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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第七部】 現代の戦国時代
43/48

第四章 かすみの願い     ※写真付

挿絵(By みてみん)


これまで、こんなにじっくりと話をしたことがあったろうか……。

引き続き、鵺とかすみのお話です。

挿絵(By みてみん)




「純真という意味もあるそうだ」

 かすみから泣き声がやんだ頃、(ぬえ)はそう言った。

「狐の牡丹には、他にも意味があるらしい」

「それが、純真?」

「ああ」

「どうやら、私には似つかわしくない花のようだね」

「はつは、お前によく合った花だと言っていたがな」

「どこがだい」

「小さくとも逞しく、凛々しく咲いているところ……とかな」

「……」

「この花に毒性があるのは、小さな身でも必死に生き抜こうと、強がっているからなのかもしれないな」

「まるで風流人(ふうりゅうじん)のようなことを言うんだね」

「お前によく似合っている」

「……鵺。誰彼構わずにさ、そういうことを言わない方がいいよ」

「なに?」

「勘違いされても困るだろう?」

 はたと己の失言に気づいた鵺が俯く。それを見ていたかすみは、口元を緩めて言った。

「鵺には、誰かいないのかい」

 鵺は俯いたまま、視線だけをかすみに送る。

千手(せんじゅ)姫様は違ったのだろう?」

「……ああ。俺は、どうもその手の話には疎いらしい」

「そうかい」

「お前には、そういう相手がいるのか」

 その瞬間、打たれたように振り向いたかすみが、その目を見開いて鵺を見据えた。鵺も驚いて顔を上げる。しばし二人は見つめ合った。

「……そういう話の流れだったと思ったが、聞いてはいけなかったか?」

 かすみの反応に戸惑いつつも尋ねる鵺に、かすみは、

「いや……」

(かぶり)を振った。

「……いるよ。私には、いる」

 かすみが言う。

「鵺にもさ、そのうちに現れるんじゃないのかね」

「さあ、それはどうだろうな」

「もしかしたら、もういるのかもしれないよ。それに気づいていないだけかもしれない」

「まあ、ないとは言えないな。俺は、それがどういう感情かよくわかっていないからな」

「そうだねえ。その相手の前ではさ、飾らないままの姿でいられるということじゃないのかね」

「飾らない……?」

「ああ。肩の力を抜いて、自然体でいさせてくれるような相手さ。私はそう思うよ」

「……お前が想う男か。少し気になるな」

「え……?」

「里の者か?」

「ああ。……そうだよ」

 かすみはすくと立ち上がるなり、先刻手渡した鵺の着物をその手から再び取り上げた。鵺は、背が痛むためになかなか袖を通すことができず、着物を手に持ったままだったのだ。

 鵺の背に回ったかすみは、それを丁寧に着せていく。最後に、かすみは鵺の(もとどり)を締め直した。

「乱れていたからね」

 そう言って微笑を浮かべるかすみを見て、

「……逃げてはどうだ」

 つい、そんな言葉が口をついて出た。

伊賀国(いがのくに)を出て、遠く離れた地で暮らすのだ。お前ならば一人でも生きていけるだろう。お前のことは、崖から落ちて死んだと伝えておく」

「……何を言ってるんだい」

「二度とこの地に足を踏み入れさえしなければ、お前は……」

「鵺」

 はっきりと通る声で名を呼ばれ、伏せていた目を上げた。

「それでは、鵺が頭領を裏切ることになるよ」

「……」

「それに、そんなこと……私の望むことではないよ」

「なら、お前の望みとは何だ」

「……」

「下山甲斐と出会ってしまったために、これまでいいように利用されてきたのだろう。伊賀を裏切ったはお前ではない。下山甲斐だ。なぜお前が、あの男のために死ななければならない」

「……」

「お前にだって、望みのひとつもあったはずだろう。……下山甲斐はもういない。お前を囚える者など、もうどこにもいないのだ」

「……望み、か。言ってもいいのかな」

「ああ」

 鵺は、「生きたい」あるいは「逃がして」という言葉が聞けるものと思っていた。この場において、かすみが望むことはそれ以外にはないように思われたからだ。

 ――もしもかすみが望むなら、俺は……。

 鵺はこの時、かすみが生きることを望むならば、伊賀を裏切ることも辞さない覚悟があった。

 しかし、かすみが口にした望みは、鵺の予想から大きく外れたものだった。

「抱いて」

「は……?」

 鵺は、間の抜けた声を上げてかすみを見遣る。涼し気にこちらを見ているかすみの視線とかち合った。表情は読めないが、どうやら冗談で言っているわけではないらしい。

「女としての喜びも何も知らないままに死ぬのは……ねえ? 折角望みを聞いてくれるというのだもの。言ってみたのさ」

「……そういう話なら、相手を選ぶべきだと思うがな」

「選べないじゃないか」

「お前には惚れた男がいるのだろう。気のない男に肌を任せるのは、女にとっては命を失うに値する苦しみと思っていたが……違うのか?」

「……まったく、もう……」

 かすみは何かを呟いているようだったが、よく聞き取れなかった。

「なら、もうひとつ」

 気を取り直したようにかすみが言う。

「私を殺して」

 鵺の目が大きく見開かれた。

「それが私の望みだよ」

「それは……」

「鵺。私の望み、叶えてくれるんだろう?」

「……それは、真か?」

「……」

「俺は、お前が望むなら、お前を伊賀から逃がしてやることだって……」

「そんなこと、望まないと言ったろう?」

「ならばお前は、利用されるだけの人生で……それで終わっていいのか」

「ああ。そんな人生もね、悪いだけでなかったと今なら思える」

「何を馬鹿な……」

「本当に、そう思うんだよ。……鵺のおかげかね」

「……?」

「私が伊賀から逃げたら、鵺は伊賀を……頭領を裏切ることになるんだよ」

「たとえそうなったとしても、俺は……」

「嫌だよ」

「……」

「そんなことになるぐらいなら、死んだ方がずっとましさ」

「かすみ……」

「それにさ、どうせ死ぬなら……私は、鵺の手にかかって死にたいんだ」

「……なぜだ」

「鵺は、人を斬るのを嫌うだろう? そんな鵺に斬られたなら、ずっと鵺の中に留めておいてもらえるんじゃないかと思ってね」

「俺の中に留まることが、お前にとって何の意味がある」

 かすみは鵺から目を逸らすと、洞窟の外に広がる山を見据えた。先程よりも霧が晴れたような気がする。

挿絵(By みてみん)

「やえ」

「なに?」

 呟くように口にされた言葉に、鵺は首を傾げて尋ねた。

「私の真の名さ」

 かすみは答える。

「お前、かすみになる前は名を呼ばれたことがないと言っていなかったか」

「捨てさせられたんだよ。甲斐様に拾われた時にね。私もずっと忘れていたけれど、今ね、思い出した」

 山を見据えたまま、続ける。

「時折、考えるんだよ。私は、旅芸人の両親のもとにやえとして生まれた。けれど、甲斐様に拾われて名を捨て、かすみとなるために真の顔も捨てた。……私とは、一体何なんだろうね。もう誰も、真の私を知る者はいない」

「……」

「誰にも知られずに生き、誰にも知られずに死ぬ……それが、真の忍びのあり方なのかもしれない。けれどさ、それじゃあ……あまりにも悔しいじゃないか。私は、一体何のために生まれてきたのだろうってさ……時折ね、そう考えてしまうんだよ。どうしようもないことだとはわかっているんだけれどね」

 ふと、かすみは鵺へと向き直った。

「だから、鵺の中に留めておいてもらいたんだ。そうしたら、この身は朽ちてもさ、生き続けられるような気がするんだよ」

 そう話すかすみの表情は真剣そのものであり、またとても穏やかなものであった。

 鵺は、そこにかすみの覚悟の深さを見た。鵺は先程から、かすみの望みを退けてかすみを助ける算段をあれやこれやと考えていたのだが、そのどれもがかすみの覚悟を打ち負かすには遠く及ばないことを知ったのだ。

「……わかった」

 しばらく逡巡したのち、鵺は重い口を開いた。そこで、かすみは微笑を浮かべる。その表情は、心の底から喜んでいるかのように晴々としたものだった。

「ねえ、鵺」

 これから死にゆくとは到底思えない、穏やかな口調でかすみが言う。

「人は、生まれ変わることがあると思うかい?」

「生まれ変わる……?」

「この人生を終えたらさ、別の世に出て、まったく違う人として生きる……そういう思想さ」

「それは、輪廻(りんね)のことか?」

「たぶんね」

「なぜ、突然そんな話を?」

「はつがね、戦に出る前にそんなことを言っていたのを思い出したのさ」

「はつが……?」

「もしもさ……もしも、そんなことが叶うなら、鵺とはまた巡り会いたいものだね」

「……」

「その時には……そうだね、友になれたらいいな」

「友……?」

「ああ。(しん)の友さ」

「それなら、今からでも……」

 すると、かすみは声を上げて笑った。

「今はいいよ。今はね……いいんだ」

「……」

「もしも来世があったらという話さ。それに、友ならば斬りづらくなるんじゃないかね?」

「……」

「鵺は、私を斬らなければならない。戦を引き起こすきっかけを作った者を八年間も飼っていたなんて知れたら、頭領のお立場はないからね」

 かすみは、岩の脇に立てかけられた鵺の刀を取ると、鵺のもとに静かに歩み寄る。そして、それを差し出した。鵺は、目を伏せ、差し出された刀を受け取る。

「はつは、鵺を憎むかもしれないね」

「そうだろうな」

 まだ腹を決め兼ねているかのように、おもむろな動作で鵺は刀を鞘から抜いた。鈍い輝きを放つ刃が顔を覗かせる。

「でも、すぐにわかってくれるさ。鵺とはつとは、どこか似ている気がするからね」

「どこがだ」

「はっきりとはわからないけれど、はつには鵺の考えていることがわかるみたいだよ。鵺にもさ、そういうところがあるんじゃないのかい?」

 かすみは鵺の手を取ると、鵺の持つ刀を己の胸元へと誘導する。

「さあ」

 そう促すかすみを前に、これ以上は何も言うことはないと悟った鵺は、刀を持つ手に力を込めた。それを、かすみの胸に突き立てる。

 短い呻き声を上げて(くずお)れるかすみの体を、鵺は優しく受け止めて寝かせた。かすみが吐血する。刀を抜けば楽になるだろうと思い引き抜こうとしたその手を、かすみが弱々しくつかんだ。そして、最後の力を振り搾るように、鵺の袖、合わせとつかんで体を起こす。そのまま、かすみは鵺の唇に噛みついたのである。ぴりりとした痛みとともに、血の味が口内に広がった。

「ぬ、え……す……き……」

 力を失くしたかすみを、鵺は抱き止める。そのまま、力強く抱き締めた。

 揺らめく炎に照らされた、安らかなかすみの死に顔……。鵺の嗚咽(おえつ)する声だけが、洞窟の中に静かに響いていた。

かすみを刺した直後に気づいてしまったかすみの想い……。

この涙は、後悔のためか。はたまた、その想いに気づけなかったことへの謝罪の念か。

それとも……。


次回、鵺がようやく里へと帰り着きます。

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