは、整然とした部屋の片隅だった。起き抜けの頭で見回す。十畳程の一室に台所や囲炉裏、土間まであるようだ。生活に必要最小限の物しか置かれていない、そんな印象の部屋だった。
体を起こすと背中が痛んだ。布団に寝かせられてはいたものの、その薄さは床に寝ているのとそう変わらない。軋む背中を擦っていたところで、扉が開かれた。久方ぶりの太陽の光が目を刺激する。
――もう朝になったのか……。
そんなことを思っていると、光の中から現れたのは、これまた太陽のような笑顔を湛えた男だった。
「目を覚ましたか」
眩しさを堪えて目を凝らす。入ってきたのは草之助であった。
「ここは、貴方の家ですか」
「いや、鵺の家だ」
鵺の名に、岩牢でのことが鮮明に思い起こされる。
「そうだ……私は、あの人に爪を……」
不思議と痛みは感じなかった。脳が痛々しい出来事を忘れようとしていたからかもしれない。恐々としながら、布団の中から手を抜き出して見る。はつは、唖然として左手の小指を見つめた。念のために右手の小指も確認する。その後、すべての指先を凝視した。
すべての指に爪があった。傷ひとつなく、出血した痕跡もない。
腑に落ちない様子のはつに、草之助が口を開いた。
「鵺の気にやられたのだろう」
「……気?」
「鵺は、其方が間者でないと思っていたのだろうな。だが、里人の中には、其方を拷問にかけろと言う者もいてな。そこで策を講じたのだ」
「でも、私は……確かに爪を剥がされたように感じました」
「そう錯覚させるほどの気を放っていたのだ。修行を積んだ者ならいざ知らず、常人ならば気を失うほどのな。はつが気を失ってくれてよかった」
「……」
「だから言ったであろう。鵺と出会ったことこそが、其方の幸運であったと」
そう言って草之助が笑うと、再び扉が開かれた。次に入ってきたのは、話の中心にいた男……鵺である。
「草之助、きていたのか」
草之助をちらりと見たのち、はつに目を向ける。そして、白い布切れを投げて寄越した。
「そいつを左の小指に巻いていろ」
はつがそれを受け取る。なんの変哲もない、麻でできた布切れだった。
「しばらくの間は外すな」
「そう言うお前は手当てをしなくてよいのか」
草之助が笑いを含んで尋ねる。
「その指、棒手裏剣で切ったのか」
「……黙れ」
そんなやり取りをしながら、二人はそろって開かれた戸から出て行ってしまった。再び静寂が訪れる。
はつは、鵺が置いて行った布切れを、言われたように左手の小指に巻いた。すると、不意に涙が頬を伝う。
――とりあえず、目先の危機は脱したってところかな……。
はつは、布切れを巻いた小指を握りしめ、これから先のことを思って一人感じ入っていたのだった。
ようやく目先の危機から解放されたはつ。
しかし、今後もはつを幾多の試練が襲う。
次回から、第二部に突入します!