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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第七部】 現代の戦国時代
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終章 現代の戦国時代

挿絵(By みてみん)


現代に戻ったはつは、母との再会もそこそこに伊賀衆たちのその後を調べ始めた……。

挿絵(By みてみん)




 三十分ほども歩き続けたはつの目に、懐かしい我が家が見えてくる。一年前と何ひとつ変わってなどいなかった。

 家の門を(くぐ)ると、家の中からは掃除機をかける音が聞こえてくる。母がいるのだろう。すぐにでも会いたい衝動を抑え、はつは掃除機の音に紛れるようにそっと二階の自室を目指した。やはり、そこも出てきたままの姿だった。

 ふと、部屋の姿見が目につく。鵺の家には鏡などなかったので、小袖姿をじっくりと観察するのはこれが初めてだ。萌黄色の小袖を見つめていると、どうしてもかすみのことが思い出されてくる。目頭が熱くなるのを感じて、はつはそれを冷ますように(かぶり)を振った。そして、着替えようと小袖を脱ぐ。

「え……?」

 思わず声が漏れた。姿見の前で小袖を脱いでいたはつは、その背の中央に大きな痣があることに気づいたのだ。

「こんな痣、あったかな」

 はつには憶えがない。しかし、己で背中を見る機会などそうはないので、以前よりあったものの今まで気がつかなかっただけかもしれない。

 釈然としない思いを抱えたまま手近な服に着替えると、はつは急いで一階に下りて行き、そのままの勢いで母へと抱きついた。

 掃除機をかけていた母は驚きに目を見開き、掃除機のスイッチを切って怪訝そうにはつを見ている。

「何? どうしたの、初音」

 懐かしい呼び名に、はつはようやく初音に戻れたような気がした。

「ねえ、今日って何日?」

「十一月一日でしょう? 朝食の時にも言ったじゃない」

 初音の問いかけに、母は答えて言った。

「今日は何年?」

「何を言っているの」

「いいから、答えて。ねえ、何年?」

「平成二十六年でしょう」

「そうだよね……」

「一体どうしたの?」

「なんか、とっても久し振りな気がするね」

「まだ三時間ぐらいしか経ってないじゃない。それから、マッサージチェアが届いているわよ」

 母は抱きついたままの初音を突き放すと、掃除機のスイッチに指をかける。だが、ふと気がついたように、

「初音、服を着替えたの?」

と尋ねてきた。

「うん。散歩したら汗かいちゃったから」

「……ふうん」

「そうだ、お母さん」

 初音は服を捲り上げると、背中を母に見せる。

「さっき気がついたんだけれどね、こんな痣あったかな。いつからあるかわかる?」

 すると母は、痣をなぞりながら懐かしそうに言った。

「生まれつきよ。子供の頃は濃かったけれど、成長するにつれてだんだん薄くなっていったの。最近ではまったく目立たなくなったと思っていたのに……」

「そうなんだ」

「一度消えた痣が浮き出てくることなんてあるのかしら。もしかして、何かしたの?」

「……何もしてないよ」

 そう答えると、痣をしげしげと見ている母には構わずに捲っていた服を下ろした。しばらくの間は首を傾げている母だったが、その後、何事もなかったかのように掃除を再開する。再び、掃除機の音が家中に響き渡った。

 その音を聞きながら、初音はリビングに移動する。配置が少し変わっており、リビングの一角にマッサージチェアが堂々と鎮座していた。だが、初音はそれには目もくれず、ノートパソコンを引っ張り出すとそれを起動させた。そして、インターネットを繋げる。

 調べるのは、初音がいなくなったあとの鵺たち伊賀衆の動向である。

「天正伊賀の乱……」

 検索の一番上に出てきたものを読み上げた。それをクリックする。そこには、天正伊賀の乱とは、伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆(いがそうこくいっき)との戦いの総称であると記されていた。

 総称という言葉が気にかかり、さらに調べてみる。そして、わかった。天正伊賀の乱と呼ばれる戦いは、四年間に渡り第三次まで続いていたのだ。初音が居合わせたのは第一次天正伊賀の乱であった。また、第二次天正伊賀の乱はその二年後に起こっている。

「そんな……」

 マウスを握る手が震えた。

 そのサイトによれば、第二次天正伊賀の乱で伊賀国は焦土と化し、壊滅的な打撃を受けて滅んだと記されていたのである。初音は、鵺や草之助、千手姫らのその後を探るべく、必死にパソコンを睨みつけた。そして、知れば知るほどに、第二次天正伊賀の乱の悲惨さが浮き彫りとなっていく。

 第一次天正伊賀の乱は、功を()いた北畠信雄(のぶかつ)が、信長に報告もせず勝手に挙兵したものであった。忍びの戦いに疎い北畠は、伊賀衆とは倍以上の兵力差があったにも関わらず、一万余りの兵の内、重臣を含む六千もの兵を失い大敗を喫する。それを知った信長は激怒し、織田の汚名を晴らすべく伊賀への復讐を決意したそうだが、時節が悪く先延ばしとなったらしい。

 それから二年後の天正九年、第二次天正伊賀の乱が起こった。

 石山本願寺との講和が成立したりと、大きな脅威から解放された信長は、伊賀への報復へと動き出したのだ。信長は、第一次の大敗を聞いて伊賀衆の力を脅威と認識していた。そのため、伊賀を小国として侮らず、戦闘要員がわずか五千人程度と見られる伊賀衆に対し、五万弱もの兵を侵攻させたのである。

 伊賀衆は第一次の時と同じようにゲリラ戦法で応戦した。だが、信長は信雄とは違い、忍びとの戦い方を承知していたのだ。夜間はあちらこちらで松明(たいまつ)を焚き続け、闇に乗じて動く忍びたちの行動を封じてしまった。また、信長は徹底した破壊、殺戮を行った。老若男女問わず、非戦闘員であっても斬り捨てたと記されている。

「ひどい……」

 織田信長に対する憎悪の念が湧いてくるのを感じた。しかし、歴史のことだ。見方を変えれば、信長にも通さねばならない正義があったのかもしれない。だが初音は、一年間だけではあるが、実際に伊賀国で暮らしていたのだ。鵺たちのことを思うと、どうにも胸が締めつけられて仕方がなかった。

 柏原城についても載っていた。そこは、第二次天正伊賀の乱最後の拠点であったという。柏原城にて、滝野十郎吉政や百地丹波ら伊賀衆は籠城戦を決行した。しかし、それも長くは持たず、伊賀衆は遂に白旗を上げることを余儀なくされた。柏原城が開城した時点で、半月ほども続けられた第二次天正伊賀の乱は幕を閉じたのであった。

 頭領は殺されることなく、乱後も信長につくことで生き残ったらしい。

 だが、その一年後に第三次天正伊賀の乱が起こった。それは、本能寺の変で織田信長が横死したことにより、各地に散っていた伊賀衆が再び集い、蜂起したことによるものである。

 伊賀衆は、伊賀を滅ぼした織田信長に臣従した滝野十郎吉政を攻めた。柏原城は落城し、その後の頭領の動向は不明であるという。また、柏原城を落とした伊賀衆は、討伐に向かった北畠信雄により瓦解させられたとのことだった。

 天正伊賀の乱の経緯や伊賀衆の末路は大体理解できた。しかし、初音が最も知りたいのは、一年間生活をともにしてきた滝野の里衆のことである。頭領のことは大方わかった。鵺や草之助、千手姫たちはどうなったのだろうか。初音は根気よく調べる。すると、千手姫について書かれた記事を発見した。

「千手滝の伝説……」

 その記事によれば、戦の中を赤目渓谷に落ち延びた草之助と千手姫は、落ち武者狩りが激しくなりはぐれてしまったのだという。山中に逃げ込んだ千手姫は草庵の老婆に匿われたのだが、実はその老婆は草之助の母だったのだ。しばらくして、草之助は草庵に千手姫がいることを知った。だが、千手姫を外から呼ぶだけで、久方振りの我が家に入ろうとはしなかったらしい。草之助は、かつて武士を志して家出した手前会わす顔がないとして、千手姫を連れ出すとさらに奥まで逃げ込んだ。しかし、ついに追手に見つかった二人は、覚悟を決めると滝に身を投げてしまったというのだった。

「初音、どうしたの?」

 調べるのに夢中で気がつかなかったが、いつの間にか掃除機の音がやんでいた。リビングに入ってきた母に気がついて顔を上げた時、視界がぼやけた。それから間もなく、ひと滴、頬を伝って落ちるものがある。ここで初めて、初音は泣いていることを知った。

「……何でもない」

 初音は目元を拭い、さらに調べる。だが、それ以上は何も出てこなかった。鵺についてはその名すら見当たらない。生きた証を残さないことが優れた忍びだというなら、鵺はやはりそうだったのだと初音は思った。

 そして、もうひとつ気づいたことには、初音が見た夢は第二次天正伊賀の乱の情景であったということである。実際にその時を生きた鵺の記憶が、初音が戦国時代に行き、草之助や千手姫と接触することによって思い起こされていたのだろうと、初音はそう思うのであった。

「草之助や千手姫も、生まれ変わってきているのかな……」

 呟いた声に母が振り向く。しかし、内容までは聞こえていなかったようで、首を傾げると仕事に戻って行った。母は、今は洗濯物を干しているところである。

「初音、マッサージチェア使わないの? あんなに楽しみにしてたのに」

 初音は、そう言えばそうだったなと思い出す。戦国時代に行くまでは、マッサージチェアに座って、そこで一日中オンライゲームができたら幸せだろうななんてことを考えていたのだ。初音は大仰に溜め息を()いた。再び、怪訝な表情の母が顔を向ける。

「さっきからどうしたのよ」

「ねえ、私にだってさ、いいところはあるんだよね?」

 繋がらない言葉だったが、それでも母は「そうね」と頷いた。

「私、きっとね、頑張ってきたのだと思う」

 初音は鵺のことを思った。そして笑う。

「私、これからも頑張るよ」

「そう、頑張りなさい」

 その時、スマートフォンにメールが入った。美雪からの夕食の誘いである。

 初音はパソコンを片付けると、マッサージチェアへと移動する。それを作動させながら、美雪に返信を打った。

 鵺が初音の生まれ変わりであるならば、きっと美雪はかすみの生まれ変わりなのだと、確信じみたものが初音の中にはあった。かすみのことを思うほどに、初音は一刻も早く美雪に会いたかった。

 スマートフォンが鳴る。早くも美雪からの返信だった。

「あ……」

 思わず声が漏れる。美雪からのメールには、「かすみって誰?」の文字が記されていた。初音は苦笑する。かすみのことを思って打っていたら、美雪の名を打ち間違えてしまったらしい。初音はすぐに謝罪し、いつものレストランで夕食をともにしようとメールを送った。そして、スマートフォンを胸に抱えたまま目を閉じる。

「初音、頑張るんじゃなかったの?」

 母が洗濯物を干しながら尋ねる。

「うん。明日からね」

 マッサージチェアに揺られながら初音は答えた。

「明日からなんてのは大抵やらないんだから、今から頑張りなさい」

「今日は疲れちゃったんだもの」

「まだお昼でしょう。何を言っているの」

「うん、そうなんだけどね……」

「初音」

 どこか遠くで名を呼ばれるのを聞きながら、初音は(いざな)われるように眠りについた。

 夢の中に、鵺と草之助、それから千手姫が出てきた。

 ぶっきらぼうな感じの鵺に、朗らかに笑いかける草之助がいる。そんな草之助には敵わないようで、鵺もわずかに口元を緩めた。それを、ころころと可憐に笑いながら、千手姫が見つめている。いつもの光景がそこにはあった。

 初音は思う。戦は何も戦国時代にだけあるのではないのだと。

 学生には受験戦争がある。学業が修了したなら、次は社会進出のための就職活動があり、特に女性には結婚活動というものもある。実際に命をとられることはないものの、初音が生きるこの時代もまた、常に戦いの毎日であるのだ。

 鵺は、忍びとして優れた腕を持ちながらも、その心は脆かった。その脆さを隠すため、群れることを嫌う振りをしていた。そして、とても一途に頭領のことを想っていた。

 鵺は千手姫のことが好きなのかと思ったこともあるが、おそらくそれは違う。鵺にとって、千手姫は頭領のご息女として大切に想う存在であったのだろう。

 鵺が心を寄せる者がいたとしたら、それは……。

 そこで、再びスマートフォンが鳴り響いた。

 「六時でいい?」……そうメッセージが表示されている。差出人は言うまでもなく美雪である。しかし、眠りの中にいる初音はそれに気づかなかった。

 初音は夢の中で考える。

 鵺の生き方はとても器用と言えるものではない。だが、好きだと思った。時に怒り、時に悲しみ、時に涙を流し、鵺は様々なことによく心を乱していた。実に人間味のある忍びであった。

 初音も決して器用ではない。自他ともに認めるほど、あらゆることに不器用である。もう少し手先が器用なら仕事も滑らかに運ぶのにと思ったり、もう少し要領よく生きられればいいのにと思ったりも散々してきたが、それらが今ではどうでもよく思える。

 鵺と出会ったからである。

 鵺と出会い、自分というものを客観的に知り、今ではこの不器用ささえも愛おしいと思えるようになった。

「鵺……」

 知らず漏れた声に、母が振り向いた気がした。だが、すぐに深い眠りへと落ちていく。

 鵺は不器用ながらも、戦国乱世を生き抜こうと懸命にもがいていた。一年というわずかな時間ではあったが、その姿を見て美しいと初音は思った。要領などよくなくてもいい。不器用でもいいのだ。

 ――私もね、これからの人生を……現代(いま)の戦国時代を懸命に生き抜いてみせるよ……。

 心の中に宿る鵺の魂に言い聞かせるように、初音はそう誓うのであった。

現代(いま)の戦国時代を生き抜くと、初音は、胸の内に宿る鵺に呼びかけるように強く誓ったのだった……。


終章ではありますが、実はこれで終わりではありません。

次回、最終話……。

真・終章をお届け致します。

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