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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第七部】 現代の戦国時代
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第一章 失踪

挿絵(By みてみん)


北畠との戦は、伊賀の大勝利に幕を閉じた。

しかし、はつの心はいまだ晴れることはない。

続々と帰還する滝野の里衆の中に、かすみの姿はなかったのだ……。

挿絵(By みてみん)




 北畠(きたばたけ)信雄(のぶかつ)との戦は、兵力差などものともしない伊賀衆の大勝利に幕を閉じた。

 伊賀守護であった仁木(にっき)義視(よしみ)は、伊賀衆の手により甲賀の信楽(しがらき)へと追放された上で滅ぼされた。伊賀を裏切り、北畠と通じていたと考えられたからである。

 だが、戦が終結した翌日の九月二十日に新たな事件が起こった。名張(なばり)奈垣郷(ながきごう)に勢力を持つ豪族の一人である下山(しもやま)甲斐(かい)が、突如失踪したのだという。それにより、伊賀を裏切り北畠を手引きしたのは、仁木ではなく下山だったのではないかとの噂が伊賀中を駆け巡った。

 しかし、伊賀の裏切り者が仁木義視であれ下山甲斐であれ、そんなことはどうでもよかった。少なくとも、はつにとっては。

 今、はつが最も気になることはただひとつ……かすみの行方のみである。

「探しに行こう」

 そう言って駆け出そうとしたところ、(ぬえ)に腕をつかまれ阻まれた。

「待て。どこを探すと言うのだ」

「かすみが消えたという長野峠の麓だよ。もしかしたら、崖から落ちたのかもしれない。あるいは、怪我をして動けずにいるのかも……」

「待て、はつ」

 鵺の手を振り払って外に出ようとしたはつの腕を、鵺はさらに力を込めてつかんだ。

「お前では、長野峠に向かうまでに迷う。少し落ち着け」

「でも、もしも……このまま帰ってこなかったら……」

「伊賀衆は確かに勝利した。しかし、一人も欠けることなく、みな無事に帰還できると考えるのは甘い。これは、戦なのだ」

 鵺の脳裏に、島村陣内の顔が浮かぶ。

「なら、鵺はかすみが死んだと思うの?」

「……充分に考えられることだ」

「でも、誰もかすみがやられたところを見ていないのでしょう?」

 昨日(さくじつ)のこと、帰還した浅葱(あさぎ)と菊乃にかすみの行方について尋ねたのだ。浅葱は、「ほんの少し目を離した隙に消えた」と、そう言っただけであった。

「敵と戦っていたわけでもないみたいだし、かすみが死んだなんて信じられないよ」

「ああ……確かに、死んではないかもしれないな」

「そうでしょう? やっぱり、怪我をしたとか、どこかで動けずにいるのかも……」

「いや……」

「……なに?」

「浅葱も菊乃も、かすみが怪我を負ったとは言っていない。交戦中でなく、怪我を負ったわけでもなく、ただ忽然と姿を消した。……なぜだ?」

「……だから、それは、何か事情があったからでしょう」

「……」

「鵺、一体何が言いたいのっ」

 はつの憤りを含んだ声が辺りに木霊(こだま)する。そこへ、

「浅葱と菊乃に今一度話を聞いてみてはどうだ?」

 戸口から聞こえた穏やかな声に、鵺とはつは一様にそちらへと向いた。そこには、苦笑を浮かべた草之助が立っている。

「戸を開け放って話すことではないな」

 そう言うと、草之助は家の敷居を跨いで入るなり後ろ手に戸を閉めた。

「ねえ、草之助。草之助はどう思う? かすみのこと」

「俺もその話はちらと聞いたが、不審な点が多いように思ったな」

「不審?」

「まあ、鵺が言っていたことと同じようなところだ」

 草之助は、閉めたばかりの戸を再び後ろ手に引いた。

「浅葱と菊乃に事情を聞くのが一番だろう。二人がどこまで知っているかは知らないが、ここであれこれ言い合うよりもずっと有益なはずだ」

 そこではつと鵺は、草之助に促されるままに連れ立って家を出たのだった。


 浅葱と菊乃は井戸端にいた。

「かすみは死んだんだ」

 菊乃が声を殺して言う。それに対し、

「そんなことあるはずがない。それは、菊乃だってわかっているだろう」

 浅葱が憤りを露わに、されど菊乃同様に声を抑えて答えた。

「……突然だった」

 浅葱は、数日前の情景を思い出すように言う。

「あの状況で、かすみが死ぬわけがない」

「なら、なんで戻ってこないのさ。その前に、どうして消えたりするんだい」

「……わかるわけがないだろう」

「すまない、か……」

「……あたしの聞き間違いじゃなかったみたいだね。菊乃も聞いたのかい」

「ああ、聞こえたよ」

「あれは、どういう意味なんだろうね」

「意味、ね……」

 重い沈黙が二人の間に流れる。

「ねえ、もしかしてさ、かすみは……」

「違うよ」

 菊乃の言葉を浅葱は即座に制した。

「菊乃の思っているようなことなんて、あるはずがないよ」

「あたしだって、そう思いたいよ。けれどさ、だったら何で、かすみは消えたんだい」

「……」

「何で、すまないなんて……。かすみは、一体何に、誰に謝っていたのさ」

「それは、どういうこと?」

 不意に聞こえた声に、浅葱と菊乃は驚いて振り返る。二人とも周囲には気を配っていたつもりではあったが、話に入り込み過ぎてしまっていたらしい。近づいてくる者があるのに気がつかなかった。

「ねえ、浅葱、菊乃。どういうことなの? どうして、かすみはいなくなったの」

 こちらに歩み寄りながら、はつが必死の様相で尋ねる。その背後には鵺と草之助もいる。

「……知らないよ」

 浅葱が答え、菊乃は何も言わずに顔を伏せた。

「なら、今の話は……」

「知らないって言ってるだろう」

「でも……」

「昨日も言ったじゃないか。かすみは、突然消えたんだよ。どうしてかはわからない。何で消えたのか、あたしらが知りたいぐらいだよ」

「……すまないって、何?」

「……知らないよ」

「裏切ったんだよ」

 浅葱の言葉に被せるように、それまで俯いていた菊乃が口を開いた。

「かすみは、あたしらを裏切ったのさ」

「……何を言ってるんだい、あんたは」

「いや、もしかしたら、ずっとあたしらを騙し続けていたのかもしれない」

「やめな、菊乃」

「かすみは……」

「いい加減にしなっ」

「なら、何でさっ」

 二人の声が井戸端に轟く。

「かすみは、一体何に謝っていたのさ。どうして消えたんだい。何で戻ってこないんだよ。何で、かすみは……っ」

「待て、菊乃」

 草之助が見かねて止めに入る。声が大きくなり過ぎたことに気づいた菊乃は、口元を自らの両手で抑えた。そして、そのまま俯く。菊乃が顔を伏せた地面は、そこにだけ雨が降ったように濡れていた。それを見た草之助が、

「……探しに行くか」

 そうぼそりと呟く。その言葉に、みなは一様に草之助を見遣った。

「まさか、長野峠に行くというのか」

 鵺の問いに、草之助は頷く。

「それは、里を出るということだ。任務でもないのに、そんなことが……」

「許しを乞おう」

「無理だろう。今、山は荒れている。この状況で里を出るなど、頭領とてお許しにはならない」

「みなで行くことは無理だろうな。だが、二人でということならばどうだ。山の調査という名目にすればいい。それに、戦の最中(さなか)にあってかすみが故意に持ち場を離れ、今もなお里に戻っていないのだとしたら、頭領とて放ってはおけないはずだ」

「二人か。それなら、あたしと菊乃が……」

 浅葱が言いかけたところで草之助が制した。

「いや。いかに伊賀のくノ一と言えども、この荒れた山に女二人で向かわせるわけにはいかない。行くのは、俺と鵺だ」

 否とは言わせない雰囲気で、草之助が鵺を見遣る。鵺は溜め息を()きつつ重い口を開いた。

「して、誰が頭領に許しを乞うのだ」

「それは、お前だろう?」

「なぜだ。言い出したのはお前だろう」

「言い出したのが誰かなど、さして問題ではない。この場合、お前が最も適任だという話さ」

「……意味がわからないな」

「わからずとも、お前が適任なのだ。お前が行くなら、頭領はきっとお許しになるはずだ」

 腑に落ちないものを抱えた様子ではあったが、鵺は草之助の提案を呑み、一人頭領の屋敷へと向かった。

「鵺でよかったのかねえ」

 鵺の背が見えなくなってほどなく、浅葱が呟く。

「鵺よか、草之助の方が適任だとあたしは思うけれどね」

「そうでもないさ。こと頭領に関してはな」

 浅葱は首を傾げて草之助を見ている。

「頭領は、やはり鵺には甘い」

「……そうかい?」

「ああ。他の里人らと同じように振る舞っているおつもりではあろうが、どうにも気にかかってしまうのだろうな。頭領も、やはり人の親なのだろう」

 草之助の読みがあたったのか、しばらくして戻ってきた鵺は、頭領の許可が下りたことをみなに伝えた。そこで、鵺と草之助は早々に里を発つ準備に取りかかる。一旦それぞれの家に戻った二人だが、その後すぐに里境で落ち合った。そして二人は、かすみが消えたという長野峠の麓を目指したのだった。


「このたらしが」

 里を出てほどなく、鵺が毒づく。

「何を怒っている?」

「怒ってなどいない。呆れているのだ」

「なぜだ?」

「お前は女の扱いが上手いな」

「なんだそれは。厭味か」

「菊乃の涙にやられたか」

「……」

「あれを見なければ、この山中にかすみを探しに行こうなどとは言わなかっただろう」

「……どうだろうな」

「女に甘いその性分を直さないと、いつか女に刺されることにもなりかねないぞ」

「はは。肝に銘じておくとしよう」

 そう話しながら駆けていると、奥に人影を見つけた。

 初めにそれに気づいたのは鵺だ。次いで草之助も気づく。向こうの人影も、こちらに気づいたようであった。

 鵺が、さらなる速さで駆け寄る。草之助もそのあとを追った。そして人影は、鵺と草之助の姿を見止めるや否や、背を向けて逃げ出したのだ。

 それははたしてかすみなのか。ここからではまだわからない。だが、鵺と草之助は、逃げる影をひたすらに追いかけたのだった。

鵺と草之助は、かすみを探して赤目の山を駆ける。

見つけた人影……。

はたして、あれはかすみなのだろうか。


次回、鵺とかすみのお話です。

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